第13話
あれ?
柔らかなショートの黒髪を、ふわふわと揺らす青年──というにはまだ何処かわずかに少年めいた幼さを残している──が、通路を歩きながら首を傾げた。
左目を覆い隠すように垂らされたアシンメトリーな前髪には、銀色の流れが
緊急ということで呼び戻され、急いで
戦闘の気配にも近いそれに、すわ敵か、と緊張を奔らせる。万が一こんなところに入り込まれていたとしたら、最早一大事どころではない。
が、その気配を探るに、どうやらそういうものとは違うようだった。
其処にあるのは、知っている気配が三つに、知らない気配がひとつ。知っているのはどれも自分の身近な存在だったし、知らない気配についても、特に怪しい動きがあるわけでもない。
ひとまず危険なものではない、と判断する。
それにしても、この、やたらと攻撃的な闘気のぶつかり合いはいったい何だろう? しかもそれは、知っている気配同士である。
と、其処まで見たところで、少年めいた青年は、あぁ、と納得したような表情を浮かべた。
それからくすっと笑って、軽い一歩を踏み出す。
踏み出すその一歩が次に着地した先は、ぶつかり合いの見えた場所のすぐ傍ら。
其処には、やはり予想どおりの光景が繰り広げられていた。
真っ先に目に付く、長い銀髪の偉丈夫と、同じく銀髪の、偉丈夫に似た面差しの少年。派手な立ち回りからの殴り合いと光波の応酬によって、既に周囲の壁のあちこちに、疵やら穴やら亀裂やら、結構な損壊が見て取れる。
喧嘩である。あからさまな喧嘩の様相である。
ただ、其処に見える流れは、割と一方的だった。
ひっきりなしに攻め手を重ねているのに、そのほぼ全てが功を為さないという状況。しかも、それに対する焦りと苛立ちが、少年自らの立ち回りを荒く雑にしているのも、いつものことだった。
視野狭窄は、あの子の悪い癖だよね。
以前から目につく短所ではあったが、今もまだ抜けきっていないのだろう。青年は、やれやれ、という表情を浮かべつつ、しばしの間、それを眺めていた。
歴然とした力量差。二者の間にあるそれは、傍目にも明らかだった。
けれど、ふと気付く。
いつもなら、その繰り返しの末に、少年がへこたれて本人的に不本意な負けを喫する、という形で勝敗がつくのだが、今日に限って言えば、少しばかり違っているようだった。
のされても立ち上がり、前を見るその顔に、自分の意地だけではない何かが垣間見える。
その「何か」が、今にも雑な攻め手になってしまいそうなところを紙一重で押し
珍しいこともあるものだ。その些細な違いに興味を惹かれた青年は、道行きの足を、今しばし休めることにした。
「やぁフィニット。あのふたり、今日も派手にやってるみたいだね。」
目の前にある、ふたつの観客の背。その片方に、青年は声をかける。
えっ。ふたつの背が、唐突にかけられた声に同音の驚きを同時に発し、同時に振り返った。振り向くふたつの顔の驚きように、青年は、小さないたずらが成功したような心地で笑いかける。
「……教官!」
青年に名前を呼ばれた方が、あわてて姿勢を正した。
教官。そう、青年をそう呼んだ線の細い面差しを持つこの相手は、自分の「教え子」なのだ。
「いつこちらへ?!」
「あっちと同じだよ。僕も呼ばれたんだ。」
青年の指さす先は、今も盛大な喧嘩の真っ最中な親子の、親の方。それですぐ理解したのだろう、少年も納得して頷いた。
その少年の隣で、呆然とした表情を浮かべている顔は、青年にとっては全く知らない顔である。だが、青年はこの時点で、概ねの状況を把握していた。
「そちらが、地球からのお客様?」
「はい、そうです、彼女が地球からの
改めてその顔を見る。教え子と同じくらいの年格好の、地球人の少女。
青年は、それで腑に落ちた。
あの血気っ逸い少年が、それこそいつもと違う意地を見せているのは、この少女がいるからなのだろう。
もっとも、どういう理由があってのことなのか、まではわからないが。
青年は少女に向けて、
あぁそうか、この子が、あのハヤミタの――
青年の脳裏にその「名」が浮かび上がると同時に、自分の教え子である少年の身体ががくがくと揺れ始めた。
何かと思えば、地球人の少女が、少年を揺さぶっている。顔が紅潮しているところを見ると、何らかの興奮状態にあるらしい。
「ちょっとぉ、あなたの関係者もレジェンドなの?!」
聞こえた会話の
そういうことかぁ。青年は苦笑する。
少女のこの興奮状態は、「地球人にとって最も知名度の高いナマートリュのひとり」であるところの自分に遭遇したため、なのだ。
とすると、あまり刺激するのはよくないかな。
こういう状況に割と慣れている青年は、肩をすくめて軽く笑う。
そして、おろおろとうろたえながら少女の興奮をなだめている教え子に、「じゃ、しっかりエスコートしてあげてね」と、声をかけると、そのまま、立ち去るためにこやかに再び一歩を踏み出した。
途端、青年の姿が、風が鳴るより先に、場から消える。
青年が再々姿を現したのは、本来の行き先であるメティガウス、その堂内。
其処には既に、人影があった。
「一番乗りは太郎だったか。」
黒銀の髪、黒金の瞳。さらりと流れた声の主は、ゾハールのもの。
「外、あのままでいいんですか?」
太郎と呼ばれた青年が、ちらりと自身が来た方角に視線を遣る。問うたのは、今見たばかりのあの派手な「親子喧嘩」についてだ。
「お前が止めるかと思っていたが、予想が外れてな。」
言葉こそ残念がるようなものだったが、表情と態度は全く逆のそれである。
あなたも相変わらずですね。きゅんと眉を下げ、ゾハールに困った顔を向けながら苦笑する。太郎は其処で、ゾハールの姿の向こうに、もうひとたりの影があることに気付いた。
「……お久しぶりです、シン!」
弾む声と共に、太郎が駆け寄る。そのまま、ぼふっと飛び込むほどの勢いで、そのひとにしがみつく。
「再会を喜んでくれるのは嬉しいが、少し落ち着きなさい。」
しがみつく太郎の腕から器用に身体を剥がしつつ、ぽんぽんとその背を叩きながら、シンが言った。
「だって、ちっとも会えなかったんですよ!」
やんわりと引き剥がされるのを、ほんの少しだけ恨みがましい顔で抗議して、太郎はぷっと頬をふくらませる。まるで拗ねる子供のような態度に、今度は、ゾハールとシンが揃って苦笑した。
実際、太郎はレジェンドの中での最年少だ。身内の中でなら、まだまだ子供っぽさを残す側面がある。
「……それで、あちらはどうするんです? 周辺の損壊も洒落にならないようですが。残るふたりもまもなく来るでしょうし、そろそろ何とかして下さい。」
そんな和みの空気を切り替えるように、シンが言った。
確かに、さっき太郎が見た時点ですら、通路のあちこちにずいぶん被害が出ていた。となれば、今はもっとひどくなっているに違いない。
「お前が出れば早いだろう?」
「こういうときは、上のあなたが出るものでしょう。」
ふむん、と考えるような素振りをしたゾハールが面白そうな顔で言うのを、シンは表情厳しく眉根を寄せ、は? と 呆れと険しさをのせた顔で返す。
「お前が言う方が効きそうだがな。特に親の方は。」
「わたしが言ったって聞きやしませんよ。……大体、こういうことは個別では意味がないでしょう。あくまでも、下への示しの問題です。」
何処までも飄然と言うゾハールに、シンは、斬って捨てるような語調で言った。いまだ騒動続く通路の方へ、すっと手を差し伸ばす。
さっさと行って片付けてきてください。無言の、催促のジェスチャーだ。
「下、か。確かに示しは必要だ。正論には従っておくとしよう。」
ゾハールが、言いながら残念そうな顔をした。心の底から残念そうな顔だった。
まったく、何処まで面白がりたがりなんですか、あなたは。
溜息のように呟いたシンの言葉は、太郎の聴覚にもしっかり聞こえていた。
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