第二章 ツギハギ(31)
「嫌だよ。
あっちにいけ。」
掴む手を振り払い、しっしと払っては見せつけるように汁椀の中身をかけ食らう。
悲鳴と名付けるに相応しい雄叫びが、広間を走る。
「がたがた抜かしてんじゃねぇ、たかが飯如きで。
みっともねぇだろうが。」
土方の怒声が悲鳴の後を追いかける。
「悪かったよ、土方さん。」
すっかり肩を落としてしまった男は、がっくり項垂れ、斜に顔を上げて土方を見つめる。
「なぁ、土方さん。」
「なんだ。」
「大人しくするからよ。」
「あぁ」
「もうでかい声で騒がないからよ。」
「あぁ。」
「あんたの味噌汁、くれよ。」
土方は無言で汁椀に蓋を被せる。
「ねぇよ、もう食った。」
鬼は澄ました顔で、じゃりじゃりと舌に触るほうれん草のおひたしを噛み砕く。
「嘘つけっ。
あんた今、蓋したじゃねぇか。
なぁ、本当は残ってんだろ。」
額に縦の線を寄せた土方は、無言のままで小鉢からほうれん草を運ぶ。
味を感じない内に、次々と口に放り込んでいく。
そんな食べ方であった。
噛めば噛むほど、ほうれん草が口の中に増えれば増えるほど、じゃりじゃりとした舌触りと食感が増す。
歯が、がりがりと草以外の何かを噛み砕いているのだ。
ちゃんと洗ったのか。
永倉の叫び声で端を発した土方の苛立ちは徐々に増す。
だが、がむしゃら新八そんなことは関係ない。
なぁ、なぁとしつこくねだりながら、四つん這いで土方に近づいていく。
「永倉さん、駄目ですよ。」
藤堂が永倉を止めようと手を伸ばすが、寸での所で届かず前進していってしまう。
「なぁ、土方さんって。
たかが飯だろう。
飯ごときでみっともねぇことしねぇんだろう。」
聞き覚えのある言葉に、土方はこめかみの血管が脈打つのを感じた。
気を紛らわせようと、彼は口内に広がる異物を舌でしっかり確かめてみる。
いや、確かめるまでもなかった。
やっぱちゃんと洗えてねぇな。
斎藤の性格を思慮深く汲み取ると、それを吐き出すという選択には至らなかった。
仕方なしに砂を懸命に噛み砕いている土方の正面に、唯一の決死隊が到着する。
近藤と山南は自分の膳を手に、そっと土方から距離を取った。
「知ってんだぜ、土方さん。」
永倉はにまにま笑みながら、商人の如く胸の前で両手を揉み合わせる。
「その椀の中に、まだ汁が残ってんの。
あんたが蓋する前にちらっと見えたんだから、なっ。」
贔屓筋の旦那にねだるような猫なで声になりながら、永倉が揉み手をやめ土方の汁椀に手を伸ばしたとき。
ぐわんと体が前に引きずり上げられ、額を強烈な痛みが襲う。
目も開けていられないほどの痛みと、首が絞まったような息苦しさがある。
何事かを理解しようと永倉は呻くような痛みの中、瞼を必死で押し上げた。
「ひぃぃっ。」
名前を呼ぼうとしたが恐怖で呂律が回らなかったのか、ただ悲鳴を上げただけなのかは分からない。
彼の眼前には、鬼も逃げ去るような形相の土方が膝立ちとなり、こちらを睨めつけている。
怒れる鬼の片手は敵襲の胸ぐらを掴み上げ、もう片手は金棒ではなく小鉢を握っていた。
そうしてその小鉢を永倉の額に、ぐりぐりぐりぐりと押しつけている。押しつけるというより、額を砕いて頭部に押し入れんとするようであった。
痛みで体を引こうにも、胸ぐらをがっしり掴まれているため、身動きが取れない。
永倉は先刻とは別の後悔で嘆いた。
「わっ悪かった、土方さんっ。
もうしねぇ、もうしねぇからっ。
いてっ、いてててっ、大人しく飯食うからっ。」
泣き叫ぶ男は激しく畳に横倒された。
酷い目にあったと手を付いて起き上がろうとした際、畳に何かが打ち付けられ反射的にその手を引っ込める。
何かと見回してみれば、汁椀の蓋が手をつこうとした辺りに転がっていた。
恐る恐る顔を上げる。
未だ怒り収まらない、心頭滅却など受付もしない土方が仁王立ちで汁椀を手に、永倉を睨めつけながらその中身を呷(あお)った。
空になった椀は、音を立てて膳に戻される。その音に永倉は身を縮めた。
「片付けとけ。」
土方はそう言い捨てると、舌打ちだけを残し広間を後にする。
震えてしまう声でいつも以上に素早く返事をした永倉は、畳に横たわる蓋を手に取り膳へ戻した。
「トシは末っ子だからなぁ。」
「新選組(うち)は、だいたいそうではないですか。」
一部始終を苦笑しながら見守っていた近藤と山南が談笑を始めると、永倉以外の者は皆、いつもの食事風景に戻り出す。
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