木人拳は経験値に含まれますか?

こんぶ

本文

大人気青春VR格闘コメディ「暗殺拳はチートに含まれますか?」の、

「Battle2-3(※5話相当) ~目指せBラン!20人斬りだよ葵ちゃん!~」において、

19人目くらいにやられた雑魚敵のお話を妄想しました。


葵ちゃんという、暗殺拳を使う格闘ヒロインがとてもかわいいです。

お煎餅を貰いたいです。


公式様

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882227981





「げぇーっ! ≪木人拳≫って、あの≪木人拳≫かよ!?

さっきからマッチング運なさすぎだろ!?

葵、気を付けろ! そいつの雷みたいなスキルは――」


表示されたアバター名を見て、

何かを伝えようとした鋭一であったが、


「え~いちゃん?」


女社長がそれを遮った。

くいくいと袖を引き、着席することを促す。

語調と行動こそ恋人に甘える年相応の女子高生のようであるが、

その目はシビアな投資家のものであった。


その視線からは「一式葵商品の鑑定に水を差すな」という意図が、

ひしひしと伝わってくる。


「……かッ!」


鋭一は浮き立っていた腰を観戦用のソファへと乱暴に戻した。

ボスンと鈍い音が鳴る。


飼い犬は主には逆らえない。

だが、腹いせに吠えるくらいの自由は許されている。


「……鋭一?」


名前を呼ばれた少女が、ちょこんとゴーグルをつけたまま振り返った。


「なんでもない! ぶっ倒してこい!」





仮想空間へと没入していく少女を見送った鋭一は、

小声で不満を漏らした。


飼い犬の怒りはまだ燻っていたのだ。


「……ったく、社長も意地悪だよな。

葵はまだこのゲームをはじめて2日目なんだぜ?

闘気解放スキル≫の説明くらいしてやってもいいだろ」


「あらあら、ゲームをはじめて2日目の素人を、

プロに推薦したのはどこのどなたでしたっけ?」


見事なカウンターを鼻面に叩き込まれた飼い犬は、

しゅんとトイプードルの毛並みのように丸まり、縮こまった。


そんな様子をかわいそうに思ってか、

珠姫は笑いながらバシバシと鋭一の肩を叩き、付け加えた。


「……ま、鋭ちゃんの言いたいことはよーく分かるよ?

確かに≪木人拳≫は、葵ちゃんにとってひどい初見殺しだよね」


でもね、と社長令嬢は手入れの行き届いた髪に手をやり、言葉を続ける。


「トーナメントで超マイナーな構成……いわゆる地雷を踏んだ時、

『初見殺しだ!』『フェアじゃない!』って鋭ちゃんはわめくの?

『はじめて見る相手にも動じずに対応し、実力で捻じ伏せることができる』

――私の考えるプロは、そんな人間」


冴えた反論を紡ぐことができず、フンと鋭一は鼻を鳴らした。





見渡す限りの荒野。

朽ちた樹や、点在する欠けた岩、

赤茶けた土などの他に目立ったギミックは無い。


「ベーシック」「いつもの」「1-1」「実家」などと、

プレイヤーから愛される基礎中の基礎ステージだ。

ゲームのスタート時に目にする風景に酷似していることが、呼称の由来となっている。


そんなステージで10mほどの間合いを挟んで≪アオイ≫の前に立つのは、

≪木人拳≫というひ弱そうな名前からは連想できない益荒男であった。


2mを越す長身に、若獅子のたてがみのような堂々とした金髪と碧眼。

袖の破れた黒色の胴着は使い込まれており、強者の格を漂わせている。

全身を覆う怒張した筋肉の鎧には、

厚切りのビーフと樽ワインを想起させられる。


葵は対戦相手の顔を、目を細め観察していた。

≪木人拳≫の両の瞳が≪アオイ≫を捕らえていなかったのだ。


彫りの深い顔に埋まった二つのラピスラズリは、

≪アオイ≫の遥か後方を見据えていた。


観察の末、小首をかしげた後、≪アオイ≫は後ろを振り向いた。

遠くに並ぶ灰色の山々に、鳥の一匹も見当たらない寂しい青空。

目ぼしいものは何も無かった。


視線を対戦相手に戻すが、

やはり目の前のマッチョマンはどこか遠くを見つめている。


≪アオイ≫の首の角度が更に深くなる。

――その、次の瞬間であった。


ボッ


空気が破裂するような音が戦闘空間狭しと鳴り響いた。

数瞬遅れて、≪アオイ≫の頬を風が撫でる。


それが対戦相手の繰り出した神速の右・正拳突きによる余波であることを、

葵の優れた動体視力は認識していた。


彼女でなければ見逃してしまうような、恐ろしく早い突きだった。

発生の予備動作無く、最短距離で捻りを加えながら銃弾のように突き出された拳は、

寸分違わず同じ軌道・同じ回転、そして同じ速度で男の元へと戻っていった。


イメージトレーニングのため、

数多の格闘技の試合を観戦してきた葵をもってして、

そのような高練度の突きを目にしたのは初めてであった。


しばし、技の余韻に浸り目を輝かせていた≪アオイ≫であったが、

ハッとしたように姿勢を正す。


彼女は独自のユニークな思考回路でもって、

先ほどの一撃が、「もしかすると、挨拶だったのではないか!?」

……という結論にたどり着いたのであった。

そして、奇しくもそれは正解だった。


――ゲーム歴の浅い葵のまだ知らぬところであるが、

戦闘前に挑発的なポーズをとったり、軽く技を繰り出すことは、

「これからお前を倒す」という意思表示であり、

少し野蛮ではあるが、ゲーム内における挨拶の一種にあたるのだ。


挨拶されたら挨拶しなさいと、葵はお母さんに躾けられていた。

故に、正拳突きの返礼に≪アオイ≫は動いた。


足元の赤土につま先で小さな円を描く。

続いて、描いた極小の円の中心に片足で立ってみせた。


ひゅううと細く息を吐き切り、目を閉じる。


くんっと片足が曲がり、スクワットの要領でしなやかに体が沈み、

直後、その身は片足の力のみで重力を振り切り、垂直に飛び上がった。


空中で身をよじり、前方宙返りの要領で二度ほど回転した後、

飛んだ足と逆の足先で、極小の円のド真ん中へと音も無く着地を決めてみせる。


その一連の動作の間、彼女の両の瞳は固く閉じられたままであった。


――あまりにもさらりと行われたそれは、

まごうことなき神業だった。


目を開けた彼女は、足元を確認し、

「できた」と、少しだけ嬉しそうにつぶやいた。


そして、≪木人拳≫の方をおずおずと見やる。


ボッ ボッ


ブラボー!ブラボー!とばかりに、

異国の益荒男は二度、正拳突きを放った。





「えええええええええっ!?」


一方、同刻。

レンタルVRルーム。


「鋭ちゃん! 今の何!? ……っていうか、今の見た!?」


目の前で披露された絶技に、

女社長は肩書に応じた優雅な振る舞いも忘れ、すっかり動転していた。


ゲーム内でのアクロバティックな動きであれば、

彼女にも多少の覚えはあるし、ちょっとやそっとでは驚きはしない。


しかし、それが現実世界で起こった出来事となれば話は別だ。


今、目の前でゴーグルを被った少女がほんの挨拶とばかりに披露した体術は、

明らかに高校生の、下手をすればその道のプロのレベルを超えたものであった。


「おー、見た見た。

葵のやつ、興が乗るとアバターと同じ動きをしちまうんだよ。

……でもこれで、ガラスを割っちまった理由も分かったろ?」


興奮する自分とは対照的に、

慣れた様子の鋭一に、珠姫はなんとなくムッとした。


そしてその差となっているであろう情報格差を埋めるべく、

隣り合う飼い犬に、ずいっと顔を近づけ問う。


「ねぇ、鋭ちゃん。

この子、何者なの……?」


その問いを聞き、少し考え、

意地悪そうに笑んだ後、鋭一は答えた。


「……社長はさぁ。

トーナメントで超マイナーな構成……いわゆる地雷を踏んだ時。

『初見殺しだ!』『説明しろ!』ってわめくのか?

『はじめて見る相手にも動じずに考察を加え、自力で結論を導くことができる』

ーー人の上に立つ人間はそうあるべきと、俺は考えるけどなッ!……ハンッ!」


パクッとご主人様の手を甘噛みして、

どうだ参ったかと悦に浸る駄犬を躾けるべく、

珠姫はとびっきりの営業スマイルを顔に貼り付け、言った。


「ガラス代」


今すぐ返せと、向けた手のひらをヒラヒラとさせてみる。

ケルベロスほどまでに増長していた鋭一の意気は、

その痛烈な一打をもってチワワほどにまで縮んだ。


ごめんなさいをしてきた愛犬をよしよししつつ、

珠姫は思考を巡らせる。


鋭一の言葉は純度100%の煽りであったが、

それでも、元はと言えば自分の言葉だ。

一理はあると感じていた。


自力で結論を導こうと、

少ないながらも目の前の少女に関する情報を脳内で並べていく。


クラスメイト。女子。運動神経抜群。最近鋭ちゃんと仲良くなった。

会話が苦手。お煎餅をくれる。新体操選手のような身のこなし。


やがていくつもの情報が、

光の筋のように突如としてひとつの回答へと収束した。


「もしかして……!」


珠姫は目の前の驚くべき存在に対して、ある結論を出していた。

こんな事ができる人間が、そう居るはずがない。


ならばこの子は、おそらく……。

一拍置いてから、言葉を続けた。


「葵ちゃんって、どこかのサーカスの人?」


鋭一は、邪気なく笑って言った。


「いいや、”裏”の人だとさ」



[FIGHT!!]



画面から発せられた試合開始音に、

雑談が過ぎたと二人は反省し、

すぐさま観戦の体勢へと移行した。




一式葵は、徐々にこのゲームに慣れつつあった。

その慣れの顕れのひとつが、対戦開始前の僅かな交流時間の過ごし方だ。


葵はその時間を使い、対戦相手を観察する。


今回の相手のように技を晒してくれる者は殆どいなかったが、

喋りかけてくる者は一定数存在した。


喋りは呼吸に通じ、呼吸は技に通ずる。

そして技は心に、心は体に通ずる。


対戦相手の戦闘前の動作一つ、言葉一つとっても、

その後待ち構える命の取り合い有利に進める上で、

それは大きなヒントとなりうるのだ。


故に葵は、対戦相手を集中して観察する。

元々得意ではない会話が、

待機中更に胡乱になるのは、そこに精神を傾けているためだ。


そうして≪木人拳≫に対しても観察を加えた結果、

葵が得た答えは「わからない」であった。


瞳がこちらを見ていないことについては、

ある中華源流武術の奥義にそのような技があると、

父から聞いたことがあった。


異様な練度の正拳のこともある。

もしかすると、対戦相手は中華拳法の達人なのかもしれない。


しかし、それより葵が気にかけていたのは、気配の薄さであった。


威圧感溢れる肉体に反し、

触れれば陽炎のようにふっと消えてしまいそうな儚さがそのアバターにはあった。

なんとも言えない奇妙な存在感を対戦相手から感じ取っていたのだ。


自分のように気配を殺しているのだろうか。

……いや、そうだとしても希薄過ぎる。


どんなに訓練された兵士でも矯正できないとされる、

体幹のぶれによる僅かな上下動も、

瞬きも、呼吸の間隔すらも読み取ることができなかった。


相手は死人なのではないか?


そのような荒唐無稽な考えが頭を過ぎった頃、


[FIGHT!!]


戦いのはじまりが告げられた。





スタスタと歩み足で間合いを詰める≪アオイ≫。

戦いが始まってなお、どこか遠くを見据え、

微動だにしない≪木人拳≫。


一式葵の用いる暗殺拳は、

人間を仮想敵に据えて磨かれたスキルである。


相手を知り、気配を手繰り、その切れ目に刃物を突き入れる。

人間を相手に研鑽された、その技の間の取り方こそが、初歩にして奥義となる。


だが、今はその相手が「わからない」。

そして気配が「手繰れない」。


既に一式の技は、その半分が殺されてしまっていた。


これまで対峙したことの無かった、

生きた死体相手に、暗殺拳の担い手はどう立ち回るのか。


ーー≪アオイ≫の歩調が乱れる。


一瞬、貧血で倒れこむ時のように体がふらりと脱力したかと思えば、

次の瞬間には殺意のアクセルをベタ踏みにし、

地を這う迅雷が如き威勢で≪木人拳≫に急速接近を図る。


葵の拳は、攻めの拳。

そこに観察はあっても、待ちは無い。


必ずしも、隙を突いて殺す必要はないのだ。

それは成功率を高めるための補助でしかない。


暗殺拳の本質は、研ぎ澄まされた実力と技術による圧殺。

鍛えた体と身に染みた戦闘への理解が、

どんな状況でも折れず曲がらぬ必殺の刃となる。


相手が「わからない」のであれば、

自分が「わかる」、自分自身の技をただぶつけるのみである。


ーー急加速する≪アオイ≫と棒立ちを続ける≪木人拳≫。


そこからの攻防は、一瞬であった。


迫る≪アオイ≫を前にして、≪木人拳≫も動いた。

非常口の緑看板のような「走る」ポーズをとったかと思えば、

それと連動して、迫る≪アオイ≫と同等以上の高速でもって、

彼もまっすぐ前へと加速した。


その移動は異質だった。

体の動きと、物理現象がまるで対応していない。


≪木人拳≫の移動は上下動の伴わない高速水平移動だった。

はじかれたエアホッケーの弾のような動きであり、

よく見れば、その足先は地面から数mm浮いていた。


両者が前へ出たことで、接触が早まる。


ボッ


空間が、鳴った。





「プラネット」はVRコントローラー「推奨」の格闘ゲームだ。


専用ではなく推奨なのは、

全てのゲーム的操作をVR空間で行おうとすると不都合が出るためだ。


例えば、文字入力などはVR空間内の仮想キーボードを叩くよりも、

物理キーボードを使った方が安定するし、指も疲れない。


また、待合所などの非戦闘仮想空間の中を移動する際には、

マウスやキーボードの十字キー、

あるいは各種ゲームハードのコントローラーを用いることで、

わざわざゴーグルを装着する手間を省くことができる。


ただし、こと戦闘パートにおいてVRコントローラーは、

推奨ではなく、必須と言っても過言ではない。


物理コントローラーは、対人戦には向いていない。

その最大の理由は、反応速度の差だ。


同じ技を繰り出そうとしても、

物理コントローラーの使い手が、

「下、右下、右、パンチボタン」と入力している間に、

そのアバターの顎は、

対戦相手のアッパーカットによって粉砕されていることであろう。


技コマンド入力に要する時間は、

特殊なものを除けば、長くとも30フレーム、およそ0.5秒。

簡単な入力に特化すれば6フレーム、0.1秒ほどだ。


普段の生活においては、ゼロに近似されるであろうそのコンマ数秒が、

プラネットの戦闘の中においては永久ほどの隔絶となる。


一般的に、プロボクサーのパンチは秒速10mほどだと言われている。

それは0.1秒、何もできない相手を一方的に殴り飛ばすには十分な速度だ。


「物理コントローラーではプラネットで勝てない」


そのような認識は、サービス開始当初よりあった。

もっと言えば、社員によるテストプレイの段から浮き彫りになっていた事実だ。


しかし、その認識を界隈全体に完全に定着させたのは、

あるひとつの悲しい事件だった。


Bランク帯ーーゲーム中級~上級者が集う聖地に属する、

1人のゲーム実況者がいた。


その実況者は自身の支持者が1万人だか3万人だかを超えた記念に、

次のような企画を打ち出した。


「ダンスゲーム用コントローラーで勝つまでランクマッチ!」


「はい、というわけでね。

みなさんコレ、見たことありますか?

……あっ、よかったー。これまだ現役なんですね~。

もしかしたら今の子に通じないかもしれないって、ドキドキしてました。

これね、お正月に実家に戻った時、押し入れから発掘しまして。

……いやぁ、懐かしいなぁ。

2階で遊んでたら、『ドンドンうるさい』なんて家族に怒られたものですよ。

……で、そう、本日はこの足で操作するタイプのコントローラーを使って、

ランクマッチに潜っていきたいと思います!

十数年前のオーパーツで最新鋭のゲームに殴り込みって、カッコよくありませんか!

今日はねー、勝つまでやりますよ!」


ーーその企画は、当時のリスナー達が口々に警告した通り、無謀過ぎるものであったし、

実際その実況者は5連敗を喰らい早々にBランクから転落、

「すみません、マジでごめんなさい、普通の≪アケコン≫使わせて下さい……」

と、泣きを入れた。


ただし、ここまでは実況者も想定していたところだった。


はなからダンス用コントローラーで勝てないことは予想していて、

泣きを入れてコントローラーを格闘ゲーム仕様の物へと持ち替えるところまでは、

計算された番組上の演出だった。


そしてアーケードゲーム用のレバーコントローラーならば、

それもCランクの闘士が相手ならば、

2~3戦もやれば勝てるであろうと実況者は見積もっていたのだ。


この実況者はVRゲームの実況以外にも手広く活動を行っており、

それには2Dアクションや、シューティング、そして格闘ゲームも含まれた。


2D格闘ゲームのネット大会で上位に入賞した実績だってあった。


だから、勝てると思った。


「ううーん、最近やってなかったからな~、今から本気だします!」

「うへァっ!?今ガードした!ガードしましたよね!?」

「まーたブッパ!? やめて下さい!死ぬッ!死ぬッ! ……死んだ」

「だぁぁぁぁぁッ!? なんで今昇竜出たの!? 入れてませんけどォ!?」

「斜めから攻撃するのホントだめ!禁止!こっちは2軸移動なんですよ!?」

「むぐぐ、ラグがきつい」

「レバーがだめ」

「ボタンがだめ」

「もうだめ」

「だめ」

「死にたい」

「コロシテ……コロシテ……」


実況者はCランク帯23連敗という地獄の中で、

自身の見立てが甘かったことを何度も痛感した。


幾度となく企画を放り出したいと願ったが、

実況者としての矜持と悪質な視聴者の監視の目が、

戦いを途中で投げ出すことを許さなかった。


負けに負けを重ね、全てのレートを溶かした後、

ようやく実況者が勝利を掴んだのは、

不慮の通信切断によって動作を停止した相手に対してであった。


なお、それも、実況者を哀れに思ったファンによる助け舟だったことが、

後日、SNSへの投稿により明らかになっている。


「みんな……プラネットは専用コントローラーで遊ぼうな……!

お兄さんとの……約束だぞ……!」


配信終了間際、

満身創痍の実況者の言葉である。


現在、プラネットまとめサイトの「初心者向け情報集」の、

「おすすめのコントローラー」の項には、

この実況者の台詞がアスキーアート付きで、そのまま転記されている。





哀しい事件の後、

元からほとんどいなかった物理コントローラーの使い手は、

ぱったりとその姿を消した。


僅かに残った者達も「物理コン縛り」というマイナーレギュレーションに潜った。


物理コントローラーでランクマッチに潜るような馬鹿は、

いなくなったのだ。


ーーたった一人、≪木人拳≫という名の≪覚醒者≫を除いては。


彼はある理由から、

物理コントローラーでランクマッチに挑み続けている。


研鑽に研鑽を重ねたプレイヤースキルと、

物理コンだからこそできるギミック、

それを最大限に生かすアバター構成により、

一時はBランクへ上がったこともある。


大衆は判官贔屓する傾向にある。

弱い者や、負けている者を応援したくなるのだ。


「今流行りのプラネットに、誰しもが諦めた物理コントローラーで挑む男」

というのは、大衆が好む格好の餌であったし、

嗅覚鋭いTV番組の制作スタッフがその存在を見逃すこともなかった。


かくして≪木人拳≫とそのプレイヤーは全国放送の電波に乗り、

今の知名度を築いた。


その代償として、手の内を晒すこととなり、

ランクを落とすことになったのだが、

それでもなお、≪木人拳≫は己が闘争を諦めてはいない。





対戦相手ーー忍者を模したような衣装の女の子が爆ぜた。


爆発的な加速。

見たことのない緩急のつけ方に驚きはしたが、

画面を通し、俯瞰視点で戦場を見通していた≪木人拳≫のプレイヤーは、

これに対応してみせる。


加速して向かって来る少女に対し、

自身の分身を半歩前へと動かす。


鈍重な見た目に反してスピードに3振ったその筋肉マンは、

少女を越すスピードで高速稼働する!

これこそが入力反応差を埋めるための知恵!


ーー≪軸≫は合ってる!


少女が真っ直ぐ向かって来てくれて助かった。

右拳の当たり判定は上半身の右側のみだ。

これを少しでもずらされると、空振りとなり、

致命の隙を晒すことになる。


最良のタイミング、最良の位置関係で、

≪木人拳≫は必殺の右正拳モーションスキルを放った。





地を滑るような異質な移動に心を乱された≪アオイ≫は、

仕切り直すべく、防御的な手を打った。


急停止、背後への跳躍、腕を上へ。


ボッ


空間が、鳴った。


正拳の勢いを手のひらとクロスした腕でしなやかに受け、

衝撃を分散させながら空中へと逃がす。


自分を殺そうとするエネルギーを全て、

後方への運動エネルギーへと置換する。


弾丸ライナーのような低い軌道で≪アオイ≫の身体が吹き飛ぶ。


滅茶苦茶な速度と体勢の中でも、しかし、

≪アオイ≫はボディバランスを見失わなかった。


地面に接触する直前、

右掌で地を強く打ち、反動で上方向へと軌道を修正する。


そしてくるりと中空で一回転し、着地を決めた。

ライフに減少は無い。

神速の正拳を体捌きで殺しきったのだ。


シュゴォーーーーーッ!


追撃強襲!滑って来る筋肉達磨!起き攻め!

≪木人拳≫が目の前に迫る!


ーー「移動」を見た。「攻め」のパターンを見た。

先ほどまでは虚無でしかなかった≪木人拳≫が、

今の葵の目にはしっかりと人間に見えていた。


相手が人間ならば、殺せる。


≪アオイ≫は息を止めた。

迎撃の構え。

澄んだ瞳が僅かに燃えた。


打ち合うつもりだ!


≪アオイ≫は一瞬の脱力の後、アクセルを踏んだ。


必殺の右拳を嫌ってか、相手の左側へと向けて小さく地を蹴った。

先ほど自分がそうされたように、

移動により攻撃のタイミングをずらしにかかったのだ。


それを読んでいたかのように、≪木人拳≫の前方への移動がピタリと止まり、

前動作の無い反復横飛びのような動きで、体の軸が横へとずれる。

そうして、ぴったり≪アオイ≫との正対関係をキープした。


手を伸ばせば届く距離で対面する両者。

右が、来る。


ボンッ!


一際大きな音。


到来したのは対空の右拳ではなく、対地の左脚。

≪木人拳≫の秘策、ローキックであった。


右は必殺の一撃であると同時に、見せ技だ。

挨拶の時から多用してきたのはこの終局へ向けた布石だった。


ーーその初見の一撃を、

≪アオイ≫は一歩前に出ることで≪木人拳≫へ密着し、躱していた。


思えば、はじめの挨拶として繰り出された右拳を、

葵は軌跡・回転・拳の握りに至るまでを初見で、

かつ正確に見切っていた。


葵の流派、墨式の先達は暗殺対象に町中で喧嘩をふっかけ、

そのまま殺してしまうような手荒い方法をとることもあったという。


その相手は時には刀を帯びた剛の者であったし、

時には百貫と謳い称される綱取りの英雄であった。


墨式の者はそういった表の流派に後れをとるような、

生半可な鍛え方はされていない。


左のローキックの初動を見切った≪アオイ≫は、

踏んでいたアクセルを、更に、限界まで踏み込んだ。


ーー葵にとって≪木人拳≫は未知の存在だった。


気配が無いのはどうしてかわからないし、

変なところを見ながら戦える理屈だってわかっていない。

シュルシュル滑って来る動きも、よくわからないし、ちょっとこわい。


ただ、≪木人拳≫の使う技だけは面白いほどに「わかった」。

他の要素からは考えられないほど素直で真っ当な、人間の技だったのだ。


だから葵は平然とアクセルを踏み込めた。

葵は人体の可動域を知っている。

人間の技の限界を知っている。


一見自殺のように見えるその大胆な前進は、

彼女にとっては平地を歩むに等しい平易な一歩だ。


葵には≪木人拳≫の懐、

攻撃を受けない安全な地点が光って見えていた。


ーー≪木人拳≫がローキックの手応えが無いことに気付いた次の瞬間には、

≪アオイ≫の細い腕が蛇のように首へと絡みついていた。


墨式ーー奥義。


首が折られ、五体が畳まれる直前。

唐突に、≪木人拳≫に雷が落ちた。


轟音と激しい光、そしてーー


「リミットオォォォォーーッ!! ブレェェェェェイクッ!!」


これまで沈黙を守って来た≪木人拳≫の咆哮。

その声は、まるで有名声優が吹き込んだかのように堂に入っていた。

何らかのスキル固有音声に違いない。


必殺の体勢をとっていた≪アオイ≫は、

謎の斥力によって≪木人拳≫から引き剥がされ、吹き飛んだ。





≪闘気解放≫


オーラバースト。

あるいは単にバーストと呼ばれるスキル。


使用者の姿勢を立った状態に戻し、

対戦相手を自身から5~10mほど離れた位置へ強制移動させる、

仕切り直しのスキルである。


エフェクトこそ派手だが、攻撃性能はない。


不利な形成を無かったことにできる、

あるいはタイミングを読んで使えば、

相手の必殺技を後出しで打ち消すことができるといった点で、

非常に強力なスキルだ。


強力であるが故に、スキルの容量は大きく、

更に1戦闘で1回しか使えないという制約を持つ。


効果と制約が絶妙なバランスで、

採用率は低いが、死にスキルではない……といった位置づけだ。


ただ、もし物理コントローラーでランク上位を目指すのであれば、

必ず積まなければいけないスキルがこれであった。


物理コントローラーの持つ最大の弱点は「反応速度」であるが、

その次に大きな弱点は、「寝技ができない」ことである。


ボタンやスティック操作の組み合わせで、

四肢の複雑な稼働を伴う寝技の機微を再現することは不可能だ。


そのため、掴まれて引き倒された物理コントローラー使いは、

レバーをガチャガチャして、ボタンを一生懸命連打して、

祈りながら、悪あがき的に脱出を試みるしかないのだ。


その弱点を補うべく≪木人拳≫にはテンプレート通り、

この≪闘気解放≫が搭載されていた。


鋭一はマッチングが決まった直後、これを伝えようとしていた。


相手の技や、特徴、あるいは攻略法について語るつもりはなかった。

知らない相手に当たるのがランクマッチであり、

それをやるのはフェアではないという考えがあったからだ。

その点は女社長と意見が一致していた。


ただ一点、≪闘気解放≫が「一度しか使えない」というスキル仕様の情報は、

伝えるべきだと感じ、行動に移した。


その事実は公表されているスキル一覧を、

事前に確認していれば誰でも得ることのできる知識であったし、

それを初心者である葵が知らないのは仕方のないことだ。

一方で、詳細を知らないことによって生じる不利益が大きすぎると鋭一は考えた。


スキル詳細を知らない者からすれば、

≪闘気解放≫は不可視・不可避の攻撃スキルに見えるだろうし、

一度しか使えないという制約を知らない以上、

「またいつ打たれるか分からない」という猜疑心により、

攻め手が鈍ってしまうことは、想像に難くなかった。


だから今、葵の戦いを見守る鋭一は、ここが正念場とばかりに息をのんだ。

足を止めるな葵、もう一度突撃して首に触ればお前の勝ちだと、心の中で声援を送る。


観戦用のスクリーンには≪闘気解放≫により吹き飛ばされた≪アオイ≫と、

片手を天に突き上げる、

スキルの固定モーションによって硬直中の≪木人拳≫が映し出されている。


ーー鋭一の隣に座る少女、最上珠姫も次の一手を真剣な眼差しで見守っていた。

ここまでの葵の動きは、既に採用合格ラインの遥か上を行っている。

スキル屋として、≪木人拳≫が繰り出した自社製最速のスキルを、

初見で二度も躱された事実に心底凍り付いていた。

これが人間性能チート、私はこれを知っていると、

Aランクのーープラネットを支配する強者達の顔が脳裏をよぎっていった。


現状の戦闘スペックは分かった。

文句なしのフルスコアだ。

いや、それ自体ははじめの数戦で見えていた。

明らかに、モノが違う。


だからこそ、次に知りたくなったのは、

彼女に上へ上へと際限なく昇っていける資質があるのかということだった。


鋭一を口止めしたのもそのためだ。


その答えが次の一手にある。


未知のスキルを受けた直後の葵がどんな行動をとるのか。

女社長の瞳は、期待と好奇により、見開かれていた。


ーーVRルームの画面に映る≪アオイ≫がくるりと器用に空中で回転し、

猫のようにしなやかな着地をきめた。


そして少しだけ体勢を整えると、すぐさま、殺意のアクセルを全開に!

壊れんばかりに踏み込んだ! 今日一番の全速だ!


「よしッ!行けッ!」

「ほっほぉ~? 」


VRルームに2つの声が響いた。





暗殺拳とは、人の弱点を突く技だ。


故に、その拳の担い手は弱点に対し鼻が利く。

無意識レベルでウィークポイントを突けるように訓練されるし、

血統の最適化により先天的にその能力を持って生まれて来る場合も多い。


二度の対峙を経て、葵は≪木人拳≫の急所を捕捉していた。


アクセルを踏んだ≪アオイ≫の疾走は、稲妻のようなジグザグの軌跡を描く。


斜め方向への対応は、物理コン使いの苦手とするところだった。


≪木人拳≫は高速無音の反復横飛びめいた挙動によってこれに応じる。


ーーテレビに出て名が売れて以来、

弱点と知った上で斜め移動によって攻めて来る相手が増えた。


だから、その対処として軸をずらされないための高速移動を練習したし、

それまで2振りだったスピードを3に振った。

それによって下がったテクニック値はプレイヤースキルを上げることでカバーした。


しかし……それでも……!


軸をずらされないように動くことは、対処療法だ。

結局、左右への移動を強制され、前後への移動を封じられてしまっている。

これが……物理コンの限界。


今の≪木人拳≫にできるのは、

軸をずらさず、近づいてきた相手に合わせて、

タイミング良く右拳か左足刀を叩き込むことだけだった。


状況は良くない。


しかし、ずっと、≪木人拳≫はこの領域で戦ってきたのだ。

三次元の戦いを、スキルと構成でリズムゲームの世界にまで落とし込み、

強敵たちと渡り合い、屠ってきたのだ。


そこは2軸の世界で戦い続けてきた、≪木人拳≫の聖地であった。

ここで、負けるわけにはいかない。

負けたくない。

≪軸≫さえ合っていれば、≪木人拳≫は無敵だ!

虚無の偶像に、意志の炎が灯る。


ーー忍者少女が、迫る!


≪木人拳≫の間合いに入る少し前、ぐんと少女の身体が低く沈みこんだ。


対地!迎撃!


反射的にローキックを放とうとした≪木人拳≫は、直前で行動を切り替えた。

その少女の動きに見覚えがあったのだ。


その身体の動きは、挨拶で少女が見せた動きと同じだった。

経験!直感!努力!根性!予測!渾身!

全てのプレイヤースキルを総動員して決した選択は、


ボッ


対空!迎撃!


≪木人拳≫の声なき叫びが聞こえるような、魂の乗った一打だった。

プラネットのベテランが意地と経験で瞬時に辿り着いた回答は、

正解だった。


ーーただし、相手が一式葵でなければ……だが。


正拳が放たれる直前、≪アオイ≫は跳躍した。


その後訪れた一瞬は時間が静止したようだった。

拳を突き出しきった≪木人拳≫と≪アオイ≫の視線が交差する。


どこか遠くを見ている鉱石のような青い瞳と、

全てを塗りつぶす黒い瞳がバチリと合った。


葵は、突き出された腕の上を飛んでいた。


右の突きは四度も見た。既に見切った技だった。


この最終攻防は、

そこに自身の跳躍力を足しただけのシンプルな回答だった。


片足で体の半分ほどの高さまで跳躍できるのであれば、

両足を使い、助走をつけ、体勢を整えた上で飛べば、

身長2mの大男の肩口、1.7mほどまで飛べるのは自明であった。

そしてその領域が安全であることは、葵には光って見えていた。


突き出された腕とすれ違うように、

葵の身体は≪木人拳≫の後方へと飛んでいき、

すれ違い様に絡めた腕が、首の関節をずらし、直後にへし折った。


そこからは、蹂躙だった。

一息の間に全ての運動エネルギーが、骨の、関節の、筋肉の破壊へと、

効率的に変換され、間もなく≪木人拳≫は爆発した。


墨式ーー奥義『正』


 [FINISH!!] [WINNER AOI]





一戦を終え、すぐに次のマッチを組もうとした葵を、珠姫が止める。


「ちょちょちょ、待った! ストーップ!

葵ちゃん……ちょっと、いいかな」


呼び止められ、ゴーグルを床へと置き、

ギクシャクとしたお茶汲み人形のような動きで、

鋭一と珠姫が座るソファへと葵はやって来た。


つい今ほどまで華麗な戦い繰り広げていたアバターの操縦者とは思えない、

カチコチぶりだった。


「あの……ごめん、なさい」


先に口を開いたのは、葵だった。


「えっ?なんで謝るの!?」


困惑したのは珠姫だった。

先ほどの戦いに何か不備があったのだろうか。


痛恨の極みといった表情で、葵はスカートのポッケに手を突き入れた。

そして中の生地をしるしると引き出し、何もないことをアピールする。

定期券と、朱色の交通安全のお守りと、へたつきのドングリが二粒、床へと落ちた。


「さっきあげたので、最後。

もう、ない……」


この世の終わりといった表情の葵の心情をいち早く察したのは、

少しだけ付き合いの長い鋭一であった。


どういう文脈でそう思ったのかは分からないが、

目の前のおかっぱの少女は、珠姫に煎餅をせびられていると誤解しているようで、

それに応えられないことに絶望しているようだった。


ゲラゲラと笑った後、鋭一は言った。


「葵、大丈夫だ。

うちの社長は商売にシビアで、ちょっと融通が利かなかったり、

人を人とも思わない扱いをすることもたまに……いや、週3くらいであるが、

鬼じゃあない。 ……おそらく、たぶん、人の子だ!

だから煎餅を葵からカツアゲしてやろうなんて思っちゃいないさ ……なっ!」


何を言われたのかと、明晰な社長ブレインがフル回転した結果、

葵には「……あっ、うん!お煎餅はもう貰ったから大丈夫だよ」とフォローを返し、

鋭一には「ガラス代」……と低い声で告げ、顎の下をぺちぺちと叩き、

般若面のような営業スマイルを振りまいた。


ともあれ、落ち着いた葵に珠姫が問う。


「今の戦いのバースト……じゃなくて、えっと、雷が落ちてきて吹き飛ばされた後、

どうしてすぐに相手に向かって行ったの?

『またやられたら困る』とか、『一旦様子を見よう』とか、思わなかった?」


それは、経営者として聞きたかった質問だった。

VR競技選手としての資質を測るための一矢だ。


「向かわないと、倒せない」


そうポツリと言った後、彼女なりに頑張って言葉を紡ぐ。


「……一回目は、イマイチで、首を折れなかった。

でも、もうちょっとだった。

だから、もう一回ちゃんとやったら、次は折れると思った」


「ふぅ~ん……! へぇ~~~っ!」


女社長は、試合での様子から脳内補完しつつ、

足りない部分を埋め、彼女の論旨をまとめた。


つまり彼女、一式葵は、自分の実力に確固たる信を置いているのだ。


あの時ーー≪闘気解放≫を受けた後の彼女の中では、

はじめて喰らったスキルに対する警戒より、

自分の技の冴えの至らなさに心が向いていた。


そして直前の攻防の手応えから、

「万全の技であれば、スキルを発動される前に殺せる」という、

確固たる自信を持って疾走を開始したのだと、目の前の少女は言ってのけたのだ。


『相手が何をしてこようと、先に倒せる』


それは甘美な響きだった。

慢心ではない、実力の差をきっかり測った上で至った結論なのだろう。


合わせて、試合中の様子を思い返す。

ジグザグの疾走に、決め手となった跳躍。


短い時間の中で、相手の性能を見切った上で、

しっかり対策が取れていたように思える。


自信家にありがちな、一本槍ではない。

自分の力を等身大に評価しながら、戦いに対する工夫も怠らず、

そしてその工夫の内容は至極的確ときている。


スキルやゲームに対する理解度の低さが玉に瑕だが、

まだ二日目の初心者ということならば、仕方ない。

それはおいおい補えるところだろう。


【トーナメントで超マイナーな構成……いわゆる地雷を踏んだ時、

『初見殺しだ!』『フェアじゃない!』って鋭ちゃんはわめくの?

『はじめて見る相手にも動じずに対応し、実力で捻じ伏せることができる』

――私の考えるプロは、そんな人間】


最上珠姫は自分の言葉を反芻する。


そしてそれを一式葵と照らし合わせる。


トーナメント会場を湧かせる≪アオイ≫が、

ひどい初見殺しを踏みながらも、毛ほども気にせず蹴散らす≪アオイ≫が、

明確にイメージできた。


彼女となら、どこまでのぼっていける気がした。


ーー「おーい、社長? 大丈夫か~?

顔がだらしないことになってるぞ~?」


思考の海から珠姫を引き上げたのは、鋭一であった。


不安そうに首をかしげる葵を見て、

こほんと咳払いしたあと、珠姫は言った。


「葵ちゃん、……イイネ!」


いいねがついた。


「……いい?」


「うん、すごくイイよ!」


ナント、すごくいいねがついた!


「すごく……いい……!」


葵は、なんだかとても嬉しそうにはにかんだ。


鋭一は感情の希薄な全自動首折り機が見せた、

らしくない表情にぎょっとした。


もしかすると葵はシンプルな褒め言葉に弱いのかもしれない。

使う機会があるか分からないが、覚えておこうと鋭一は考えた。


その後、じゃっ!続き頑張って!と送り出され、

がんばると、葵は再び戦闘空間へと戻って行った。


葵が没入したのを確認して、戦闘を見ることなく、

珠姫は目を閉じた。


「鋭ちゃん、ありがとう。

とりあえず今はそれだけ伝えとく。

あと、ちょっと肩借りるから」


本当にそれだけを伝えた珠姫は、鋭一に寄りかかり、

葵とは異なる別の世界へ潜って行った。


珠姫の中で、葵の採用は確定した。

ならば、やることは沢山ある。

やるべきことがあって、やる時間があるのなら、

それはすぐにやるべきだ。


時間は有限なリソースで、使い方に気を付けなければいけない。

買うと決めた商品をいつまでも眺めていても仕方ない。


シビアな商売人は、そのように考えた。


ややあって、少女の口から脈絡の無い単語がぽつぽつと漏れ出しはじめる。


「パンダ、パンダガール、火の輪、ライガー、道化師、座敷童

日本人形、どんぐり、煎餅、おかき、東洋の魔女、蛮族、首狩り族」


彼女と付き合いの長い鋭一は、

今彼女が売り出しに向けた葵の二つ名を考えているのだと察し、

同時に、葵の採用が濃厚になっていることも理解した。

嬉しくなって、鋭一は言った。


「俺からも言わせてくれ……ありがとう。

社長に紹介して良かったよ」


「モストガール、モストリーサルウェポン、ラストウェポンオブモスト

シークレットガール、ファントムアバター、バードガール、ニンジャガール」


ぶつぶつと呟きながら、こくりと珠姫は頷いた。


珠姫が、葵とならどこまででも行けると感じたように、

鋭一もまた、これからの日々が少し楽しくなるような、

そんな予感に胸を膨らませていた。





 [FINISH!!] [WINNER AOI]


 [YOU LOSE]


「マジかよーーーーー!!?

10割コンボォーーーーー!!?」


声変わりの済んでいない少年の甲高い声が響く。


叫んだ後、ごろんと畳に仰向けに倒れ込んだ。

年齢は小学校高学年くらいであろうか。


倒れ込んだ後、悔しさを発散すべく、くねくねと体をよじってみせる。


「うぉーーー! なんでだよーーー!! チートじゃねーかーーー!!

俺のポイントかえせーーーー!!」


「ケントォーー! うるさいわよーー!

ご近所迷惑でしょーー!」


階下から、母親の声。


「ごめんなさーーい!!」


畳にサリサリと後頭部をこすりつけるも、まだ悔しさが晴れない。


少年は、最後の攻防のことを思い出す。


体が沈むフェイントを見破ったのは、我ながらすごかったと思う。

キックじゃなくて、パンチを繰り出したのも良かったと思う。


だけど当たらなかった。


じゃあ、どうすれば良かったのか。


あれはジャンプであって、飛んでるわけじゃなかった。

だから、一歩下がって落ちて来るところにパンチを合わせるか、

もっとタイミングをよく見て、ジャンプしたてのところを落とせばよかった。


だけど。


「いやっ……! そんなのッ! できないよーーーー!!」


「ケントォーー!」


「ごめんなさーーい!!」


少年は自らの考えにツッコミを入れた。

あれはギリギリの攻防だった、そのような余地があったとは思えない。

ローキックを堪えただけでも、相当に巧い判断だったと自負している。


「うううううう……!」


少年はついに丸まり、机の下のスペースへ転がり込んだ。

正直に言って、先ほどの試合において、

自身のプレイに大きな落ち度はなかったと少年は考えている。


敗北の原因は、ゲームコントローラーにあると分析は済んでいた。

もうそれは、とっくの昔にわかりきっていたことだ。


VR専用コントローラーさえあれば、

さっきの忍者少女のような凄まじい動きが、

自分にだってできるはずなのだ!


「限界だ……! 限界だよォ……!」


その時だった。


「ケントォーー! ごはんよォーー!」


「わーい! いまいくーー!!」


トントン、と階段を下りていく少年。

取り残されたPCのディスプレイには、


 [YOU LOSE]


の文字が表示され、哀愁を誘うメロディが流れている。


「ママァ~~! もう限界だよォー!

VRセット買ってよ~~~~~~!」


階下から、そんな声が響いて来た。


「えぇ……? 何を急に。

あんな何十万もするオモチャ、ダメに決まってるでしょ」


「何十万じゃないよォ~~~! 15万8000円だよォ~~!」


「たっか! ダメに決まってるじゃない」


「返すから~~~! 

プラネットのチャンピオンになって返すから~~~!」


「ダーメ!

親子といえど、そんなに沢山のお金は貸せません。

それに、お昼のテレビで見たけど、チャンピオンになっても儲からないらしいじゃない?

今のチャンピオンの人、安アパートに住んでて、

『三食カップ麺と塩です、たまに友達がハムをくれます、嬉しいです』

……ってインタビューで答えてたわよ」


「ウオオォ~~~~安田ァ~~~~~~~~~!!

お前のせいでママがプラネット上の地位に不信感を抱いてるじゃねぇか~~!!

ママッ、違うんだ!! それは安田が残念なだけで、他の強い人は、

CMとかバンバン出て、衣装にロゴ入れたりして、

ジャンジャンぽこぽこ儲けてるんだよォーー!」


「ふーん……。でも、ケントが仮に1位になっても……その、安田さん?

みたいに儲からない可能性もあるんじゃない?」


「えっ、やめてよ。

ママ、知らぬこととはいえ、実の息子を安田と同一視するのは虐待だよ……。

今、12年の生の中で一番傷ついたよ……」


「いいから、さっさと食べちゃいなさい」


「うわ~~~~ん! ママ~~~~!

わかった! じゃあせめてこうしようよ!!

VRセットを買ってとまではいわないから! せめてッ!

せめて、来月の誕生日になったらーー」


「ーーー普通のでいいから、コントローラー買ってよ!」



 [YOU LOSE]



取り残されたPCのディスプレイに表示されるその文字。

少し下に視線をやれば、使い込まれたキーボードが見えるだろう。


キーのひとつひとつが厚く、下地が灰色の、

時代を感じさせるそのキーボードは、


「z」「x」「←」「↑」「→」「↓」の、6つのキーの印字が消えてしまっていた。




☆僕の考えた最強VR闘士☆



■名前

木下 健人

■よみ

きのした けんと

■性別

男性

■学年

小学6年生

■アバター名

木人拳

■ステータス

S:3/P:0/T:0

■スキル

≪闘気解放≫……仕切り直し

≪絶空拳(カスタムパンチ)≫……対空迎撃の右拳

≪絶空脚(カスタムキック)≫……対地迎撃の左蹴

≪加速≫……移動スピード+1、常時発揮型

≪切腹御免≫……投了時のエフェクト変化

■キャラクター説明

キーボード一本でプラネットに殴り込みをかけている、

物理コントローラー界隈の異端児。


キーボードで戦う理由は、

VRコントローラーを買って貰えないから。


それしかないから使っているだけで、キーボードプレイに一切の執着はない。

できることなら今すぐキーボードを叩き折って、

VRコンの世界に入門していきたいと考えている。


最近は特にキーボードプレイでの限界を感じており、VRコンが欲しくて仕方ない。

「ぼうや、いい子だね、おじさんのVRコンを譲ってあげよう、どれ試しに握ってごらん」

などと、見るからに怪しげな全裸の中年男性に声をかけられても、

フラッとついて行ってしまいそうになる程度にはVRコンを渇望している。


生まれた時からインターネット文明と共にあるという、

所謂新世代であり、ゲームに対する理解と適応力が高い。


プラネットで遊ぶ理由は、単純に楽しいからと、

学校で流行っているから。


〇TV出演

黒歴史。

ゲーム番組に対して理解の乏しい両親によって、

「TVに映るんだったらちゃんとしないと」と、

七五三の時の子どもスーツを着せられ、髪もぴっちり七三分けにセットされた。


〇アバター

高速機動に特化した、ピーキ―な機体。

キーボードの各キーに行動が1対1で紐づけされており、

コマンド入力を無くすことで、反応速度を高めている。


十字キー:移動

1回押すとキャラクターの有効外径の50%分、並行移動できる。

長い距離を移動しようとすると高速で連打する必要があり、

「うるさい!」とお母さんに叱られる可能性を秘めた諸刃の剣。

平行移動であるため、向きを変えることはできない。

そのため、相手に背後をとられると悲惨なことになる。

妖怪背中こすりとなって、

雄々しい背筋を擦り付ける嫌がらせしかできなくなるのだ……。

そうなった時のための対策として、自害のスキルを積んでいる。

そうなったら、もはや死ぬしかない……。

最近はゲームの環境として≪ショートワープ≫が流行ってきており、

容易に背後に回られてしまうため、とてもつらい。


Zキー:≪絶空拳(カスタムパンチ)≫

Xキー:≪絶空脚(カスタムキック)≫

ワンボタンで決まったモーションを行い、

アバターの性能に寄らない攻撃力を発揮することができるスキル。

モストカンパニー監修の専用スキル。

健人&≪木人拳≫がTV出演した際、

出演料として貰ったチケットを使い、作成した。

健人はTVに出演したら、

お礼としてVRコン(もしくは5臆円くらいの現金)を貰えると思っていたため、

大層がっかりしたという。

なお、本来であれば無報酬のところ、

珠姫が番組スポンサーとして一枚噛んでいたため、そのような報酬となったそうだ。

そこには「せっかく番組に出てくれたのに、手ぶらで帰らせちゃだめでしょ」という、

慈母の意図と、「有名プレイヤーに自社製品を使って宣伝して欲しい」という、

資本主義の修羅の意図が同居していたという。

技の調整内容としては、連射性を犠牲にスピード特化。

あとは乗せられるだけダメージ値に乗せ、オプションとしてノックバックをつけている。

ノックバックは、相手との距離を確保し、立ち技の領域で戦い続ける為の仕様だ。

また、「対戦前に強制的に発動される」「スキル以外の通常攻撃不可」等、

≪木人拳≫にとって制約にならない似非制約が無数に積んであり、

技の威力が恐ろしいことになっている。

2~3回当てれば大抵の相手は倒せる。


Esc:≪闘気解放≫

やばい! 死ぬ! と思った時に押すキー。

押すと声優のいい声がして、窮地から脱することができる。


Ctrl + Alt + Delete:≪切腹御免≫

投了時のエフェクトを派手にしたもの。

押すと「ムネンッ!ハラキリゴメンッ!!」と声優のいい声がして、

直後アバターが爆発し、マッチロス扱いになる。

ポージングは大きく伸びをするようなものであり、全く切腹要素が無い。

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