03:フレンチ・ディナー

 高畑さんと飲みに行った翌日、陽奈にメールできた自分の行動力にはびっくりしたが、さらに驚いたのが、すんなりと彼女が誘いを受けてくれたことだ。日にちが決まってしまってから、僕は大いに焦りだした。一体どういう店を予約すればいいのだろう。

 情けないことに、僕は飲食店といえば、居酒屋とバーとラーメン屋しか知らなかった。通常、女の子が喜びそうな洒落た場所が、一向に思いつかない。

 結局、ホテルの最上階にある、そう高くないフレンチにした。社会人になったというのに、この辺の知識や想像力は高校生のときと変わっていない。

 金曜の夜、僕は仕事を適当に切り上げて、駅の改札へと向かう。


「お疲れ様! 久しぶり……じゃない、ね」

「おう、そうだな」

「スーツ姿の志貴くん、初めて見たよ。なんだか新鮮だね」


 そう言う陽奈は、ベージュのロングコートに、チェック柄のワンピースという格好だ。道行く男性たちが、ちらちらと彼女を見ているような感覚に陥る。それは錯覚なのかもしれないが、確かにそのくらい、彼女は可愛かった。よく、こんな女の子と付き合えたものだ。


「なんか、食べるとこ思いつかなくてさ。あそこのホテルの上のとこ、とりあえず予約しといた」

「えっ、本当に? 金曜なのによく予約取れたね! っていうか、デニムとか履いてこなくてよかったぁ」


 その言葉を聞いて、早速僕は失敗したことを痛感する。ネットで見た限り、そこまで形式ばった所ではないはずなのだが、女の子の方が服装を気にするのなら、事前に店を言ってあげるべきだったのだ。

 恥を忍んで、同期にでも相談しておくんだったか、と考えるが、どうせ見返りや事後報告を求められただろうと思い直す。今夜陽奈と二人で会うことは、誰にも告げていなかった。


「陽奈、お酒大丈夫なのか?」

「シャンパンくらいは飲めるよ。志貴くんったら、また子ども扱いする」


 わざとらしく唇を突き出す、懐かしいその仕草で、陽奈が実際にはむくれていないことがわかる。僕は学校帰りのコーヒー・チェーンの風景を頭に巡らせる。そこでは、スピーカーから流れる無難なジャズが漂っていたが、やってきたレストランには、ピアノの生演奏が響き渡っている。

 ……ちょっと、無理をしすぎたような気がする。

 僕は気を取り直して、少しでも陽奈をリードするため、メニューを見せる。


「メインはここから選べるけど、どれがいい?」

「えっと、どうしよう……志貴くんは?」

「魚かな」

「じゃあ、同じのにする」


 グラスを交わし、運ばれてくる料理にいちいち感嘆しながら、僕たちは高校を卒業してからの話を始める。

 陽奈は栄北大学で、聖歌隊に入っていたらしい。そういえば、あの大学はキリスト教系だった。高校の合唱部ほど練習があるわけでもなく、いくつかのアルバイトも経験した。ファミレス、本屋、百貨店の洋菓子店、コンビニ……。どこへ行っても彼女はモテたのだろうと思いつつ、その点には触れない。

 ちなみに僕は、サークルには入らず、四年間ずっと同じ居酒屋でアルバイトをしていた。それを言うと、志貴くんって頑張り屋だったんだね、という評価を頂く。個人経営の小さな店だったから、ある程度自由が効いて気楽だっただけなのだが、せっかく褒められたので言わないことにする。

 そして、大学を卒業してからのこと。陽奈はデザイン系の企業の契約社員になり、そこの社員と婚約し、破談となる。

 僕が想像していた通り、陽奈は寿退社するつもりでいて、破談になった翌日に退職したそうだ。それからしばらくは、実家で静養。現在、就職活動をしているものの、中々上手くいかないらしい。


「親には、まずはアルバイトからでいいんじゃないか、って言われてる。無理して仕事しなくても、実家に居ればなんとかなるから、ってね」

「僕もそう思うよ。もっとゆっくりしてもいいんじゃないかな?」

「だけど、わたしだってもう二十五歳だし。いつまでも、こうしているわけにはいかないよ」

「……何だか僕たち、すっかり大人になったんだな」

「うん、そうだね」


 陽奈が、心の底から満足そうな笑顔で頷く。デザートのケーキプレートが運ばれてきて、ウェイターが僕にコーヒーを、陽奈にミルクティーを注ぐ。

 今回、陽奈に連絡したのは、ほとんど勢いだったと言ってもいい。僕は彼女と、もっと話をしたかった。高校を卒業してから、今までの話を。その願いは、食事をするこのわずかな時間で、すっかり叶ってしまった。


「ふぅ、けっこう量、多かったね」

「ああ。僕ももう、満腹だよ」


 僕は、陽奈の瞳を見つめる。陽奈も、僕を見て笑う。

 傍から見れば、こんな二人は通常一般のカップルに見えるのだろうか。


「誘ってくれてありがとう。わたしね、今日みたいに、ちゃんと志貴くんと話したかったの。どんな大学生になって、そんな社会人になったのか、ずっと知りたかったんだよ」

「僕は……陽奈のことを忘れるようにして、生きてきた。なんか、ゴメンな」

「今回のディナーで許してあげます」

「ん、ありがと」


 その後の予定は、全く何も考えていなかった。

 陽奈と落ち着いて話してから、自分が一体どうしたくなるのか、その場の感情に任せることにしていた。

 そして僕は。


「少し散歩してから、帰ろう」


 そう言って、陽奈の顔色を伺う。すると、彼女も同じ気持ちだったのか、こくりと頷いた。

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