第17話

「今日は、オレたちの方が早く着いたな!」

 母胎樹に到着した第一声は、上機嫌なノーティの声だった。先日ので、ひかりを含む彼らがこってり叱られた件は、三人の記憶にはまだ十分に記憶に新しい。

 最後の転送装置出た後、此処へ来るには、文字どおりきた。

 勿論、ひかりが飛んだわけではなく、ノーティに抱えられての飛行である。

 地面がただの平面に見えるほどの高さまで一気に上昇し、目の前に浮かぶ雲があっという間に流れていく速さまで一気に加速しての飛行。飛んでいる間は、周囲にバリアが張られていたので全く安全だった。

 こんな経験、普通の地球人の人生で体験できる機会なんて、ほとんどないだろう。

 ただ、何せ初めての体験である。飛行中も驚きが先に立ってしまい、ハラハラする気持ちの方が大きくて、せっかくの十分に楽しめなかった。

 これについては、返す返すも残念な気持ちである。

「にしても、案外重たいモンだな。」

「外見の大きさだけなら僕達と変わらないのにね。」

 ひかりを地面に下ろした後、フム、と妙に感慨深い顔でノーティが言った。横に立ったフィニットも、うんうんと納得したように頷いている。

「は? 失礼なこと言わないでよ! これはね、筋肉であって贅肉じゃないの!」

 会話の中の「重たい」という単語を耳ざとく聞きつけて、ひかりはふたりの間に割って入った。

「へ? いや、えっと……何の話だ?」

「あ、あの、僕たち何か悪いこと言った?」

 憤慨するひかりの様子に、ふたりがふたりとも、驚いて困惑したような顔をする。

「わたしが重たいって今言ってたじゃない!」

「え、重いと思ったから重いって言っただけじゃん!」

「だからそれが失礼だって言ってるの!」

「いや意味わかンねェって! だってオレ、地球人ってもっと軽いと思ってたんだからよ。」

「あのね、女子に体重の話は厳禁……って、地球人……?」

「ひかりは地球人だろ? オレたちより組成の密度も低いのに、意外と重たかったって思ってよー。」

 ノーティが、不満げに口を尖らせながら答えた。ひかりの怒りの出所がわからないので、本当に意味がわからない、という顔だ。

「……あ、うん。わかった。……何でそういう発言になったのか、今わかったわ……」

 ひかりの語勢が一気に弱まる。

 いや、確かに体重の話ではあったのだ。ただし、ふたりのあの会話に、ひかりが思ったような他意は全くなかった、ということも、此処で察した。

 彼等は、「女子ひかりの体重」について話していたわけではなく、「地球人の体重」について話していたのでだ。

 完全に、ひかりの勘違いである。

 でも、勘違いするような話し方してたふたりだって、ちょっとアレじゃない?

 内心に少しだけ言い訳をする。ふたりに非がないのは明らかだが、乙女心というものは、それはそれで、やはり複雑なところにあるものなのだ。

 そんな、男子にはわからない乙女心のやり場はさておいて。

 今日の目的地である母胎樹は、既に目の前にある。

 連れてこられた母胎樹の下、改めてそれを見上げたひかりは、そして改めて呆然とした。

 遠くで見た母胎樹も、確かに大きいと思った。けれど間近で見た母胎樹の大きさは、想像よりもはるかに大きかった。

 首を縦横どう振っても、視界の中に全体像を捉えきれない。

 透明な片理状の結晶が幾幾重にも重なり、虹色に煌く。それがひたすら延々と、広く高く、そびえる壁のようにひかりの視界を埋め尽くす。

 樹皮だけではない。地面も、其処に生える草や木も、こまかな宝石をちりばめたような煌めく光に満ちている。

 個々ではそれほど強くはない光でも、それがまとめて視界に入ってくれば話は別だ。さながら光の洪水のようなそれに、目がくらくらしそうである。

「……もうこれ……樹っていうか……山、よね……」

 まぶしさに目をきゅっと細めながら、ぼそりと呟く。長々と吐かれる溜息と共に洩れたそれを、背後のふたりも聞いていた。

「地形そのものではないけど、山って形容は確かに合ってるかも。」

「まぁ、オレたちから見ても相ッ当デカいもんな。」

 ひかりの言葉に苦笑しつつも、何処か誇らしげに笑っている。

 更にフィニットが説明してくれたところによれば、母胎樹というのはどうやら、誇張なく本当に「山」と言っていい規模があるらしい。

 わかる範囲でたとえるなら、と例に出されたのが、およそ日本人なら誰でも知っているだろう、あの「富士山」だった。しかも、あくまで「樹幹の大きさ」が、という話である。

 そして、樹というならば、それを覆うように密密と生い茂る「枝葉」があるわけで──

 想像を超えるその威容に、ひかりは思わず気が遠くなる心地がした。

 このリテラで遭遇する事柄は、つくづくスケールが大きなものが揃っている、と思う。

「お、向こうも到着したらしいな。」

 ふいとノーティが声を上げた。その視線の向く先には、確かに蝦名とシンの姿が見える。

 ひかりはもう一度、母胎樹を仰ぎ見た。

 光の洪水のようにきらきらと輝く木漏れ日とその稜線は、青い空との境界すら曖昧にして、その空気まで輝かせているようにも思われた。 



「ちょっとぉ……なにこれすごいかわいい……」

 とろけそうな声にとろけそうな顔で、ひかりがへにゃんと呟いた。

 そのひかりの周りには、きらきらとした笑顔を浮かべた小さな子供たちが、群がるように集まっている。

「ちきゅじん!」

「いらしゃぃませ!」

 覚束ないしゃべりでひかりを歓待するのは、ナマートリュの言葉で「稚葉の頃オーリエンス」と呼ばれる年頃の、幼い「子供」たち。生まれて初めて見る地球人に、興味津々な様子だ。

 いわゆる「海外からの訪問者を、訪問者のお国言葉でたどたどしく出迎える子供たちのアレ」みたいな状況だが、変に緊張したり四角張ったりした様子は、ほとんどない。

 それどころか、握手に伸ばされたひかりの手をきゅうきゅうと握ったり、ぷにぷにとつまんだり、意外に自由気ままでアクティブだ。子供の好奇心というのは、どんな生物でも割と変わらないのだろう。

「あまり御迷惑になるようなことをしてはいけませんよ。」

 その端から、柔らかな声がかかる。子供たちを世話する「幼育士」の声だった。もっとも、それで子供の行動が止むはずもない。

 声をかけた幼育士は、明るい黄緑の髪を緩いおさげに結った、何処か女性的な姿をしていた。勿論、これまでの例に洩れず、美麗な容姿をしているが、こちらは今まで目にした「イケメン」たちと違い、もっと穏やかで、何処かたおやかな雰囲気だった。

 いかにもこういう職務に向いていそうと思わせる線の細さは、どちらかといえば「優しいお姉さん」という印象かもしれない。

 子供たちは、ぱっと見で一四、五人はいるだろうか。最初こそ蝦名の方にも同じように群がっていたのだが、不機嫌と困惑の入り混じる蝦名の様子を怖がってか、ひととおりの挨拶を済ませると、自然とひかりの方に集まる形になっていた。

 勿論、ひかりとしては何の問題もない。身も心も洗われるような、純真できらやかな笑顔の子供たちに囲まれて、ぽわぽわと頬を紅潮させながら、すっかり上機嫌である。

「ナマートリュってこんな子供の頃からきれいな顔っていうか美形っていうか……つまりこの子たちも未来のイケメン予備軍ってことよね……!」

「ひかりの話っていつもそれが規準だね。」

「当たり前でしょ! っていうか、こんなきれいでかわいい子たち見たら、私じゃなくても思うわよ!」

 横で苦笑するフィニットに、ひかりは力強く言い返した。

 勿論、この子供たちが「大人」になるのは、少なくとも数千年は先であり、地球人であるひかりが、成長した彼等を見ることはありえない。

 しかし、想像の中なら話は別だ。未来のを脳裏に描くことくらい、ひかりにとっては全く朝飯前である。

「……え、オフクロって今コッチいねぇの?」

 子供たちに囲まれて上機嫌のひかりから少し離れた場所で、ノーティが幼育士と何やら話していた。どうやら、「上手くすりゃ会えるかも」と言っていたノーティの「母親」は、今此処にはいないらしい。

「まぁ、エデューカは広いからね。」

 フィニットが、ノーティをフォローするように、そっとひかりに教えてくれる。

 実は、幼育院エデューカというのは、この母胎樹の「梢の下」の全ての領域を指すらしい。「施設」であると同時に「場所」そのものであり、子供たちがのびのびと過ごすという意味ではこれ以上なく理想的な、まぁつまり、とにかくとても広い範囲である、ということだった。

 この広大な領域で、幼育士は担当する子供たちを連れて、それぞれ別個に行動しているため、タイミング次第ではこういうことも起こってしまうのだろう。

「都合が合わないなら仕方ないよね。でも、会ってみたかったなぁノーティのお母さん。」

「ま、ガキどもの世話は手ェ掛かるからよ、こればっかりは仕方ねぇ。」

 残念がるひかりに、ノーティも周りの子供たちを眺めながら、肩を竦めた。一見、物わかりのいい顔をしてはいるが、実は一番残念そうにしているのもノーティ自身であるということを、はたして本人は、自覚しているのかいないのか。

 父親にはあんなに反発しているけれど、母親には結構甘えているのかもしれない。

 そんなことを思って、ひかりは、こっそりふふっと笑ってしまう。

「ちきゅじん、いま、ふわふわした!」

 子供のひとりが、触れていたひかりの手をくいくいと引っ張りながら言った。

 ふわふわ? と、ひかりが疑問に首を傾げたところで、他の子供たちもつられたように興味津々な様子で手に触れてくる。

「ふわふわ!」

「すごい、ふわふわー!」

 触れてみて、喜色満面の顔で感動したような声を出す子供たちに、ひかりはびっくりして、思わずフィニットを振り見た。

「多分、ひかりの感情の動きを、感触として捉えたんだよ。」

 子供たちとの様子を、これも微笑ましげに見ていたフィニットの説明するところによれば、子供たちの言う「ふわふわ」は、ひかりが笑った瞬間の感情の動きを表現したもの、ということらしい。

「それってつまり、テレパシーみたいなもの? 地球人のもわかっちゃうの?」

「僕たちは訓練で読まないようにできるけれど、それでも表層の機嫌くらいはわかっちゃうね。ましてや、この子たちは地球人との接し方なんて知らないから、そのまま読んじゃったんだと思う。」

 フィニットの言葉に、そういうことか、とひかりは納得した。

 活動員は地球で行動することを前提にしているので、不必要に地球人の思考を読まないよう訓練する。

 けれど、そもそも思念で会話する種族である以上、感情や思考を読み取るのは、彼等にとってごくあたりまえの行動なのだ。

 ただ、実際に読み取られてみれば、完全友好派のひかりでさえびっくりしたのは間違いないわけで、彼等に悪気など全くはないとはいえど、人によっては気分を悪くしそう、とも思う。

 たとえば、ほら。其処にいる蝦名さんみたいなタイプだったら特に、ねぇ?

 ひかりたちから少し離れた場所にいる蝦名に、ちらっと目を向ける。あちらはシンと何か話していて、今の会話は聞こえていないだろうけど。

「あのちきゅじんは、へんなとげとげ。」

 ひかりの視線が向いた先を見た子供のひとりが、蝦名に対する素直な「印象」を述べた。

 あ、そうか、さっき子供たちが蝦名さんから離れたのって、蝦名さんの機嫌をからなんだ。

「そうだよねー、トゲトゲだよねー。」

 やっぱりそういう感じがするんだ、と、予想を裏切らない子供の感想に、ひかりもうんうん頷く。言いながら、指でつんつんと子供の手のひらを突っつくと、子供はきゃっきゃと笑い声をたてた。

 穏やかな空気の中、子供たちの笑う顔。此処には、リテラでも特に平和な光景があるのだろう。

 癒されるってこういう気持ちを言うんだろうなぁ。見ているひかりも、ほっこりした気持ちで顔をほころばせる。

 そんな、うららかな和みの風景。

 それが、突然、途切れた。

 一天にわかに掻き曇り──そのときの様子を指す言葉に、それはまさにふさわしい。

 同時に、空気が引き裂かれるような異様な不協和音が辺りに轟く。

 何か大きなものが、力任せにねじれ、引きちぎられるようながする。

 空の真ん中が、ばっくりと裂けた。裂け目は、赤く黒く深くよどみ、その向こうにはようとした暗澹の空間が蠢いている。 

 それを背にする中空に、白と、黒が。

 脂下やにさがる笑いを浮かべる白い男と、微動だにしない詰屈きっくつな表情の黒い男が、立っていた。

「こんなところまで出張ってきたの……?!」

 愕然びっくり厭悪うんざりの入り交じる顔で見上げて呟く。

 黒い方の男には見覚えがあるが、白い男の方は知らない。だが、横にいるフィニットとノーティの顔に浮かぶ、ありありとした敵意の色を見れば、「あいつらが悪いやつら」であることは、わかりすぎるほどよくわかった。

 は、自分たちを標的にしている。ナマートリュに嫌がらせする、そのためだけに。

 それを腹立たしく思うと同時に、その執拗さに改めて、ぞっとした気持ちにもなる。

「なにあれ!」

「やだやだー! きもちわるいー!」

 ひかりを取り巻く子供たちが、口々に嫌がる声を上げて騒ぎ出した。上にあるものがだと敏感に感じ取って、軽い恐慌状態に陥っているのだろう。

「やっぱりってのはうるさいイキモノだね。まとめて潰しちゃっていいかな。」

「主の命令を遂行するついでで行う分には、問題ないでしょう。」

「そうそう、あくまでもだよ。何せボクだって命は惜しいしね。」

 白い男と黒い男が、世間話でもするような口調で交わす会話に、ノーティとフィニットが、怒りの表情を露わにした。

「あのクソヤロウ……!」

「此処で好き勝手になんかさせないよ……!」

 過日の、力及ばぬ末の悔恨を思い出してだろうか、ノーティとフィニットが、吐き出すように叫ぶ声には、強い憤りもこもっていた。

「やぁ久し振りだね期待の新人クンたち……とはいえ、まだあれから大して経ってないか。」

 白い男が、にこやかな顔でふたりを見下ろす。顔だけならば全くの好男子の風情だが、其処にある態度と言葉は、明白な嘲弄と侮蔑でしかなかった。

「ま、そう逸らないでくれよ。何せ今日は、こないだみたいな中途半端じゃなく、君たちにも目一杯暴れる口実を作ってあげようっていうんだ。いっそ感謝してくれたっていいくらいだよ?」

 何処までも軽薄に賤陋せんろうにふたりを煽る白い男が、言いざま、片手を高く振り上げ、指を慣らす。

 パキン、と硬質な樹脂でも割ったような、甲高い音が響いた。同時に、何かが激しく揺れる気配がした。

 途端、白い男と黒い男の上に開いた赤く黒い裂け目から、うねるような、のたうつような、ねじくれるようながあふれ出る。

 勢いよく横溢し、四方八方に無数に飛び散った幾つかが、ノーティとフィニットのすぐ近くに落ちた。

 赤黒い粘体の塊のような何か──としか形容詞しがたいそれは、やがて、激しく痙攣ひきつれるような動きで波打ちながら、その場にうずたかく

 ふたりの背丈の倍ほどの高さに、二腕二脚を備えた、人型に近い形状。ただし、頭部に該当しそうな部位はなかった。

 その表面は、おぞましく焼け爛れて膿む皮膚のような、ぶよぶよとした質感の赤黒い表皮に覆われ、最初に見たときと同じように、ひっきりなしに波打っている。

 そんなものが、目に見える範囲だけでも数十はいる。

「何これ、辺りにうじゃうじゃいるよ……!」

「単なる木偶の坊だとしても、数多すぎンだろ……!」

 辺りを見回しながら、ふたりが呟いた。

 此処だけではない。向こうにいるひかりと子供たちも、逃げようとした先を塞がれて立ち往生している。

 確かに、薙ぎ払うだけなら何とかできなくもないだろう。だが、今自分たちがいる此処がどんな場所なのか、ルーキーとはいえふたりが知らぬはずもない。

「今回はボクたちも派手にやっていいって言われてるからね。遊ぶものもたっぷり用意しておいたよ。」

 白い男が、さも楽しそうに、明朗快活に、高らかに、嗤って告げた。

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