番外8-2:ヘゲちゃんの憂鬱ふたたび

※ヘゲちゃん視点メインの三人称です。番外扱いですが、ほぼほぼ本編です。

──────


 今まで食堂やスタッフホールでの一人飲みしかしたことのなかったヘゲだったが、今日は一人で飲む気になれなかった。

 なんとなく、そうするとまたアガネアのことを考えてしまいそうだったのだ。

 そこで、ヘゲは飲みに誘えるくらいには親しいただ一人の悪魔のところへ向かった。


「フィナヤー、ちょっといい?」


 ヘゲはいつの間にかギアの会の名誉顧問に就任させられていた。そのせいもあってか、会長のフィナヤーは廊下などで会うと話しかけてくるのだった。

 それだけといえばそれだけだが、仕事以外の会話を他のスタッフとほとんどしないヘゲにとって、フィナヤーだけが誘えそうな悪魔だった。


 やって来たのは広報室。

 中に入ると広報担当全員が情報支援用の眼鏡をかけて刷り上がったチラシを確認したり、企画書を眺めたり、なにか書き物をしたりしていた。

 大娯楽祭が近づくなか、広報室も修羅場を迎えているのだ。


 もちろんそれはヘゲにも解っている。ただ、だからこそフィナヤーにも少しは気分転換が必要なんじゃないかと都合よく考えていた。


「どうしました?」

「1時間ほど付き合ってほしいんだけど」


 1時間。


 それは今のフィナヤーにとって、通常の1日にも等しい貴重な時間だった。

 いったい自分に何の用があるというのか。しかし、副支配人の誘いを断る度胸などない。


 ちらりと見ると、広報室のボスであるエルクトは同僚のマルコスと話し込んでいた。


「だから、渉外係のやつらにリストを突き返せ! 締め切りはとっくに過ぎてるんだ。なんでいまごろ追加のリストなんてのが出てくるんだ! 自分たちで勝手にやれと──」

「けどそれじゃ招待状のデザインとか文面とか違っちゃいますよ。通常版持ってるVIPと追加のVIPが鉢合わせしてそれぞれの招待状が違うってことに気づいたらマズくないですか? デザインだの印刷業者だのあれこれ教えてやるくらいなら、こっちでやった方が早いです」

「ああ、うう……チッ! だから最初っから招待状は渉外係に仕切らせればよかったんだ。それをコスト削減だか何だかでうちから一括発注するって……」


 そこでエルクトはヘゲに気づき、真っ青になった。印刷物を広報室の一括管理にしたのはヘゲの指示なのだ。


「あっと、これはこれはヘゲさん。ああ、その。ううん」

「ボス。ヘゲさんが私に1時間ほど付き合ってほしいそうなんですが」


 助け舟もかねてフィナヤーが言う。


「1時間……」


 エルクトの目が一瞬、うつろになる。フィナヤーが抜けることによる遅れや影響をあれこれ計算しているのだ。

 やがて、あきらめたようにうなずく。


「行ってこい」



 広報室を出た二人。


「それで、どうしたんですか?」

「これから客として百頭宮へ飲みに行くから一緒に来てほしいの」


 おいおい。それいまこのタイミングで私にさせる? と思ったフィナヤーだったが、もちろん表には出さない。


「実はですね。先日なぜかたまたま着用済み未洗濯のアガネア様外出用フードがオークションに出て、競り落としたんですよ。だから飲みに行くお金はちょっと……」

「大丈夫。私がおごるから」


 ヘゲはフィナヤーの気乗りしなさそうな顔に気づいた。


「あなたもすごく忙しいとは思うけど、そんなときこそちょっとした気分転換が必要だと思うの」

「みんな大忙しなんでしょうけど、どうして私なんです?」


 嫌がらせですか? とはもちろん言えないフィナヤー。


「同じギアの会の仲間じゃないの」


 その返事にフィナヤーは初めて、ギアの会のメンバーであることを後悔した。


「1時間くらいなら影響ないでしょ?」


 いいえ、と言えない自分が恨めしい。


「ヘゲさん、なんか最近、アシェトさんに似てきましたね」


 マイペースで強引なところが、という思いを言外に込める。


「そう?」


 ヘゲは少しうれしそうに微笑んだ。



 そして“2時間後”。そこには見事な酔っ払いとなったヘゲの姿があった。

 場所は百頭宮のなかでもグレードの高い個室、“剥製の部屋”だ。

 人間をはじめとしてウサギや馬、羊、犬に小鳥から虎にユキヒョウまで、貴重な人界産の剥製がオブジェのように飾り付けられた部屋だ。


「だから。あなたは会長としてギアの会をどうしたいわけ?」

「それはその、大娯楽祭が終わったら顧問であるヘゲさんにも相談して決めていきたいです」

「そうじゃなくて、あなた個人はどうしたいのかって」

「私自身もこのところで思うことが色々とあります。まとまったらお話ししますね」


 そう言いながらも、鋼の意思でヘゲの後ろの壁にかかっている時計を見ないようにするフィナヤー。


 1時間をとっくにすぎていることは判る。ただ、どれくらいオーバーしているのかを正確に知ってしまったら、卒倒しないでいられる自信がなかったのだ。

 なるべく視線を下へ向けて、ヘゲの会話をそれとなく打ち切る方向で努力しつづける。


 誰かがドアをノックした。


「なに?」

「すみません。お楽しみ中のところ」


 入ってきたのは人身ワニ頭の悪魔、メスラニだった。

 アシェト直轄の経営企画室に所属し、ヘゲの手足として働いている。

 ヨーヴィルの情報を伝えてきたピーウィーのジャックが殺され、その調査にあたったのも実際にはメスラニたちだ。


 あの件は結局、ピーウィーのジャックがヨーヴィルの隣に住んでいた事実などなかったことが判明しただけだった。

 おおかた金銭と引き換えに“ヨーヴィルを餌としてアガネアたちを人気の少ないザレ町近くにおびき寄せる”という役目を引き受け、用済みになったので殺されたのだろうということになっている。


「あの、リストの方は見ていただけたでしょうか? どうするにしても、そろそろ発注しないことには」


 ヘゲは黙って目を細めると親指を立て、水平に首の前で動かす。


「かしこまりました」


 メスラニは一礼して部屋を出ようとして、足を止めた。


「ヘゲさん。アシェトさんに似てこられましたね」

「そう。ありがとう」

「では、これで」


 メスラニが出ていくと、ヘゲはつぶやいた。


「アシェト様に、似てきた」


 そしてはにかんだように微笑む。


 そのとき、せっぱつまったフィナヤーの頭にひらめきが宿った。

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