罪人のシュラ

ウソツキ・ジャンマルコ

第1話はじまり


「はぁ……はぁ……はぁ……」


薄汚れた廃墟ビルの屋上、マキオはビルのふちに立っている。

時々吹いてくる、冷たい風が体を揺らす。

目の前には、人のいない空虚な街が広がっている。

歩く人も、走る車もない。

ビルや家は、草やツタに覆われている。


30歳を過ぎても、定職につけず、未来への展望も抱けないマキオは、

ふいに心に沸いた衝動にかられ、万引きをしてしまったが、

すぐに店員に見つかり捕まってしまった。


警察へ連れていかれ、これから自分がどうなるかの説明もなく、眠らされ、

気がついたらこの世界にいた。


……逮捕されたらお終い……


子供の頃から、よく聞いた言葉だ。

どこに連れて行かれ、どうなるか、そんな事は教えてもらわなかった。


そして今、お終いになる。

それだけは分かった。


マキオは、もう何かを考える事から逃げたい、そう思ってこの場所に立ち、20分が過ぎていた。

ただ、体を少し前に傾ければ、全てが終わる。


両親とは、若いころに絶縁状態になっている。

恋人もできた事はない。

友達もいない。

派遣される仕事場所で、知らない人と軽作業を繰り返すだけの日々。

休日があってもする事などない。


空を見あげるたびに、

信号待ちをするたびに、

横になって、目を閉じるたびに、


何の為に生きているのか…

何度、自分に問いかけた事だろう…


何の取り柄もない、惨めな自分。


生きている意味など何もないのに……

誰にも求められていないのに……


そういう思いが、水に入れた黒い絵の具が広がっていくように、

どんよりと心を沈ませていき、気がついたら、俺はこの場所にいた。


それなのに、なぜ……どうして……

俺は、早くこの人生を終わらせられないんだろう?


ずっと心のどこかで、いつも消える機会を求めていた。


今がその時だ……なのに…


どうして、最後の一歩がふみだせないんだろう…?


俺は、まだこんな命に一体何かを求めてしまってるのか…?


こんな無意味な存在が、消えてなくなる事を恐れているのか…?


散々繰り返して来たはずの葛藤に、こんな場所に立ってまで、何度もリプレイしていると、


「ねぇ、飛ばないの?」


「!?」


マキオは、背後からの男の声に驚き、バランスを崩し、

止まっていたはずの視界は、動き出し、虚無な街が広がる地面に、

たちまち吸い込まれそうになった。


マキオは、慌てて錆びた手すりをつかむ。


「…はぁ…はぁ…、なんだ…?」


振り向くと、屋上には誰もいなかったはずなのに、男があぐらをかいていた。

声をかけたのは、こいつか…

飛び降りようとしている自分に、声をかけてくる男。

今のマキオには、邪魔な存在でしかない。

マキオは男を無視しようと思い、目を閉じて、飛び降りる事をイメージし直す。


「………」


自分の体を、ほんの少しだけ傾け、一瞬の恐怖を味わった瞬間には、

もうこの世界からサヨナラできる。


体は、地面に激突するのではなく、宙で体は細かいピクセルのような粒子となり、

ただ、消えていくだけなんだ。


そうするだけで、俺は……


「ねぇってば、飛ばないの?」


………しつこいな、なんだ、コイツ?

俺が無視しようとしている事がわからないのか?


いや、そんなはずない。

わかっていながら、邪魔をしてるんだ。


その「飛ばないの?」と、いう言葉からは、少しバカにした雰囲気が伝わる。

本当は、

「飛べないんじゃないの?……ショボい奴だなお前…」

と、言いたいんだろう。

失礼な奴だ。


マキオは男の方を見もせずに、言葉だけ吐き捨てた。


「…うるさいよ、どっか行け」


「あのさ…オレ、しばらく見てたんだけど……気づかなかった?」


なんなんだよ、マジで。


マキオは男に再び目をやる。

その時マキオは、初めて男の姿をしっかりと見た。


男は、マキオより若く、明るい色の髪が柔らかく風に揺れ、少し中性的で整った顔立ち、

背中には長い槍を挿している。

現在の日本で、普段から背中に槍を挿している者など、いない。

コスプレイヤーだけだろう。

奇妙な者である事は、明らかだ。


しかも男は、自殺をしようとしているマキオを見ても驚く様子もなく、平然と話している。


「ねぇ、飛ぶの怖いんならやめときなよ」


「あんたには、関係ないだろ……話しかけないでくれよ」


マキオは、もう一度ビルのへりに立とうとするが、なぜか手すりをつかんだ手が離れてくれない。

どうしてだよ?

こんな腐った人生なのに、俺は手すりに……この世界に…ナゼ、しがみついているんだ?


そう自分に問いかけても、マキオの手は手すりを強く握りしめるだけだった。


男が、軽い雰囲気で言う。

まるで、気心の知れた友達を、カラオケにでも誘うような感じで…


「あのさ、別に今むりやり死ななくても、いいんじゃない?

 明日でも、明後日でも、死にたきゃいつでも死ねるよ、もっと楽な方法もあるし。

 だからさ、今日はちょっと俺に付き合ってくれない?

 俺、今すげー困ってて、助けが必要なんだよね」


助け……?


この男は、俺に助けを求めているのか?


今から死のうとしている、この俺に?


そりゃ、確かに死ぬ事は、あとでも出来る。

それに、自分が思っていたよりも、怖くて難しそうだったが……


それよりもこの男は、こんな俺に助けを求めてる。


もう誰一人として、自分を必要とするわけがない………そう思っていたのに。


マキオは、ビルの屋上にさっきまで強く吹いていた冷たい風がやみ、

不思議と、少し暖かく柔らかい風が吹いた気がした。


「………」


別に、この男の言う事に従おうと思ったわけではなかった。

ただ、今、目の前にある恐怖から逃げ出すことを選んだだけだ。

つかんでいた手すりを超え、柵の中にもどり座りこんだ。


男は立ち上がり、軽く口角を上げ、尻についた埃をはたきながら、


「おつかれさん、いやー…あんたがここにいてくれて助かったよ。

 お礼は後でちゃんとするからな。

 さぁ、行こっか」


マキオの肩をぽんとたたき、中央にある階段のドアにむかっていったが、

急に振り返り、マキオに声をかける。


「名前言ってなかったね、俺はカイト。

 あんたは?」


「…マキオ」


また少し柔らかい風が吹いた気がした。



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