第60話

 俺はうなだれてしまった。それはついさっきうなだれたのとは見た目は同じでも中身は正反対。さっきのは“安心感”から。そして今度のは“絶望感”から。


 もうなにも言葉が出ない。ありとあらゆる言葉を駆使したとしてももはや無意味。言葉がこれほどまでに人を打ちのめすのか。俺はそんなことを考えていた。


 だから奥名先輩が次に発した言葉の意味するところも俺にはすぐには理解できなかった。


「近くに住んでるんでしょ?」


「美砂ちゃんと久梨亜はあなたのうちの近くに住んでるんでしょ? だからとっさに助けを求めた。会社に連絡したって助けが来るまで時間が掛かりすぎる。だから近所のふたりに来てもらおうとした。そうなんでしょ?」


 ぼんやりと響くこの言葉。ただ聞こえているだけのはずのこの言葉。ところが突然、俺の中でなにかがカチリと音を立ててはまった。その意味するところが理解できた。ばれてない! 先輩にはまだばれてない! 美砂ちゃんと久梨亜が俺と一緒に住んでるってこと、先輩はまだ気づいてない!


 途端にムクムクと復活してくる“生きる希望”。絶望の淵に沈んでいた人間に、たったひと言で希望を与えるのか。言葉ってすげえ!


「はい、ご推察の通りで」

 自然と言葉が出た。今度は素直な気持ちとは正反対から出た言葉だったけど。


 先輩はニコニコと笑っていた。自分の推察がふたつとも当たったことで上機嫌なようだった。


 俺のほうも機嫌が良かった。人類滅亡の危機はとりあえずは去ったのだし、奥名先輩との仲が決定的に破局を迎えることも避けられた。それに加えて今先輩は俺のすぐ隣にいるのだ。ちょっと体がムズムズしたていを装って、俺の腕を先輩の肩に当ててみる。嫌がるようすはない。


 おお! やっぱり久梨亜が言うように先輩は俺のことが気になってるんだ。


 なんという至福のひととき。この時間がずっと続けばいいのに……。


「ふうん。じゃああのふたりは瀬納君の住んでるとこ知ってるんだ」


 先輩の言葉に俺の動きが止まる。俺の中の警戒レベルが0から+1になった。嫌な予感がした。よし、ここは当たりさわりのない返事をしておくに限る。


「ええ。まあ」

「そうなんだ。瀬納君はふたりの住んでるとこ知ってるの?」

「ええ。まあ」

「互いに行き来は?」

「ありますね」

「ふうん。そうなんだ」


 会話が途切れた。しかし警戒レベルはまだ+1のままで下がろうとしない。なぜだ。会話はひと区切りついたじゃねえか。嫌な予感は当たらなかったんじゃねえのか。


「私も瀬納君の住んでるとこ、教えてもらおうかな」


 先輩のこの言葉に俺の中の警戒レベルが一気にMAXに跳ね上がる。


「そ、それは……」

「なに? ふたりには教えられても私には教えられないって言うの?」


 まずいぞ。先輩の目が“追及モード”に切り替わってる!


 今、俺の前にはふたつの選択肢がある。


 1.先輩に住んでいるところを教える

 2.先輩に住んでいるところは教えない


 どっちを選ぶべきか? どう行動すべきなのか?


 その瞬間、俺は再び頭を鈍器で……。

 って、もう言いません。ハイ。


 そんなことよりまた「神様のテスト」かよ。今日何回目だよ。もう勘弁してくれよ。

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