1-9「晴流にい?」

 高校二年生になって最初の定期テストが行われるのは、堂庭と勉強会をした五日後の木曜日だ。

 今日はその木曜日なのだが、俺は少し怒っていた。


「堂庭は体調不良で欠席すると連絡が入っている」


 担任のその言葉を聞いて俺は驚く。


 あいつが学校を休むだと!?


 遅刻は何回かあったが、欠席はほとんど無かったのだ。

 というか俺の記憶の限りでは一度も無い。


 バカは風邪を引かないっと言ったら殴られそうだが、堂庭は小さな体のくせして常に健康で病気とは無縁のような奴なのだ。

 そんな彼女がよりにもよってテスト当日に休むなんて驚かない訳が無い。


 だがそれならまだいいのだ。問題は他にある。



 俺があいつに教えた勉強の時間と労力を返せよ!



 先日の土曜日。堂庭の希望により俺は彼女に勉強を教えていた。しかも今までそんな事は無く今回が初。

 堂庭のテストの点数が以前よりも上がるだろうと俺は密かに期待をしていたが、テストを受けなければそれも無意味な事。


 具合が悪いのなら仕方ないものの、俺はやるせない気持ちでテストに臨んだ。




 放課後、俺はテストが終わった爽快感と堂庭が欠席という戸惑いで中和された気分になっていた。


 今日は一人で帰る事になるのか……。


 帰り道の相手はいつも堂庭だったため、その堂庭がいないと必然的に俺一人になってしまう。

 残念ながら他に誘えそうな友人もいない。今日は一人で帰ろう。

 そう思い、バッグに教科書を詰め込んでいると担任がこちらに声を掛けてきた。


「宮ヶ谷。ちょっと話があるんだが」

「今日俺寝てないっすよ!」

「はは、違う違う。今回は説教ではないぞ」


 担任から話がある=説教という方程式が頭に刻まれている俺は今日もかと身構えたが、どうやら違うらしい。


「堂庭にこれを届けてきてくれないか?」


 そう言って担任は持っていたプリントの束を差し出してきた。

 堂庭が学校を休んだので配布物を代わりに届けろということか。


「宮ヶ谷と堂庭の家は凄い近いんだろ? もちろん大丈夫だよな?」

「まあ別に大丈夫ですよ」


 ここで「だが断る!」とか言ったらどうなるんだろ。

 ちょっと言ってみたい気もするが、普段の説教が二倍になりそうなのでやめておこう。


 俺は担任からプリントを受け取って、そのまま学校を後にした。




 ピンポーン。


 俺の家の二つ隣にあるのが堂庭の家だ。

 見上げるほど高い洋風な門をくぐり抜け、お洒落な庭を進み、これまた見上げる高さの玄関の前に立つ。

 堂庭家は裕福な家庭で、家の敷地面積も俺の家と比べると三倍は軽く越える。

 いくら幼馴染みとはいえ完全庶民の俺からすると、この豪邸に足を踏み入れる時はいつも緊張してしまうのだ。

 加えて、今日は堂庭邸に入るのも約十年振り。俺は自然と手汗が滲み出ているのを感じた。


「はーい」


 家の中から女性の澄んだ声が聞こえた。

 そして高く大きな扉が開かれ、一人の女性が出迎えてくれた。


「こんにちは……ってあなたは!」

「え!?」


 玄関から出てきた女性を見て俺は驚いた。

 彼女は堂庭でもなければ、堂庭のお母さんでも無い。


 俺と同じ高校の制服を身に纏っていて、先日道端に座りこんでいたあの女の子だったのだ。


「まさか……晴流にい?」

「……桜ちゃん?」


 お互いの名前を呼び合い、そして両者頷く。



 女の子の正体は桜ちゃん――堂庭桜どうにわさくら。堂庭の一つ年下の妹だ。

 背は高校生女子としては標準的で、顔立ちは堂庭に似て少し幼い感じはするが、綺麗で可愛らしく整っている。


 まさかこの子が桜ちゃんだっととは……。俺は過去の記憶を引っ張り出す。

 桜ちゃんとは幼稚園を卒園して以来、ずっと顔も合わせていなかった。

 なぜなら彼女は小学校からずっと私立鶴岡学園。――堂庭も通っていたあの全寮制お嬢様学校の生徒でお互い会う機会すら無かったのだ。


 だがそんな桜ちゃんが何故ここにいる?

 高校も鶴岡学園じゃなかったのか?

 てかウチの高校の制服を着てるって事は、同じ学校に通ってるってこと!?


「桜ちゃん東羽に通ってたの……?」

「ええ。鶴岡学園へ進学したのですが、私の我儘わがままで急に東羽に転校することに……って知らなかったんですか!?」

「マジかよ! 初耳だぜ……」

「お姉ちゃん、言ってくれなかったんですね」


 桜ちゃんはゆっくりと目を閉じて溜息をついた。

 まさか桜ちゃんが転校生だったとは。

 平沼の言ってた事を全く信じてなかっただけに衝撃的である。


「……あの日、帰り道で休んでたあの日に転校したんです」

「あぁ、あの日ね……」


 自然と体が熱くなる。

 嫌でも思い出してしまうあの感覚。倒れられ当たる感触と甘い匂い。

 あの子が堂庭の妹、桜ちゃんだったなんて……。


「分かってはいましたが、やっぱり同じ教室に男の子がいると違和感があって。声を掛けられると凄く怖いんです」

「まあそうなるよなあ」


 女子校オンリーの桜ちゃんにとって男女共学というのは、結構高い壁であったりするんだよな。

 俺だっていきなり女子校に転校したら戸惑うはずだもん。……いや、それはただのハーレムか。


「初日は緊張もしていて帰り道に貧血になっちゃって休んでいたんです。それでいきなり男の子に話し掛けられてびっくりしちゃって……」

「そうだったのか……。ごめんね、そんな事情も知らずに」

「いえいえ! 謝るのは寧ろ私の方です! 優しくしてくれたのに失礼な態度をとってしまって」


 ぺこりと頭を下げる桜ちゃん。

 失礼というと最後に逃げるように去っていたあの事かな?


「仕方ないって。桜ちゃん、男が苦手なんでしょ?」

「苦手というか、話し慣れていないので怖いんです。あの時もまさか晴流にいだとは思わなかったですし」


 視線を下ろし、横髪を弄りながら続ける。


「でも晴流にいで良かったです。今でもずっと優しい晴流にいで……良かったです」

「いや、俺はそんな別に」

「ふふ、そういう所も変わってないですね。安心しました」


 そう言って桜ちゃんはにっこりと微笑みかけてきた。


「……今日はお姉ちゃんのお見舞いに来てくれたんですよね?」

「あ、ああ」

「立ち話もなんですからとりあえず中に入ってください。お茶を淹れますので」

「そんな大丈夫だって! ……俺はもう帰るから」

「それは駄目です。もっと晴流にいに聞きたい事とかありますから」


 そう言って桜ちゃんは半ば強引に俺を堂庭邸の中へ招き入れた。




「適当に寛いでて大丈夫です。私はお茶を持ってきますので」


 俺はリビングへ通され、高級感漂う革製のソファーに腰掛けていた。


 堂庭は今は寝ているが、体調は回復に向かっていて明日は学校に行けそうな具合らしい。

 桜ちゃんからその報告を聞いて、俺は安堵した。

 いつも元気溢れる堂庭が学校を休むくらいだから、もしかしたら重い病に侵されてしまったのではと俺は考えていたのだ。


「私の風邪がお姉ちゃんに移っちゃったんですよ」


 トレーに手を添えた桜ちゃんがこちらに運びながら言う。


「私、今もずっと病気になりがちでよく学校も休んでるんです」

「ああ、そうだったのか……」


 過去の記憶を今一度巡らしてみる。

 幼稚園時代の桜ちゃんはよく風邪を引いたり、熱を出したりして寝込んでる時が多かった。

 その度に俺は遊び相手が減ってしまった事に寂しくなり、堂庭に慰められてたんだっけ。


 ――俺って幼稚園の頃、堂庭だけでなく桜ちゃんとも遊んでいた事忘れかけていたな。

 十年も昔の記憶だから仕方ないかもしれないが、口に出すのは今だとご法度だろう。


「桜ちゃんもあの時と比べると随分と変わったよな」

「え、そうですか? ……例えばどんなところが?」


 桜ちゃんはきょとんと目を丸くして、質問を返してきた。

 幼稚園以来なのだから、頭から足先まで全部変わっている。

 だが具体的にはどうだろう?


 俺は気付くと彼女の胸元を見つめていた。

 桜ちゃん、意外と胸あるんだな……。


 正直な感想はそれ位だ。あとは何というか、やっぱ可愛いのだ。

 おっとりと優しい雰囲気を醸し出している少し垂れた目に艶めいた唇。

 制服の隙間から覗かせる白い肌は眩しいほどに綺麗で、堂庭に負けず劣らず美しい。


 だがそんな事は恥ずかしくて言えないので、俺は少し考えた後にこう口にしたのだ。


「大人になった……って感じ?」



 あ、やばい。発言ミスったかも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る