二人の新世界

 目覚めたのは昼近く。加奈子は秀虎に抱きしめられながら眠っていた。たくましい体が温かかった。

 夢ではなかった。体の感覚やその他諸々の状況からして、現実だ。加奈子は顔が真っ赤になった。まさか、そんな事になったなんて…。

「お前が元の加奈の記憶を持っていなくても構わない。わしはお前が好きだ!」

 私も大好き。加奈子も答える。

「ヒデさん、立てる?」

「うん、立てる」

 加奈子は風呂場の掃除をし、湯船にお湯を満たした。秀虎は立ち上がり、風呂場に入った。

「このスポンジとボディソープの使い方はね…」

 加奈子は秀虎にシャワーやシャンプーなどの使い方を教えてから、朝食…いや、昼食を作った。その間に、洗濯機が汚れたシーツや布団カバーなどを洗っている。

 じいちゃんの服があって良かった。秀虎の身長は、亡き祖父や涼子よりもやや高いくらいで、そんなに服はきつくも緩くもないだろう。生前の祖父はオシャレな人だったから、若い秀虎が着てもおかしくない服が残っている。

 電話が鳴った。倫からだった。

「加奈姉ちゃん、これからサユと一緒にそっちに行くけど、いい?」

 そうだ、ちょうど良かった。秀虎について色々と相談したい事がある。

「ちょうど良かったわ。今、ヒデさんはお風呂に入っているんだけど」

「お風呂って…ひょっとして、元の体に戻ったの!?」

「うん」

 そう、これからが本番だ。秀虎が「社会復帰」するためにも、色々とやるべき事はあるのだ。

「あのね、倫。ヒデさんの服とか買いたいのね。付き合ってくれない?」

「服? ああ、いいよ」

 加奈子は駅前のショッピングモールで、ヒデさんの服や靴などを買おうと考えていた。秀虎には、それまでは祖父のお下がりで我慢してもらう。


「いい湯だな」

 湯船に浸かりながら、秀虎は思う。夕べは加奈子のみずみずしい体に触れる事によって、生命力が完全に蘇ったのだ。

 何もかも懐かしい感触。彼は湯船の中で手足を伸ばした。

 間違いない。自分の肉体は、生前同様に蘇った。秀虎は微笑んだ。

「そうだな。今の世の男のように、髪を切ってみようか?」

 もう戦国の世ではない。今の世の中にふさわしい格好。自分にも似合うだろうか?

 秀虎は風呂から上がった。加奈子は、秀虎が服を着るのを手伝った。長い髪を乾かすのには多少時間がかかったが、乾かし終えてからは、無地の黒いリボンで髪を一つに束ねた。

「ご飯…ちゃんと箸は持てるよね」

「うむ、何の問題もない」

「私もシャワーを浴びるから、先にご飯を食べててね」

「分かった」

《ピンポーン!》

 倫と小百合が来た。二人は、倫の母・美佐子の車を借りてきた。秀虎の服などを買い出しに行くためにも、車が必要だからだ。

「おはよう、いや、こんにちはかな? あれ、加奈姉ちゃんどうしたの?」

「いつもと様子が違う…?」

 加奈子は返事に困ったが、二人と秀虎を茶の間に待たせて風呂場に向かった。とりあえず、身支度をしなければ。湯船に浸かる暇はない。シャワーだけ。

 倫と小百合は、夕べの加奈子と秀虎がどうしたか、当然察しがついていた。しかし、さすがに何も言えない。

 倫は、テレビのリモコンを手にした。加奈子の身支度が整うまで、暇つぶしをするしかない。

「何だ、つまんない番組ばっかだな」

「代わりに本でも読んだ方がいいな」

「ヒデさん、元の体に戻ったから、自由に本を読めますね」

「うむ、そうだな」

 元の体に戻ってからの、初めての外出。自動車というものに乗るのも初めてだ。

 秀虎はますます、この現代社会に対する好奇心を高めた。


 加奈子はシャワーを浴びて、髪を乾かした。秀虎と倫と小百合は茶の間で待っていた。

 ショッピングモールに行く前に、加奈子たちは秀虎の髪を切るために親船の美容院「マザーシップ」に行った。

「本来、ヒゲは美容ではなく理容の分野だけどね、今回は特別ね」

 親船正章は熟練した腕で秀虎の髪を切り、ヒゲを整える。秀虎の男前ぶりがますます引き立つ。これで現代人男性らしくなった。

「カッコいい!」

「あとは服や靴だね!」

 加奈子たち四人は駅前のショッピングモールに行き、メンズブティックに入った。秀虎は戦死した時には32歳だったというから、30代男性に合うブランドの服を選んだ。

「ヒデさん、かっこいいッスよ!」

 靴屋で新しい靴を買う。フォーマルな革靴と、普段履けるカジュアルな靴とだ。

 加奈子はさらに、ファストファッションの店で、秀虎用に何着か普段着や下着などを買う。すでにかなりの量を買ったので、今日はここまでにしよう。祖父母の遺産が、こんなところで役立ったのだ。しかし、あまり無駄遣いは出来ない。

 四人はスーパーで食材などを買いだめし、倫の車に荷物を詰め込み、家に戻った。倫は免許を取り立てなので、加奈子はちょっと不安だったが、そのうち本人も加奈子自身も慣れるだろう。

「昨日、近くで事故があったけど?」

「バイクがトラックにぶつかったって」

 あ…あのバイク野郎が…。加奈子は思い出す。そうだ、私を狙っていた奴らがいたんだ。もしかすると、ヒデさんも狙っているかもしれない。

「私、昨日、ストーカーらしい誰かに追いかけられたんだけど、知らない女の子に助けられたのね」

「何? それはまことか!?」

 秀虎の顔色が変わった。

「その女の子は、ある人の命令で、ヒデさんと私を助けているって言ってたの」

「その『ある人』とは、太公望呂尚殿ではないのか?」

「え!?」

 呂尚…って、殷周革命の軍師? 釣りをしていたおじいさん? 加奈子は驚く。そういえば、以前秀虎が太公望呂尚が云々と言っていたのを思い出した。

「わしはかの御仁から、お前に世話をされるように言われたのだ。呂尚殿は、ある計画のために我々を必要としているらしい」

「計画…?」

「それが何かは知らぬ。だが、かの御仁は、そのために我々を引き合わせたのだ」

 加奈子はあの箱に入っていた秀虎の頭蓋骨を見て失神したのだが、謎の老人の呼びかけで目が覚めた。その人物、すなわち太公望呂尚の企みで、彼女は秀虎を蘇らせたのだ。

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