ドゥームセイヤー 破滅の予言者の物語
FZ100
第一章――形而上界
1. 男装の麗人――ドゥームセイヤー
満天の星空に一瞬、ほうき星に似た尾を曳いて光が奔った。クランド・ザマ少年は家路を急いでいたが、ふと自転車を止め夜空を見上げた。それはすぐにきらきらとした光の瞬きとなって消えた。
「何だろう?」
と、上空でパーン! とはじける音がした。その音は衝撃となって空気を震わせ、一瞬大地を揺るがした様に思えた。
「ミサイル……かな?」
ザマ少年は考えたが、今のご時勢ミサイルを撃ち込んでくる輩なんていはしない。
翌日になって何が起こったのか具体的なことが分かった。新聞に天文台のコメントがわずか数行、載っていた。ほうき星に見えたものは、隕石――つまり流れ星としては非常に大きなものだったらしい。大気圏で燃え尽きて爆発したのが衝撃となって聞こえたのだ。
ほとんどの人は小さな囲み記事のことをすぐに忘れ去った。が、ザマ少年は違った。あの日以来、何かがズレてしまった気がするのだ。予兆は心の滓となり、小さな不安は不協和音をかき鳴らし、やがて現実となっていった――
※ ※ ※
それは星の並びが変わるほど遥かな未来の物語――
星の海。星の海はやがて銀河の渦となり、銀河の渦は無数の銀河になった。銀河の集まりは密なところと疎なところが混じりあい、それはあたかも光のまだら模様のごとくであった。やがて銀河の集団は見えなくなった。しばらくして漆黒の空間にほのかに光がさし次第に明るさを増した。気がつくと星の光は消え、緑色の空が、眼下には無限の平原が広がっていた。
草原は果てなく、若草が風になびいている。やがて重々しい足音が響いてきた。足音の主は無数の兵士たちであった。巨大な軍団が草原を行軍し、縦列は無限に続くかとさえ見えた。草原は一面の花畑だが、可憐な花は無残に踏みにじられた。兵士たちは秩序づけられた足取りで草原を進み続ける。彼らの姿は人の様にも見えたが、どこか人とは違う禍々しさが漂っていた。異形の姿を黒と緋色で彩られた鎧に包み、彼らは無言のまま行進した。
先導する者がいた。指導者と思しきその者は、これ以上のものはこの世に存在しないのでは、というほどの見事な馬にまたがっていた。数を数えることすら不可能なその軍団を率いているのは少女だ。少女の名はドゥームセイヤー(Doomsayer)という。姿こそ男装の麗人だが、神に反逆の狼煙をあげたヒルコ――神にまつろわぬものである。黒髪を結い漆黒の鎧に身を包み、険しいまなざしではあるが、表情にはどこかあどけなさを残していた。少女は手綱を引き寄せ、駿馬の歩みが止まった。
「止まれ!」
少女ドゥームセイヤーの叫びは一瞬にして軍団の端から端へと伝わり、歩みが止まった。眼前には未だ無限の草原が広がっている。
彼女に付き従っていた白髪の幕臣が声をかけた。
「我が将、ここで待ちますか」
彼は思慮深さに満ちた表情をした老人である。
「うむ。この平原を抜ければタカマガハラまであと少し。ここで敵を撃破する」
既に幾つもの関門を突破し、進撃してきた。
「はっ」
「千年待った好機だ。いや、記憶の限りかつてないかもな」
鉄壁を誇った形而上界にわずかな揺らぎが生じた。ヒルコたちはその隙を逃さなかった。すかさず宇宙に散らばった仲間をまとめ進軍したのだ。
「散開!」
縦列だった軍団は一瞬にして雲霞のごとくに展開し、平原に陣を張った。空堀が掘られ、柵が幾重にも設けられた。
ドゥームセイヤーたちは待った。無限とも思える時間が過ぎた。空は暗緑色に曇り、やがて大粒の雨が降ってきた。が、彼女たちはみじろぎもしない。雨のしずくが鎧や衣の裾からしたたった。そのとき彼方に小さな影が見えた。影はやがて大きくなり、これまた無数の兵士からなる軍団へと姿を変えた。
「来たか」
ようやくの敵の出現にドゥームセイヤーは声を漏らした。
「どうなさいます?」
老臣が尋ねた。
「動くな。ここで待つ」
老臣の肩にとまった機械仕掛けのカラス――スーフィーという名の――がはばたいた。
「DS! 野戦ジャ! 野戦!」
そう、野戦は指揮官の作戦指揮能力が如実に問われ、兵の運用次第では数倍の敵をも打ち破ることができる。敵将は能吏だが戦場の空気には疎い男。ドゥームセイヤーには勝算があった。
彼方から一頭の白い天馬に乗った男が近づいてきた。銀色の鎧に身を包んだ男は形而上界の
距離をおいて天馬の歩みは止まった。そこに一陣の風が吹いた。それは闇の深みにひきずり込む冷たさを秘めた風で、天衆ですら悪寒を感じないではいられないものだ。
形而上界の使者が怖じ気を払い声の限り叫んだ。
「我が名は天つ神ゾレンの
老臣が力の限り叫んだ。
「我らが将はここにおわす!」
ドゥームセイヤーは鐙で馬のわき腹を蹴ると前に進み出た。
「貴様か」
アラギザが問うた。
ドゥームセイヤーはというと、みじろぎもせずに形而上界の使者を見つめている。
「暗黒星雲のヒルコたちよ! よくぞここまでたどり着いた!」
アラギザの言葉は、しかし、これ以上は先に進ませないという意思に溢れている。
しばしの沈黙の後、ドゥームセイヤーが嘲笑した。
「ヒルコとさげすまれる謂れはないな。で?」
使者は彼女のそっけない態度に一瞬たじろいだが、気をとりなおして言った。
「我らが大将ニグリヌスはお前たちに降伏を勧告する。武器を捨て、主なるゾレン神に忠誠を誓え。誓うならばお前たちの罪は許されようぞ!」
それを聞いたドゥームセイヤーはふっと笑みを漏らした。
「形而上界の使者アラギザよ、我が名は破滅の予言者ドゥームセイヤー。我が目的はタカマガハラに攻め上り、<唯一なるもの>を打ち砕く、ただそれだけだ」
「<唯一なるもの>は宇宙の究極原理、それを砕いてなんとする?」
「知れたこと。この宇宙は全て<唯一なるもの>の写し絵に過ぎない」
「宇宙が滅びると知ってのことか」
「ザインとゾレンが統べる宇宙など滅ぶのが定め。定めならば私が直接手を下してくれようぞ」
「お前たちも滅ぶのだぞ」
「構わん。一旦全てを<無>に帰す」
ドゥームセイヤーたちヒルコの目的は宇宙の全てを虚無に叩き込むことだ。アラギザは怖れたが、気力を振り絞って言った。
「もう一度だけいう。妄執は捨てよ。降伏し、対なる主神ザインの女神とゾレン神に忠誠を誓え」
「くどい。タカマガハラへ至る道を教えろ。さすれば命だけは助けてやろう」
「ヒルコが何を言うか。従わずば、我らが兵をもって誅滅してくれるわ」
交渉はあっさり決裂した。ドゥームセイヤーの瞳がきらりと光った。
「もう一度言う。我が名は破滅の予言者ドゥームセイヤー。お前の運命は<斬首>だ」
ドゥームセイヤーは腰の鞘から剣を抜いた。次の瞬間、銀色の閃光が奔った。使者アラギザの頭と胴が二つに分かれ、首が地面にこぼれ落ちた。おお、と声が上がったがドゥームセイヤーは意に介してない。
「行け」
主を失った天馬は首のない胴体を乗せたまま、元いた場所へと駆けていった。
「よろしいのですか?」
老臣が尋ねた。
「無論。こちらが使者を送ってもどうせ同じ結果だ」
ドゥームセイヤーは振り返り、朗々と声をあげた。
「聴け! 暗黒の星の海より集いし者たちよ。今や天つ神の本拠タカマガハラは目前だ。ここで敵を撃破すればタカマガハラといえど裸城と化す。この戦いに勝利することこそ我ら積年の想い。武器をとれ。一柱でも多く首を獲れ。怖れるな! 敵将は戦慣れしておらぬ。所詮我が敵ではない! 戦力は五分と五分。ならばより優れた将が勝ちを得るのは当然の理。剣を抜け! 私に続け! この地は血で染まる。だが勝利を得るのは我らだ! 秘されたタカマガハラへの道を明かし攻め上るのだ!」
その叫びはおおーっ! という雄たけびで応えられた。それは地鳴りのごとく平原に響いた。
※
一方、神の軍勢は上級天衆ニグリヌスに率いられていた。紅毛碧眼のニグリヌスは陣幕で傍らの兵士に語りかけた。
「まだ戻らぬか」
彼は使者の帰還を待ちわびていた。
「はっ」
そのとき別の兵士が叫んだ。
「アラギザです!」
「戻ってきたか!」
だが戻ってきたのは首のない死体と天馬だけだった。白馬の胴が血で濡れていた。
「む……」
天衆ニグリヌスは最悪の結果になったことを悟った。
「やはり説得は無駄でしたか」
幕臣の一人がつぶやいた。
「これがヒルコの返答か」
ニグリヌスは絶句した。が、すぐに気を取り直した。
「ものども、進めい! 我らが仇敵に神の怒りを!」
銀色に輝く鎧に身を包んだ神の兵士たちが行軍をはじめた。それはあきらかに戦闘開始に備えたものだ。ニグリヌス自身も天馬を駆り、無限の平原へと乗り出していった。
※
片やドゥームセイヤーの陣営も行軍を始めていた。歩兵たちは槍を構え戦闘開始に備えた。
「サット」
ドゥームセイヤーは虚空から宝珠を取り出すと、高々と放り上げた。宝珠は遥か上空から俯瞰したイメージをドゥームセイヤーの脳裏に映し出しはじめた。
次にドゥームセイヤーは控えの者から弓矢を受け取ると鏑矢を放った。ブン、と羽音が響き空に鏑矢が飛んだ。それは戦闘開始を告げる合図である。矢は一瞬彗星のごとく尾を曳き、きらりと光ると崩壊した。敵側も応じてきた。一瞬の間をおいて戦鼓や鐘が打ち鳴らされ、鬨の声がとどろいた。
型どおりの矢合わせが終わり、続けざまドゥームセイヤーは命じた。
「鶴翼の陣をとれ!」
軍団の歩みは速さを増した。軍団は左右に大きく展開し、敵を飲み込まんばかりにその陣形を拡げた。迎え撃つ天衆の軍団も左右に大きく広がった。互いに敵を両脇より包囲せんとする作戦である。
「長弓隊! 撃て!」
長弓隊が援護射撃をはじめた。長弓隊の主力には兵士の数倍ほどの大きさがある弩弓が装備され、巨大な光の矢が彗星のごとく敵めがけて飛んでいく。
ドゥームセイヤーはにやり、とした。この巨大な弩弓は特別に作らせたもので彼女の秘策だ。本来は攻城用に作らせたものだが、彼女の機転で急遽野戦に投入することになったものである。
ずらりと並んだ弓兵たちは矢をつがえ、弓弦をキリキリと引き絞って矢の一撃を放った。光子の奔流となった矢が敵めがけて飛んでいく。矢の多くは神の軍が張った結界に阻まれたが、結界の威力は弱めた。
視界に神の軍団が入った。突進してくる敵をみた彼女はすかさず叫んだ。
「長弓隊はそのまま! 騎兵隊! 進め!」
長弓隊は陣形の後方に位置して援護射撃をするかたちとなった。軍団の右翼・左翼に展開していた騎兵隊が突進をはじめた。両翼の戦いが戦いの趨勢を決する。槍を持った重騎兵と弓を持った軽騎兵が平原を駆け抜け、ひづめの鳴らす轟音が響き渡った。
「弩弓隊、構え! 撃て!」
弓兵が
両翼ではヒルコの騎兵と神の騎兵がぶつかり、槍と槍が激しく交錯した。
ドゥームセイヤーは声の限り叫んだ。
「突撃!」
その一声で兵士たちは雄たけびを上げ、突進していった。ついに両軍が平原の真ん中で相まみえた。奔流と奔流がぶつかり渦となる。槍に貫かれ倒れる兵士。屍を踏み越え進む兵士。剣で斬りあう兵士たち。剣の一撃を盾で防ぐ。あちこちで組み討ちになった兵士が。押さえ込んだ敵兵を味方の兵士が取り囲んで槍でとどめを刺す。肉が裂け骨が砕ける。血しぶきが霧となって飛び散り、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられた。
ぶつかり合う両軍の後方でニグリヌスの部隊が静かに戦局を見守っていた。
「む……」
ヒルコたちの猛撃に圧倒されたニグリヌスの幕臣が声をかけた。
「我が軍が少々押されている様ですな」
「ふむ。ならば」
ニグリヌスはすっと息を吸うと、ふうっと吐いた。
息は霧となり平原に満ちた。霧に視界を奪われたのか、両軍とも勢いをそがれた。
ドゥームセイヤーも戦線を駆け巡り、味方を叱咤激励していたが、ふいに霧にまかれた。
「むっ」
視界から敵が消えた。彼女は辺りをうかがった。
「この霧は……」
突如、槍を抱えた敵兵が突進してきた。
「はっ!」
とっさに剣をなぎ払ったが、敵兵は幻となって消えた。
「!」
一瞬の隙をついて敵兵が斬りかかったが、老いた幕臣が彼女の危機を救った。
「すまぬ!」
「お気をつけて! この霧はまやかしです!」
ならば、と剣の切っ先で自らの指先を傷つけると赤い血がにじんだ。彼女はその血の玉をふっと息で飛ばした。すると霧の粒が集まり、雨粒となって激しく降り注いできた。光はさえぎられ薄暗くなったが、幻は消えた。ぬかるみとなった地面を両軍の兵士が駆け抜け、泥水があたりかまわず跳ね上がった。
※
タカマガハラを巡る形而上界の合戦は、両翼で――騎兵同士の決戦だったが――ドゥームセイヤーの軍が押していた。
ニグリヌスの傍らに伝令が飛び込んできた。
「伝令!」
「何事?」
「両翼で我が軍が押されています。急ぎ支援を!」
「ウル隊とウルク隊を回せ! 白象を用意しろ! 敵の本陣にぶつける」
ニグリヌスの一言で後方に控えていた白象の軍団が動き出した。六本の牙を持つ白象軍団は雪崩をうってヒルコの本陣へ飛び込んできた。中央を強引に突破しようという構えである。白象の勢いを止めようとした兵士たちはあっという間に踏み潰され、陣形が乱れた。
混乱に気付いたドゥームセイヤーはすかさず指示をとばした。
「象を避けろ! 受け流せ!」
その声で兵士たちは二手に割れた。白象の突進力は凄まじいが、所詮は一直線の突撃。誰もいなくなった空間にむなしく突撃するだけとなった。勢いをそがれた象軍団を弩弓を手にした兵士たちが取り囲んだ。
「殺れ!」
矢と槍が降り注いだ。あっという間にハリネズミになった白象と象使いたちは地響きをたてて倒れた。
そこに伝令が駆け込んできた。
「何か!」
ドゥームセイヤーは声を荒げた。
「ジンリンの長弓隊が遅れています!」
前線から長弓隊の一つが取り残されていた。
「後詰にまわさせろ!」
特別に作らせた弩を運ぶのに手間取ったか? ならば長距離支援に回せばいい。まあ、恩賞は期待できぬが。
「御意」
伝令は急ぎその場を離れた。
「モルグBの長槍隊、左翼を支援しろ!」
長槍を持った部隊が戦端の左翼に投入された。膠着していた左翼でヒルコの騎兵隊が勢いづいた。ついに防壁の片方が決壊した。左翼を崩された神の軍団は背後を突かれ混乱に陥った。
ドゥームセイヤーは剣を振りかざして合図した。
「よし、包囲殲滅だ! 一兵たりとも逃がすな!」
騎兵を先頭に歩兵たちが突撃をはじめた。目指すはニグリヌスの主力隊。勢いを増したヒルコの軍の前に混乱した神の軍は逃げ惑い、餌食になるだけである。
「私についてこい!」
ドゥームセイヤーは親衛隊を率い、敵の主力に向かって突撃していった。
その勢いにさしものニグリヌス将軍も手綱を引いて退却しようとした。
「い、いかん」
「ニグリヌス! そこか!」
ドゥームセイヤーの白刃がニグリヌスの首に狙いをつけたとき、突如、背後で爆発が起こった。
「な?」
彼女にも一瞬何が起こったのか、とっさに判断できなかった。
「誤射か?」
誤射ではなかった。後方に陣取っていた長弓隊の射撃は背後から確実にヒルコの軍を狙ってきた。爆炎があがる。
「長弓隊! 何をしている!」
応えはなかった。光の矢が雨あられと降り注ぎ、確実にヒルコの勢いを削いだ。無防備な背面から光の矢に貫かれ、ばたばたと兵士たちが倒れていく。いつしかドゥームセイヤーたちは両翼を崩され、挟撃された。
「ひるむな! 前へ進んで血路を開け!」
ドゥームセイヤーの檄も効なく戦線が乱れ、混乱が深まった。反対に勢いを取り戻した神の軍が攻勢に転じた。
「裏切りか!」
動揺した彼女の隙を捉え、ニグリヌスが単身一騎打ちを図ってきた。
「ドゥームセイヤー、そっ首斬り落としてくれる!」
「くそっ!」
剣と剣が交錯した。
慌てて老臣が駆けつけた。
「ドゥームセイヤー様! ここは一旦退却を! このままでは敵に包囲されてしまいます」
「はっ! この私が退却だと?」
「このままでは軍の壊乱は免れません。一旦引く事も肝要です!」
「記憶の限り私は一度も敵に破れたことはない! それがおめおめ逃げられるものか!」
撤退など、自尊心が許さない。そのとき、ニグリヌス隊の弓兵が放った矢がドゥームセイヤーの愛馬を貫いた。鋭い音がして馬甲が砕けた。首を射られ、驚き竿立ちした馬の勢いに彼女は落馬してしまった。
「うわっ!」
駿馬は一瞬で燃え尽きた。
「もらった!」
ニグリヌスが躍りかかったが、ドゥームセイヤーは態勢を立て直すと相手の剣を手首ごと刎ねた。援護に回った弩弓隊の兵士が放った反撃の矢がニグリヌスの体を貫き、ニグリヌスはどう、と倒れた。
一瞬の空白をついて老臣が主を失った馬を引いてきた。それを見たドゥームセイヤーは馬に飛び乗った。もはや戦局は圧倒的に不利だ。
ドゥームセイヤーは苦渋の表情で叫んだ。
「やむをえん! 退却!」
ヒルコは壊乱し敗走をはじめた。防ぐもののない無限の平原が仇となり、ヒルコの軍は包囲されてしまった。殲滅戦がはじまった。逃げ場を失ったヒルコの兵が次々と倒されていった。
「ドゥームセイヤー様! 敵が!」
老幕臣が悲鳴をあげた。
「ひるむな! 私に続け!」
ドゥームセイヤーは包囲の薄い一角を見定めると、一気に突進していった。矢の乱れ討ちを剣でなぎ払う。ドゥームセイヤーを守り取り囲んだヒルコの兵たちが、一兵、また一兵と斃れていった。が、兵が斃れればすかさず次の兵がドゥームセイヤーを守った。包囲陣がついに破れた。
「行けーっ!」
ヒルコの軍は敗走を続けていた。細い道の両脇は高い崖となっていた。薄暗く草木一本も生えていない岩だらけの細い道。そこはヨモツヒラサカ――黄泉津平坂――と呼ばれる亜空間ネットワークだ。今やヒルコたちは傷つき、生き残ったものは少なかった。ドゥームセイヤーも馬を失い徒歩である。やがて峠が遠くに見えてきた。そこはネットワークの結節点だ。敗北の痛手は深かったが、ドゥームセイヤーは気をとり直した。
「あと少しだ。ヨモツヒラサカを抜ければ暗黒星雲に出る」
暗黒星雲は彼女たちの根城であった。この宇宙でそこだけは神の支配が及ばなかった。
「裏切りさえなければ……」
ドゥームセイヤーはぐっと歯噛みすると、傍らの影に声をかけた。
「フェイト、長弓隊の長はジンリンか?」
影は兎に似た小人の姿となった。
「ジンリンでがんす」
ジンリンは、ドゥームセイヤーが長弓隊を任せていたヒルコである。そのジンリンが彼女を裏切ったのだ。
「ジンリンが神の側に寝返ったか」
さしものドゥームセイヤーの声も弱々しい。背後を撃たれた屈辱感にさいなまれ、それはやがて怒りへと変化していった。
「馬頭星雲のやつぁ、あんなもんでさあ」
フェイトはそっけない。
「やつが寝返った以上暗黒星雲に帰るのも難しいな」
彼女は怒りを必死に鎮めようとした。今はとにかく生き延びねばならない。
「ご主人、あっしは
「お前がか? まあいいだろう」
一応の承諾を得たフェイトが再び影となって消えた。
「我らは一枚岩ではないのか……」
思わぬ離反にドゥームセイヤーはため息をついた。
「ヨミの国で追っ手を巻くのも悪くないが……」
道は冥界ヨミの国――黄泉の国――につながっているはずだった。そのとき、崖の上に松明のともし火が灯った。
「!」
喚声が鳴り響いた。伏兵が崖に潜んでいる。
「伏兵か!」
弩の矢が雨あられと降り注いできた。矢に貫かれ、ばたばたと兵士たちが倒れる。唇をかんだドゥームセイヤーは剣を抜くと、なだれ込んできた神の軍の兵士たちを斬った。既に崖下は阿鼻叫喚の場と化していた。細い道筋で身動きもままならずヒルコの敗残兵は伏兵の餌食になるしかない。ドゥームセイヤーも剣をなぎ払い、敵兵を片っ端から斬り捨てたが、斬っても斬っても敵兵は湧いてきた。
「切りがない!」
とうとう完全に包囲されてしまった。老臣が盾となり仁王立ちで立ちはだかったが、あえなく弩弓の餌食となった。
ドゥームセイヤーが叫んだとき老いた幕臣は既に燃え尽きていた。肩にとまっていた機械仕掛けのカラスがバタバタと飛び退いた。
「ここまでか!」
斬り死にの覚悟を決めたドゥームセイヤーに伏兵たちが襲い掛かった。やがて彼女の姿は兵士たちの渦に巻き込まれ、見えなくなった。
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