ギミナ市 その1

 黄都こうとに程近いギミナ市は、同じく発展した大都市でありながら、その様相を大きく異にしている。

 煉瓦造りの建物の合間には田畑が広がり、馬車の行き交う車道には等間隔で街路樹が並ぶ。管理された自然が文明の中へと静かに溶け込んでいる様子は、忙しなく華やかな黄都こうとの町並みとは、殆ど正反対の雰囲気でもある。


 それでも無論、このギミナ市も黄都こうと議会に属する都市の一つであり、こうしてこの市内に別宅を所有する二十九官も存在していた。光暈牢こううんろうのユカという。


「んー、まずいことになっちゃったよなあ」


 真昼の窓から外を眺めて、然程困ってもいないような口調でぼやく。

 一階にあたる大食堂であった。六合上覧りくごうじょうらんに臨んで、第十四将たるユカが擁する勇者候補――移り気なオゾネズマは、肥満体のユカを丸呑みにして余りある巨体の混獣キメラであり、ユカの大邸宅においてすら、この場と玄関前のロビー程度にしか、その体を自由に納める場がない。


「……止マリソウナ気配ハナイカ」


 狼の変種じみた流麗な存在は、しかし詞術しじゅつの通ずる獣族じゅうぞくである。

 価値観の尺度こそ異なるものの、彼は十分に思慮深く、このギミナ市において、不要の悶着を起こすこともなかった。彼らの直面する現状の問題は、むしろ擁立者であるユカに根ざしたものである。


 平時は商店の声に賑わう街道は静まり返り、武器を携えた群衆が、時を経るごとに集いつつある。この朝から、その内なる波は強まり続けている。

 旧王国主義者。破城のギルネスの処刑に伴って主要構成員を失い、一度は一掃されたはずの軍勢が、今、この市に再び集い始めていた。


「大体、こういうのって気配があるんだけどさ。うん。こういう時って、割りかし本気のやつなんだよね。怒鳴り声とか演説みたいなのが、聞こえないじゃん? ……って、オゾネズマに言っても分かんないかなあ」

「……イイヤ。理解ハデキル。既ニ行動ノ決意ヲ固メタ者ハ、自ラヲ鼓舞スル必要ヲ持タナイ。恐怖ヤ憤怒ニ突キ動カサレテイナイ、統制サレタ行動ダ」


 それは政情の不安定な黄都こうとにおいて、長く暴動鎮圧を担ってきた、光暈牢こううんろうのユカの嗅覚である。その感覚に倣う程度には、オゾネズマも彼に信頼を置いている。


 だが、比較的に治安の良好であったギミナ市に旧王国主義者が集い、オゾネズマを擁するユカを襲う。

 果たして、単なる偶然の成り行きであろうか。


「何故ギミナ市ニ……今、旧王国主義者ガ来ル」

「うーん。まあ、そこは理屈で考えてもどうにもならないものだからなあ。俺は、だからこういう仕事に向いてるんだ。考えるのは後で、他のやつがやってくれるから」

「――私ガ出テモ良イ」

「駄目駄目。暴徒鎮圧は俺の管轄なんだから。オゾネズマに借りは作れないよ」


 そう言いながら、第十四将は赤い軽甲冑を着込み始める。急所への矢を通さぬ程度の、ごく簡素な鎧だ。このような民との戦いを、ユカは幾度も潜り抜けている。

 オゾネズマは、静かに言葉を続けた。


「ダガ、兵ヲ集メル時ガ要ルハズダ。……私ト君ハ、対等ダ。時ヲ稼ガセテホシイ」

「ははは。参ったなあ。俺だけで切り抜けようと思ってたんだけど」

「……裏手ニハ山ガアルナ」


 それも恐らく、意図的な立地なのであろう。山野を背負うことで、このように攻められた際にあっても、守る方角を限定できる。身を休めるべき邸宅の構えすら守りを想定するのは、もはや武官の本性であるとも言える。


 そしてオゾネズマの巨体が抜けられるだけの裏口も、当然に用意されている。

 襲撃者がそれを察知しているとしても、入り組んだ山野の中へと配置できる兵力は、恐らく限られているはずだ。


「ソコヲ抜ケルマデハ、行動ヲ共ニスル。君ガ兵ヲ集メ、後方カラコノ軍勢ヲ叩ク。互イノ役割ノ分担ダ。ソレデ良イダロウ」

「苦労かけちゃうよね。王城試合は大丈夫?」

「考エルノハ、他ノ者ニ任セレバ良イ」


 それからの二人の行動は早かった。いずれも、修羅場を潜り抜けた戦士である。

 オゾネズマはユカの先を走って、裏口を潜る。

 邸宅にはいずれ火が放たれるかもしれない。そのようになる前に、事態を収めるのがユカの役割ではあるが。


「我らの手に再び王国を!」

人間ミニアを議会から追い出せ!」

「第十四将の首を取る!」


 邸宅を挟んだ遠方からも、民がまばらに上げる叫びが聞こえる。

 脅威はそうして騒ぎ立てる者達ではない。オゾネズマは判断する。

 これが計画的な襲撃であるのならば、表の軍勢は半ば陽動――。


 ヒン、と風を切る音が鳴った。同時に三方。

 現れた混獣キメラに対して、木々の合間から狙い澄ました短弓の三射が飛び……


「フ」


 拍手めいた音と共に停止する。

 オゾネズマの背の毛並みの奥より現れた人体の腕が、全てを受け止めていた。

 紛れもなく人族じんぞくの生身の腕で飛来する矢の柄を受け止めるその所業は、当然のように、英雄の域の身体性能にある。


「――コノ程度カ?」

「まあ狙撃でしょ。山に隠れてたら、自分も火攻めは使えないからなあ」


 野太い声が呑気に返したかと思えば、丸々とした巨体は、既にオゾネズマの背後から飛び出している。

 狙撃手の射線から判断し、勝手知る野山を駆け、直線に。

 その後背を狙い、続く第二射が放たれる。オゾネズマが風のように遮り、それらも無数に生えた腕が止める。


光暈牢こううんろうの――!」


 電撃的な即断で距離を詰められた弓手の一人は、ただ叫んだ。

 三人の内で自分が死ぬとは、それもこれだけ唐突に終わるなどとは、想像すらしていなかったのだろう。


「うーん」


 間の抜けた声とともに、湾曲した短刀の光が閃いた。腹部の動脈を断ち切ると同時、刃は小腸を掻き、引きずり出している。


「色々と悪いね」


 済まなさそうに、しかし平時のマイペースさで告げて、ユカはさらに山の奥へと姿を消す。

 一連の動きの全てが、外見の肥満体からは考えられぬ、迅速の手並みであった。


「……流石ハ、二十九官」


 オゾネズマは、ちょうど二人目の狙撃手の首筋を食い千切ったところであった。

 一人目からは優れた広背筋を、二人目からは状態の良い肺動脈を採集している。


 開いた背よりぞろぞろと生えた人腕の一つが、器械を操作する。

 ユカを先に行かせた理由の一つはそれだ。オゾネズマは獣族じゅうぞくでありながら、ラヂオすらも人間ミニア以上の精度で取り扱うことができた。


「状況ヲ把握シテイルカ、ジギタ・ゾギ。旧王国主義者ダ」

〈……ようやく連絡が取れましたな、オゾネズマ殿。黄都こうと入りをせずに姿を隠しておけば、いずれ誰かが無茶をすると踏んではいましたが……これは、なかなか〉

「イズレニセヨ、タダノ暴動デハアルマイ。私デモソウ判断スル」

〈まず、アタシの読みを伝えておきましょう。その連中の背後にいるのは、十中八九、黄都こうと第二十七将。弾火源のハーディでしょうな。第一回戦のお相手――柳の剣のソウジロウについている武官です〉


 第三試合は、オゾネズマとソウジロウの対決となる。

 ならば事前に対戦相手を排除しようとするのは、当然の成り行きだ。しかし。


黄都こうとノ官僚ガ、旧王国主義者ヲ率イルモノカ?」

〈ただの定石です。破城のギルネスを失い、星図のロムゾも失い、各地の旧王国主義者は、首を失った烏合の衆に過ぎませんからなあ。『首』の部分をすげ替えて、少しの扇動と自信を与えてやれば、こうして操るのは容易い。敗残兵はそうして利用されるわけですな。末路としては、そう珍しくもありませんでしょう〉

「……興味深イ。ナラバ、コノ後ノ筋書キハドウナル」


 千一匹目のジギタ・ゾギ。彼の強さは、個としての強さとは次元が異なる。

 それは戦術の読みと知性の強さであり、協力者が多ければ多いほどに、それは共有できる。ヒロトに協力するオゾネズマは、最適の判断に基づく戦術を以て、英雄としての個体戦力を行使できる。


〈敵の本命は、ユカ殿です。事前の情報が不明である以上、所在と戦力の分からぬオゾネズマ殿ではなく、ユカ殿を無力化することにした……といったところでしょうな。黄都こうとに姿を晒してもいないということは、そこで擁立者のユカ殿を失ってしまえば、もはやオゾネズマ殿は黄都こうと入りする手立てがない。……加えて言えば、ユカ殿はご自身が矢面に立って、反動勢力の暴動鎮圧を続けている。旧王国主義者に狙わせる理由ならば、十分に持っています〉


 獣は、ユカの消えていった山奥へと目を馳せた。

 彼の戦力はオゾネズマの目から見ても十分な域ではあるが、敵方がどの程度の策を仕組んでいるだろうか。


 オゾネズマが直接にユカを手助けすれば、この危機を切り抜けることに一抹の不安もない。だが彼が群衆の眼前に姿を晒し、それを殺戮すれば、その異形は尚更に恐怖と脅威を煽るであろう。それはこの先、勇者候補としての彼に瑕疵を残しかねぬ。


〈……そうして、ユカ殿を排除。いえ――アタシならば、生け捕りにしますなあ。しかる後に、旧王国主義者の内に潜めていた『首』を使って、ユカ殿の救出という名目で、旧王国主義者を鎮圧。経緯を知り得る立場にいる構成員の全員を処分します。ユカ殿に恩を着せ、軋轢を残すことなく、そして全ては第三の試合が終わった後……という筋書きでしょう。敵さんは、なかなかおもしろい策を考えますな〉

「『首』ナラバ、刈レルカモシレン。……私ガ動イテモ構ワナイカ?」

〈結構。背後はお気になさらず。ユカ殿の撤退経路にいた輩は、こちらの遊撃部隊が片付けていますのでね〉

「感謝スル」


 ラヂオの通話を切る。流石はあの逆理のヒロトが認める戦術家と言うべきか。

 既に、二手三手先を読み、警戒と先手の網を張り巡らせている。

 彼がユカの安全を保証するというのならば、事実そうなのであろう。


「……オゾネズマ!」


 それをすぐに証明するかのように、一人の兵が駆け寄ってきた。

 幾度か顔を見たことのある、第十四将配下の警備兵である。無頓着なオゾネズマは、名前までを覚えてはいない。


「動かずにいたのか。こっちの部隊はもう動き始めてる。旧王国主義者どもの侵攻は、思いの外遅い。今のうちに、お前も撤退だ」

「……コノ山ヘ誘イ込ムタメノ、陽動ダッタカラダ。ダカラ遅イ」


 そして本命は、ジギタ・ゾギの兵に狩られた。いかに周到に準備された軍勢であろうが、真なる戦術によって動く小鬼ゴブリンの群体を前にして、戦闘になるはずもない。


 オゾネズマは巨大な首を持ち上げて、山が見下ろす市民の群れを視界に捉える。

 一人一人の頭は遠く芥子粒のように見えるが、オゾネズマにとってはそれで十分に過ぎる。


「去ル前ニ、一ツ試サセテモラウ」

「何を……?」

「【オゾネズマよりギミナの土へ y a g o y u r r g y o g o g 並ぶ分岐の影y o g m g e n y e r y u 遊泳する角 y e s g e f g o y u y a r g 白線に映る y a y o y m v y u u y a 揃え y a r h a t y u 】」


 そうして、巨大な前足で土を一掻きする。

 土の僅かな表層の下からは、銀色の輝きが無数に現れた。物理医療用の刃。

 そのような工術こうじゅつであった。


「……カツテ、五月雨ノアルバート、トイウ男ガイタソウダナ」


 遠く。……遠く。虫よりも細かい群衆の中から、その三点のみを見分ける。

 有象無象の群衆の中にあって、明白に正式な訓練によって鍛えられた筋肉が、オゾネズマには分かる。その動きも。呼吸すらも。

 旧王国主義者が表向きに立てている指導者が誰かなどは、関係がない。弾火源のハーディは生粋の軍人であり、彼が送り込む配下もそうだ。その三人が、旧王国主義者の中に送り込まれた、ハーディの毒。組織の内から先導する『首』だ。


 背からぞろぞろと生えた人体の腕が、生成された刃を取った。

 そして。


「技量ノ点デハ、彼ニ及ブベクモナイガ――」


 甲高い、笛の音の如き風切り音。

 それで投擲は完了している。オゾネズマが標的に定めた三人は、飛来した手術刀の速度だけで、十字に裂けて死んだ。


「こ、こんな技が……!」

「……威力ニ限レバ、私ノ性能モ中々ノモノダロウ」


 愕然とする警備兵を残して、オゾネズマはその場を後にしている。

 ラヂオ越しに、自らの陣営へと報告を返す。


「『首』ヲ始末シタ」

〈……やり取りは聞いていた。ダントだ。ハーディの手並みならば、表に出しているだけで全てではないぞ。貴様の攻撃を見ていた者もいる〉

「ソレデ構ワン。表ニ出テイル者ガ潰レレバ、ソレデ奴ラハ統制ヲ失ウ。第十四将ノ部隊ガ遅レヲ取ルコトモアルマイ」

〈……。ならば貴様の本命の刃は、なんだ? 貴様がどのように戦うかを、俺はまだ知らされていない〉

「――ダント」


 オゾネズマは、昏く笑った。ラヂオ越しには伝わらぬ、獣の浮かべる笑いを。


「感謝スル。君ノ選択ハ、正シイ。光暈牢こううんろうノユカハ、脅威ニ思ワレヌ、策ニ頓着セヌ男ダ。ダガ……彼ノ強ミハ、別ニモアル」


 彼には目的がある。オゾネズマはヒロトの陣営の目的を達するために動いてはいない。自らの目的のための協力関係として、ヒロトと手を結んでいるに過ぎない。


「ユカハ、治安統括ダ。他ノ、ドノ将モ持タヌ特権ガアル。特権。彼ガ認メタ鎮圧デアル限リ……ソノ失格条件ガ、コノ私ニ当テハマル事ハナイ」


 ハーディは、反動勢力の恨みを買うユカの立場を利用し、兵力を送り込んできた。

 今のオゾネズマも、それを利用しただけのことだ。

 先の狙撃手と、群衆の中に紛れた『首』。彼らは全て、暴動鎮圧の過程で生まれた不幸な犠牲者にすぎない。そのようになる。


「私ノ“特権”モ、イズレハ分カル」


――――――――――――――――――――――――――――――


 黄都こうとに並ぶ変哲のない兵舎の一つで、ハーディはその報を受け取った。

 乾いた白髪に、長い傷の走る右頬。現存する二十九官の内でもっとも壮絶な戦火を潜り抜けてきたこの老将こそが、軍部を広く統括し、ロスクレイに匹敵する派閥を擁する、第二十七将である。


「ギミナ市の策は鎮圧されましたわ。ユカ将の捕縛は失敗。横槍の遊撃も入ったそうで……まさか、彼に読まれていたでしょうか?」


 参謀の報告に対しても葉巻をくゆらせたままで、彼は呵々と笑った。


「いいや。俺はユカを信じている。あいつは襲撃に気を張り続けるよりも、毎日の安眠の方が好きな男だよ」

「ならばオゾネズマが、策謀でこちらを上回ったと?」

「……そういう力があると見るしかねえだろう。どちらにせよだ」


 優れた知の力か、あるいはその知を味方につける人望であるのか。

 協力者が多ければ多いほどに、その類の力は共有することができる。


「朗報も一つ。三人の“神経”は、遠方からの短刀の飛来で殺害されたと。遠くより“神経”の人員を見分け、狙撃する――敵はそういった技を」

「罠だ」

「……え」


 老将は深く笑いながら、葉巻を灰皿へと置く。

 ハーディが潜ませていた工作員をわざわざ始末せずとも――ユカの部隊の犠牲の多寡はともかく――暴徒を鎮圧することは、十分に可能だったはずだ。


「遠距離の技の使い手だと、そう思い込ませようとしている。そうして……剣の距離で戦うソウジロウに有利な条件を、こっちが切り出すように仕向けている。俺が一番欲しい情報が、それだからな」

「疑う根拠は、おありなのでしょうか?」

「戦場じゃあ、そうそう都合のいいことは起こらねえさ」


 少なくとも、近づけば勝てる相手ではない。剣の距離における切り札がある。

 短刀の投擲は、暗殺としてはあまりにも明らかな痕跡。見え透いたブラフだ。

 その技をソウジロウへと伝えさせ……誤った先入観を刷り込ませようとしている。それは情報に混ぜ込まれた毒だ。


「……まあ、構うこともねえ。死んだのは所詮、俺とは無関係な旧王国主義者だ。ユカも手柄が増えて良かったじゃねえか」

「次の手を打ちます」

「ああ。ロスクレイとは、やり合わなきゃあならんからな」


 参謀が去った後も、彼の笑みが消えることはない。

 それは流血の期待に満ちた笑いだ。彼の求めるものは、その先にある。


「俺は待ちきれねえ。楽しませてくれよ? ……ロスクレイ」


 六合上覧りくごうじょうらんまで、大二ヶ月。

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