04: Doppelganger
「問題、ですか」
わたしがわたしであることの証明。彼女はそう言ったが、そう簡単に解決出来る疑問では無いだろう。現に、記憶を同じ時間軸に二つ保有している場合、お互いにそれは『わたし』と言えるだろうし、言えないかもしれない。例えば仮にバックアップしていた記憶を間違えて別人にインストールしてしまった場合、それは『わたし』と言えるのだろうか、ということだ。肉体では違う人間だが、記憶――或いは精神では同じ人間と言える。
「確かに難しい話だ。けれど、それを補ういくつかの知識が必要になると思う」
わたしは立ち上がると、積み上がった本の塔の天辺にあった書物を取り出した。
「ドッペルゲンガーって聞いたことはあるかい」
彼女はその言葉にしっかりと頷いて、
「自分自身の姿を自分で見ることですよね」
「その通り。けれど、それは幻影の一種とも言われているし、霊体が肉体から飛び出ている状態とも言われている」
「バイロケーションとは違うんですか」
「あれも同じだが、ドッペルゲンガーは当人の意識外に行われることに対して、バイロケーションは当人が意識的に、恣意的に行うことのイメージが強い。意味としてはどちらも正しい」
「では、使い分けている、ということですね」
「そういうことだ」
わたしは頷いて、書物を開く。
そしてあるページで捲る手を止めて、その部分を読み始めた。
「ドッペルゲンガーは本人ではなく別人ではないか、という研究を進めたことがある。しかしながら、記憶も肉体も同一化している状況は、紛れもなく本人であるということを証明する結果となり、わたしの考えていた結果とは真逆の結果を生み出してしまった――書物にはこう記載されている。つまり、君の考えていることは、紛れもなく本人であるということだ。記憶のバックアップを実施して、バックアップを使用して、バックアップした以後の記憶が失われたとしても、それは君であることに変わりないということだ」
「ほんとうに、そうなのでしょうか……」
「科学的に証明されている。バックアップ使用後の人間と、バックアップ使用前の人間は人権条約的にも同一人物であると証明されている」
「それは、そうしなければ面倒だからということなのでは無いでしょうか」
「それは……。確かに、それも考えられるな」
確かに彼女の言う通りだった。法律上、或いは手続きの関係上、バックアップ使用前後の人間を別人と捉えてしまうと、戸籍の変更からクレジットカードの変更手続きなど様々なことをしなければならない。しかし、同一人物としてしまえばそれらの手続きは一切不要となる。
とどのつまり、同一人物としてしまえば行政的にも企業的にも、そして本人にとっても面倒なことにはならない――だから同一人物にしているのではないか、彼女はそう指摘しているのだ。
それは間違ってはいないし、わたしも恩師からそれについては苦言を呈していたことをよく耳にしていた。
あれは科学を認めたのでは無く、手続きが面倒だから同一人物に『仕方なく』しているだけなのだ――と。
ただ、今ここでそれを話してしまっては、話がさらにややこしくなってしまう。
話がややこしくなることは、わたしにとっても彼女にとってもメリットは無い。
だからわたしは勝手に判断して――その真実を一先ず秘匿することとした。
「先生、わたしは一先ずそれについて結論を付けたいわけではありません。そのために話しに来るのは、少々時間がかかってしまいますから」
少々どころでは無くなってしまうが、と思ったがそれは言わないでおいた。
「では、何のためにわたしに話しに来たのかね」
「……わたしは、前のわたしを覚えてくれる人がほしいんです」
彼女の言葉に、わたしは目を丸くした。それほどに、驚くことだった。
彼女はさらに言葉を紡ぎ始める。
「確か、ミルクパズル症候群が世界的に流行してから、WHOがある宣言を発表しました。それは知っていますか」
「……ああ、『ウェイト=ダグラス宣言』だったか。ミルクパズル症候群罹患者の人権を保障する宣言だったと記憶している。それがどうかしたか」
わたしも記憶科学を研究する端くれとして、それくらいは知っている。
そして彼女は話を続けた。
「その中に……『ミルクパズル症候群治療により、一部の記憶を消失した場合、その記憶を教えてはならない』という宣言があるのはご存知ですよね」
「ああ。確か、記憶の混乱はミルクパズル症候群の進行を早めるかもしれないということで宣言に盛り込んだはずだ。まあ、科学的に証明されていないが、脳に負担をかけることは良くないことは紛れもない事実だ。脳だって、普通のコンピュータと変わりないからな」
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