遅いお昼

 芝生を敷く一角の草を抜いて、さらにクワで土をほぐす。あっという間にお天道様はてっぺんを通り過ぎて、もう少しで白みを帯びた色合いを暖かく変えようかという頃合い、タクトは遅い昼食をとっていた。

 今日も今日とて厚焼き卵をおかずのひと品に加えていた。かつてアヤメに食べさせたのとは違って、だしをきかせただし巻き卵で、いつもよりも大目に収めていた。ひょっとしたらアヤメが食べてくれるかもしれないと考えなかったといえば誤りになるが、卵焼きはタクトにとっては定番メニューであって、弁当には必ず入れているのだった。

 タクトが階段に腰を下ろしてだし巻き卵の味を確かめていると、後ろから足音が聞こえてきて、振り返ればヨシワラが降りてきていた。休校であるにもかかわらずに制服を身につけていて、学校指定のバックをも手にしていた。

 タクトがヨシワラの服装について尋ねてみれば、呼びだしを受けたの、と答えて、隣に座っていい? と尋ねてきた。けれども、タクトが口にするよりも先にヨシワラは隣に座って、腰を下ろしてスカートを整えている姿に対してタクトはうんと口にしたのだった。

「トモが死ぬ前、私に電話をかけまくってたからってことで事情聴取されたの。それで学校に行って、警官と先生相手に話をしてきた」

「昨日よりもずいぶんと落ち着いたみたいだね。それはよかった」

「家に帰って眠ったらちょっとすっきりした。痴情のもつれだって言ったら先生目を丸くしてたよ。もちろん、あの水のことは口にしてない」

「あのさ、後悔、してる?」

「後悔もなにも、私は本当の友達をひとり失ったのよ、後悔なんてものじゃない。アイツの方に責任があるのに、アイツをやらなきゃいけないのに、私はトモに目を向けちゃった、それで」

 ほんのちょっとしか経っていないのに人の死について話すべきではなかった。たちまち顔に力が入って目尻に涙をためる横顔を目の当たりにして、タクトもまた苦しい気持ちになった。タクトもまたヨシワラの友人を殺した犯人なのだ。

 だが、タクトにはちゃんと答えを聞いておきたい事柄があった。アヤメが言っていた、アヤメが求める呪詛について。

「なら、恨めしい?」

「恨めしい? 当たり前よ、トモに迫ったアイツが憎い、道を間違えた自分自身が憎い」

「そうじゃなくて、この祠のこと。この祠の神様は、願われた呪詛が成就するようにする力があるんだ。ヨシワラが呪いを願ったとしても、もし成就するようにしなければ、なにも起きなかったんだ」

「神社を恨んだところでなんにもならないでしょ」

「うちの神が言うには、呪詛は神様にだって有効だって。神に復讐もできるって」

「そんなことしたって、トモは帰ってこない」

 ヨシワラは脚に腕を回して、両ひざの間に顔をうずめた。顔をひざのあたりにこすりつける動きは激しくて、毛先が宙を舞っていた。顔をあげると指先で目頭を払い、髪に手くしをかけて、最後に目じりを払った。

 ヨシワラの言葉はタクトに突き刺さった。呪詛への報復のための呪詛は心を満たしはしない。たとえ呪詛を施した相手を恨んで呪詛を願ったとしても、自分が望んでいる結果は絶対に得られない。呪詛が成就したって生き返らない。絶対に満たされない。

 ヨシワラにかける言葉が思いつかないで、嫌な沈黙を感じながらも打破できないでいた。ただじっとしているだけで心が黒く蝕まれてゆく感覚が歯がゆくてたまらなかった。ヨシワラから離れて芝生に触りたい。

 だし巻き、いい? ヨシワラがふいに口に出した言葉にタクトは反射的に応えた。弁当箱を差しだして、あとはヨシワラが取るのに任せた。ヨシワラは一番はじの一切れをつまみあげて、角をちょこっとだけかじった。アヤメのように無邪気に喜んだりはしゃいだりはしないで、むしろ無反応だった。

 だし巻き卵のことは全く触れないで、ヨシワラはタクトの役目を尋ねてきた。質問と言うよりは確認で、呪詛の実行役なのは確かか、という旨だった。もしかして、カレシの『始末』を頼まれるのではという嫌な予感が脳裏をよぎったけれども、大外れだった。

「もし私が神様を呪ったとして、それが呪いとして成立したら、タクトは神を殺す?」

「まあ、そういうことになるな」

「タクトは殺したいの? その、実行役をするぐらいの間柄で」

「そんなことはしたくない。したいわけがないだろう」

 するすると口にしていたけれども、殺したくない理由がタクトにはなかった。いきなりタクトの生活の中に現れて、ぐちゃぐちゃにかき乱して、ついに人を殺させた張本人だ。なのに殺したいとも思わなかった。頭から離れないのがくるくると感情が変わってゆくアヤメの姿だった。神様とは思えない振る舞いだった。

「神様が殺してほしいだなんて、神様も辛いんだね」

「呪いを成就させてきた反面、呪いを受けた人たちの周りがアヤメ様に呪詛の矛先を向けたんだ。今までずっとその呪詛のことを考えてるんだ、それで、その人たちのためにも、呪詛を受けなければって」

「アヤメ様、ねえ。本当に神様なの? くよくよ考えているところなんか人間そっくりじゃない。それとも、神様ってそんなに俗?」

「そう思うのも無理はないよ。この前なんか、甘い味つけの厚焼き卵を食べてはしゃいでた」

「人間っぽいというよりも、子供っぽい」

「神様も甘えたいときがあるのかもね」

 なんとなく口にした言葉が、心にじんわりと響いてきた。一点の光が生まれて、たちまち心の一面に広がっていった。アヤメを放ってはおけない。どんなに神だと言い張っても、アヤメはかつて、数百年前までは人間だったのだ。人間が神の役割を担うなんて重荷でないわけがない。アヤメはタクトを頼ってきた。ならば、どんと胸を貸してあげるのがタクトの役目だ。

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