④人喰いカラブラン

〈シュネヴィ〉は一息に膝を伸ばし、倒れたマネキンに駆け寄る。

 同時に水玉のワンピースを剥ぎ取り、〈アンテラ〉の顔面に投げ付けた。


 て、てらあ!?


 ワンピースが〈アンテラ〉の顔面を覆い、音程の狂った声が店内に響く。

 視界を奪われた怪物は、あたふた顔に手を走らせた。


 混乱に乗じ、〈シュネヴィ〉は自身の胸に手を飛ばす。それからループタイのように垂れた「水引みずひき」を掴み取り、一回、二回と引っ張った。


終灯ついとう 風薔フウソーン 修羅忌ジュラき


 胸元の提灯ちょうちんに緑の光がともり、聞き飽きた読経どきょうが鳴り渡る。すかさず胸元から緑色の死斑しはんが広がり、〈シュネヴィ〉の全身に渦巻き模様を刻み込んだ。


強風きょうふう 雲霞うんか 鎌風かまかぜ 絶景ぜっけい


 二度目の読経どきょうをきっかけにし、提灯ちょうちんが上下に割れる。

 途端、映写機のように光が伸び、〈シュネヴィ〉の正面に竜巻を映し出した。


「ハッ!」

〈シュネヴィ〉は一息に竜巻を突っ切り、〈アンテラ〉の懐に飛び込む。瞬間、竜巻は嘘のように掻き消え、代わりに〈シュネヴィ〉を砂嵐が包み込んだ。


カラカラカラカラ 渇々腐乱カラカラブラン


〈アンテラ〉の懐から読経どきょうが鳴り、〈シュネヴィ〉を覆う砂煙が消え去る。直後、〈アンテラ〉が顔面のワンピースを剥ぎ取ると、透明な身体が骸骨を写し取った。そう、巨大な風車を背負う骸骨を。


 ステゴサウルスの化石をモチーフにしたそれは、花びら状に配置された背ビレで構築されている。サイズと言ったらマンホールをしのぐほどで、大きく〈シュネヴィ〉の背中からはみ出している。


 ひゅう……。


〈アンテラ〉が呆気に取られている隙に、もたもたと風車が回りだす。すると気ままに浮遊していた布切れや紙幣が、〈シュネヴィ〉の左手に吸い寄せられ始めた。


 周回に比例して風車のスピードが上がり、翼竜の羽ばたきにも似た轟きが柱を揺する。程なく加速した羽根が視界から消え、〈シュネヴィ〉の左手を風の渦が包み込んだ。


〈シュネヴィ〉の風車〈カラカラブラン〉には、風を起こす力が秘められている。発生させる場所はある程度操作可能で、身体の一部分にまとうことも容易だ。


 ごぉぉぉぉ!


 更に風車の回転が速まり、硬貨やマネキンの頭部が風の渦に飛び込む。

 無節操に周囲の物体を呑み込むそれは、次第にどす黒く染まっていった。


 て、てらぁ……!


 雄々しい風音に怖じ気付き、〈アンテラ〉は腰を引く。すかさず〈シュネヴィ〉はアッパーを放ち、螺旋らせんじょうの暴風を〈アンテラ〉の顎に叩き付けた。


 風の渦が一気にぜ、竜巻が建つ。

 瞬間、〈アンテラ〉は真上に吹き飛び、天井をぶち抜いた。


 風神のように雄叫おたけびを上げる竜巻が、六階、七階とビルの中央を貫いていく。

 内部の物体を一切見せない黒さは、タクラマカン砂漠の砂嵐に他ならない。


 台風以上の風速を誇るそれは、ウイグル語で「黒い嵐カラブラン」と呼ばれている。

 その名の通り、すさぶ砂塵は日光をさえぎり、世界を黒く塗り潰してしまう。


 数多あまた隊商たいしょうを死に追いやった凶風きょうふうは、今宵もまた破滅を呼ぶ。


 天井を吹き抜けに改築する音が連続し、〈シュネヴィ〉の膝を激しく揺する。頭上からは際限なく瓦礫が降り、足下を土埃に沈めていった。


 やがて積もりに積もった瓦礫が腰の高さを超え、前触れもなく竜巻が消える。

 同時に天井を貫く音が絶え、青白い光が〈シュネヴィ〉を照らした。


〈シュネヴィ〉は硬く結んでいた拳をほどき、頭上を見上げる。

 屋上まで続く大穴に、満月が浮かんでいた。


「セイッ!」

〈シュネヴィ〉はくるぶしから圧縮空気を噴き出し、頭上の穴に飛び込む。

 一秒にも満たない間、月光を遡上そじょうすると、目の前に大空が広がった。


 見晴らしがいいはずの屋上は、粉塵のせいでかすみが掛かっている。

 辺り一面にはコンクリ片が散らばり、ねじ曲がった鉄筋を突き出していた。


〈アンテラ〉は落下防止用の鉄柵に寄り掛かり、深く肩を沈ませている。

「切り札」ではないと言え、最大級の一撃を叩き込んだ。

 さすがにもう抵抗する力は残っていないか?


〈シュネヴィ〉は慎重に歩を進め、〈アンテラ〉に迫っていく。

 瞬間、瞳を貫く閃光。

 息も絶え絶えに点滅していた〈アンテラ〉が、凶暴に輝いている。


 てらあっ!


 今の今まで床に寝ていた触碗しょくわんが、息を吹き返したように跳ね上がる。

 たちまち先端のカンテラが弾み、蛍光色の水玉を散らす。

 そう、地上を焼いたあの時のように。


〈シュネヴィ〉は荒っぽく跳び上がり、屋上の端から端へ下がる。

 真似するように水玉が舞い上がり、星空にサイケデリックな輝きを加えた。


 後は降るだけ。


 降らすだけ。


 猛火の雨を降らすだけ。


 降らない。


 一分近く待っても、空中の水玉に変化はなかった。


 不意に強風が吹き、屋上の土埃を晴らす。

 か弱い水玉はカズノコのようにばらけ、光る霧と化した。


 静寂に包まれた街並みに、微細な光が降り注ぐ。ゆらゆらと紺碧の天球を漂うそれは、ライトに照らされたマリンスノーに他ならない。


 何だ、狙いは、狙いは何だ!?


 疑問符にき立てられ、〈シュネヴィ〉は視線を飛ばす。

 途端、目に入ったのは、呆然と霧を眺める〈アンテラ〉だった。


 不発。


〈シュネヴィ〉の脳裏に巨大な二文字が浮かび上がり、燦然さんぜんと光輝く。

 間髪入れず、〈シュネヴィ〉は助走を付け、〈アンテラ〉に蹴り込んだ。


 靴底が〈アンテラ〉の顔面に沈み込み、スイカを踏み潰したような感触が走る。たちまち〈アンテラ〉の頭部は弾き飛ばされ、背後の鉄柵に叩き付けられた。


 ラケットのようにしなった鉄柵が、〈アンテラ〉の頭部を打ち返す。

 強烈なスマッシュを受けた〈アンテラ〉は、顔面から床に突っ込んだ。


〈シュネヴィ〉はうつぶせの〈アンテラ〉を見下ろし、膝を上げていく。そうして足の裏を〈アンテラ〉の頭上に運ぶと、うめくような哀願が耳に届いた。


「降参だ。もう許してくれ……」

〈アンテラ〉はうつぶせから仰向あおむけになり、胸の中央から垂れた鎖を引いた。

 掃除機のコードよろしく鎖が収縮し、〈アンテラ〉の胸に呑まれていく。間もなく末端のしおりが胸に突き刺さり、〈アンテラ〉の背中にくすんだ輝きがともった。


〈アンテラ〉の背中から上下に光線が走り、巨体を左右に分割する。

 途端、観音かんのんびらきのように背中が開き、身体の前で閉じた。


 バタン! と辞書を閉じたような音が鳴り、〈アンテラ〉の全身から黒い粒子がすさぶ。墨色だった視界が晴れると、そこにはスーツ姿の女性が座り込んでいた。

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