11.プランは複数用意せよ
瞬発力強化をかけた千草が、重い扉をゆっくりと開く。
きしむような音を立てて、鉄扉が観音開きになっていく。
攻撃があるか。
そう思って構えていたが、矢や魔法が飛んでくることはなかった。
扉の向こうには、闇の中に灯火がある。
このピラミッドを構成するブロックは淡い光を放つはずだが、この謁見の間だけは例外らしい。
(特権だな)
淡い光に満たされたプレデスシェネクの中で、完全な闇は贅沢品だ。
その贅沢な闇の奥に、ぼんやりと灯火に照らされて、ファラオの玉座があった。
「やっと戻ってきおったか。待ちくたびれたぞ」
玉座でふんぞり返ったまま、ファラオが言った。
玉座の間に踏む込みながら、アリスが答える。
「その様子では、あえて戻ってくるのを待っていたようだな」
「当然だ。おまえたちに逃げ場はない。遠からず、ここに戻ってくることは確実だ」
「それまでの間に、兵に被害が出るとは思わなかったのか?」
「ふん……ちょうど、食い扶持が増えすぎていたところだ。貴様らが間引いてくれるのならそれでよい」
「下衆が」
アリスが吐き捨てるように言った。
「食料生産は比例級数的にしか増えないが、人口は幾何級数的に増える……ですか。いえ、土地が限られているのですから、もっと深刻なのでしょうね」
莉奈がひっそりとつぶやく。
「さて、降伏する準備は整ったか?」
ファラオが言う。
俺たちが降伏することを確信しきっている顔だった。
「むろん、そんなことはしない」
アリスがきっぱりと言う。
「ではどうする?」
「これが見えないのか?」
アリスが顎をしゃくる。
その先には、俺に手を取られた姫の姿がある。
「ち、父上……」
ファラオが鼻で笑った。
「人質か? 余がその程度のことで譲歩するとでも?」
「譲歩するまで、姫には痛い目を見てもらうことになる」
「好きにすればいい」
ファラオの言葉に、アリスが目を細める。
姫が言う。
「だ、だから言ったでしょう。父はわたしのために己を曲げることはないと」
「……ふむ。どうやらそのようだ」
アリスが俺を見て言った。
「放してやれ。手は縛ったままでいい」
「え? いいんですか?」
「できれば平和裏に解決したかったが、やはりやるしかないようだ」
アリスが肩をすくめる。
莉奈が言う。
「プランAは放棄ということですね」
「荒事は好かないが、しかたあるまい」
俺が姫を放す。
ファラオが言った。
「どういうつもりだ? 人質もなしに、プレデスシェネクを敵に回すとでも言うつもりか?」
「まさしくその通り」
「やれやれ。勇者はとんだ愚か者だったらしい」
ファラオが立ち上がる。
玉座に立てかけられた棍棒を右手に握る。
左手を上げる。
闇の中で、兵たちが身構える気配がした。
「――捕らえろ。とりあえずは、殺すな。腕の一本二本はしかたあるまい」
王の命令とともに、兵たちが動き出す。
……前に、アリスが動いた。
「fermerion!」
視界が、炎色に染まった。
膨大な量の紅蓮の炎が、玉座の前のファラオを呑み込む。
動き出そうとしていた兵たちの愕然とした顔が、炎に照らされ、あらわになる。
莉奈の事前情報通り、兵は300を超えているだろう。
300の兵の600の瞳が、恐怖の色をそのうちに宿し、炎に包まれた玉座を見つめている。
アリスが機先を制して放ったのは、火炎の上級攻撃魔法fermerion。
中級攻撃魔法fermesの2倍の威力を持つという。
炎に押し潰され、ファラオの姿は見えなくなった。
「……やったか?」
アリスがつぶやく。
「やってません」
莉奈が返すと同時に、玉座を包む炎が爆ぜた。
炎の中から現れたのは、無事な姿のファラオと、その背後にひっそりとたたずむローブの男。
「ちっ! さすがに不意打ちが通じるほど甘くはないか」
アリスが舌打ちする。
「上級魔法とはたいしたものだ。が、この程度でやられていては、この世界で覇者たることはできん」
ファラオが獰猛な笑みを浮かべて言う。
「さて。余興はこれでおしまいか? それとも、上級を使えることをアピールして、余に取り入るつもりだったか?」
「まさか。これからが本番だ」
アリスの言葉とともに、千草が飛び出す。
闇の中に潜む兵たちに向かって。
「ぐわっ!」
「があっ!」
連続して悲鳴が上がる。
闇の中で、千草が舞っている。
金色の鎌を振り回し、全身をほのかなオーロラ色の光に包みながら。
「何をしている! 相手は一人だ! 早く取り押さえんか!」
ファラオの一喝に、兵たちが我を取り戻す。
が、それで止められるほど千草は甘くない。
十秒足らずのうちに、兵たちが次々と倒れていく。
たまらず、兵たちが松明を灯す。
闇の中に兵たちが赤く浮き上がる。
が、千草の姿は闇へと紛れる。
時折ひらめく金の閃光。
オーロラ色のゆらめき。
兵たちは恐慌をきたし、逃げ惑う。
「ええい、面倒な! 半数の兵は他の勇者を狙え!」
ファラオの命令に、千草とは反対側にいる兵たちが、俺たちへと向かってくる。
が、
「gushibakutan!」
「ぐわあああっ!」
アリスの放った突風の上級攻撃魔法が兵たちを薙ぎ払う。
一騎当千で兵の数が減っているが、まだ一網打尽で上級魔法が使えるようだ。
俺と莉奈はまだ待機している。
今のところ、千草とアリスで敵を十分に引っかき回せている。
莉奈の立てた作戦通りだ。
「何を怯えておるか! 勇者を捕らえよ!」
ファラオの声に焦りの色が混じる。
が、兵たちは闇から襲ってくるデスサイズと、アリスの放つ上級攻撃魔法に怯え、逃げ惑うばかりだ。
「fermerion!」
その隙をついて、アリスがファラオに火炎を放つ。
今度は、見えた。
ファラオの背後に控えたローブの男が、両手を掲げて何かを叫ぶ。
アリスの放った火炎が、不可視の障壁に遮られる。
『あれは……上級防御魔法ですね』
莉奈のつぶやきが、俺のそばに浮かんでいるフェザーから聞こえた。
アリスと千草にも聞こえているはずだ。
『zerifar。上級までの攻撃魔法を防ぐ、対魔法障壁です』
『なるほど。fermerionが通じなかったのはそのせいか』
アリスの声が、フェザーから中継されてくる。
『ローブの男――魔法大臣は、同じく上級防御魔法である、対物理障壁fadarionも使えます。これは、強力な物理攻撃にも耐えるバリアのようなものです』
『魔法も物理攻撃も効かないということか。しかし、攻撃魔法はないのだったな?』
『ええ。魔法大臣は防御に特化した魔術師です。ファラ王が攻撃特化ですから、組まれるとやはり厄介です』
『しかし、予定通りではありますね』
莉奈の言葉に、千草が言う。
『はい、千草……やっちゃってください!』
『任せてください』
千草が闇の中から飛び出す。
オーロラ色の光はかなり強くなっている。
一騎当千が順調に強化されている証拠だ。
「むっ! fadarion!」
魔法大臣が防御魔法を使う。
対物理障壁だ。
「はぁっ!」
千草がデスサイズを振るう。
激しい火花が散った。
デスサイズが、魔法大臣の張った障壁に食い込んでいく。
「何っ!? 我が上級防御魔法が破られるだと!?」
魔法大臣が驚愕する。
「うろたえるな! 攻撃魔法で潰せばよいだけだ! ferm――」
「させるか! gannts!」
千草に火炎魔法を放とうとしたファラオに、アリスが石つぶてを発射する。
「ゼ、zerifar!」
魔法大臣がかろうじてアリスの魔法を防ぐ。
が、
「馬鹿者が!」
ファラオが声を上げた。
その隙に千草が王へと迫る。
魔法大臣の対物理障壁は消えていた。
(莉奈の言ってた通りだな)
魔法大臣の防御魔法は脅威だが、対物理、対魔法の障壁を同時に張ることはできない。
魔法の重複発動には、専用の支援魔法が必要だからだ。
莉奈は、アリスと千草にこう言った。
『魔法とリングで波状攻撃をかけてください』
と。
『この世界の魔法の発動は早いですが、それでも使うのは人間です。そうそう切り替えられるものじゃありません』
まさしく、莉奈の予言したとおりの展開になっている。
千草は、王へと駆け寄るついでに、途中で棒立ちになっていた魔法大臣を吹き飛ばす。
「ぐぁっ!」
これも莉奈の言っていた通り。
魔法大臣はとっさの判断が遅い。
最初に謁見の間で暴れた時にも、防御魔法は間に合っていなかった。
『神算鬼謀の分析によれば、魔法大臣の反射速度は平均以下です。防御専門の魔術師であることと、年齢が影響しているものと思われます』
莉奈の分析はおそろしく正確だった。
「おおおおっ!」
千草が声を上げながら王へと迫る。
一騎当千で強化された身体にとって、王への距離はゼロに近い。
千草がデスサイズを振りかぶる。
王の魔法は間に合わない。
魔法を唱え、効果が発動するにはわずかながらラグがある。
狙いを定める必要もある。
そのどちらをも、一騎当千のかかった千草は許さない。
ファラオの顔が絶望に――いや。
(なんだ!?)
ファラオの顔が絶望に染まるかと思った。
しかし、ファラオは口の端に笑みを浮かべていた。
千草は止まれない。
そのまま、デスサイズを振り下ろす。
ファラオは、右手に握った棍棒を手放した。
そして、千草に向かって人差し指と中指を開いてみせる。
次の瞬間、千草が吹き飛ばされていた。
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