西へ

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第1話 前編 名古屋→亀山

 目が覚めると共和に停まっていた。時は平成二十八年八月十日、場所は夜行列車「ムーンライトながら」の中である。ながらにはこれまで何度か乗ってきたが、共和で目が覚めることが多い気がする。振動のしている走行中ではなく停まっている時に起きるというのはなかなか不思議な気がする。揺れがゆりかごになっているのだろうか。原因はともあれ、名古屋到着の三十分前に目が覚めるというのは寝過ごしが無くて良い。

 貨物列車が通過した後、4時51分に共和を発車する。初電前の東海道本線は貨物列車の天下だ。東京近辺のように貨客分離が行われていないため、三駅後の笠寺でも貨物の通過待ちをする。十分停車した後発車。5時19分、名古屋着。


 内田百閒は「阿房列車」の冒頭で「なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ」と記した。今回の旅はそれに似たようなもの……、と言いたいところだが、汽車に乗るためだけに出かけることが出来ない性分で、大阪観光を予定している。ただ大阪まで往復するだけというのもなんなので、かなりロスになるが三月に台風被害から復旧したばかりの名松線にも乗ることにする。

 さて、その名松線であるが、これが意外と難物であった。名松線は国鉄末期に特定地方交通線に指定され、廃止寸前にまで達したローカル線である。現在でも状況は変わらず、松阪発7時32分の407Cを始発におおよそ二時間毎の運転頻度だ。この後の予定から逆算すると始発列車に乗って終点の伊勢奥津まで往復したい。家で旅程を立てている際、そう思いながら時刻表の関西本線のページを開いた。

関西本線の名古屋口初電は5時40分の1303Mである。まず、JRだけで松阪まで行こうとすると、1303Mは6時57分に亀山に着く。乗り継ぎの列車は紀勢本線の911Dで、7時01分発車である。その列車が松阪に着くのは7時49分。名松線の始発に乗れないではないか。

次に、伊勢鉄道を経由するルートで考えてみる。今回は青春18きっぷを使用しているので、あまりJR以外には乗りたくないが背に腹は代えられぬ。関西本線の列車は上と同じ1303Mである。これは四日市に6時22分着だ。乗り継ぎの列車は6時44分の105C。これが終点の津には7時22分着。これに接続する紀勢本線は7時25分発の911D。松阪着時刻は前述の通りで、これもまた名松線の始発列車には乗れない。

どうしたものかと思いつつ、最後に近鉄の時刻を調べた。近鉄名古屋を5時30分に出る急行鳥羽行に乗ると津に着くのが6時29分。6時49分発の紀勢本線907Cに乗り継ぎ、松阪には7時12分に着ける。これで名松線の始発に繋がった。

JRだけだと単純に亀山経由が遠回りになっているし、伊勢鉄道経由は気動車の区間が長くなったり接続が多くなったりで、電車かつ伊勢湾沿いに三重方面に直行する近鉄が最速になるのは妥当な結果と言えるのではないかと思う。これが昼間だとJRも快速「みえ」を走らせて対抗しているのだが。

JRの名古屋と近鉄名古屋は乗換改札で繋がっている。近鉄名古屋から津まで1010円。懐には痛いがやむを得ない。四面五線の地下駅にはまだ乗車列車がいない。少し待って入線。

関東住みの私は関西、中京の私鉄には疎いのだが、中でも近鉄はさっぱり分らない。車両を見ても判別などつかない。故に形式がわからぬのだが、とにかく四両編成で回転クロスシートを持つ車両であった。早朝で名古屋から離れる方面だからあまり乗客はいない。進行方向左側の座席を確保した。

5時30分発車。地下区間は短く、一分で地上に出る。右手には近鉄の車庫、左手には関西本線と名古屋臨海高速鉄道が並走している。JRの敷地にも車庫だか操車場だかが広がり、ディーゼル機関車の牽引する貨物列車が停まっている。地上区間もすぐに終わり、今度は高架に移る。高度差が激しい路線だ。高架からは遙か前方に養老山地だか鈴鹿山脈だかが見える。関西本線と分かれると庄内川という岐阜の方から流れている川を渡る。この辺りから輪中地帯と言えるだろうか。5時38分、最初の停車駅である近鉄蟹江に着いた。

二駅先の富吉を過ぎると、農地と住宅地の比率が逆転したかのように農地が目立つようになった。5時43分、近鉄弥富着。海抜ゼロメートル地帯にあり、標高は海抜を下回る。詳しいデータが無いため不明ではあるが地上駅としては日本一標高の低い駅という説もある。普通列車と接続し、一分で発車した。駅を出ると再び関西本線と並走する。そして木曽川を渡河。三重県に入った。二分後に長良川、揖斐川を渡河。木曽三川を渡りきる。地図を見ると、放っておけば一本の川になるだろうなと思う。

列車は南に進路を変え、すぐに桑名に着いた。5時50分着。桑名は焼き蛤で知られた東海道の宿場町だ。蛤のような貝は汽水域に棲息するので、木曽三川の河口にあたる桑名沖だと良く貝が採れたのだろうと思う。今でも桑名で焼き蛤を食べられるのかは知らないが、食べられるのなら食べてみたい。そう思いつつ今回は素通りせざるを得ない。もっとも、ハマグリの旬は春先である。

ハマグリから離れてみると、桑名は名古屋以来で最も大きい駅だ。JR、近鉄の他に三岐鉄道北勢線が乗入れている。北勢線はナローゲージといわれる軌間762㎜を採用している路線で、その分車体のサイズも小さい。日本全国を見ても北勢線を含めた元近鉄の三線と黒部渓谷鉄道、その他一部専用線でのみ採用されている。桑名は名古屋のベッドタウンとして発展しているそうであるが、三重方面への乗客も結構乗ってきて車内の混雑度が上がった。

桑名を出ると関西本線、北勢線と並走する。軌間1435㎜、1067㎜、762㎜と三種類が並走する全国的にも珍しい区間だ。北勢線はすぐに近鉄とJRを跨ぎ、西に向かっていった。

5時58分、近鉄富田に着く。近鉄富田では三岐鉄道三岐線と接続している。三岐線は元々三重と滋賀を岐阜経由で結ぶことを意図していた路線であり、三重の「三」と岐阜の「岐」を取って「三岐」と命名されているのだが、結局岐阜県にすら達せずに今に至る。元々国鉄の富田に乗入れていたのだが、旅客需要は近鉄富田の方が多かった為近鉄富田までの路線を敷き、乗入れたという経緯がある。とはいえJRの富田に繋がる線路も維持されており、終点近い東藤原から富田までセメント輸送の貨物列車が運行されている。軌間は北勢線と違い1067㎜だ。私は以前一度だけ三岐線に乗ったことがあるが、貨物博物館のある丹生川で帰ってしまったので心残りである。しかし、今回は乗れない旅程を立ててしまった。

近鉄富田の三番線には三岐線の列車が停まっている。三岐鉄道は西武鉄道の関連会社であるため、車両も西武からのお下がりだ。同じような鉄道に近江鉄道もある。西武グループの幅広さには驚かされる。

左手の奥にガントリークレーンが見えてきた。四日市港のものである。富田から五分で近鉄四日市に着いた。四日市は県庁所在地の津を上回る三重県一位の人口を有する市である。工業が盛んで、コンビナートから出る排煙から四日市ぜんそくが発生して教科書にも載っている。今はかなり改善されているそうである。桑名とは違い駅はJRと隣接していないが、高架線かつ近鉄だけでも三面六線あるなど三重一の都市の玄関口としての偉容がある。対名古屋、対関西の旅客割合ではJRに比べて近鉄の方が圧倒的に高い。私の乗っている列車にも一気に乗り込んできて、かなり混んだ。

四日市から二駅の海山道で関西本線の貨物支線が合流してくる。軌間が違うため当然線路は繋がっていないが、次の塩浜まで並走する。貨物線は塩浜の先にある工場地帯の専用線と繋がっており、内陸部への石油輸送を担っている。塩浜の手前には貨車が留置されており、近鉄に貨物列車が走っているようで妙な気分になった。

塩浜を出ると鈴鹿川を渡り、更に南下していく。左手奥には石油コンビナートが見えるが、線路の周りは住宅と田んぼが広がる田園風景だ。工業化されているのは本当に沿岸部の一部だけのようである。6時14分、伊勢若松に着いた。伊勢若松は近鉄鈴鹿線との分岐駅である。鈴鹿市の中心部へはここにて乗換で、思っていたよりも下車客が多かった。駅を出てすぐに鈴鹿線が分かれていく線形が本州っぽくないなぁ、と妙に印象に残った。

二駅先の白子で普通列車と接続すると、次は七駅飛ばして江戸橋、その次が津であった。6時29分、定刻通り。何故三重なのに江戸橋なる駅名なのか気になって調べたが、根源はいまいちわからなかった。謎である。

津はJRと近鉄が一体化していて間に改札も無い。キセルが心配になる。駅の規模は四日市や桑名よりも小さい。駅構内のコンビニでお茶とおにぎりを買った後JRのホームに向かった。振り返って連絡通路の階段を見ると、快速「みえ」を勧める広告が一段毎に貼られている。鬱陶しさを越えて感服を覚える。効果が上がっているかは知らない。

JRのホームは二面四線だが、一番線は伊勢鉄道にあてがわれている。しばらくすると6時42分着の伊勢鉄道の列車が来た。単行の気動車から乗客がぱらぱらと降りてきた。

津発6時49分の列車は定刻通りに来た。車両は新鋭の気動車で二両編成だ。座席がロングシートなのはいただけないが、流石に立ち上がりが早い。みるみるうちに加速していく。沿線には田んぼが広がり、所々に白鷺が見える。白鷺を見るときはたいてい地面に留まっている気がする。飛んでいる姿を見た記憶はそんなにない。松阪に近づくにつれて住宅地やメガソーラーが増え、7時12分に松阪に着いた。

松阪と言えば松阪牛が有名であり、自分もそれくらいしか知らない。高級な肉を食べたいが時間が無い。金も無い。駅は三階建ての駅舎を持ち、パン屋などが入っている。JRと近鉄を合わせると七面五線もあり、津よりもよっぽど大きい。一番線と二番線が線路を挟み込んでおり、あまりJRでは見かけないので珍しく思った。JRと近鉄の間にはこれまた改札が無く、ますますキセルが心配になる。青春18きっぷで入場して近鉄に乗ってもバレないのではないか。やらないが。

駅前を一瞥して構内に戻ると名松線の列車の扉が開いていた。キハ11という、JR化後に作られた軽快気動車である。近年の新型気動車投入やら、武豊線電化やらの影響で現在JR東海管区において使用されている路線は名松線だけになってしまった。座席はセミクロスシートなので、景色を見るには良い。

名松線は元々松阪と名張を結ぶ計画で1929年に部分開業したのが始まりである。しかし、1930年に現在の近鉄大阪線が名張と松阪の間を開業させると、建設意義が失われ1935年に伊勢奥津まで延伸しただけで現在に至っている。計画の途中で頓挫、というのは三岐鉄道と同じ構図である。その後、前述したとおり廃線寸前にまで陥るものの地元の陳情やら道路事情やらを受けて存続。近年だと2009年に台風被害で家城と伊勢奥津の間が不通になり、今度こそ部分廃線かと思われたが、2016年に復旧され今に至っている。一寸の虫にも五分の魂とかそんな言葉が思い浮かぶ路線だ。

そんなローカル線なので、票券閉塞式だとか、スタフ式といった今となっては珍しい閉塞方式を使っている。松阪でも駅員氏が運転士に票券を渡している姿が見られた。

7時32分、発車。乗車率は低い。朝の時間帯の下りだからそんなものかと思う。列車はしばらく来た方向へ進み、市街地を抜けたところで紀勢本線と分かれた。右手奥には近鉄山田線の架線柱が見える。二駅目の権現前を過ぎると上り坂が現れ、山の雰囲気を帯びてくる。道端に咲いているひまわりが夏であることを思わせる。

一志という駅で近鉄と最接近した後はいよいよ丘陵地帯に分け入る。次の井関までは波瀬川の作る谷を、そこからは雲出川の作る谷を行く。川沿いには田んぼが形成され、谷底平野の様に見えるが実際はどうなのだろうか。伊勢大井、伊勢川口と伊勢の付く駅を二つ過ぎ、8時11分家城着。

この列車は家城止まりなので伊勢奥津に向かうには乗り換えなくてはならない。家城駅は対向式ホームの二面二線で、伊勢奥津行の停まっている向かいのホームへは線路を渡らなくてはならない。果たして何人が伊勢奥津行に乗り換えるかと思っていると、自分以外に一人しか乗り換えなかった。そんなに少ないのかと驚く。車両は単行の気動車であるが、乗客二人では流石に寂しい。

8時19分に乗客を乗せた松阪行が折り返して行くと、駅には伊勢奥津行が残された。駅から見える風景に目をやると田んぼと濃い色の山と青空。日本の原風景、といった趣だ。伊勢神宮を抱える伊勢の山奥である。8時25分、伊勢奥津行も発車した。

街を抜けると雲出川を渡り、再び上り坂に入る。狭い谷間を山に張り付くようにして行く。山側には新しいコンクリートが打たれている。土砂崩れ対策だろう。復旧工事の際に入れられたものだと思う。

伊勢奥津まで全て無人駅であり、所々コンクリート工場やらホテルやらが現れるものの、全体的には山間の農村と谷間が続くばかりで8時58分、終点に着いた。最後まで乗客は二人であった。

折り返しまで三十六分ある。私は駅前に出てみた。駅は無人であるものの、地域の住民センターが併設された大きなものである。むしろ住民センターが主体な気がする。駅構内には蒸気機関車時代の給水塔が遺されているが、蔓植物に覆われていてあまりよくわからない。夏だからか。駅前のターミナルにはバス停が立っているものの、バスはいない。バスどころか車も人の影も見当たらない。夏の日差しの陰影の強さが印象を強くさせた。

少し駅前の通りを歩いてから住民センターに向かう。住民センターでは地元の物産が売られている。そこでいくつか購入した。詳しくは覚えていない。食べ物だったと思う。

その後、列車に戻る。また往路と同じ二人だけかと思ったが、発車間際になって地元客が四、五人乗ってきた。9時35分発車。

来た道を引き返し、松阪11時03分着。定刻では01分着なのだが、松阪手前の信号待ちで二分遅れた。名松線往復だけでかなり時間がかかったものだと思う。11時04分発の紀勢本線に乗り換える。今から思えば際どい乗り換えであった。亀山行は途中で特急「南紀」と交換し、津には11時30分に着いた。一分停車で発車する。ここから再び未乗区間だ。

亀山行は時間の割に学生が多かったのだが、11時35分着の一身田で多数が下車した。大きな学校があるのだろうか。一身田を出ると丘陵地帯の谷間を行くようになる。地図を見ているとゴルフ場が目に付く地帯である。右手に関西本線が見えてくると亀山に着いた。11時50分着。

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