A Perfect Sky

 かつて人間は二種類いた。

 一方は地上で産まれる「陸の子」、そしてもう一方は海から産まれる「海の子」だった。

 田常でん じょうという名の男がいた。彼は中国・春秋時代の大国斉の宰相だった。

「ほほう、今度は女の子、しかも一度に二人も産まれたのか」

 田常の屋敷には奇妙な噂があった。彼は国中から背の高い女を集めて、自分の後宮に入れており、さらに客人たちが密かに後宮に出入りしているのを黙認していたという。

 そして彼の死後、多くの子供たちが残された。

 実は彼は、斉の海で産まれる赤ん坊たちを後宮の女たちに育てさせていた。

 女たちの中には実際に、噂通り他の男と密通して子を産んだ者もいただろう。しかし田常はそれをとがめなかったし、正妻やお気に入りの愛妾たちは他の女たちとは別に隔離していた。

 波から虹色の泡が生じ、海の息子や娘たちは産まれる。赤ん坊たちは波に運ばれ、地上の人間に拾われる。

 しかし、人間たちに拾われない場合は、再び泡になって消えてしまう。

 田常の後宮の女たちの中にも「海の娘」たちはいた。そして、屋敷を警護する宦官たちの中にも「海の息子」たちはいた。

 田氏一族が強力な存在になったのは、「海の子」たちの血と活力を取り込んだからでもあった。

 母なる海から産まれる、健やかな子供たち。海の活力から生み出される彼らは「陸の子」以上に優れた資質の者が多かったが、彼らと「陸の子」との間に産まれた子供たちもまた、優れた資質を持っていた。

 田常の子孫は簒奪者になったが、斉は強国であり続けた。彼らの子孫として、孟嘗君もうしょうくん田単でん たん田横でん おうらがいた。

 他に「海の子」たちの血を取り込んだ一族として、ブリテンのペンドラゴン王家と「湖の貴婦人」一族がいた。

 その「湖の貴婦人」一族の出身であるドルイドのマーリンは言う。

「アヴァロンへの道は誰も知らない」

 しかし、いつかはたどり着く。そのためにも、人類はたゆまぬ努力を積み重ねてきたのだから。

「完璧な空」を見上げて。

 人類の「宇宙航海日誌」は、まだ始まってはいないが、緑の星アヴァロンは待っている。

 英雄たちの物語を。



 あれから一年。7月下旬になり、花川家改め蓮華院家の庭では、果心から結婚祝いとしてもらった百合の球根が見事な花を咲かせている。きれいな白い花はそよ風に揺れ、カサブランカにも負けない、魅惑的な香りを放つ。加奈子は果心に言われた通り、庭だけでなく石垣の四隅にもこの百合を植えている。果心曰く、この百合の花が我が家を守るお守りなのだ。

 秀虎は車の免許を取り、就職した。駅前の書店の正社員だ。彼は悪戦苦闘しつつも地道に「現代人」として頑張っている。以前、加奈子の父や祖父が乗っていた車をしまっていた車庫には、秀虎の愛車がある。

 加奈子はこの車庫の周りにも、例の百合を植えている。

 倫と小百合は無事に大学を卒業し、無事に就職先が決まった。

 涼子は恭介との結婚が決まった。加奈子のブーケを受け取った小百合より先に結婚が決まったが、倫と小百合は就職して間もないから仕方ない。

 若菜は勤め先の副店長になった。そして、彼女の恋人・茨戸さやかの漫画がもう一つアニメ化が決定した。こちらは普通の少女漫画で、主人公たちのお人形が発売される可能性があるらしい。もし実際にそれが発売されたら、今も人形オタクである加奈子はそのキャラクタードールを買うつもりだ。

 加奈子のデビュー作『恋愛栽培』は、そこそこ売れた。そして、彼女は今、紅葉山不動産を退職して、家で執筆中である。

 彼女はデビュー前に書きためたブログの記事などを推敲し、小説やエッセイとして整理した。それらは雑誌に掲載され、書籍化された。


 加奈子のお腹の中には、秀虎の子がいる。さらに、検査ですでに男の子だと分かっている。その子の名前はすでに決まっている。秀虎の名前から一字取って「虎之介とらのすけ」と名付ける予定だ。フルネームは「蓮華院虎之介れんげいん とらのすけ」。かなり凄みのある名前だが、秀虎は蓮華院家を再興出来て嬉しいだろう。

 予定日は、来月。もうすぐだが、まだ百合の花が咲いている時期だ。

 加奈子はBONNIE PINKのベストアルバムを聴きながら、窓を開けて空を見上げる。「完璧な空」。快晴だ。

「次回作は何を書こうかな?」

 SFにしようか? サスペンスにしようか? それとも恋愛ものか? 産休中はエッセイの執筆しか出来ないが、赤ちゃんが産まれて一段落したら、雑誌連載の小説のオファーを引き受けよう。

 女神アスタルテの霊力を宿す百合の花が香る。香りは風に乗って、街中に広まる。女神の祝福が、この街を包む。

 この「完璧な空」の下で、加奈子は幸せだ。

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