第72話 朝ご飯

「………………くん。……気分はどう?」


 ぼんやりとした頭で考える。

 窓の外はすでに明るくなっており、そろそろ起きる時間を告げてきている。

 そういえば今何時だろう。


 いつも枕元に置いているスマホを探そうと手をごそごそとさせるけれど、目当ての物の感触がそこにはない。


「黒塚くん、おはよう」


 「スマホがない」と、若干の焦りを覚えだしたころ、どこかで聞いた声と共に、ごそごそとしていた僕の手が温もりに包まれた。


「……あれ?」


 寝ぼけた頭で温もりに包まれた自分の手のほうへと顔を向けると、僕の手が誰かの手に包み込まれているのが見えた。


「ふふっ、黒塚くん、気分はどうかな?」


 ――ふぁっ!? 秋田さん!?


 その手が誰の物か判明すると同時に、僕の意識が一気に覚醒する。

 な、なんで秋田さんが……。あ……。そうか……、そういえば秋田さんに鍵を渡したんだったっけ……。

 えええ……、よくそんな大胆な行動を……。きっと熱のせいで朦朧としていたせいだよね……。きっと。


「……おはようございます」


 別の原因で熱が上がったように顔が熱くなったけれど、改めて自分の調子を確認してみる。

 ……うん。悪くはないかも。

 秋田さんのおかげで。


「思ったより調子戻ってるみたいです」


「よかった……」


 僕の手を握りしめたまま、秋田さんが安堵の表情で微笑んだ。

 やっぱり秋田さんの笑顔は安心するなぁ。

 心がほんのりと温かくなるのを感じながら、僕はさっきまで何をしようとしていたのかを思い出した。

 そういえばスマホがなかったんだった。確か時間を確認したくて……。


「秋田さん、僕のスマホ知りません? 今何時かなーって思って……」


 僕は上半身を起こしながら秋田さんに尋ねてみる。


「スマホ?」


 キョトンとしながら秋田さんが僕の部屋を見回す。握り締めていた僕の手が離されるけれど、それはしょうがない。


「あ、机に置いてあるよ? ……今は、ちょうど九時だね」


 ……九時? あれ? えーっと。


「――えええっ!?」


 時間を認識できた僕は思わず叫んでしまった。

 九時って、思いっきり遅刻じゃないか。……今日まで夏期講習だったはずだけど。

 あ、そういえば昨日は目覚ましのスイッチも入れるの忘れてたな……。


「ど、どうしたの?」


 秋田さんが慌てて僕に尋ねて来るけれど、そういえば秋田さんは夏休みだったんだよなぁ。

 ちょっと冷静になりながらもベッドから立ち上がり、机の上に置いてあるスマホを手に取ると。


「あ、はい。今日も学校で夏期講習だったので……。遅刻だなーって思って……」


 理由を説明していると、秋田さんの表情がだんだんと曇ってくる。……なんだろう、僕変なこと言ったかな。

 ……あ、早霧から着信入ってるし。


「黒塚くん。無理しちゃダメです」


 若干低い調子になっている秋田さんの声に、僕は手元のスマホから顔を上げる。と、やっぱり険しい表情の秋田さんがそこにいた。


「あう……」


 そういえば昨日は一日中ダウンしてたんだよね……。今日の事まったく考えてなかったけど、まぁ休むしかないか。


「友人に欠席って伝えておきます」


「そうしてください。じゃあ朝ご飯用意してくるね」


「……あ、はい」


 反射的に返事をしてしまったけれど、なんだって? ……朝ご飯? え?

 なんなんだこのシチュエーションは。秋田さんに朝起こされて、なおかつ朝ご飯の準備までしてくれる……?

 あるひとつの想像をした瞬間、僕の顔が一気に熱くなった。


 ――まるっきり新婚夫婦みたいじゃないか!


 僕は身悶えしながらも、スマホで早霧に欠席を伝えるのだった。




 着替えてからリビングへ向かうと、エプロンをつけた秋田さんがキッチンでせわしなく動いていた。

 その様子に、さっきまで見悶えていた内容を思い出してまたもや顔が熱くなってくる。


「顔洗ってきます」


 恥ずかしさに耐えられず、返事も聞かずに洗面台へと向かい、顔を洗う。

 ああ、ダメだ。なんとなく、今日は秋田さんの顔をまともに見られる気がしない。

 とは言え、顔を合わせないと朝ご飯も食べられないし……。

 いつまでも洗面台で引っ込んでいても心配させるだけなのでリビングへと戻る。


「もうすぐできるから待っててね」


「あ、はい」


 秋田さんの言葉に素直に従ってテーブルの席へと着く。

 幾分もしないうちに食パンとサラダが出てきた。……なぜか二人分。


「……」


 てっきり秋田さんは自分の家で朝ご飯を食べてきたものだと思ったけれど、違ったのか。

 二人でテーブルに着くと秋田さんが思わずと言った感じで気まずそうな表情をしていた。


「あ……、ごめんね、わたしの分も勝手に用意しちゃって」


「……全然かまわないですよ」


 またもや「夫婦」といった単語を思い起こさせられる行動を秋田さんに見せつけられ、僕はもう見られるのもかまわずに顔をほころばせる。


「よかった」


 安堵する秋田さんに微笑みかけると僕は両手を合わせる。


「いただきます」


 こんな日が毎日続けばいいなと思いながら、僕は秋田さんの作ってくれた朝ご飯を食べるのだった。

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