箱庭のティターニア
青柳朔
箱庭のティターニア
とある青年の一夜
地下にある薄暗い会場の中は、たくさんの人で埋め尽くされていた。壇上には華麗な仮面をつけた男がひとり、興奮したように声を上げる。
「さぁさぁ、紳士淑女の皆様! 今宵の目玉の品でございます。かの有名な箱庭職人、アルフレド・ハーヴェイの、幻の最高傑作『ティターニア』!」
会場は一気に火がついたように盛り上がった。無理もない、この場の誰もがその『ティターニア』をこの目に焼き付けよう、あるいは可能であるならば競り落とそうと考えてやって来たのだ。
仮面の男が、高さ三メートルはある四角形にかけられた深紅の覆い布を取り去る。その瞬間に現れたものに、誰もが言葉を奪われた。熱に浮かされた会場が、甘やかな余韻をもって静まり返る。
大きなガラスケースの中にあるのは、うつくしい少女だった。
白磁の肌は透き通るほどにきよらかで、照明の下の髪はオパールのように不思議な輝きをもって白銀のようにも七色のようにも見えた。どこか遠くを見つめるせつなげな瞳は、金緑。ガラスケースの向こうに乞うように縋りついたか細い手が、なんとも哀しげでいとおしい。艶やかな髪の流れる背からは、漆黒とエメラルドで彩られた翅――。
そう、彼女は妖精だった。
今にも動き出しそうな彼女は、ガラスケースの中で息絶えている。あれはあまりにもうつくしい死体だ。いや、彼女を美術品として評価するならば、死体と呼ぶのは無粋とも思えた。
「――さぁ、では一千万から!」
仮面の男の声で会場は静寂を忘れ、あの妖精に恋に落ちた者たちが次々と競り落とそうと声を上げた。
箱庭。
それは、およそ二百年前から貴族の間で人気の美術品だった。
はじまりは、小さなガラスケースの中で植物を育てたり、そこに蝶などの小さな昆虫を加えたものだった。次第にガラスケースは大きくなって、小さな動物を閉じ込めるようになった。箱庭は、小さな世界を楽しむものであり、本来は生き物を飼い殺すためのものではなかった。
しかしその箱庭のうつくしさを競い合う貴族たちは、次第により大きな、より珍しくうつくしい生き物を閉じ込めるようになった。
たとえば、水に生きる人魚であったり。
たとえば、空を舞う天使であったり。
なかでもひときわ希少で人気だったのは、妖精だった。彼らの棲む神秘の森は人にとっては有害な胞子が舞っている。妖精にとってはそれが生きるためには不可欠なものだった。また逆に、人の住む街の空気は妖精の肺を灼く猛毒であり、彼らと人はどう足掻いても相容れぬ世界の住人だった。
しかし相容れぬ、手の届かぬ存在であるがゆえに人はそのうつくしさの虜になった。防毒のマスクを使って神秘の森へ踏み入り妖精を捕獲し、彼らを生かすため箱庭へ閉じ込める。
どんどん競り上がる値を聞きながらひとりの青年は壁にもたれて思案にふける。『ティターニア』は話に聞いていたとおりうつくしかった。値が最初の五倍を超えた頃に、そろそろか、と壁から背を離す。その間も値はつり上がっていた。
「二億」
突然青年の発した桁違いの値に、会場のなかが一瞬水を打ったように静まり返った。しかしひとりの鷲鼻の男がハッとするとすぐにまた値を上げた。途端に高額となった競りに、参加してくる者が減っていく。
「二億一千万!」
またひとり、妙齢の婦人が競りに参加してくる。赤いドレスが薄暗い会場のなかでも目を引くほど鮮やかだった。
「二億二千万」
釣り上がる値に、青年は動じる様子もなくさらに値を上げた。
「二億三千万」
その後、鷲鼻の男は顔色を変えながらもじりじりと値を上げ、そのたびに青年か婦人にさらに上げられた。早く諦めれば良いものを、と青年はため息を吐き出す。会場は熱くなってきた競りの様子に夢中だった。面白いくらいに値はどんどん跳ね上がる。
「二億五千万」
青年が告げると、男は奥歯を噛み締めるようにして口を閉じた。
「二億五千万、二億五千万! これ以上は誰もおりませんか!?」
「二億八千万」
婦人はすぐには諦めなかった。一騎打ちか、と青年は苦笑して間髪入れずに値を上げた。
「三億」
「三億……! 三億です……!」
司会が婦人を見ると、婦人は目を伏せて首を横に振った。もはや、誰も競りに参加する者はいなかった。
『ティターニア』はひとりの青年によって競り落とされた。
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