第二章 ツギハギ(49)



「何の動きもねぇなぁ。」



 鈴音は京に放っていた式神から情報を脳に取り込むが、さとりの気配は感じられない。妖物の件においては穏やかな日々が重ねられていたが、そう呑気にしていることは許されなかった。連れ去られた子供がまだ生きている可能性がある以上、一日でも早くさとりを始末しなければならない。


 人型に切り取られた懐紙から、鈴音は指の力を抜いた。

 鈴音の長い髪が大きく揺れる。 

 白い紙から更に指を緩めると、一陣の風に人型は攫われていく。中庭の宙を数回踊った紙は、垣根を越え四方八方に飛ばされた。


 覇王は覇王で彼の式神の葛の葉と、さとりを捜索しているらしいがあてにはならない。沖田を散歩に連れ出す昼の刻に、鈴音自身もその妖気の形跡を探りはするが、見つけられたものといえば古いものばかりであった。


 風に乱れた髪を、無造作に頭の高い位置で束ねると、鈴音は組紐できつく縛る。



「できたのだが、準備が。」



「あぁ、いくよ。」



「まだ、どうにもならぬのか。」



 振り返ると、野菜を入れる竹籠を小脇に抱えた斎藤が、こちらを見据えている。



「沖田は、まだ戻してやれないのだろうか。」



「あれっきり、さとりの気配がねぇんだよ。ガキが連れて行かれたとも、大人がガキにされたとも、なんともな。」



「嘆いている。

皆……嘆いている。

早く、どうにかしてやらねば。」



「んなこと分かってんだよ。

どうせ数日だ。

食い物がなくなる前に、あいつは人里に降りてくるだろうし、際までこねぇってんなら、こっちから山に向かってやるさ。

来年のツケなんかにはさせねぇよ。」



 斎藤は顎に手を当て、思考を巡らせ口を開いた。



「……。

元より掛取り(借金返済請求)は、年内しかできなかったように思うのだが。」



 ツケという言葉に、年二回しかない借金の取り立てを思い出す斎藤。お盆と大晦日の時期のみツケ払い、つまり借金の返済を要求される掛取りが行われるのであるが、これは翌年には持ち込まれないものとなっていた。そのため、借金にまみれる多くの者は、大晦日が近づくと掛取りから、あの手この手で逃げ回っていたと言われている。


 逃げのびれば勝ち、逃げ損ねれば当たり前の返済。


 斎藤は知識を辿りながら、鈴音の間違いを直してやったつもりでいたが、彼女の疎ましそうな顔を見て後退る。



「そういう話じゃねぇんだよな、ほんと。

ただの言葉の綾なんだけど。」



 鈴音はぶつくさ言いながら頭を掻き、明け放ったままの自室に顔を突っ込む。



「おい、着替えたか。

いくぞ。」



 頭を引き抜き、勝手場に向かいだす鈴音。その後に続こうとした斎藤は、部屋から走り出てきた沖田に押しやられ、廊下から足を踏み外しそうになった。



「お……沖田……。

危ないではないか……。」



 沖田より年長者であることを踏まえ、斎藤は冷静に叱責するが、走りいく小さな童は、こちらを振り返ると舌を出し、鼻の穴を広げて見せた。

 斎藤は言葉も発することなく、近場にあった柱を思い切り蹴り上げる。

 強烈な痛みを自責とし、彼も勝手場に向かった。

 








「というわけだから、二・三日待って動きがなければ、あたいが山に行ってくる。」



 賑やかな朝餉を終えた後、いつものように土方の雑務をこなしにきた鈴音は、彼女が知り得る現状を報告していた。側では沖田が半紙に筆を走らせ絵を描いている。



 随分と童らしくなったもんだ。



 土方は鈴音に感心しながら、沖田の手元を覗く。人の絵を描いているようだが、どことなく自分に似ている気がしてならない。土方は僅かに顔を引きつらせた。



「聞いてんのかよ。」



「……ん、あぁ聞いてる。

そうなった時は、俺とどこかの隊を同行させよう。」



「それなんだけどよ、山はまだ早ぇと思うんだ。

人の少ない場所や目につきづらい場所に妖物は多くいる。

お前らまだ何もできねぇから、行くと障気あたりを起こしてくたばっちまう可能性の方が高い。

だから、少人数にしてくれ。

お前とあと……誰か。」



 実戦を積ませて行きたいと考えはするものの、土台はどこも固まってはいない。そんな状況で急く気のままに行動するのは迂闊か、と土方は考える。



「分かった。

お前の言うとおりにしよう。

俺と、あと幹部を五名ほど。

十番組まであるんだ、五分は連れて行きたいと思っている、できるか。」



「あぁ五人くらいなら。」



 鈴音は首を縦に振った。

と同時に障子向こうに気配を感じるが、彼女も土方も特に神経を澄まそうとはしない。



「おいトシ、いるか。」



「あぁ、いるぜ、近藤さん。」



 障子戸が開かれ、冬の匂いと近藤が入り込んでくる。



「やはりここにいたのだな、総司に鈴音さん。さっき部屋を訪ねたんだが、静代さんもいなくてな。」



 どこかおどおどとする沖田は、自身が使っていた座布団を近藤に差し出そうとした。土方の部屋に限ったことではないが、座布団の予備など多く部屋に備わってはいない。


 金に余裕のないことも理由ではあるが、そこまで気も物も回らないのが、男所帯である。


 近藤は沖田を手で制す。


 それを見た鈴音が、別の部屋から借りて来ようかと腰を上げかけるが、彼はそれも丁寧に断り、畳の上にどっしりと尻を落とした。



「田舎の貧乏道場、農家育ちだ。

直に座ることなど、わけないさ。」



 大きく口を開けて笑う近藤を見て、もじもじと両膝をこすらせた沖田は、再び絵を描き始めた。


 土方はまた半紙を覗き込む。絵の内容が気になって仕方がないのだ。


 筆が走り象られる自身に似た人間は、鼻の穴がやけに広く、口から何かを垂らした様で描かれている。


 自然と握り拳になった手は、近藤の手前制御されたが、次に半紙を見れば抑えが利かないだろう。そう思えた土方は、極力沖田から顔を背けることにした。



「総司も随分と子供らしく遊ぶようになったなぁ。

鈴音さんのおかげだ。」



「あたいは何も。

散歩に連れてってるだけだよ。」



「自由に遊ばせてもくれているではないか。静代さんも境内で遊び相手をしてくれているようだし、近頃は斎藤君とも上手く交流できるようになってきたみたいで。」



 嬉しそうに近藤が沖田を見つめた。その眼差しは、弟を思う兄や、子の成長を喜ぶ父が見せるそれによく似ている。



「俺にはまだ、そこそこなんだがなぁ。」



 明るく優しい面持ちに、寂しげな響きを合わせながら、近藤は沖田に顔を近寄せる。



「総司、何を描いてるんだ。」



 沖田は、ちらりと一瞥するが答えなかった。膝と尻をそわそわさせながら、絵を描いたままだ。

 心に深手を負っている童は、ちぐはぐな動きで相手を試してしまう。無意識に理由も分からず、心根と相反することをしてしまう自分に、沖田はもどかしさを覚えた。



 近藤が声をかけてくれなくなったら、どうしよう。



 愛想を尽かされるかもしれない。



 そんな不安が胸の底でぐつぐつ煮える。このままではいけないと思う反面、その傷口に浸っていることは、少々の心地よさもあった。そのぬかるみに囚われているからこそ、目を掛けてもらえる。扉の外れた深い牢の内に、沖田はひっそりと身を隠した。



「そうだ、総司。」



 日頃から大きな声の近藤が、何事か楽しそうに、更に声をでかでかとさせた。



「明日、一緒に境内で鬼ごっこをしよう。

な、トシ。」



「はぁぁぁっ。

何だって俺まで。」



 悲鳴に似た声が土方の口から漏れるが、近藤はお構いなく沖田に向き直る。



「な、そうしよう。

明日はお前と一日遊べるようにするからな、たまには良いだろう。

楽しみだなぁ、総司、鈴音さん。」



 乾いた書状に封をするため、半紙を並べていた鈴音の手が止まる。 



「あたいもやんのかよ。」



 近藤達で沖田の相手をしてくれるものと思っていた彼女は肩を落とす。



「勿論だとも。

皆で遊んだ方が楽しいではないか。

良ければ静代さんも呼んで、五人で鬼ごっこだ。

どうだ、総司、楽しそうだなぁ。

いや、楽しくなるに違いないさ。」



 沖田は返事をしない代わりに、半紙を滑らせていた筆の動きを止めた。

 彼の頬は赤く染まっている。



「近藤さん、他の連中でも良いだろう。

何も俺じゃなくたって、なぁ総司。

お前も俺より斎藤とかの方が良いんじゃねぇか。」



 気乗りしない土方は、どうにかしたいと考える。だが、近藤の頼みを断ることも彼としては気が進まない。


 沖田に一縷の望みを賭けて話しを振るが、何の意味もなさなかった。うんともすんとも返事をしないでいた童は、土方の提案だけに、全力で首を横に振る。



「ほぉら、トシ。

総司がお前と遊びたいと言ってるぞ。

そうか、そうか、うんうん。」



 意志表示が少しばかりでもできるようになっていることに、近藤は満足そうに目を閉じ頷く。すると、それを見計らった沖田が土方へ顔を向ける。



「てんめっ、総司っ。」



 舌を出し、鼻の穴を膨らませた顔がこちらを見た時、土方の拳の箍(たが)が弾け飛ぶが、開かれた近藤の目によって引き戻される。



「ん、どうしたトシ。

そんなに声なんかを荒げて。」



 事の始終を知らない近藤は、小首を捻る。



「あんたはいつもそうだ。

肝心な時に見ちゃいねぇんだから。

こいつは、昔からあんた以外の奴に対する扱いが酷いのなんのって……。

そもそも、どれもこれもそうやって近藤さんが甘やかすからいけねぇんだ。」



 徐々に勢いを増す土方の剣幕に、近藤が身を引いていると「仕事。」と、沖田の口からぽつりと溢された。



「ん、どうしたどうした総司。」



 自身へ発せられた言葉に、近藤は有頂天な面持ちで沖田へ顔を寄せる。



「仕事しないと……。

明日……。」



 言葉の尻が口ごもり聞き取りにくくはなるが、彼が何を言いたいのか、合点のいった近藤は膝を打った。



「おぉ、確かにそうだな、そうだ。

今日、早く仕事を片付けておかないと明日に響いてしまうな。

よし、今からすぐに取りかかってくるぞ、総司。」



 大きな近藤の手が、沖田の頭に伸ばされる。突然のことに身を縮ませた童の頭に、ごつごつとした温かな手がそっと乗せられ、そのまま広い胸に包まれた。


 萎縮して強張る小さな体。


 自身も腕を回してしがみつきたい衝動にかられる。


 姉に捨てられた日から、ずっと自分を気に掛けてくれる大きな存在。


 だが、童がその手を伸ばすには、まだきっかけが足りなくあった。



「明日、楽しみにしているぞ、総司。」



 近藤の手が童の背をぽんぽんと優しく撫で、その体を離すと、さっと立ち上がる。



「じゃ、頑張ってくるとしよう。」



 見映えなど気にすることもない、くしゃくしゃに笑まれた顔を、沖田は視界から消えるまで見つめていた。



「猫可愛がりしやがって……ったく。」



 厳しい言葉を並べながらも、土方は近藤の振る舞いを胸の内では是認している。分け隔てない器の広さ、何人をも寛容に受け入れることができる気構え。


 惚れた相手の方が負けを見る。


 そんな言葉が頭に浮かんだ土方は、重くはない肩を落とす。



「仕方ねぇな。」



 独りごちて文机に向き直る。近藤以上に隊務や政務を抱える土方は呑気になどしてはいられなかった。うかうかしていると明日を丸一日空けるなど不可能になってしまう。



 半刻も無駄にはできねぇな、こいつぁ。



 土方は大きく伸びをすると筆を手に取った。


 障子越しに昼の刻を知らせる鐘の音が聞こえてくる。


 日頃から猫の手も借りられるものなら借りたいと溢す土方。今日ばかりは鈴音を部屋に残しておきたいと思う。彼女にさせていることなど、たかだた知れる程度のことでしかないが、それでも居ると居ないでは、やはり異なってくることがある。


 そんなことを考えながら土方は、鈴音達の様子をちらと窺った。


 書状を切りの良い所まで片付けようとする鈴音の袖を、沖田が揺さぶり引いている。鬼の目をも細めさせるような光景に、彼は何も言えなくなった。


 幼少の沖田の闇を、近藤ほど知り得ている土方ではなかったが、さとりの術にかけられてからの彼の様子を見ていれば察しがつく。


 人を拒絶しながらも、孤独に怯え手を伸ばす。だが垣根は越えられず、結局は御簾の内に引きこもる。



 そんなことを繰り返していた童が、本当に子供らしくなったもんだ。

 


 披露による気怠さとは違う脱力感に、持つ筆がどこか重く思える。



 一人でこなせないことではない。


 鈴音が来るまでは、是が非でも期限に間に合わせてやってきたのだ。

 ましてや、翌日はガキと遊ぶために刻限をつくっておけば良いだけのこと。

 徹夜になろうが、お偉方との接待に比べれば神経など磨り減ることもない。


 それが分かっているのに、あいつを留めることが、真っ先に頭に浮かんだのは……。


 慣れかもしれねぇな。


 それか……。



「ちょっと行ってくる。」



「あぁ。

総司を頼むぜ。」



 色白の女らしい手が、小さな丸みを残す手に引かれていく。



 俺もまだまだガキなのかもしれねぇな。



 土方は自嘲めいた笑みを微かに浮かべ、一人になった部屋を見渡した。


 先刻まで沖田が絵を描いていた半紙が残されている。

 見るのが躊躇われた。どうせむかっ腹の立つ絵を描いているに違いない。

 土方は自制を試みる。腹が立つと分かっているのに、それを見ようとするのは阿呆らしいことだ。



 振り返っちゃならねぇ。



 見ちゃならねぇ。



 戒めようとすればするほど、背後からの誘惑の声が大きくなってくる。

 頭を振りながら、後ろ手を伸ばし思い当たる位置を弄(まさぐ)ってしまう。


 動かす指先にかさりと紙が触れ、土方の眉間がピクリと動く。


 指に触れる紙先をつまむと、自身の方へじわりじわり引き寄せ、おそるおそる視界に映す。

 拳を仕舞った時に見た絵と特に変わりはない。鼻の穴がやけに広く、涎を垂らした自分に酷似した人がある。

 腹の底が気持ち程度に熱くはなるが、二度は見た絵。憤怒の火山が噴火を起こすほどには成り得ない。

 急に馬鹿らしく思えた土方が半紙を投げ置こうとしたとき、手元の角に何かが見えた。


 まじまじ見つめると小さな文字で何かが書かれている。

 土方はさらに目を凝らし、じっとその字を見つめた。

 ぼんやりと徐々に焦点が定まると、小さな字が何を語っているのか読み取れてくる。



「なになに……。

し……ごと……なっ……。」



 一文字ずつ、解読できたものを読み上げていた土方の手が、わなわなと震え出す。



「……仕事くらい一人でしろ、だとっ。

総司のガキがっ。」



 破り散らかされた半紙の吹雪が文机の上に舞い落ち、どこからともなく入り込む隙間風に身を跳ねさせて踊った。

 

 


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