第6話 晴れ時々龍 ところにより大百足(1)

雲の合間を突き抜けるように鋼鉄の翼は飛び抜けていく。


蒼い空に残るのは鮮やかすぎるほど一直線に伸びた飛行機雲だ。その線の先端にいる飛行機はかなりの高度で飛んでいた。ある一点の異常を除いては普通の飛行機だ。異常は遠目からだとよく見なければ気づけないほど、だがそれに気づいたものならば間違いなく常識を疑うものであった。


具体的に何が起きているかといえば、飛んでいる飛行機の上に人間が乗っている、ただそれだけのことだ。だが間違えていただきたくないのは彼が操縦席に乗っているわけではないということだ。揶揄ではなく、その言葉通りの意味で一人の男が直立不動で腕組みをしながら飛行機の先端に立っていた。もし見るものがほかにいたならばギョッとなったに違いない。


この高度で、この速度で、普通の人間が飛翔する戦闘機に直立不動で立っていられるわけがない。もし同じことを普通の人間がやろうものなら凄まじい風圧とGを感じながら雲の彼方に一瞬で吹っ飛ばされるに決まっている。


だが、男は立っていた。並の人間なら耐えられるはずもない凄まじい風圧の中で彼は平然と立っていた。その身体全体を覆うのは淡い蒼い光であった。彼は雲の間から見える光景をしばらく眺めた後に雲の下に見える何かに気づいた。


「…見つけた。」


その視線の先にはどこまでも続く列車の線路と、線路の上を疾走する列車の姿があった。





             ◆◇◆◇◆◇◆◇ 





地上を走っているのは一両の機関車であった。操縦席の窓から身を乗り出しながら、一人の男が外の景色を眺めながら大きなあくびをしていた。


「少尉殿。」

「なんだね、コロ君。」


振り向くことなく男は返答した。声をかけたのは狼の頭をした獣人の青年であった。身体をぴったりと覆う軍服に身を包み、腰には刀を提げていた。


「食事をお持ちしました。」


その言葉に少尉殿と呼ばれた軍人はニンマリと笑った。ふてぶてしい野良猫を思わせる笑みだったが、彼はれっきとした普通の人間である。彼は振り返るとコロと呼んだ獣人の持っているお盆の上に乗った大皿からサンドイッチをひとつ取って嬉しそうにかぶりついた。 その瞬間にカリコリというやけに高く響く不吉な音がした。同時に彼はこの世の終わりのような表情を浮かべて慌ててお茶を奪い取ると飲み干した。


「げーほげほげほ!な、なんだこれは!」

「サンドイッチです。」

「そんなことは見れば分かる!問題はこれの中身だ。」


男は怪訝な顔を浮かべながら中身を確認するためにサンドイッチをめくった。そこには分厚く切られた沢庵と、これまた親の敵のようにこってりと生クリームが塗られていた。


「…この劇物を作ったのは誰だ。」

「はっ、リムリィであります。」

「そうか。」


男は短く返事をすると壁に立てかけてあったライフル銃を手に取ると素早い動作で弾を込めた。


「しょ、少尉殿!?」

「止めるな、コロ。人間には誰しも絶対に許すことができないことがひとつや二つあるもんだ。あいつは私の一番の至福の時を奪った。だから殺す。それだけだ。」

「お待ちください、少尉殿!あいつに悪気はないんです!」

「なおさら悪いわっ!」


コロによって羽交い締めにされた男が叫んだ瞬間だった。上空から飛行機のエンジン音と風を切る甲高い音が聞こえてきたかと思うとゴンという何かが落ちた音が天井から響いた。怪訝そうな顔を浮かべながら男とコロは顔を見合わせた。




             ◆◇◆◇◆◇◆◇ 




列車の上に降り立ったのは先程まで飛行機の先頭に立っていた男であった。男は首にかけていたマフラーを顔を隠すように巻き直すと列車の上を走りはじめた。特殊な訓練を積んだ精鋭のごとき無駄のない走りだった。向かう先は先頭車両であろう。

いち早く異変に気づいたコロはアクロバティックな動きで天井に登った。そしてこちらへと向かって来る侵入者の姿を確認した。コロは剣歯を剥き出しにすると腰にかけてあった刀に手をかけた。そして弾かれるように走った。


一瞬にして侵入者の間合いに詰め寄ると同時にコロは刀を抜いた。一閃。下段からの弧月を思わせる鮮やかな太刀筋でコロは侵入者を切り裂いたかに見えた。捕らえた、コロは心の中で確信した。だが、コロの太刀筋を侵入者は軽く身を反らしてかわした。紙一重だった。


(かわされた、だと。)


居合いを得意とするコロは自らの初太刀に絶対の自信を持っている。だからこそそれをかわされたことに少なからずショックを受けた。だが、すぐに気持ちを切り替えると同時に刀を両手に持ち帰ると大きく踏み込みながら上段から振り下ろした。侵入者は斜めに体勢を反らすと再び紙一重でコロの一撃をかわした。三撃目、四撃目、五撃目。混虫すらも切り裂くほどの鋭さと速さを持ったコロの斬撃を侵入者はことごとくかわしていった。


五撃目が終わると侵入者はコロの斬撃の間合いから下がると距離を開けた。あくまでも余力をたっぷりと残している、そんな様子だった。 対するコロは凄まじい汗を流していた。疲れから来る汗ではない。むしろ油汗に近い。得体が知れない相手だ。ただかわされたからではない。ことごとく紙一重というのが気に食わなかった。ギリギリでかわしたというのは十分避けられるくらいコロの斬撃を見切っているということだ。それだけ侵入者と自分には力量の差があるということになる。それを認められるほどコロは思考の柔軟な剣士ではなかった。


(たまたまかわしただけだ、次は外さない。)


コロは心の中でそう呟くと刀を納めて居合いの構えを取った。彼が使おうとしているのはただの居合いではない。士狼に伝わる秘奥義のひとつ『絶影』だ。

絶影とは影が消えるほどの速さで一瞬で相手と距離を詰めると同時に切り裂く、狐狼族独自の居合技である。全身全霊を込めた、まさに一撃必殺の技だ。コロのただならぬ雰囲気に気づいた侵入者は先程とは打って変わった様子でコロの斬撃に身構えた。ただしあくまでも腰の刀を抜くことはなかった。


(なめるなっ!)


コロは心の中で毒ついた後、ふっと姿を消した。いや、消したように見えるくらいの速さで走り出したのだ。影はない。音だけを残しながら侵入者に真っ直ぐに近づいていく。


そして斬撃を放った。





             ◆◇◆◇◆◇◆◇ 






コロが放った一撃を侵入者は見事に受け止めていた。しかも凄まじいことに彼は武器を使ってはいなかった。左手の人差し指と親指。たった指二本で完璧にコロの斬撃を受け止めていた。コロは絶句していた。何が起きているのか理解できなかった。悪夢としか思えなかった。なにより恐ろしいのは動かそうとしてもまったく刀を動かすことができないことだった。


「いい腕だ。思い切りもいい。迷わずに急所を狙いに来た点も評価できる。だが、経験が絶対的に足りないな。お前、自分より格上の者とやり合ったことはそうないだろう。」


刀をしっかりと捕まえたまま、侵入者はコロにそう言った。


「は、離せ…。」


そんなコロの反応を侵入者は鼻で笑った。


「ほら、そういう所が経験不足だ。動かないなら刀を捨てて次の手を考えるくらいするべきだろう。」

「お楽しみのところ申し訳ありませんが、そのくらいにしていただけませんか。」


不意に後ろからの声を聞き、コロは驚いて振り返った。そこにいたのは彼が少尉殿と呼ぶ上司の姿であった。


「はは、久しぶりだな。元気そうでなによりだ。で、その銃口を俺に向けてどうするつもりだ。」

「ああ、これですか。隙あらば撃とうかとしておりまして。」

「はは、剣呑。実に剣呑だ。」

侵入者は呵々として笑った後にコロを見た。

「お前はどうする。まだやるか?」

「コロ、もうやめろ。その方は敵じゃない。というよりお前、早く刀を納めないと不敬罪でしょっぴかれるぞ。」

「え?」


不敬罪という言葉に驚いてコロは少尉と侵入者を交互に見返した。


「その方こそ我が国の最高権力者、天龍王様であらせられる。」

「気軽に龍ちゃんって呼んでくれな。」


絶句するコロに悪戯っぽい笑みを浮かべながら、見た目は20代にしか見えない天龍王は微笑んだ。

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