第15話

  此処数日、強い疲労と倦怠感が体に出ている。

 襲撃のあれこれから、予定がいろいろと変更になった。おかげで休養は多めに取れはしたが、それでも日に日にひどくなっている。

 睡眠時間も十分なはずだが、一向に改善できていない。

 現に、今もひどい眠気に見舞われている。何とか気力で起きているような状態だが、こんな状態が続けば、残りの任務にも早晩少なからぬ支障をきたす可能性がある。これはきわめて由々しき問題だ。

 幸いなことに、食欲はかろうじて落ちていない。というか、むしろ摂取量自体は増えている。此処最近の運動量を考えれば、いささかカロリー過多の傾向があるが、あるいはこれは、身体の変調をリカバリするために、常より多くカロリーを必要としているということなのだろうか。

 如何に地球に近似した環境とはいえ、此処はあくまでも異星だ。たとえ些細であろうと、何らかの影響を受けている可能性も考慮し、今一度、健康管理について徹底的に見直した方がいいだろう。

 それにしても、滞在中の予定の変更によって最も困るのは、その「予定」を当日まで知らされないという点だ。無論、どのような日程になろうとこちらは臨機応変に対応できるよう準備はしてある。

 だが、私はともかく、もうひとりは未成年であり、しかも女性だ。身体的に健康とはいえ、体調不良などが起こり得る可能性は私以上にある。

 彼等のこの対応が、安全面からの配慮であることは十分に理解している。しかし、彼等の基準だけで事態が進められていくことについては大いに不満だ。そもそも、滞在中の不都合に関しては遠慮なく言ってくれと相手が言うのだから、これについては申し入れても構わないだろう。

 更に言えば、それ以上の不満もある。私たちをする「彼」についてだ。

 今回の訪星において、もうひとりの同行者にとっての任務は、彼女が総監から直接依頼された個人的な伝言を届けるというものである。任務というには大げさかもしれないが、重要な事柄として依頼されたものであることに変わりはない。

 それを、彼は受け取らなかった。彼女に後日尋ねたところ、やはり今も受け取るつもりはないらしい。

 伝言を届けるだけなら、相手に言えばそれで終わりにできるだろう。だが、伝える内容が「感謝の言葉」であり、「受け取って欲しい」という要望の上にあるものだとすれば、話は違ってくる。

 相互の交流という前提がある以上、波風を立てるような行為は、双方にとってマイナス要素になる。その拒否に何らかの事情があるにせよ、表面上は受け取る格好でも見せれば、それで済んだはずだ。

 だが、彼はそうしなかった。

 それどころか、拒否した相手に対して全く悪びれる様子すらなく、平然と顔を合わせている。何を考えているかわからない、あのへらへらした笑い顔で。

 確かに地球は、彼と彼等によって永らく守られてきたのだろう。「災厄の日」の彼等の挺身を見てもそれは明白だ。

 だがそれでも、やはり地球は地球人の手によって守るべきだ。総監は、自らが守られたことでそれを痛感したからこそ、それに足る組織を創設すべく、長年奔走されてきたのだ。

 ならば、地球人にとって真に英雄と呼ぶべきは、異星の超人である彼等より、地球人として行動を起こした総監こそふさわしいはずだ。少なくとも、私はそう思っている。

――そうとも、地球を救った英雄などと持て囃されてはいるが、命とそうでないものを天秤にかけるような奴が英雄と呼ばれるなど、笑わせてくれるではないか。

 あぁ、思い出すだに気に障る。そうだ、あのときも奴は笑った。覚えている。何より気に障るのは、そういうところだ。

 そもそも、何の差があるというのか。俺は同胞の生存のために、新たな生息域を拡げようとしただけだ。其処にはびこる有害生命体ゴミを一掃し、同胞のための最適な環境を確保しようとしただけだ。そういう意味では、奴は命すら天秤にかけている。

 命を選別し、その選別した命すら自らの手で断つ。信念だの信条だのお奇麗な言葉を並べ立てたところで、結局のところ奴の行動理由など、所詮は御為倒おためごかしの単なる我意エゴでしかない。

 ならばそれを白日に晒してやろう。奴が五〇年前に何をしでかしたのか、そしてその結果がどうなったのか、この俺がしてやろうではないか。



  話の続きは明日にでも、とダンウィッチは言っていた。だから勿論、ひかりは行くつもりでいた。

 けれどまさか、その「明日」になってから、見学の予定が入るなんて思わなかった。

「どうしました? 何処か具合でも?」

 毎朝の健康診断の時間、シンからそれを知らされたひかりは、盛大に不満な色を顔にのせていた。

 そういう段取りに変更になったのはわかっているけれど、少なくとも、今日の予定が今朝突然決まったなんてことは、ありえないはず。

 だとしたら、ダンウィッチが「明日にでも」と言ったのは、嘘だったのだろうか。でも、あのときの話しぶりからすると、どうにもそういう感じではなかったように思う。

 一緒に「処罰おしおき」を受けることになっているノーティも、あの時点では特に何も言っていなかった。だから、ダンウィッチがそれについて知らなかったということは、十分にありえるだろう。

「……えーと、当日に言われるのって、わかってても意外とびっくりするなぁ……みたいな?」

 納得がいかない気分で、幾分ぶむっと口を尖らせながら、ひかりは答えた。どちらにせよ、今日はまだ、の答えを聞けないということにかわりはない。

 そもそも、ひかりが話を聞きにいった理由であるところの張本人は、今この目の前にいる。どうせ答えてくれないだろうことは、これまでの言動で十分にわかっていたからこそ、昨日わざわざあんなところまで訊きに行ったりしたわけで。

 しかし、これには同時に、若干のうしろめたさもある。ましてや本人を目の前に、「今日はあなたについての話を聞きに行く予定でした」とは、やはり言いづらい。

「……今日の予定って、今朝突然決まったわけじゃない……ですよね?」

「そうですね。見学とはいえ、ある程度準備は必要ですし。」

 遠回しに、確かめるようにひかりが尋ねれば、シンは、やはりで答える。

 あぁ、この人、やっぱりわかってやってるんだ……! それで、ひかりは確信した。

 レジェンドたちが緊急でリテラに呼び戻されている、という話は、あの後フィニットから聞いた。だとしたら、シンやゾハールといったが、ダンウィッチの言動を把握してないなんてことは、まずありえないだろう。

 それなのに、この状況。

 これは、連絡のすりあわせができていない、なんて話ではない。話の食い違いが起こることを見越して、あえてダンウィッチに伝えなかった、ということだ。

「……んもー! シンさんってほんっとよね……!」

 シンが部屋を出て行った後、ひかりは内心に溜まった文句を吐き出すように叫んだ。

 祖父が言っていた「意固地」の意味が、今になってようやくわかった。あの笑顔が、実はとんでもなく手ごわいでもあることを、ひかりは今、つくづく痛感している。

 だからといって、諦める気もさらさらない。むしろこうなったら、とことんまでやってやる。

 自分の中で固く誓った決意も新たに、今日という日が始まった。


「イケメン揃いの裏側にこんなトラップがあるなんて、全く思いもしなかったわ……」

 ひかりの愚痴は続行中。ただし今は、幸いなことに聞き手がいた。

「何だか、思ってたよりも複雑な事情がありそうだよね……」

「複雑っつーか、めんどくせぇ気配しかしねぇだろ! てかクソオヤジも一枚噛んでんのか……?」

「そっちはむしろ巻き込まれた方っぽいって思ってるけど……ま、それも含めて改めて話は聞きに行くし、今日は見学に頭切り替えておくわよ。」

 理不尽は残るが、今はこれ以上どうこう言っても仕方ない。割り切りも今は必要だと、ひかりは考える。

「まぁオレとしても、クソオヤジと並んでちまちま壁直してるより、任務こっちの方が断然いいけどな!」

「うん、そうだね。ノーティからしたらそうなるよね。かといって、罰がなくなったわけじゃないことは忘れないようにね。」

 相変わらず父親に対する反発心丸出しのノーティに、はいはいと肩をすくめながら釘を刺すフィニット。いつもどおりのふたりを眺めて、ひかりの気分もひとまず軽くなる。

 何にせよ、見学するのはひかりにとって楽しいことだ。アクシデントはノーサンキューだが、リテラが今もって興味の尽きない星であることは、全く疑う余地はない。

「今日の行き先って……えっと、『ぼたいじゅ』だっけ? よくわかんないけど、何かすごく大事な場所なんでしょ?」

 部屋を出る前に慌てて読んだ「旅のしおり」の中身を思い出し、ふたりに尋ねる。

 今日の見学場所が、リテラで最も重要な場所だということだけは覚えていた。

 一応、予定が変更される前から見学が組み込まれていた場所ではあるのだが、「旅のしおり」にも此処についての詳しい情報は殆ど記載されていなかったので、名前とそれくらいしか覚えていない、というのが正しいところである。

「うん。其処はね、ナマートリュが存続するための、一番大事な場所なんだ。」

 それについて尋ねれば、フィニットが、まるでおごそかなものを語るように答えた。

 そういえば、此処に来るまで、というか今もだが、幾つかの転送装置を介して移動してきている。それはつまり、それだけ厳重な監視と警備がされている、ということだろう。

 ナマートリュという、超常の能力を自在に使うような種であってすら、それほどまでに大事に守っている場所。だが、「存続するため」という言葉がよくわからない。

「そいつはやっぱ、何だかんだ説明するより、実際に見る方が早ェんじゃね?」

 うーん? と腑に落ちない顔をしていたひかりに、ノーティがあっけらかんと笑った。ノーティ自身も、説明や理屈よりも行動で理解するところがあるからこその言葉だろう。

「……ってなワケで、目的地に到着だ!」 

 最後の転送装置をくぐった先で、ノーティが誇らしげに顔を上げて言った。つられるように、ひかりの顔も上へ向く。

 たちまち目をみはる。瞬きを忘れる。

 周囲が見えなくなる。自分の存在が此処にあることすら失念する。

「あれが、『母胎樹』。」

 聞こえた声は、ノーティのものか、フィニットのものか。どちらにせよ、それすら思考の外側だ。

 見えたのは、巨大な、いや、巨大という言葉すら適切ではないと思えるほどの威容を誇る、「大樹」だった。

 今立っているのは、その根元どころか下枝の端にすら到達していないほど離れた場所である。それほどの距離をおかねば全容を見ることが叶わないほどの大きさで、しかもそれが「樹という形を持つ存在」だという事実が、ひかりの視界と思考を圧倒する。

「……えっ、すご……」

 息を呑むように呟いた。

 あれが母胎樹。ついさっき聞いたばかりにも関わらず、見えているものに思考が追いついていない。

 樹幹と言わず枝葉と言わず、その全体が、大樹の内から皓々こうこうと輝いている。それは、先日ミディアルベで見た、あの宝石のような虹色を帯びた白い輝きにも似ていた。

 けれど、この大樹のそれは、ミディアルベで見たもの以上だった。美しい宝石が、光を放っているような、そんな神々しさすらあった。

 空までが、その輝きに明るく白んでいて、辺りの全てが輝いているような錯覚すら起こる。

 言葉のないまま呆然としているひかりの横で、フィニットとノーティが得意げな笑顔を交わしていた。

「……ねぇ、って本当に樹?」

 ようやくして我に返ったひかりが、ふたりを振り向いて尋ねる。

「うーん、オレたちからすれば樹以外の何物でもないんだけどな?」

「でもまぁ、地球人の知ってる樹とはやっぱり違うんだと思うよ。……あのねひかり、母胎樹っていうのは、を生む樹なんだ。」

 さらっと答えられ、さらっと耳を通り過ぎようとした言葉を、ひかりは慌てて引き戻した。

「ナマートリュを、生むって……えっ……え? 待って? あなたたちって樹から生まれるの?! あれ? でもほら、ノーティはダンウィッチさんの子供なんでしょ? え、何? まさか、あの樹がノーティのお母さん?!」

 次々出てくるひかりの疑問を、最初こそ普通に聞いていたフィニットとノーティだったが、疑問が具体的になるにつれて、こみ上げる笑いを我慢できなくなったらしい。終いには、ふたり揃って噴き出すように笑い出している。

「ちょっと、何よふたりとも! 私何かおかしなこと言った?!」

「あっごめん! ……えと、うん、僕の言い方が悪かった。」

 何とか笑うのを押し留めたフィニットが、慌てて謝る。ノーティはまだ笑いを止められないらしく、後ろを向いて肩を揺らしていた。

「あのね、母胎樹は、定まらない形で生まれる僕たちを、になるまで育ててくれるんだ。」

「定まらない……ひとのかたち?」

「うん。僕たちはまず、不定形のエネルギー体みたいな形で生まれてくるんだ。それを、に固定するのが、揺籃ようらん……地球で言うところの保育器みたいなものなんだけど、母胎樹の枝に、実のようについてて、その中である程度まで育てられて、それからやっとこういう形でんだ。」

 フィニットが、何処か感慨深げに、自分の身体をぽんぽんと叩く。

 こういう「かたち」。

 フィニットの話を聞きながら、ひかりはぱちくりと、何度もまたたきをした。

 確かに、ナマートリュと地球人は、似てはいても違う生命基盤を持っている。である以上、必ずしも地球人と同じ生態を持っているわけではないだろうことも、理解できる。

 が、しかし。まさか樹から生まれてくるものとは、さすがに想像できなかった。

 ただ、地球人の感覚からすれば、それを「生まれる」と表現するのは、ちょっと語弊があるというか、何となくしっくりこないというか、な気持ちではあるのだが。

 けれど、ナマートリュにとっては、それが「生まれる」ということなのだ。

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