Dead flowers - 枯れ果てた庭園
森英子
第1話
窓を開けて、すぅーっと澄み切った空気を肺一杯に満たすと、今日も一日元気にやっていけそうな気がした。
春日麻里江は、会社から五日間のバケーションを取って、恋人、前田俊之と一緒に東京の褐藻から離れて、自分の家族が購入した北鎌倉の別荘にいた。
「ねえ、外に出てみない?ずっと家にいてもつまらないじゃない?」
麻里江は、俊之とは付き合って三年になる。麻里江は、俊之とは、小学校時代の友達が誘ってくれた食事会を機に出会い、それ以来意気投合して、付き合うようになった。
当初は、麻里江はあまり俊之のことは特に惹かれるところもなかったが、彼の誠実で穏やかな性格に安心感を覚えるようになってきて、『この人とずっと一緒にいたい』と思うようになってきた。
麻里江は今年で二十六歳を迎える。霞が関のIT企業に勤めて五年目になるが、実のところあまり機械とかソフトウェアには興味はないのだが、昨今の就職困難の時代に運よく面接ですんなり通ってしまった。早く働きたかった麻里江にとっては、逃してはならない絶好のチャンスだったのである。
大学時代アメリカに留学していたこともあり、英語はお手の物だった。外資系の企業においては、英語が堪能であることは、圧倒的に有利に働く。それが、恐らく面接ですんなり通過した要因でもあったように思う。
「そうだな。家にずっといるのも、時間の無駄だしな。せっかく、鎌倉に来ているんだし、ドライブでも行くか・・」
俊之は、重い腰をソファからあげて、車のキーを家の中を歩いて探していた。
北鎌倉の丘の頂上にそびえ立つ別荘は、周りはなんの音も聞こえないほど静寂に包まれていた。麻里江の別荘を立てた丘の上は、隣の別荘を除いては、他の住宅は見当たらなかった。
車のエンジン音が、辺りの空気を震わせるように響き渡る。
「ねえ、私、七里ガ浜の方にある古民家風のカフェでランチしたいと思っているの。前に雑誌に載っていたんだあ・・・」
麻里江は、「鎌倉のカフェ特集」という雑誌のページを無造作に捲りながら、車の助手席で話していた。
俊之は、車の中の時計を確認した。既に十二時近くになっている。
北鎌倉から、七里ガ浜までだったら渋滞していなければ、車であれば、十五分くらいでいけるだろうと、別荘の車庫から車を発進させた。
本来なら土日の週末であれば、湘南の辺りは道路が渋滞して、予定の時間よりも長くかかる可能性があったが、今日は幸い平日で道路も比較的空いていた。
鎌倉を南下して、海沿いの百三十四号線に出る。これは、麻里江の一番好きなルートだった。
百三十四号線まで出ると、道路沿いに海が一面に広がっていた。
穏やかに波打った海は、太陽の光を受けて、表面がキラキラと生き物のように動いていた。
「麻里江は他に行きたいところあるの?」
俊之は、ハンドルを握り、前方を見ながら、麻里江に話しかけた。
「そうねえ・・・。あの、なんだっけ?竹林があって、抹茶が飲めるところ・・・」
「報国寺かな?」
「そうそう!私、前からそこに行きたいと思っていたのよ。ランチの後、報国寺に行かない?」
女性は欲張りだなあと俊之は心の中で思いながらも、麻里江に向かって、柔らかく微笑んだ。
麻里江が行きたいと言っていた七里ガ浜のカフェに着くと、平日にも関わらず、人気店なのか、既に何名か待っている他の客がお店の外に出ているベンチに座っていた。
「結構待つのかしらね?」
麻里江は口を尖らせながら、不満そうな表情を露わにしていた。
麻里江はいつもお腹が空くと、不機嫌になる節がある。これは、交際当初、麻里江は隠していたが、付き合いが三年目の頃から、俊之に気を許してきたのか、分かりやすいほど感情を表すようになってきた。
「前田様、お席が空きましたのでご案内いたします」
髪の毛を団子ヘアにして丸い額の店員の女性が、営業と分かる作り笑いを浮かべながら、麻里江と俊之を海沿いのテラス席に案内した。
「やっぱり、湘南の海はいいわあ。なんて綺麗なの!」
麻里江はさっきとは打って変わって上機嫌になり、光り輝く海辺を眺めながら、感嘆の声をあげた。
海辺には、七月下旬の梅雨明けの後もあって、強烈な日差しの中、サーフィンをしている若者の姿が沢山あった。
「俊之はサーフィンしないの?」
麻里江はとりあえず、食事前に注文したアイスティーのストローを吸い込み、一息つくと聞いてきた。
「俺がサーフィン??冗談だろう?俺がインドア派なのは麻里江も知っているだろう?」
麻里江は、俊之の顔をマジマジと近くで見た。ちょうど、テラス席にあるテーブルは対面式の席になって、麻里江から見ると俊之の顔が近い距離で正面から見えるのである。
―――そこが物足りないのよねえ・・・・。
麻里江は心の中で呟いた。
俊之の髪の毛をよく見ると、所々に白髪が交じっている。
「俺、今年で四十歳になるんだぞ。そんなチャラチャラしたスポーツは似合わないだろう?」
切れ長の目が眼鏡の中から、真剣な眼差しを向けてきた。
俊之自身が言う通り、スポーツはほとんどしないせいか、顔も白く、体の線も細い。
顔も面長で、確かに一見したら、どう見ても文学青年にしか見えないだろう風貌だと麻里江も前から思っていた。
麻里江は実のところ、俊之の性格に惹かれているのであって、外見に関してはもっと筋肉があって逞しく、スポーツマン的な男性が好みだった。
でも、麻里江はもう恋愛で傷つきたくなかった。
二十六歳といえども、ある程度何人かとは男性と付き合ってきた。その度に、貧乏くじをひいたように、付き合う男性は、皆一様に遊び人で、浮気を繰り返しては麻里江の心をかき乱した。
麻里江は、その度に、ジェットコースターに乗っているかのように、意気消沈したり、喜んだり、精神的にも安定しなかったのである。
もうそういう恋愛に関しては懲り懲りで、今後一切、打ち止めにしたいと願っていた。
二人は、テラス席でピザとポテトを頬張ると、しばらくの間、海辺を眺めながら沈黙を保っていた。
しばらくすると、その沈黙を破って、麻里江が口を開いた。
「そういえば、家の隣の別荘って、一年前くらい前に新築で建てられたんだけど、まだ誰も人を見かけたことないのよ。不思議よねえ・・・」
「まあ、別荘だから、建ててからまだ誰も使ってないんじゃないの?」
「そんなのって、あるかしら?だって、もう一年も経つのよ。その間に一回も遊びに来ないのはおかしいと思うわ・・」
その点に関しては、俊之も薄々おかしいなとは感じた。ただ、あまり隣人の別荘には興味がなかったので、改めて麻里江に言われるまで、おかしいとは思わなかった。
麻里江は気持ちを切り替えるかのように笑顔で、
「ねえ、次、報国寺行きましょうよ!」
と言ってきた。
二人は、カフェを出て、サーファー達を横目で眺めながら、駐車場に止めてあった車に乗り込んだ。しばらく、日が照っている中で一時間ほど止まっていた車内は、フロントガラスからの強烈な日差しと共に、強い熱気が車中に立ち込めていた。
俊之は、素早くエアコンをつけて、一番強い冷風にして低い温度に設定した。
報国寺は、雑誌で見た通り、お寺の門をくぐると辺り一面に高い竹林がそびえ立っていた。
その幻想的な中を歩きながら、麻里江はまるでおとぎの国にでも来たかのように目を輝かせて、その風景に見入っていた。
しばらく歩くと、お茶屋さんがあり、麻里江がお目当ての抹茶が提供されていた。
茶屋で抹茶を受け取ると、俊之とベンチに座りながら、緑色の深い竹林を眺めた。
周りを見渡すと、外人の観光客らしい人達も何人か座って抹茶を飲んでいた。
「あれ?麻里江お姉ちゃんじゃない?」
どこかで聞いたことがある声が背後から聞こえてきた。
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