第59話 想いを乗せて
先輩のピアノが鳴り響くこの空間にいるのは嫌だったけれど、そういうわけにもいかなくなった。
秋田さんに僕の演奏を聴かせてあげなくてはならなくなったからだ。
グランドピアノが奏でるメロディーの勢いが上がってきた。
下手……ではないけれど、勢いだけで感情がこもっていないように感じる。
そのせいか、『俺は上手いんだぞ』といった主張だけがされているようで、なんとも聴いていて面白くはない。
「上手だね……」
秋田さんがどこか悔しそうに呟いている。
普段こういった演奏を聴かない人からすると、メディア学科の先輩の実力は高く見えるんだろうか。
「大丈夫ですよ」
僕は安心させるように秋田さんに声を掛ける。
「……えっ?」
何が大丈夫なのかよくわかっていないのだろう。秋田さんはキョトンとした表情だ。
……大丈夫。先輩のピアノはあんまり大したことないから。
だから安心していいよ。
結局先輩がピアノを弾き始めて五分くらいだろうか。それくらいで演奏が終わってしまった。
てっきり練習だと思っていたから、短くても三十分くらいは弾いているのかと思ったんだけれど。
……というか練習するならここじゃなくてちゃんとした教室があるんじゃないのかな。
楽器の展示室ってオープンキャンパスの間だけなような気がするし。……秋田さんに聴かせたかっただけなのかな。
「どうだった?」
グランドピアノの前から立ち上がり、遠目から眺めていた僕たちの方へと近づいてきた東原先輩が、ドヤ顔で秋田さんに感想を聞いてきた。
「……えっと、すごいね。……上手だったよ?」
何とも言えない微妙な表情で秋田さんが疑問形でこたえている。
それが予想外の反応だったのだろう。東原先輩の表情が硬くなるけれど。
「おー、東原やっぱ上手いわ」
「オレちょー感動した!」
後ろにいた男二人のツレに背中をバシバシと叩かれている。
「じゃあ次は僕が弾くのでご指導お願いします」
そう一言だけ告げると、返事を聞かずに先輩の横を通り抜けてグランドピアノへと向かう。
秋田さんに演奏を聴いてもらう。……僕の想いを乗せて。
椅子に座ると大きく深呼吸すると、ゆっくりと鍵盤へと手を乗せる。目を瞑ると秋田さんを思い浮かべる。
「ふん……、まぁ聴いてやろうじゃないか」
表情は見えないけれど、なんとなく馬鹿にされているような口調だ。
……だけどそんなことはもうどうでもいいよね。ようやく気が付いた自分の気持ちをピアノで表現しないとね。
ゆっくりと鍵盤を押さえると指を滑らせていく。
秋田さんを想いながら鍵盤を叩いていく。
優しく。だけれど力強く。
――そう。僕は秋田さんが好きだったんだ。
ようやく気が付いた。
今まで秋田さんを見てドキドキすることがあったけれど、これが好きってことだったんだ。
そういう意味じゃ、東原先輩。ありがとうございます。
これって嫉妬だったんですね。
先輩がいなければ僕はずっと気が付かなかったかもしれない……。
十分ほど弾いていただろうか。
集中すると時間を忘れるのは僕の癖みたいだ。
ピアノから顔を上げて周囲を見渡すと、思ったよりも人が集まっていた。
立ち上がって軽く礼をすると、拍手が送られてくる。……なんだか恥ずかしい。
秋田さんのいるところへと歩いていくけれど、どうにも様子がおかしい。
なんとなく僕を見つめたまま動かない。ちょっと顔が赤くなっているような気がするし、瞳も潤んでいるし、どうしたんだろう。
でもそんな秋田さんもかわいいなぁ……。
「……どうでしたか?」
若干見上げながら秋田さんに感想を聞いてみる。
……と、ほんのり赤かった秋田さんの頬がさらに赤くなった気がした。
「あ……、黒塚くん……」
しばらく待っているとようやく復活したようで。
「すごいすごい! びっくりした!」
と思ったらすごい勢いでまくし立ててきた。
「茜ちゃんには聞いてたけど……、ちょっとうるっときちゃった!」
「あはは。ありがとうございます」
秋田さんの感想に、僕は笑顔でお礼を言った。僕の演奏で感動してもらえたなんてすごく嬉しい。
周辺を見回してみるけれど、どうも先輩の姿がいつのまにか見えなくなっている。
せっかく感想を聞きたかったのに……、まぁいいか。
秋田さんが笑ってくれているし、もともと先輩を追い払うためだったし。
集まっていたギャラリーがざわつきながらも少しずつ解散していっている。
「いやー、兄ちゃんすごかったな!」
そんな中でもわざわざ僕に声を掛けてくれる人までいた。
「あ……、ありがとうございます」
思ったより注目を集めてしまったみたいだ。なんだか視線が痛い……。
勢いでやっちゃったけど、やっぱり恥ずかしいな……。
「ふふっ……。じゃあお昼ご飯行こっか」
そう言ってまた、秋田さんは僕に笑いかけてくれた。
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