第84話

 俺の言葉に先輩はキョトンとした顔になった。目が丸く開いていた。


「“お祝い”って、なんの? 私の誕生日ならまだ1ヶ月ぐらい先だけど……」


 なんのことだか奥名先輩はわかっていない。でも俺はこうなる可能性もあらかじめ考えてあった。正直言って俺の口からそれを言うのはつらい。でももしかしたら先輩のことをあきらめるためにはちょうどいいのかもしれない。


 覚悟はさっき決めた。今度はそれに加えて腹もくくった。だから言うんだ。いつまでも逃げてちゃダメなんだ。


「だって先輩、結婚されるんでしょ?」


 言った。言ってしまった。もうだめだ。もう後戻りできない。

 これで終わりだ。これで俺の「奥名先輩を振り向かせたい大作戦」は終わってしまうんだ。次に先輩は言うだろう。「この春結婚するの」って。たぶんものすごくうれしそうな顔で。たぶん俺もものすごくうれしそうな顔をするんだろうな。でも心の中では土砂降りで。


 俺は先輩の次の言葉を待った。たぶん実際の時間にして1秒か2秒。でも俺にとってはいつまで続くかわからない無限の拷問の時。


 しかし先輩の発した言葉は俺の予想とは違っていた。


「結婚するって……、私が? 瀬納君と?」


 正直、椅子の上でちょっとずっこけてしまったことは認めよう。


「違いますよ。なんで俺なんですか」

「じゃあ誰と?」


 先輩はあくまでしらを切るつもりらしい。それがなぜなのかは俺にはわからない。わかりたくもない。

 もう証拠は挙がってるんだ。俺は久しぶりに凄腕すごうで取調官のような気分になっていた。でも不思議だな。俺はどちらかと言えば先輩にしらを切り通してほしいと願ってるのに。


「なんでとぼけるんですか。あのデパートで俺も見たんですから」

「デパートで? なにかあったかしら」


 先輩はまだとぼけでいる。頑固な人だな。たぷん自分のやることについて絶対的な自信があるんだろう。先輩の仕事ぶりを見ていてもそれは思う。まあそんなところも俺が先輩にれた要因のひとつではあるんだけどな。


「最後に先輩が去っていくとき腕組んでたじゃないですか。あの男ですよ!」


 遂に俺は切り札を切った。最強の切り札だ。ちなみに「切り札」のことを英語では「trumpトランプ」って言うらしい。しかし俺の切り札はどこぞの大統領とは違ってフェイクなんかじゃない。有言実行。You’reお前は firedクビだ


 先輩はななめ上を見上げてちょっとの間なにかを思い出そうとしているようだった。目が左右に動き、焦点が合っていないみたいだった。

 次の瞬間、突然先輩の目の焦点が合った。先輩は大声で笑いだした。


「ああ、あれね。そうなんだ。瀬納君は私があの人と結婚するって思ってたんだ」

 先輩はさらに笑い続ける。


 俺はなにが起こっているのか皆目かいもく見当がつかなかった。まさか通じなかったのか? 俺の最強の、そして必殺の「切り札」が。


 ひとしきり笑った後で先輩は真相を口にした。ひと言だけだった。それはまったくもってその可能性を考えつかなかった俺のボンクラぶりを殴ってやりたくなるひと言だった。


「あれね、お兄ちゃん。私のお兄ちゃん」

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