第32話 おすそ分け -Side秋田すず-
「うーん……。お礼を言いたいけど、機会がないなぁ」
あれから数日経ったとある木曜日。大学での授業が終わって帰る途中である。
同じ授業を取っている茜ちゃんは、これから仕事があるからと学校で別れたので、帰りはわたし一人だ。
黒塚くんに味噌炒めをもらってからお礼を言いたいと思ってるんだけど、隣に住んでいる割にはたまたまなのか会う機会がなかった。
ただ「ありがとう」を言うだけに、黒塚くんの家のインターホンを押すのも大げさな気がするし……。
自宅の最寄り駅に着いたので、電車から降りて出口へと向かう。
改札を出たところで見たことのある人物が視界に入った。
「あれは……、確か黒塚くんのお友達……」
わたしより背の高い男の子が二人連れ立って、学校から帰る途中だろうか。
二人で何を話しているのかは聞き取れないが、ただ『黒塚』という言葉だけは聞き取れた。
彼はどうやら学校でも人気者のようだ。
「ねぇねぇ」
もう黒塚くんに伝言でも頼めばいいやと思ったわたしは、二人に声をかけていた。
「――は、はいっ!?」
わたしに気がついていた背の高いほうの男の子は、まさか話しかけられるとは思ってなかったのか、ビックリした上ずった声を上げている。
ちょっとだけおかしくなったわたしはくすりと笑うと。
「確かこの間、黒塚くんの家に遊びに来た子だよね……?」
自分よりも背の高い男の子ではあるけれど、年下なのは間違いない。
「あ……はい、
「……おれは
「実はね……、ちょっと黒塚くんに伝言があるんだけど……、頼んでもいいかしら?」
わたしがそう切り出すと早霧くんが怪訝そうな表情になる。
「……別にかまいませんけど」
何か言いたそうではあるけれど、さすがにわたしも言いたいことはわかる。
なにせ隣に住んでいるんだし。直接言えばいいじゃないってことだろう。
だけど、それはそれで面白くないよね。
「『おいしかったです。今度作り方おしえてね』って、伝えておいてもらえるかな?」
友達たちにもいじられて慌てている黒塚くんを想像すると、なんだか楽しくなるんだもん。
黒塚くんは、手のかかる弟というよりは、おもちゃにされる弟という感じなのかな。
でも、あんまりいじめないであげてね。
「――あ、はい」
「じゃあね」
生返事を返すだけ返して固まっている早霧くんたちを尻目に、わたしはそのまま帰路に着くのだった。
今日は茜ちゃんの家で一緒に課題提出用のレポートを書いている。
今はお昼ご飯を食べた後の休憩中だけれど、もうちょっとしたらまたレポート書きに戻らないとね。
いつまでも休憩してちゃ課題は終わりません。
ピンポーン!
のんびりとお茶を飲んでいるとインターホンが鳴った。
「はーい」
「誰かな?」
玄関へと向かう茜ちゃんの背中を見つめながら呟く。
ちょっと気になったのでわたしもコップをテーブルに置くと、玄関から顔を出してみた。
すると茜ちゃんから「黒塚くん」のセリフが聞こえてきた。どうやら訪ねてきたのは黒塚くんらしい。
これはわたしも出迎えてあげなければ!
「あれ? 黒塚くんじゃない。どうしたの?」
気合十分に玄関まで行くと、訪ね人に声を掛けた。
すると茜ちゃんから返事がくる。
「黒塚くんからね、おすそ分けもらっちゃった」
そう言って手に持ったタッパーを掲げて見せてくれた。
むむっ。なんですとっ!?
「えー、そうなのー? 黒塚くん、わたしにはないのー?」
不満をぶつけるように黒塚くんを見つめてあげると、あたふたと慌てているようだ。
うふふ、やっぱり黒塚くんは見てると楽しいなぁ。
「あ、もちろんありますよ! 家に置いてあるので取ってきます!」
だけれどちゃんとわたしの分もあるみたいだ。ちょっと嬉しい。
しばらく待っているとすぐにもうひとつタッパーを持って戻ってきた。
だけど茜ちゃんはタッパーが気になったのか、「味見してくるー」と言って黒塚くんが来る前にリビングに戻っていた。
「はいどうぞ」
「やったー! ありがとう黒塚くん!」
だけどそんなことはどうでもいいくらいに、黒塚くんからもらったおすそ分けが嬉しかった。
「おお、まだあったかいね……。おいしそう」
しっかりと手で支えていると、タッパーの底から温もりが伝わってくる。
中身はまだ見ていないけれど、それだけでおいしそうに感じられた。
しばらく黒塚くんと話していると、家の中から「おいしい!」っていう茜ちゃんの声が聞こえてきた。
慌ててわたしも味見のために戻ろうとしたところで、黒塚くんに大学について聞きたいことがあるとお願いをされたのだ。
――しかも上目遣いで!
思わず頭をなでなでしそうになったけれど、なんとか耐えたと思う。
「あー、そういえば受験生かー」
しみじみと懐かしんでみたけれど、そんなことならお安い御用だ。
明日タッパーを返すついでに、茜ちゃんと黒塚くんの家にお邪魔することにした。
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