テミスちゃんとレアちゃんと美恵ちゃんとイアちゃん
「ミエ!?」
アタシは驚いた。
「いつから、そこにいらしてたんですか?」
お姉ちゃんが彼女に尋ねる。
「少し前からよ……」
そう言うとミエは、お姉ちゃんの読んでいたアタシの描いた漫画を手に取って中身を良く確認し始めた。
「ノックは?」
「しなかったわ……」
──こらこら。
「鍵は?」
「掛かっていたけれど、あたしの前では無意味ね」
ミエは片手で漫画を読みながら、もう片方の手で針金を摘んで見せた。
──この人を放置していたらマズいんじゃ……?
ミエはアタシの描いた漫画を読み終えると、少しだけ顔が赤くなっていた。
「素敵な作品だったわ……」
──異世界の人間にも、同士がいたなんて……。
アタシは少しだけ怖くなってきた。
「でも残念ながら、配役が合ってないわ」
そう言うとミエは、心の底から残念そうに溜め息を吐いた。
──なんか……腹立つ。
「あの……先ほど仰っていた受けとか攻めというのは、いったい何の事ですか?」
お姉ちゃんがミエに質問をした。
「そうそう、アタシも知りたい!」
姉妹からの質問にミエは、一度だけ眼鏡を右手の人差し指で持ち上げる動作をすると、真剣な表情になった。
「いいわ……教えてあげる……まず受けというのは……」
ごにょごにょごにょごにょ……。
お姉ちゃんの顔が、真っ赤になった。
「次に攻めに関してだけど……」
ごにょごにょごにょごにょ……。
──そんな例え方がっ!?
──異世界って凄いっ!
──でも……。
「合ってるじゃない……」
ミエの説明を聞いても、アタシの疑問は消えなかった。
「つまり……例えるなら攻めは、狩る側で……受けは狩られる側なんでしょ? 大人しくて、ひょろっとしたテッシーが、受けで間違い無いんじゃないの?」
アタシの意見に、お姉ちゃんも頷く。
テッシーは最近になって身体を鍛え始めて均整が取れてきたとはいえ、ヨアヒムの体格とは比べ様が無い。
ヨアヒムの方が綺麗だから、テッシーよりも女装が似合いそうな気はするけれど、女性が狩る側に回っただけのイメージが想い浮かんだ。
「見た目で判断するべきでは無いわ」
ミエの反論が始まった。
「政孝は確かに優しいし、大人しそうだから見た目に騙されるけど、基本的に自分の事しか頭に無いSなのよ」
──S?
単語の意味が分からないという顔をしたアタシの耳に、ミエが唇を寄せる。
「Sと言うのはね……」
ごにょごにょごにょごにょ……。
今度は流石のアタシも、顔が赤くなった。
──異世界って……怖い……。
「だって、あいつったら……女の子四人からの告白を受けておいて、今も平気で放置プレイしてくれてんのよ?」
ミエは溜め息を吐いた。
「ドSでも無きゃ有り得ないわよ……」
──なんだか少し、私怨が混じっている評価な気もするけど……。
「今は王様に成り立てで忙しいんだから、しょうがないんじゃ無い?」
「それは……そうだけど……」
アタシのフォローにも、ミエは拗ねた様に不機嫌な顔をした。
「でも、分かります!」
お姉ちゃんがミエに賛同してくる。
「以前に村長さんを助けようとした時に、わたくし一人だけエルフの森に置いて行かれる所でした」
「でも、結局は一緒に行けた訳なんでしょ?」
お姉ちゃんの過去話に、アタシはツッコミを入れた。
「イアちゃんが説得してくれたおかげよ?」
お姉ちゃんは話を続ける。
「マーくんは自分が納得出来る説明と根拠が無いと、自身の考えを安易に曲げる事はしない。意外と我の強い性格をしているわ」
──お姉ちゃんが言うかな?
そう思いつつもアタシは、なんとなく納得した。
「まあテッシーがSで攻めなのは、理解できたけど……ヨアヒムが受けなのは、どうしてなの? 彼も結構、強引な所があるわよ?」
アタシが、そう言うと……何故かミエも、お姉ちゃんも顔を真っ赤にする。
二人が何を想像したのか分かったアタシも釣られて、顔が真っ赤になった。
「ちょっ……ちょっと、ヨアヒムさんの強引さが理解出来ないから、そこん所を詳しく、あたし達に教えてくれないかな?」
「言えるかあぁーっ!」
ミエの質問に、アタシは怒鳴った。
でも結局しばらくの間は、ヨアヒムが如何に強引だったかの話で盛り上がってしまった。
「と、とにかく……ヨアヒムさんが中々のケダモノだと言う事は、分かったわ……。意外だったけど……」
「人の
顔を真っ赤にしたミエの正直すぎる感想に、アタシは突っ込んだ。
お姉ちゃんはミエよりも顔を赤くして黙って俯いてしまっている。
──アタシ、この中じゃ一番年下の筈なんだけどなぁ……。
「でもヨアヒムさんって……そうなる前は、かなり奥手だったんでしょ?」
ミエはアタシに問い掛ける。
「うーん、そうなのかも……」
確かに周りの友達からも、ヨアヒムは年齢の割には色々と手が遅い方だと言われた。
元々、幼馴染だったから気にしなかったけど、告白されたのも遅かった様な気がする。
付き合い始めてからの手を握ったり、キスしたりも遠慮がちだったかも知れない。
エッチな事だって……アタシが死にそうになった切っ掛けがなければ、相当後回しになっていたかも知れない。
ヨアヒムは、その時に……アタシを喪いそうになってから、初めて何事にも後悔したくないと、強く思う様になった……と、言っていた。
アタシは……彼が奥手なのは、大事にしてくれているからだ……って、前向きに考えていたんだけど……。
「ヨアヒムさんって、頼めば何でも応えてくれそうな優しさと言うか、押しに弱い所があるじゃない?」
「……うん」
ミエの言葉に、アタシは頷く。
「そういう包容力みたいな性格が、受けにピッタリなのよ……」
「うーん……」
──なるほどなぁ……。
アタシは納得してしまった。
「でも、それじゃ描き直した方がいいのかな?」
アタシは自分の描いた漫画を目で追った。
ミエは再び漫画を手に取ると、あるシーンを見詰める。
それは女装したテッシーが、悪い魔女に毒を飲まされて、目を閉じて眠っている場面だった。
ミエの頬が紅く染まる。
「これはこれで素晴らしい作品だから、このままでいいと思うわ」
──どっちやねん。
「それよりも次回作を描きましょうよ?」
「次回作かあ……」
確かに描きたい気持ちは、描き終えた事によって消えるどころか、より強くなっている。
──でも……。
「次は、どんな話しがいいのかなあ?」
アタシは二人に質問をした。
「御伽噺や演劇っぽいのをモチーフにするのも良いけど、次はガチな奴を読みたいわね」
「どういう事でしょうか?」
ミエの、ふんわりとした意見に、お姉ちゃんが詳細を尋ねた。
「そうね……男と女役の男の組み合わせじゃ無くて、男性同士の話を創作出来ない?」
そう言いながらミエは、漫画の方では無くアタシの描き溜めた絵を見始めた。
「男性同士……」
お姉ちゃんは何故か、うっとりしている。
──ああ、そうか……。
アタシは自分が持っていた違和感の正体に気が付いた。
確かに今から思えば、テッシーが受けだったのも違和感の一つだったけれど……男女の物語に対しての違和感もあったのだ。
男性に女性キャラクターの役をさせるのも面白いけれど……やっぱり、それは変化球なのだろう。
自分の中の王道は、男性同士の物語なのかも知れない。
「この絵から何か物語を膨らませられない?」
ミエは、お姉ちゃんに一枚の絵を見せた。
それは別に裸でも何でもない普通の絵だった。
狩りに初めて成功したテッシーが、ヨアヒムに肩を叩かれながら互いに嬉しそうに笑い合っている。
あの情景を見た時にアタシは、何だか羨ましくなった。
そして演奏会の前に部屋に戻った時に衝動的に絵にしてしまったのだ。
「こんな話は、どうですか?」
その絵を見ただけで、お姉ちゃんには話のイメージが少しだけ形になったらしい。
アタシ達は三人で、あーでもないこーでもないと、物語を練っていった。
「ところでミエさんは、本当は何の用事でテミスの部屋に来たのですか?」
ある程度は物語の方向性が決まって、後はアタシが描くだけになった頃、お姉ちゃんがミエに尋ねた。
「そうだった……。政孝に例の絵の進捗状況を、それとなく聞いてくる様に頼まれたんだったわ」
──例の絵?
──ああ、アレかな?
「順調だよ?」
アタシは自分がテッシーから頼まれた仕事のことを思い出す。
頼まれた当初は……そんな大仕事を任されるのが、アタシでいいのかな? ……と、思ったけど、実物を見たら感動のあまりに引き受けてしまった。
──後悔はしていないけど……。
「取り敢えず今は、細かい部分を模写しているところ……。ドワーフの連中も協力してくれているし、期日までには問題なく完成させられると思う……」
「そう、良かった……」
アタシの報告にミエは、ホッと胸を撫で下ろした。
「そうそう、レアの方は?」
ミエが今度は、お姉ちゃんに尋ねた。
「殆ど完成しています。わたくしの出る幕は……もう、ありませんわ。後はイアちゃんにテストを、お任せするだけです」
「そっかー……怖いくらいに順調で何よりね」
「テッシーの方は、大丈夫なの?」
アタシは、ホッとしているミエに尋ねたけれど、彼女の表情は変わって微妙な顔になった。
「情報を得て吟味しながら、提案を持ち掛けるタイミングを計っているみたい……。上手くいくと、いいけど……イアちゃんのテストの結果次第ね」
そう言うとミエは、何かを思いついた様な顔付きになった。
「イアちゃんか……」
ミエは口に手を当てて、にんまりと笑った。
そしてアタシの漫画を手に取ると、お願いをしてくる。
「この漫画、しばらく借りてもいい?」
特に断る理由も無いので、アタシは了承した。
数日後。
アタシは、あの時に迂闊に了承したのを後悔していた。
目の前にあるアタシの部屋のテーブルに積まれた本の山……。
それはアタシの漫画を印刷して製本した物だった。
「な、なに……? これは……?」
アタシは狼狽えていた。
お姉ちゃんも顔面が真っ青になっている。
アタシ達の向かいにいるミエは、にこにこしていた。
その隣にはイアがいる。
「イアちゃんが新しく作った印刷機のテスト用の原稿を探していたから、試しに刷って貰ったの」
そう言ったミエは、とても良い笑顔をしていた。
「それでね、印刷や製本を手伝ってくれたドワーフやエルフや人間の女の子達に出来上がった本を贈ったら……見て!」
ミエは大きな袋を取り出すと、中身をテーブルの上へと、ぶち撒けた。
「貴女達へのファンレターが、こんなに沢山!」
テーブルの上には数多くの封筒や葉書が置かれた。
──アレを見せた?
──不特定多数の人達に?
──アタシが描いたって事を知られた上で?
──じ……。
「冗談じゃ無いわよっ!?」
アタシはミエを怒鳴りつけた。
お姉ちゃんは立ったままで口から泡を吹いている。
「これはアタシ達だけの密かな楽しみで……こんなに沢山刷ったら……万が一にも、お母さんにバレたら怒られるだけじゃ済まないじゃないのっ!」
「大丈夫よ、みんな本の事は決して口外しないって約束してくれたもの」
ミエは、いけしゃあしゃあと、そんな事を言った。
「だからって……」
──みんなの事を信じないわけじゃないけど……。
既に手遅れなのは目の前に積まれた本を見れば理解できるけれど、アタシは顔から火が出る様な恥ずかしさを感じていた。
「まあまあ、これを読んでみてよ? きっと考えも変わるわよ?」
笑顔のミエを睨みつつアタシは、封筒を一つ受け取ると、中身を開けて手紙を読んだ。
”こんにちは、テミス先生”
──せ、先生!?
言われた事のない言葉を読んで、アタシは面食らった。
”はじめて、お便りします”
”先生の作品、とっても素敵でした”
”読み終わった瞬間に、とても胸が締め付けられる程に感動しました”
──そ、そんなに……?
アタシは初めて貰った顔も知らない人からの感想に驚き、嬉しさが込み上げてきた。
”最後に二人が幸せになるのを見届けて、私も元気が出ました”
”この御二人は、もしかして王様とエルフの次期族長候補様がモデルなのでしょうか?”
──バ……バレてる……。
本当の事を言うと、テッシーにしろヨアヒムにしろ漫画の絵の場合は、かなりデフォルメしているので、仮に絵を見られても知り合い以外にバレる心配は無いと思っていた。
けれど赤の他人とは言え、この国の住民が見れば分かってしまう様だ。
”正直に言って、教会の人達に追われ、この大陸に渡った時に……私は絶望の淵にいました”
”こんな場所に来る羽目になった事を、一時は王様のせいにして恨んだ事すらありました”
”でも、みんなで頑張っていく内に少しずつ生きる希望が生まれてきたのです”
”わずかに心の余裕が生まれてきた私は、原作者のレア先生の演奏会での歌声を心の支えに今日まで頑張って来られました”
アタシは声に出して、お姉ちゃんに聞かせる様に読んだ。
”しかし一方で家の中に戻ると、母親との二人だけの暮らしに寂しさを感じていました”
”母は優しく私の相手をしてくれるのですが、仕事で忙しい事もあって余り無理をさせたくはありませんでした”
”私は夜、自室で一人ぼっちで遊ぶ事も多かったのです”
”でもイア様の手伝いをして先生の本を頂いてから、夜が待ち遠しくなってしまいました”
”何度も何度も先生の本を夜中に一人で、こっそり読むのが私の楽しみになっています”
──まあ昼間から大っぴらには、読めない内容よね……。
”この本のおかげで、実は怖かった王様にも親しみが持てる様になりました”
”頑張る王様の姿を見て、私も頑張ろうという気持ちになれます”
──良かった……。
思わぬ副産物的な効果に、アタシは喜んだ。
”次回作を楽しみにしております”
”お身体に気を付けて、これからも頑張って下さい”
”あなたのファン マナより”
──じーん……。
アタシの瞳は潤んでいた。
──このマナって女の子に後で御返事を書こう。
アタシは、そう決意していた。
アタシは幾つか感想の、お手紙を読んだ。
どの感想も自分の作品を褒めてくれていて、アタシは心が温かくなっていく気がした。
自分が、この国の人々の役に立つ、とても良い事をしている気分になっていた。
「ところで、この前に打ち合わせした次回作って、もう出来ている?」
ミエがアタシに尋ねてくる。
アタシは頷いた。
「じゃイアちゃんに渡して本にして貰っていい?」
アタシは頷いた。
出来上がっていた原稿をミエに手渡す。
「ところで、これ試験的に売ってみてもいいかな?」
アタシは正気に戻った。
「売るって……駄目だよ、そんなの……誰にも読んで貰えないよ……」
「そんな事ないって! 自信を持ちなよ!」
ミエはアタシの肩に手を置いて爽やかに笑う。
「もちろん印刷と製本を手伝ってくれた人達には、お給料とは別に本を無料で贈るわ」
ミエは捲し立てる様に話を続ける。
「でも、みんなが次回作は、お金を払ってでも手に入れたいって言っているのよ?」
「そんなに?」
「今回貰った人達に借りて読んだ人達も欲しいって言ってくれてるわ? そんな読者の願いを叶えてあげられないなんて可哀想だと思わない?」
「そりゃ……まあ……」
──望まれているなら、手に入りやすい様には、すべきだ……。
アタシは初めて他の人の感想を貰えた嬉しさのあまりに、読者の数が増えると、お母さんにバレる確率が上がる事を失念していた。
「じゃ、決まりでいいかしら?」
そう尋ねてくるミエに対して、アタシは頷いてしまった。
「テミスの絵は綺麗で精緻だから、印刷の出来具合を確かめるのに良くて助かるんだけど……」
イアがミエから原稿を受け取って確認しつつ、アタシを褒めてくれたので嬉しかったけれど……彼女の話には続きがあった。
「ひとつだけ質問していいか?」
「どうぞ?」
イアの問い掛けにミエが答える。
「この本に描かれてあった事って……実際にあった事なのか?」
──はい?
「あるわけないじゃん! アタシ達の作り話だよ」
「わたくしが、お話を考えて、テミスちゃんが絵にしてくれたんです」
アタシ達姉妹の話を聞いたイアは、何故か……とても安堵した表情を浮かべる。
「そうか……そうだよな……良かった……オレは、てっきり……」
「てっきり?」
「本当に……あの二人が、こんな関係なのかと思って……」
イアは恥ずかしそうに顔が真っ赤になっていった。
多分とんでもない誤解をしていた事に対して羞恥心を感じてしまったのだろう。
「ないない! お母さんや、マリアや、ミエの胸ばかり見ているテッシーが、そんな訳ないじゃん?」
アタシはイアの思い込みを笑い飛ばした。
「そうですよ? この話は、あくまで……わたくし達の創作です」
胸を見ている云々の話を聞いて若干お姉ちゃんは、笑いが引きつっていたけれど、アタシに同意してくれた。
「まあ、別の世界線なら……あったかも知れない展開かもね?」
「……えっ?」
ミエの余計な一言で、イアが固まった。
「や、やだなあ……例えばの話よ? 例えばの! ね、ねえ?」
アタシはミエを肘で小突いた。
何事かとアタシを見たミエは、一瞬の後で自分がマズい事を言ったと気が付く。
「そ、そうそう! そう考えた方が空想も楽しいんじゃないかな? ……って話よ?」
ミエはフォローを入れた。
「御伽噺には欠かせませんよね?」
いまいち事態を理解して無さそうな、お姉ちゃんも上手い具合に同意してくれる。
「そ、そうか……異世界なら有り得る話だと考えると、楽しいかもな!」
イアもホッとして、納得してくれた様だ。
「「「「あははははははっ!」」」」
アタシ達は四人一緒に朗らかに笑った。
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