第6話
『地下鉄ヒナタ駅』。そう書かれた看板を軽く見上げてから、アレイルは地下に続く階段を下りて行った。歩くたびに、肩にかけた布の袋の中から硬い物が触れ合う音がする。右手には鉄の棒の先端を削った槍。野犬や強盗から身を守るために車に積んでいたものだ。
「カナフ! お前は外で待ってな!」
主人の命令にカナフは一声鳴いて返事をすると、入り口近くの折れ曲がった道路標識にとまった。
それを見届け、水の淵までたどり着くと、アレイルは小さなパックを取り出した。もとはハンバーグでも入っていたものだろうが、長い時間で中身は茶褐色の液体になっている。中身がかからないように注意しながら、切り口をつまんでパックを開ける。
「くっせえ!」
むせそうになりながら、カフェオレのように濁った水に液体をドボドボとまいていく。空になった袋を投げ捨て、アレイルはじっと水面を見つめた。
「さて。うまく来てくれればいいが」
どこかで、パシャっと魚が跳ねた。遠くで長い年月に耐えきれなくなった廃屋が崩れる音がする。カラスが鳴いた。
「……来ねえな」
思わず呟く。
「待つのが嫌いだから、釣りは好きじゃねえんだけどな……」
かといって、水の中に潜るのは危険すぎる。三つ目のパックを空けた時だった。
黒い影が底から滲むように水面に広がる。大きい。階段の奥に続く通路の幅一杯はある。
「来なすったな」
アレイルは空になったパックを投げ捨て、ビンをバッグから取り出した。中には半分ほど貴重なガソリンが入っている。栓には導火線代りの縄が取り付けられていた。火炎瓶に火をつけると、それを持ったままもう片方の手で小石を水に投げ込んだ。
水しぶきを上げ、巨大な顎(あぎと)が現れた。乱杭(らんぐい)の牙に飾られた、仔牛くらいなら飲み込めそうな口。その穴にアレイルはビンを投げ入れた。
その生き物は反射的に口を閉じる。
火炎ビンが爆発する。口から洩れた爆発の勢いで空気が揺れた。
そこでアレイルは初めてその怪物の姿をまともに見る余裕ができた。それは大きなワニのようだった。ワニは身をよじらせてのたうちまわる。
跳ね上げられた水が豪雨のように降り注いだ。
「やっぱり火炎ビンだけじゃ足りないか!」
壁に立て掛けてある槍をひっつかむ。
階段の高低差を利用し、ワニに飛び乗るようにして槍を頭に突き立てる。だが硬い皮膚で阻まれた。浅い。
ワニが頭を振り、アレイルは弾き飛ばされる。壁に叩きつけられ、そのまま水の中に落ちていった。
もがいたのか叩きつけようとしたのか、トゲの生えた尾がアレイルの真横に迫る。その尻尾に頭と同じような口と牙があるのを、アレイルは一瞬で見て取った。だが驚いているヒマはない。
槍を楯にし、あえて尾の勢いに逆らわずに水の中に倒れ込む。マントが尾に絡まって剥がれた。鼻と口から思い切り油臭い水の飲み込み、思い切りむせた。水に倒れたとはいえ衝撃はすさまじく、視界がゆがむ。
ワニは水の中に潜って逃げようとしていた。幸い頭に受けた衝撃が残っているのか、動きが緩慢だ。アレイルはワニの真横に回り込む。
「逃がすか!」
金色の目に槍を突き立てた。角度から頭の奥にまで入り込んだはずだ。
そこで初めてワニは意外と甲高い悲鳴をあげた。
もがいて振り回される尾や牙の生えた口にひっかけられてはたまらない。半分泳ぐようにして、避難する。しばらく水しぶきが上がっていたが、だんだんと跳ね上がる水の勢いがなくなり、やがて静かになる。
「こいつは……」
アレイルは水に浮かんだワニの死体を見つめた。尻尾についた口から体に残った空気が漏れ、小さな泡が上がっている。
「どう見ても自然な生き物じゃねえぞ。やっぱりアイツが近くにいるのか」
こうなったらいつまでも死体を眺めているわけにはいかない。上がシャツ一枚になったアレイルは、水面に浮いているマントを拾い上げた。
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