草笛双伍 捕り物控え一

kasyグループ/金土豊

第1話 天魔衆1

寛政元年2月16日、その夜は新月であった。

小伝馬町にある、油卸し問屋である宝月屋に強盗が押し入った。

時は丑の刻(現在の午前2時ごろ)のころであった。


入った賊は8人。それそれ黒ずくめにして、黒い頭巾で顔を隠していた。

その賊共の押し入り方は、他の盗賊とは異なる手口であった。

これまでの賊は裏戸を強引に押し開け、金品はもとより強姦し、

殺していくものがほとんどだったが、この盗賊集団は違っていた。


隣家の屋根伝いに、目的としている大店おおだなの上までいき、

瓦を一枚一枚音も無く剥ぎ取り、人一人入れるだけの穴をうがつのだ。

そのうがつ音さえも、耳をこらしても聞こえぬほどの手際良さであった。

被害は家人12名の命と、1500両。


天井裏から忍び込み、家人をひとり残らず殺害。

その後、金銭をずた袋に小分けして、また天井から

逃げていく。その間、半刻もかけずにやってのけるのである。

何の証拠も残さず、近隣の住人にさえ何も気づかれずに

物取りをするその所業は、並みの盗賊ではない。


そして油問屋、宝月屋の事件は、

そのひと月前に起こった、同じ手口で押し入れられた

小間物問屋小諸屋に続いて、2件目だった。


「番屋」と大きく書かれた障子戸は閉じられていたが、

耳をすますと、かすかに草笛の音色が聞こえてくる。

その男は番屋の板張りに寝転んで、うつろな目で

天井を見つめていた。彼の口には草笛。

何かの子守唄でも吹いているようだ。


男の名は「双伍」。いつも草笛を手に放さぬことから、

通称「草笛双伍くさぶえそうご」と呼ばれている。

年のころは、二十を少しすぎたくらいの若者だった。

派手な文様の紫染めの着物に、赤い帯。

その帯には2尺近い長大な十手を2本、その赤帯に

差していた。

頭の後ろに組んだ両手には、頑強な籠手こてが着けられている。

しばらくは草笛を吹きながら、まどろんでいた双伍だったが、

番屋の障子戸を乱暴に開け放つ音で目が覚めた。

ちょん曲げを結っていない、漆黒の髪が外から入る風にたなびく。


「親分、沢村の旦那が呼んでますぜ!

 なんでも宝月屋に賊が押し入ったとか」


双伍は跳ね起きた。わらじを突っかけると、

「弥助、案内せい」

弥助と呼ばれた下っ引きは、汗だくになりながらも

双伍を先導し、駆けていく。


まもなくして、双伍は現場に着いた。

宝月屋の周りには、野次馬やらで人がごったがえしていた。

その人だかりを、数人の下っ引きたちが人払いをしている。

人ごみを掻き分けて、双伍は店の中に入った。


「おう、双伍じゃねえか。待ってたぜ」

そう声をかけてきたのは、同心の沢村誠真さわむらせいしん

歳は双伍より5つほど上の男だ。また、覇道派一刀流免許皆伝の達人でもある。

他には与力の徳松新太郎の姿もあった。

二人とも長谷川平蔵宣以はせがわへいぞうのぶため―――鬼の平蔵と恐れられる、

火付け盗賊改め方直属の部下だ。


店内の広間を見て、双伍は唖然とした。

まるで屍の山だった。

血生臭さが、あたり一面に漂っている。


「双伍、おめえはどう思う?」

いきなり沢村に尋ねられて、双伍は何のことかすぐにはわからなかった。

だが、女中と思われる遺体の刺し傷を、沢村が十手で指し示している

ことで、刀傷を見るように指示されたことを悟った。


双伍はその仏さんに手を合わせてから、傷口をのぞきこんだ。


これは・・・!

双伍の意の中で、ひらめくものがあった。


「おめえも変だと思うだろ?

 オレもこんな刀傷は見たことねぇ。

 薄刃ののようだが、どの仏さんも胸を一突き。

 夕べは新月だから、闇一色のはず。そんな暗闇で

 正確無比に一突きたぁ・・・それも薄刃の刃やいばでなぁ」

沢村誠真も腕を組んで、考えこんだ。


まあ、無理もない・・・と双伍は思う。

沢村誠真も剣の達人とはいえ、このような剣は実物を

見たことはあるまい・・・。


「沢村の旦那。平蔵の親方に面通しさせてくれねえでやすか?」


双伍の申し出に、少し驚いた様子の沢村誠真だったが、

にやりと笑い、言った。


「ああ・・・掛け合ってみる」

双伍という男が、平蔵の親方に面通しを願うには、

何か特別な相談がある時だけだということを、

沢村誠真は知っていた。

この男、早くも下手人の心当たりでもあるというのか・・・。


自分たち、与力同心に直接言わないのは、二つの気遣いを

しているからだ。

まず、双伍の情報が不確かなとき、岡っ引きに与力同心が

振り回されたとあっては、面目にかかわる。

それともうひとつ、長谷川平蔵宣以に話を持ち込んで、

その真偽を吟味してもらうこと。

平蔵の親方が間違いないと判断すれば、与力同心を動かす

大義名分ができようというもの。


「番屋に戻ってろ。面通しが許されれば

 誰か使いの者をよこす」


「へい、承知しました」

そう言うと、双伍は何か浮かぬ顔で、もと来た道を歩いていった。


平蔵の親方のかかえる密偵は22名ということは承知しているが、

その中に双伍の名はない。だが、あの男は平蔵の親方の懐刀とも

噂されている特別な密偵の役割もしていることは、

火付け盗賊改めの与力同心の間では、公然の秘密だ。

ただ、何が双伍という男が特別なのかは謎だった。


この事件、大捕り物になるやもしれん・・・

沢村誠真は、去っていく双伍の後姿を見ながら腕を組んだ。

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