第52話
その引き換えに失ったのは、腕先一本。
たかが一本、されど一本。腕の全てを失ったわけではないにせよ、頑強なものたちに比べれば数段落ちる強度のフィニットにしてみれば、十分すぎるほどの痛手である。
「奴自身が出るならばともかく、奴の借り物を持った程度で、俺をどうにかできると思ったか。」
見下ろすバラトシャーデの言葉が、
先ほどまでの、「腕」に対する攻撃で見せた狂気的な昂奮はまるでなりをひそめ、吐き出された言葉はその対極のように冷淡だった。
だが、吐かれた言葉そのものは確かに、自分と相手の圧倒的な力の差を示しただけの、単なる「現実」だということを、フィニットは理解している。
バラトシャーデに看破されたとおり、この腕は借り物であり、自分の本来のものではない。
腕に応急の治癒を施しながら思い出すのは、リテラへ急ぎ帰還する船の中、ふたりが監獄星の「特訓」で失った身体質量を補うためにシンが施した「処置」のこと。
「到着次第、きみたちは戦闘にあたることになる。
それは、ふたりが無事に船に乗り込んだあとのことだった。
ふたりを前に、シンは言いざま、手慣れた
そんなふたりを尻目に、シンは折り取った手首を、ノーティの欠けた腕先に宛がった。同時に、もう片方の手にも白い光をまとわせ、宛がった部分をゆるやかに撫でらう。
薄白い光が、ささめくように融けるように拡がりほどけて、ノーティの欠けた手首に馴染んでいく。
白い光が彼我の境界を曖昧にし、やがて緩やかに消えたとき、シンのものだった手首は、ノーティの手首として其処にあった。
驚く暇すらない速度で施された「処置」に、ノーティは驚きに目を剥いた表情で、シンと自分の「手首」をキョトキョトと
「細かな調整は自分で何とかしてもらわねばならないが、これでひとまず支障なく動くはずだ。」
「ハ? え? いや、なンで、え? コレ全然まったくオレの手……じゃン……?」
言われて慌てて確かめるように、曲げたり振ったりと忙しなく手首を動かしていたノーティは、やがてぽかんと口を開き、洩れ出るような声で呟いた。
「次はきみだ。」
ノーティの様子をつられ見るように呆然としていたフィニットへ、シンの声が掛かる。はっと我に返って向き直れば、既にフィニットのための用意がされていた。
今し方折り取った手首の残り、といえばいいのだろうか。シンの肩の付け根からごっそりと抉り取られた「手首のない腕」が、フィニットの目の前に差し出された。
ノーティのものと同じように、これもまた断面に薄白い光を帯び、滴るようににじんでいる。
「あの、僕ならこのとおり再構成して大きな欠損はないですし……」
「きみの特殊性と、当たる
「でも、」
「わたしは何もできなかった。それはおそらくこのあとも。だからせめて、これくらいはさせてくれ。」
文字どおり「身を削って」与えようとするシンに、フィニットは遠慮を告げようとして、しかし重ねて突っぱねられる。
やわらかく静穏な語調ではあった。だが、其処には有無を言わせないようなかたくなさが見て取れる。
フィニットは思わず、ノーティへ視線を向けた。そのノーティも、戸惑いにも似た色を表情に浮かべてフィニットを見る。
確かにシンの言うとおり、自分たちが「万全」であることは、これから起こるだろう事態に対する判断として全く正答だ。そも、シンにしてみれば、ふたりが喫した敗けとその顛末に対しての、上のものとしての責任と慚愧が強くあるのだろう。
そういった心情の表れが、このかたくなさであろうことは察せられた。ただし、其処には「それ以上の何か」のあることも、うっすらと感じ取れる。そしてそれが、地球での過去にまつわるものだろうことも。
シンのこの行為と態度から感じるものを、フィニットの言語感覚で表すならば、或いは「恐れ」と呼ぶものに、とてもよく似ている気がした。
戸惑いの消えないフィニットに、けれどシンはじっと答えを待っていた。「材料」の使い方はきみに任せる、ということだろう。
考えた末、フィニットは失った部分にこれを
「ならばできるだけ適切な形にしよう。」
それを請けて、シンが自分の腕を変容させる。「加工」に多少の時間はかかったものの、手際そのものは何らの滞りもなく、まるでやわらかな粘土でも捏ねるように、手指の先まで完全に備わった「フィニットの腕」を作り上げる。
「一度直したところなのにまた欠けさせて、さらにまた接ぐことになるなんて、あのひとに申し訳ないばっかりだ……」
しゅんとした顔で、自分の不甲斐なさを洩らしつつも、これから成さねばならないことを思えば、この処置に不満などあろうはずもない。自分本来のものと寸分違わぬ新しい腕は、しかも、今までの自分の身体のどの部分よりも強度があった。
託された。ならば、応えねば。
埒を開けよう。改めてバラトシャーデと対峙するため、フィニットは自分の置かれた状況を俯瞰した。
腕が破壊されることは想定内だ。できればもう少し保たせたくはあったが、削れてしまったものは仕方ない。むしろ、削れてしまったことで、自分がやりたいことへの道順が短縮されたと考えることもできる。
そうだ、やりたいことは最初からはっきりしている。そしてそれは、自分が動かねば実現しない。
ぐ、と腹に力を入れ、フィニットは「上」を見た。バラトシャーデの威容は、それだけで威圧をもたらす。だが、そうだ、相手は強く大きいのだ。
「僕はお前を倒す。でも、お前が僕を倒すことはできない。」
「……ぬけぬけとほざいてくれる。」
「何度だって言ってみせるよ。お前は僕を倒せない。」
言いながら、思念の網を張り巡らせる。自分の位置を基点に、緻密に、
身体の強度はどうにもできない。生来的な高出力を持つにもかかわらず、それがために強力な光波熱線として使うことができる場面は限られる。特訓の折に指摘された幾つかの「弱み」は、しかし、使い方次第で別の「強み」となることを、フィニットはもう、知っていた。
バラトシャーデは間違いなく強い。此処までの攻防で、繰り出される全ての攻撃を耐えきることは無理だと、はっきり理解している。
けれど逆に言えば、無理なのはそれに耐えきることだけ、ということでもある。
張り巡らせた思念の網を、更に幾重も重ねがけし、みっしりと密に満たし、丁寧に閉じた。それはたとえば、思念の「殻」とでも言えようか。
作り上げた「殻」のほどを確認したフィニットは、間髪を置かず自分の足下の虚空を、思い切り圧をかけて踏んだ。
この「殻」は、通常使うバリアとは意を異にする。バリアは通常、強力な「一膜」を以て機能するが、この「殻」は「同じものが幾層も重なっている」状態だ。
自分の持つ
監獄星でフェレスに言われたとおり、ナマートリュが使う最たる「武器」は、強力な光波熱線だ。だが、自分が使うには難がある。ならば、「それ」以外に「それ」を使えないだろうか。
考えた末が、「これ」だった。この方法なら、必要な出力はずっと低く、真に使わねばならないときのために力を温存できる。更に言えば、探査に使うような絶対の正確性も必要なく、身体強度を気にする必要もない。
どのみち、使わねばならないときは必ず来る。ならば一番必要なときにこそ使えるように、ありとあらゆる手段を講じ、使う。使ってやる。
跳ね飛ぶような動きで、猛然と上へ奔る。響き渡る衝突音、ただしそれはほんの短く、ガガッとこすれ合うような鈍い響きのみで、決定的な打撃はない。
すれ違う。ただしそれは、的が外れたのではなく、最初から僅かに外した上昇軌道をとったゆえである。
無論、バラトシャーデは見切っていた。避ける挙動の気配すらなく、フィニットがかすめ当てるのを平然と見逃したのは、こちらの出方を見る余裕を示威したものだった。
そうだろうね。力量差を考えれば当然の対応と、仕掛けたフィニットも思っている。が、そもそもこちらの狙いとて、「当てる」ことにはない。
かすめ当てたあと、更に上へ奔りながら、眼前の虚空を「叩く」。其処に生じるのは、先ほど跳ね上がるために圧をかけたのと同じ原理の「壁」。叩いた直後、フィニットは瞬時に身体の向きを入れ替え、その壁を再び強く踏み付ける。
撥ね返る挙動に、踏みつけによる加速を乗せ、再びバラトシャーデへ向かって直進に跳ぶ。
避けられた。が、さっきよりも大きく当たることを明確にとった軌道自体、「読まれる」ことは既に織り込み済み。
再び距離が開くかと思いきや、すれ違ってすぐ、フィニットはもう一度、虚空をひときわ大きく叩いた。
先ほどよりひと回り大きく生じた「壁」に、殻ごと自分の身体を当てる。踏みつけることで得るより強い反発力に、更なる速度を乗せて再々の
バラトシャーデから見れば、この程度は小細工と切って捨てる類いだろう。だが、加速度という物理的な
反転からの勢いと加速を乗せた突進で、バラトシャーデの背後を強襲する。至近の間合いへ飛び込まれたバラトシャーデは、しかし振り返ることもせず、ぐにりと肩の打突鋲を変形させた。
再び現れた長腕は、伸びるなり大きく振られ、風切り音と共にうねりあがる。向かって来るフィニットを、強靱なしなりを以て叩き伏せるための挙動、満を持した反撃のひと振り。
予測済み。フィニットは、それを待っていた。
双方からの豪速を乗せた激しい衝突と、それによる大きな衝撃と、そして。
ゴギギッ、と軋りめいた
「……な……!」
バラトシャーデが、単音の驚愕を叫んだ。
フィニットのこの一連の挙動が、思念の殻をまとって強度を高め、「体当たり」を敢行するものである、ということは完全に読んでいたのだろう。であれば、こちらを「叩き切る」あるいは「叩き潰す」という方法を選択するのはまったく正しいと、フィニットの方もよくよくわかっている。
だから、だ。
バラトシャーデが、こちらの意図を正しく読んでくれることこそ、フィニットの意図するところだった。
激突の一瞬、フィニットは唐突に、まとう「殻」を自ら解いた。それは或いは、破ったと表現するのがより正確だろうか。
とはいえ、この攻撃を選択することに迷いがなかったわけではない。
接敵することによる攻撃の利は、こちらだけではなく相手にも当然ある。ましてや、想定したダメージが入らなかった場合、一気にこちらが不利になることすらあるだろう。
防御の点から考えるなら、距離を取って光波熱線を撃ち込むことも、あるいは案としてはあった。けれど、相応の身体負荷を伴うというリスクは今は取れない。何より、これでは近付けない。
であればやはり、この方法しかない。
結果として、フィニットの思惑は図に当たった。思念の殻という「質量で殴りつける打撃」を予想したバラトシャーデに対し、殻の内側でひそかに研ぎ澄ましていた、光波熱線同等の「刺突」を喰らわせ、結果、接敵するために最も脅威である長腕を折り砕くことができた。
「……やってくれたものだ……!」
「言ったはずだよ。お前は勝てないって。」
バラトシャーデが、低くうめく。余裕でいたことの「隙」を突かれた自覚があるのだろう、言葉こそ賞賛の形だったが、それは明らかに屈辱のぬめりを帯びていた。
返すフィニットの言葉は、それをわかっているからこその煽りである。そして、バラトシャーデが「脆弱の輩」と見下していた対象が、決して少なからぬ危険性を持ち、本気を出して当たるに足る存在だと知らしめたことを、誇示するものであった。
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