四幻目「閉塞幻(ミュート)」

G-1

 その日の夜、沓形は部屋の電気を消し、カーテンを開けて月明かりだけで生きていた。ベッドに寝転がりながら、宙に掲げて眺めていたのは榊原が提示した例の二枚の紙。彼の想いを推し量ることができる物はこれしかなく、どれだけ彼から話を聞けてもきっとこれ以上に心理を示しているものはないと思ったので、まずはこれを解き明かすことにしたのだ。最初からすべきだったのは言うまでもなく、この二枚の重要性を今さらながら鑑みると、優先的に調べるべきだった。この必然性に気づくことができなかった俺はやはり未熟者と言わざるを得ず、先にここからメッセージを読み取った先輩はさすがというわけだ。


 俺がこの二枚に対して、漸くではあるがこれほどまでの信頼がおけるまでに至ったのは他でもなく昼間の推理である。榊原が合っていても間違っていても、それは事実であって現実であるとは限らない。榊原が隠している事実。それは彼が唯一意思を表明したこの二枚の手紙の他にない。


 しかし、そうは言っても胡散臭いことこの上ないのは変わりない。誰かがたすけて欲しいというメッセージを送ったことは俺でも受けとることができるが、榊原が誘拐事件だと言い張ることができるのかが未だにさっぱりだった。何か事件に巻き込まれたかもしれないから心配だ、なら分かるんだが。


 このようにこの事件は始まりから疑義足る一方だが、今日の榊原のあの豹変ぶりは間違いなく今回の一件に対していかに本気であるかを示唆している。彼は本気でこれが誘拐事件であり、大友町が生きているのだということを信じてやまないのだ。



「ギターの弦って、よく切れる物なのかなぁ……」



 俺は腹筋だけで起き上がると、手元のノートパソコンの電源を点け、バスワードを打ってログインした五秒後には検索エンジンを呼び出して『ギター 弦 切れる』と打ってネットの網へ飛び込んだ。無駄な糸に幾つか引っ掛かりながらも俺はそれなりのサイトをピックアップして照らし合わせる。結果として得られたのはどこのサイトにおいても一、二弦は他弦と比べて細いためか切れやすい傾向があるらしい。逆に五弦や六弦は錆びることはあっても切れることは稀。交換の時に切るぐらいだそう。さてはてこの情報によってまたもや疑問が増えてしまったわけだが、どうしたものか。この手紙はいったい何を伝えたいのかだろうか……。



「……いや、待てよ。この手紙が伝えたい訳じゃないだろ。この手紙を通して伝えたいことがなにかあって、そういう誰かが意図して作ったものがこれだから、ええと、ああ、つまりそれは……」



 この事件を引き起こした犯人。榊原の家のポストに投函した犯人。要求するわけでもなく、事実を突きつけただけの犯人。


 犯人は誰だ。


 二人の交際をよく思わない人物か? いや、二人が交際している素振りほとんど外部に晒していない。会っていたのはバンド活動の時だけで、会話の大半はチャットで済ませている。外部の人間にとっては本人が話さない限り知り得ないことであり、そのような関係は余程の親友か家族ぐらいだろう。榊原にその兆候は見られないし、あるとしたら大友の方か。彼女に親しい関係のある誰かが二人の関係をよく思っていなかったか、大友本人に対して私怨があったのか。いずれにしても大友を目の敵にしている可能性があり、榊原だけを敵視している人物が犯人である可能性は低い。


 いや、そもそも犯人なんているのか?


 俺が最も有力視している三つ目の仮説が真実ならば、これは榊原の一人芝居。自作自演の狂言ということになる。この場合、大友町がすでに死亡している可能性は高く、チャットの相手は架空のアカウントを作って榊原が俺たちを騙そうとしていたとすれば筋が通り、より計画的な犯行であることが推測される。ここで問題になるのはなぜそんなことをする必要があったのがということと、なぜ俺達にそれをしたのかという動機だ。


 単に第二探偵部という新設のクラブに対する冷やかしならば俺達の考えすぎで終わるのだが、それでは榊原の発言や態度にしこりが残る。彼は本気で言っているように俺には思えた。俺たちはもしかしたら知らないところで火種を生んでしまっていたのだろうか。それとも、存在そのものが気に召さなかったのかも。自分の欠点は挙げればきりがないな。


 思考を変えよう。榊原が見せたあの動揺。今までとは明らかに違う様子だったけど、それは本音に近いような気もした。俺はこの直感を大事にしようと思う。



「榊原が本気で言う言葉の理由……」



 もしかしたらこれは榊原からのメッセージなのかもしれない。榊原から渡されたという意味ではなく、彼本人から第二探偵部へのメッセージ。


 暗号とは真に伝えたいメッセージを第三者に対して秘匿としながら伝える物。『たすけて』の四文字はどう見ても犯人からのメッセージではなく、被害に遭っている人物からと捉えるのが自然。この場合の被害者は大友と……榊原。そう、榊原だ。たとえ別に犯人がいて彼が被害者でも、自作自演の道化であっても彼からのメッセージと捉えることに違和感はない。そうだ、そうだよ。『たすけてほしい』と頼み込んできたのは榊原じゃないか。


 間接的であるように見えて、実は直接本人から渡されていた。これが事実なら、俺は大きな勘違いをしていたことになり、またこの事件の見方も変わってくる。


 もしも、この仮説通りだとしたらこの二枚に隠したメッセージは何だ。暗号のようなこの写真と文字は、一体何を示している。


 もう一度彼の言ったことを思いだそう。そう、確かこの写真は彼女の、大友町の部屋の写真だと言った。そして写真に写るギターが大友のギターであることがエビデンスだとも言った。



「五弦の切れたギブソンのレスポール。色はスタンダードなチェリーサンダーバースト。切れていた五弦の解放弦の音は〝ラ〟で、それは〝A〟に該当するから……」



 違う。待てよ、俺。それは違う。このギターを初めに見た時に感じた違和感があるのを思い出せ。最初見た時から感じていた、知らない違和感。高価なギターが無造作に置かれたこの状況は、部屋が散らかっているから当然のように思えるが。実は本来ここにあるべき物でないとしたら。誰かが意図的にこの部屋に置いたのだとしたら。このギターがその人物の物で、それも本来切れることが少ない五弦が切れているんじゃなく、このギターもよくある一般的な典型例の一つだとしたら。


 俺は写真をひっくり返した。



左利レフティき……!」



 ああ、そうだ。榊原は左利きだった。俺はスマートフォンから榊原と大友町が写っている写真を引っ張り出して確認する。大友は右手でピースしているが、榊原は左手でピースしている。二つの平和の象徴は仲良くくっついていた。


 このギターが左利き用ならばネックの位置は逆ということになり、当然弦の並びも逆になる。



 切れているのは二弦だ。



 二弦はシの音でBに該当する。つまり、暗号は〝シ〟とか〝B〟とかに関係していて、それが榊原のメッセージを暗示するような何か。


〝しがない〟……〝Bなし〟……でも、ない……なんだ?


 二弦が切れたことが意味することは、メッセージは何だ。



 二弦だけがない理由。



「榊原は絶対にあると言った。これが誘拐事件で、大友町が死んだことはあり得ないというのが彼の主張。チャットの記録もあると見せるほどの確固たる自信……だとすると問題は……」



 問題は、ないものが問題ではなくあることが問題だ。



「消えたものがメッセージではなく、残った物が答え……そうか!」


 二弦が無いんじゃない。二弦以外があるんだ。音に直すと〝ミ・ソ・レ・ラ・ミ〟。これか? いや、違う。これではアナグラムにしても『空見』『見れ』が言葉としての組み合わせの限界で、まったく意味が通らない。しかしこれをフランス語ではなく英語に直せば答えはすぐに分かる。


 EGDAE


 アナグラム読みすれば、


 A_EDGE


 そう。この事件を引き起こしたのは紛れもなく榊原であり、このメッセージの発信主も彼だ。初めから俺達に向けられていたのだ。誘拐と聞き、被害者の大友町でも巻き込まれた榊原でもない第三者の犯人がいてもいて、手紙が送られてくるならその犯人からが普通だと思い込んでいたことによる意思の交錯が生んだ疑惑。この疑惑が余計な考えや仮説を産み出してきたということ。


 勘違いしていたのだ。


 そんな俺達にメッセージが向けられていたわけだが、それは悪戯や冷やかしではなく目的あってのこと。動機と理由はそれとなく想像できるが、後はなんとかなるだろう。平成が始まって約三十年。軍事利用から発展したインターネットはいつの世でも人々の策略のために使われるようだ。


 A(エース)_EDGE(エッジ)


 俺は次々と関連ワードを様々なサイトで打ち込み、僅かでも紋様が浮かび上がればその出所を探す。火の無いところには煙は立たないってね。確かに感じられる手応えに俺は時と場所を忘れて一人ではしゃいでいた。



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