⑫Logic

「……ダメです」

 凄惨な様子を見ていられなくなったのだろうか。

 ハイネは肩で塀を伝い、〈アンテラ〉に歩み寄っていく。


 無数の〈YUワイユー〉で形成された肉団子は、今やトラック以上に肥大化している。表面には〈YUワイユー〉の顔や太い血管が浮かび上がり、異様なモザイク画を描き出していた。


「そんな数、制御しきれるはずがない……」

 悲痛に訴え掛け、ハイネは首を横に振る。

 肉団子の返答は、野太いかざおんだった。

 大蛇のような血管がしなり、ハイネの頭上に降り注ぐ。


 舌を打つ時間も惜しい!


〈マスタード〉はすかさず飛び出し、タックル気味にハイネを運び去る。直後、ハイネの残像を血管がち割り、したたか道路を打ち据えた。


 一瞬、路面がたわみ、弾むように砕け散る。続けてアスファルトの欠片かけらが、土埃が噴き上がり、高波のように往来を洗った。


「い、言っただろう、〈荊姫いばらひめ〉? 任務は完遂した。わ、私が帰還する必要は、な、ない。へ、丙級へいきゅうエージェントのい、命一つで障害を排除出来るなら、ぎょ、僥倖ぎょうこうだ」

 肉団子の中から漏れる声は、病み上がりのように弱々しかった。

 ただでさえ聞き取りにくい上に、荒く乱れた呼吸が頻繁に言葉を分断する。


「……テメェの命までゴミ屑扱いかよ。ホント、徹底してやがる」

 キモたち〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉は、全人類を品定めし、独自のランキングを作った。彼女たちは一定順位以下の人々を切り捨て、「天才」だけの世界を構築しようとしているらしい。


 その一、愚者を排除し、賢者の平穏を確約する。


 その二、無能な民衆から、有能な人々を解放する。


 その三、弱者にしいたげられた強者を救う。


 以上が、〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉の三大理念だ。


 そう、彼等は愚者を排除しなければ、賢者が平穏に生きられないとうたっている。

 つまり、浅はかな連中こそが、思慮深い人々を不幸にしていると考えている。


 半平には否定出来ない。

 誰かを批判するには、前科がありすぎる。


 ご近所迷惑な爆音を、マブいと言い張る暴走族。

 死刑になりたいからと、街中まちなかで刃物を振り回す通り魔。

 彼等がニュースを騒がす度に、半平は呟いた。

 死ねばいいのに、と。


 暴走族が全滅すれば、ご近所の皆さんに静かな夜が戻る。

 通り魔が独りで死んでいたら、無関係な人々が殺されることはなかった。

 無論、誰かが命を落とした話を、「よかった」とは言えない。

 でもそれ以上に、「悪かった」と言う気にはならない。


 かたや、平然と周囲に迷惑を掛ける連中。

 かたや、律儀りちぎにルールを守って生きている人たち。

 二つの人種を公平に扱ったのでは、不公平過ぎる。ぞくや人殺しが不幸になっても、街の人々が幸せになったなら、それはめでたい出来事だ。


 否定出来ないのは、その二に付いても同じ。

 無能な民衆から、有能な人々を解放する?

 独裁者のような思想に、良識ある人々は眉をひそめるかも知れない。

 だが能力の劣る人間が、周囲の負担を増やすのは事実だ。


 半平自身、運動会のクラス対抗リレーの時、ひどく苦労した記憶がある。

 原因は、足の遅い肥満児だった。


 勝負に勝つためには、彼へバトンが渡る前にリードを広げなければならない。運動が得意なクラスメイトたちは、個人種目の徒競走以上に息を切らせていた。

 仮にあの時、足手あしでまといがいなければ、皆がヘトヘトになることはなかったはずだ。


 一六年分の体験を踏まえるなら、〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉のスローガンは何もかも正しい。


 皆の平穏をおびやかすやからは、問答無用で排除されるべきだ。

 足手あしでまといをハブれば、周囲の負担は少なくなる。


 きっと半平の本心は、限りなく〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉に近い。

 その証拠に、少し油断しただけで顎を沈めそうになる。

 道徳の授業中にも同様の現象が起きたが、あれは睡魔と格闘していただけだ。

 先生は寛容や博愛と言った単語を繰り返していたが、アクビしか出なかった。


 結局、クラス対抗リレーは最下位に終わった。

 勿論もちろん、肥満児のせいだ。

 たった半周の間に一位から五位になった時は、我が目を疑った。


 お前のせいだ!


 器の小さな半平は、心の中で彼を罵倒した。

 口に出さなかったところを見ると、当時から保身の達人だったらしい。


 もしもあの時、本音を口に出していたら?

 優しさがない! だの、思いやりをもて! だの、クラス中から担任から野次やじを飛ばされただろう。実際、軽く不満を口にしたきしくんは、学級委員長のグループに吊し上げられていた。


 だが、考えてみればおかしい。

 駿足の岸くんは、全力疾走を無意味にされた。努力を台無しにされたのは、懸命にリードを守って来た半平や、クラスメイトたちも一緒だ。

 戦犯の肥満児に文句を言う権利は、充分ある。

 同情を受けても、責められる筋合いはない。


 そう、〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉の言う通り、強者はしいたげられている。

 辛抱を要求されるのは、いつだって出来る側だ。

 出来ない側は、感情論に守られる。


 強さとは、負い目なのだろうか?

 まさか。

 それが努力や工夫を積み重ねた結果なら、手放しに賞賛されなければならない。むしろ批判されるべきは、他人に迷惑を掛けた上、寛容さまで求める弱者のほうだ。


 ……いいや、彼等が正しいと決め付けるのは早い。


 ふと胸の中から声が響き、半平に訴え掛ける。

 このままでは、キモの仲間になってしまうと考えたのだろうか。


 ……人間は変わっていく生きものだ。

 ……周りにたくさん迷惑を掛けたからこそ、深く反省する場合もある。

 ……皆に借りを返そうと、社会に尽くす人もいるではないか。


 一通り言い分を聞いてから、半平は冷ややかに反論する。

 全ての人間が悔い改めるか?


 元暴走族のほとんどが、「昔、やんちゃしてた」の一言で過去を清算してしまう。

 その「やんちゃ」がどれだけ多くの人に迷惑を掛けたかなど、考えもしない。

 あまつさえ、悪事を自慢することも少なくない。


 ……一面で能力を判断するのは乱暴だ。

 ……人にはそれぞれ、長所と短所がある。


 再び胸の中から声が響き、先ほどより荒い口調で言い放つ。

 無下むげに否定されたのが、面白くなかったのだろう。


 確かに、その言い分には一理ある。

 肥満児はクラスで一番足が遅かったが、同時に一番歌が上手うまかった。

 音楽祭で金賞を取れたのは、彼のおかげと言っていい。


 だが多面的に人を見ても、能力で価値を決めていることに変わりはない。

 それは、〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉と一緒だ。


 そもそも会社に入るのにも、学校に入るのにも、試験や面接がある。

 そう、世間は公然と、能力を基準にしたふるい分けを行っている。


 無論、お眼鏡にかなわなければ殺すと言う極端さは、責められるべきだ。だが能力で人を判断すると言う一点において、キモたちだけが非難されるいわれはない。


 そして〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉のランキングは、一面だけで決められているわけではない。

 知力、体力、容姿、業績、芸術的才能……。

 ディゲルにもらった資料には、その人の全てが審査対象になると書かれていた。


 無論、人格も重要だ。

 長年、慈善活動を続けてきた篤志家とくしかが、世界的科学者の上に来ることも多いと言う。

 早い話、ランキング下位の人間は、あらゆる意味で人並み以下と言うことになる。


 頭も運動神経も悪く、人に誇れる業績もない。

 おまけに性格も最悪で、周囲を不快な気分にさせる。

 こんな人間を生かしておくことが、みんなの幸せに繋がるだろうか? 能力のなさや性格の悪さに辛抱し、彼を受け入れなければならない理由がどこにある?


 多くの人々にとって、彼は赤の他人だ。

 血縁もなければ、能力が劣る原因を作ったわけでもない。


 いや、周囲だけの問題ではない。


 何をやっても人並み以下で、夢も叶わない。

 容姿や性格のせいで、誰からも愛されない。

 そんな彼が、今際いまわきわに言うだろうか? 自分の人生は幸せだった、と。

 いっそ早い内に死んでしまえば、挫折も徒労も知らずに済む。

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