最終話「夫婦なんてそんな……」
「ねぇ――る。いい――起き――。聞こえて――――」
「…………」
「もう、起きなさい!」
「どうわぁ!」
突如全身に強烈な寒気が走る。一体何なんだ……?
段々とはっきりする視界。目に映るのは見慣れた我が家の天井だ。
あぁ、俺はまた居眠り……じゃなくて自分の部屋のベッドで寝ていただけか。太陽の光も差し込んでるし今は多分朝だな。というか俺の掛け布団が全部引き剥がされているんだが。おかげで寒いぞ……。
寝惚け眼をこすり大きく欠伸をしながらやれやれと上半身を起こそうとする。だがその時、俺の身体に跨っている一人の少女と視線がぶつかった。
「やっと起きたわね。この寝ぼすけさん」
「堂庭!? お前……」
制服姿の堂庭がニヤニヤとした笑みを浮かべながらこちらを見つめている。まるで状況が分からない。
「とりあえずどいてくれよ。動けないじゃないか」
俺の腰元辺りに堂庭の体温と申し訳程度の重さを感じる。しかしながら、こいつの体は本当に軽いよな。嵐が来たら吹き飛ばされそうな程である。
「むっふっふ……。大好き……」
そのまま押し倒されて密着。体は軽いくせに力は人並み以上にあったりするのだ。
「ちょっ、恥ずかしいだろ……」
「ふふ、誰も見てないからいいじゃん」
俺の話など聞いてないのか、胸板を頬ですりすりと擦る堂庭。駄目だ、朝から刺激が強すぎるぞ……。
「その……色々とマズいだろこういうのは」
「うーん……。まあ確かにそうかも。制服にシワが付いたら恥ずかしいもんね」
そういう問題じゃねぇんだよ。
「あ、そうそう。晴流に渡すモノがあるんだった」
「今度は何だよ……」
堂庭はようやく起き上がってくれたが、俺に跨ったままの状態で隣に置いてあるカバンから何かを探している様子。まだ俺からは離れないようだ。
そして、透明な保存容器を取り出した堂庭は中に入っている何かを手に取り……
「口開けて?」
「え……」
これはまさか……俗に言う「あ〜ん」というヤツなのではないか!?
「ほら、もっと大きく開けてみて?」
「おぅ……。んあー」
期待に胸を膨らませながら口をぽっかりと開ける。するとそこに堂庭が手にしていたモノを突っ込まれた。口を閉じた時、彼女の細い指が少し当たった。
「…………甘い」
ほどよい甘さとまろやかさが口の中に広がる。この味は間違い無い……チョコレートだ。
「今日ってバレンタインじゃん? だから昨日夜通しで作ってみたんだけど……どう? 美味しい?」
「あぁ、すごくうまい。お前、手料理とかできるんだな」
「うん! しばらく前から嫁入り修行してたんだよ。料理もメアちゃんから色々教わったんだ〜」
「嫁入り……」
まだ先の話ではあるだろうけど、堂庭は自分を磨く為に影で努力を積み重ねてきていたんだ。
「いつでも晴流のお嫁さんになれるように、あたし頑張るからね!」
「おぅ……」
見た目を除けばこいつは俺なんかよりもずっと大人だ。自分の欲望に忠実な上、無駄ではない努力を自慢もせずに続けている。何も考えないで生きている俺が情けなく思えてくるな……。
「堂庭、ちょっとこっちに……」
きょとんとした顔をする堂庭に手招きをする。
「どうしたの……?」
「いいからこっちに来て……」
目を丸くしてこちらを見つめてくるものの、堂庭は再び顔を俺の胸板に預けてきた。
そして俺は彼女の髪を優しく撫でた。
「ひぇっ!? は、晴流……?」
「ありがとう。でも無理はしないでいいからな」
「…………分かってるよ。あたしはあたしの好きな事をしているだけだから気にしなくていいんだよ」
「そっか……そうだよな、お前って奴は」
堂庭は羨ましいくらい素直に生きている。ロリコンは気持ち悪いって叩かれても自分の|好(・)|き(・)を貫いている。
しかし、いつまでもそれを続けることはできないだろう。自分一人では乗り越えられない壁に差し迫る時もあるはずだ。でもそんな時は俺の出番。世界一可愛い彼女の為に俺の手で守ってあげるんだ。
「むふふ。ずっとこうしていたいね……って」
言いかけた堂庭が硬直する。
俺は何事かと思い周囲を見渡すと、部屋の入口に真っ赤なランドセルを背負った舞奈海が立っていた。
「私は認めない……」
やっば。これは超絶ヤバいぞ。
小学生のような見た目をしたロリっ娘が腰元に跨ってきて抱き着いてきて更にはその子の髪をナデナデする男子高校生という犯罪しか連想できないシチュエーションを現役女子小学生に見られるというこの状況!
相手が堂庭じゃなかったら俺は明日からお巡りさんのお世話になるところだったよ!
「瑛美りんが家に入ってきたと思えばお兄ちゃんとイチャイチャしてるし、結婚もするなんて……私は認めないよ!」
「舞奈海、いつから……」
「お兄ちゃんが起きる前からずっと見てたよ! まったく、二人とも夢中で私の存在に気付きもしないし、食べさせ合いっこもしてるし……」
やってしまった……。こんな破廉恥な状況を全部妹に見られるなんて兄として顔が立たなくなるじゃないか。
「あたしと遊べなくて寂しかったのかな? ごめんね舞奈海たん!」
「瑛美りんには言ってないんだけど!」
おいおいこれ以上怒りを加熱しないでくれよ堂庭。なんだか修羅場みたいな空気になってきただろうが。
「でも安心して舞奈海たん! あたしが晴流と結婚したら舞奈海たんはあたしの義妹になるんだから」
「え…………」
口をポカンと開ける舞奈海。まあ小学生には難しい話だろうけど、家族関係の理屈で言えば堂庭の発言に間違いは無い。
「やだ……瑛美りんがお姉ちゃんになるなんて絶対にやだ! お兄ちゃんは桜お姉ちゃんと結婚してよ!」
「いや、そんな事言われても」
「もう私は怒ったよ! 今日はバレンタインだからお兄ちゃんの為にチョコ作ったけどムカつくからあげないもん。お兄ちゃんのバーカッ!」
マシンガンのように言うだけ言い放った舞奈海はそのまま階段をドタドタと降りていってしまった。俺はまた舞奈海に嫌われてしまったようだ。
「ふふ、これでやっと二人きりになれるね、晴流!」
「お前は少し反省しろ」
舞奈海を如何にして説得するかが今後の課題になりそうだな……。
「いやぁ嬉しくってつい……。あ、でもあたし達もそろそろ出掛けなきゃ間に合わないね」
「え、もうそんな時間か!」
慌てて目覚まし時計を手に取る。だが時刻は午前七時。普段家を出る時間よりも三十分ほど早いし、学校には十分間に合うと思うのだが……。
「ギリギリかもしれないわ……。もう開園してるはずだから急がないと……」
「…………ちょっと待て。まさかアレに俺も付き合えと……?」
堂庭は毎朝俺よりも一時間早く家を出ている。しかし学校に着くのはいつも俺の方が早い。何故かといえば、堂庭は保育園に立ち寄って登園する幼女たちを涎を垂らして眺めてから学校に来るからだ。そんな気持ち悪い日課に俺も巻き込まれるなんて……冗談じゃないぞ。
「当たり前でしょ。恋人なんだからそれくらい付き合うのが当然じゃないの?」
「いや、それとこれとは訳が違うんじゃ……」
「でも昨日言ったよね? いつでもあたしの傍に居たいって」
「そうだけど……ほら、プライバシーの尊重とかあるだろ? 俺も堂庭の私情にはあまり顔を突っ込まない方が……」
「それなら心配ないわ! あんたもロリコンなんだし、一緒に幼女を見てドキドキしましょ?」
いやドキドキするのは幼女じゃなくてお前だけだろ……なんて恥ずかしい事は言えないけど、朝から遠回りするのは気が引けるな……。
「ほら早く。行こーよ、晴流ぅー」
「おい、俺の上でそんな跳ねるなって。…………分かったよ、着替えるから部屋から出てくれ」
「はぁーい!」
満面の笑みで踵を返す堂庭に俺は溜め息をこぼす。
――やれやれ、面倒くさい彼女ができたもんだな……。
◆
貴重な睡眠時間を三十分以上削られた俺は我儘な堂庭の後ろを歩いて保育園に行き、お父様お母様方の冷やかな視線を浴びながら幼女を見続け、時折堂庭の涎をハンカチで拭いてあげたり興奮する堂庭の頭を叩いてあげたりして遠い学校までの道のりをなんとか終えた。まだ朝なのに疲労|困憊(こんぱい)である。
昇降口で上履きに履き替えて堂庭と共に教室へ向かう。すると校舎の入口に修善寺さんと桜ちゃんが待ち伏せするかのように並んで立っていた。
「瑛美殿に宮ヶ谷殿……おはよう、なのじゃ」
「おぅ、おはよう……」
俺は戸惑いながらも挨拶を返す。すると桜ちゃんが手を口元に当てながらわざとらしい小芝居を始めた。
「ちょっと見てくださいよ先輩! 私のお姉ちゃんがとうとう彼氏を作りましたよ!」
「ほっほっほ。これはめでたいのう。なら今夜は赤飯を炊いてお祝いじゃな」
「ありがとうございます先輩! じゃあ私は駅前の美味しいケーキをご用意しますね!」
笑い合う二人。一体何がしたいんだ……?
「ちょっと修善寺。なんであたし達が付き合い始めたことを知ってるのよ」
「ほっほ。この学校の精鋭部隊は優秀じゃからのう。改めて感心するのじゃ」
「あたしの質問に答えなさいよ!」
相変わらず強気な姿勢の修善寺さんに桜ちゃんがフォローを入れる。
「職員室前に行けば分かりますよ。……ふふ、二人には本当に逃げ場がないですよね」
どういうことだろう……。
修善寺さんと桜ちゃんに笑顔で見送られ、俺達は校舎の奥へと進んだ。
◆
職員室前の掲示物が張り出されている場所には多くの生徒がごった返していたが、俺と堂庭の姿を見た生徒は逃げるようにその場から立ち去ってしまい、とうとう誰もいなくなってしまった。
「ったくなんなんだよ……」
愚痴をこぼしながら掲示物を見やる。すると真ん中に大きく張り出されている校内新聞に衝撃の内容が書かれていることに気付いた。
『東羽高美少女ナンバー2瑛美りんが幼馴染M氏と熱愛!? 神社の中心で愛を叫ぶ!』
週刊誌風のタイトルと共に俺と堂庭が並んで歩く姿を捉えた写真が載せられている。おまけに俺の目元にはモザイクがかけられているが、明らかにずれている。モザイク仕事しろ。
「なによこれ、嘘でしょ……」
まさかのスクープ記事。絶対に他人に見られないと思ったから我を忘れて告白したというのに……。これじゃただの公開処刑じゃねぇか。
俺達は絶句したまま、目の前の紙面に釘付けになっていた。しばらくすると背後から声が掛かった。
「お二人さーん! 昨日はお楽しみでしたねぇ」
「フューフュー! 真冬なのに熱すぎるぜ宮ヶ谷!」
振り向くとニヤケ顔の都筑と平沼。あぁ、犯人が分かったぞ。
「都筑、お前――」
「ふっふーん。新聞部のコネとリサーチ力を舐めるんじゃないよ! 昨日は境内の草に隠れながらずっと見張ってたんだからね」
マジか……。という事は堂庭を待っている時に人影と勘違いしたアレや帰りのフラッシュも都筑の仕業だったのか……。
「いやぁ本当はキスシーンの写真を載せようかと思ったけど、流石に風紀が乱れるというか過激すぎるから我慢したよ」
「えぇマジ!? 堂庭ちゃんと宮ヶ谷キスしたの!? ってもがもが……」
平沼が大声で叫んだところを堂庭が両手で素早く口を塞ぐ。照れているのか顔は真っ赤だ。
「平沼君……。これ以上茶々入れたら殴るわよ……」
「ふがふが……」
堂庭は平沼に容赦ないよな。まあ平沼もデリカシーが無いから仕方ないけど。
「……それにしても宮ヶ谷君。あのプロポーズは私も感動したよ。直球だけどストレートな感じで良いよね!」
「いや意味同じだろそれ」
「同じでも良いじゃん。まあそれだけ宮ヶ谷君の想いが強かった訳だし、これからは|夫(・)|婦(・)になるんだもんね!」
「ふ……ふぅっ!?」
例の単語に動揺したのか、堂庭が裏返った声を上げる。いい加減このやり取りには慣れてほしいものだが……。
「ば……ば、ば、馬鹿じゃないの!? 夫婦なんてそんな……まだこれからの話なのっ!」
これからの話……。
いつも堂庭が放っているお決まりのフレーズが少しだけ変化したことに俺は嬉しくなった。
「そう、だよな。これからゆっくりと決めていこうな、堂庭」
「え、あ、うん……。えへへ」
「おぉ! デレた! あの堂庭ちゃんがデレたぞ!」
「うるさい! 今度こそ殴るわよ!」
「いやぁこの仲睦まじいカップルの姿は私の心の新聞だけに留めておくことにしよっと」
堂庭と付き合ってもこの空気の読めない連中とのカオスなやり取りは変わらない。
――様々な問題を引き起こす奴らだけど、いつまでもこの関係が続くといいな。
◆
放課後。
以前のように堂庭と一緒に帰ろうと二人並んで校門の外まで歩いた時、ぽつぽつと冷たい雫が空から落ちてきた。
「うわ雨かよ。傘持ってねぇんだけど……」
今朝の天気予報では雨は降らないって言ってたのに。すぐ止むといいんだが……。
「折りたたみならあるけど……。どうしようかな……」
何やら悩んでいる様子の堂庭。別に俺の事なんて気にせずに使ってもらっていいんだけどな。
「俺は濡れても全然平気だから大丈夫だぞ」
「え……? いや、晴流と相合傘をするのを躊躇っているんじゃないんだけど……」
え、あれ、どういう事……?
話が噛み合っていない気がするが……。
「むむぅ……。これは晴流と相合傘できる絶好のチャンスだけど、この傘は観賞用だし……」
「ん……? お前は今傘持ってるんだよな?」
「ええ、一つだけ持ってるわよ」
「じゃあそれ使えよ」
「晴流、違うのよ」
何が違うんだよ。
「ちっちっち」と言いながら人差し指を振る堂庭が続ける。
「あたしが持っているのはロリキュアの|野乃花(ののか)ちゃんのロリロリ傘なの! 雨で濡れちゃったら可哀想だと思わない?」
「いやいや、どんな痛傘か知らねぇけど傘は差さなきゃ意味ないだろ」
「甘いわね晴流。それじゃまだまだロリ愛が足りないわよ!」
両手を腰に当てて張る胸がない胸を張る堂庭。なんで俺が説教されてるみたいになってるんだよ……。
「じゃあ傘差さないで帰るか? 風邪引いても知らんぞ」
「いや、差す……。晴流にも野乃花たんの美貌を見てもらいたいし……」
ぶつぶつと不服そうな態度をしていたが、堂庭はカバンから小さめの折り畳み傘を取り出した。
「はいどうぞ。手元のボタンを押すと勝手に開くから」
「おぅ……」
身長差を考えれば俺が傘を持つのは当然か。というか二人で使うことは確定しているんだな。いくら堂庭と付き合っているとはいえ恥ずかしいんだが……。
「よし…………ってなんだこれは!?」
傘を広げた瞬間に驚いた。
ほぼ全面に大きくプリントされているのは七、八歳くらいの見た目をした女の子が露出度の高いドレスを身に纏ってピースサインをしているアニメキャラ。
これ……全年齢対象だよな……?
「ふっふーん。野乃花たんはやっぱり可愛いよね。晴流もそう思うでしょ?」
「可愛いとか言う前に恥ずかしすぎるんだが」
こんな痛い傘を差してたらロリコン確定じゃねぇか。というか変態だよ。周囲からのバッシング喰らいまくりだよ。
「じゃああたしは晴流の腕に失礼しまーす!」
「うわっ!?」
堂庭が俺の左腕に絡めるようにしがみついてきた。彼女の体温が暖かくて心地よい……が、それよりも恥ずかしい。
「バカップルじゃないんだから外でこういうのはやめようぜ」
「むぅ、晴流のくせに真面目だなぁ」
「俺はいつも真面目だ」
「でも学校ではだらしないじゃん」
「お前だって学校以外じゃだらしないだろ」
「えへへ、そうかもね」
ニカッと無邪気に笑う堂庭。この子供みたいな笑顔を俺は守っていきたいと思う。
「晴流、ちょっと前かがみになってくれる?」
ようやく腕から離れてくれた堂庭が俺に注文をする。
「えっと……こうか?」
「そうそう、いい感じ」
堂庭の背丈と同じくらいになるまで頭を下げる。この体勢は辛い。腰が痛くなりそうだ……。
「で、俺はどうすれば――」
「晴流、好きだよ」
言葉を遮るように言い放った堂庭が俺の頬に唇を乗せた。
それはほんの一瞬だったけれど、彼女の暖かさと柔らかさ、そして沢山の愛を感じることができた気がする……。
――思えば長かった。
堂庭がロリコンだと気づいたこと。そして堂庭のロリコンを直そうと決心した時から本当に色々なことがあった。
勝手に興奮したり勝手に怒り出したり、勝手に離れていったり……。
時には窮地に陥ることもあって、その度に俺は堂庭を助けていた。
こいつは小柄の体型を自慢するロリっ娘でチビや貧乳といった罵倒が褒め言葉に変わってしまう不思議なヤツ。
なおかつ幼女を愛して止まないロリコンで何故か幼女からも慕われてしまう人気者。
そんな凡人とは到底呼べない美少女を一般ピープルの俺が一生支え続けていくのだ。理由はもちろんただ一つ。実に簡単だ。
「堂庭」
「ん……?」
俺のすぐ隣に居てくれている美幼女の目を見つめながら一言だけ。
「俺も好きだよ」
もしこんなどうしようもないロリっ娘の性癖を直すことができるのかと問われたら、今の俺はこう答えるだろう。
『|ロリっ娘女子高生(どうにわえみ)の性癖は直せない』なんてね。
====================
これにて本編完結です。
ここまで読んでくださった方、コメント等で応援してくださった方がいたからこそ拙作は一つの終わりを迎えることができました。
全ての方に感謝いたします。本当にありがとうございました!!
次からは私の欲を詰め込んだおまけやスピンオフを投稿していきます。
更新予定日は7/21(土)です。
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