山神様の呪い

神月

第1章 ~出会いと別れ~



 ジリジリと刺すように照り付ける太陽は、まさしく夏のものだ。

 春のように優しくも、秋のような愁いも無く、冬に少し似たものはあるが、まるで違うものがそこにある。

 冷たさが熱さに変わり、裏と表の存在のような感じだ。

 暦の上ではそのとおり、正反対の性質と言われているから、その考えは正しいだろう。

 ポケットの中から、汗をたっぷり吸ったハンカチを取り出して、額を拭う。

 ハンカチの中にある水分が限界に達しているのか、拭ってもハンカチから溢れた水分が、水滴となって額に付く。

「うっとおしいなあ」

 一人愚痴っても、聞いてくれるのはミンミンゼミだけだ。

 トンネルを抜けたあたりから、永遠とばかりに鳴き続けている。

 腕を額につけて日陰を作り、空を仰ぐ。

 沖縄の海のように透き通っていそうな蒼い空と、太陽の光を浴びて元気いっぱいになった草木の山々が目の前いっぱいに広がっている。

 ここの村は、山に囲まれた谷の中に造られている。十年前、ダムにするはずだったのが、お上の人達の経済的事情だか、民衆の反対デモのせいだか、詳しくは知らないが、何かがあって作業がうやむやになってしまったらしい。

 そのおかげで、わたしことなつき夏希は、毎年おばあちゃんの家で夏休みを過ごすことになっている。

 本来ならば、今頃、おばあちゃんの家の一番涼しい縁側で、おじいちゃんと一緒にスイカを食べているはずだったのに、おじいちゃんは近所のダイゴローさんって言う人と、碁を打ちに集会所へ行ってしまった。

 わたしは仕方なしに、縁側でゴロゴロしていると、お母さんに見つかり、「そんなに暇なら、外に遊びに行きなさい!」と言われ、無理やり家を追い出されたのだ。

 しぶしぶ家から出て家沿いを歩いていくと、途中からコンクリートの塀が、植木の塀に変わる部分があった。塀越しに、家の中を覗くと、先ほどまでわたしがいた縁側に、お母さんとおばあちゃんが、団扇を仰ぎながらスイカを食べているのを発見した。

 わたしは、ダッシュで家に戻り、抗議するか迷ったが、数秒後、面倒くさいので止めて、散歩を続けることにした。

 もちろん、家に帰ったら抗議はするぞ。

 右に森、左に田んぼがある道を歩いて、既に、数十分は経っている。

 どこまで行っても、変わらぬ景色。家一軒見当たらない。

 田んぼの中に人はいるが、まばらな上、仕事中だったので声はかけにくい。

「まったく、自販機くらい、置いていてもいいじゃない。お金、ないけど……」

 自分で言っておいて、虚しさが広がる。

 田舎へ行くということで、お小遣いはあまり持ってきてはいないが、ジュースの一本や二本くらい、買うお金は持ってきている。

 それというのも、おじいちゃんとおばあちゃんから貰う予定の、お小遣いを考えて、あえてあまり持ってきていないのである。

 いつも最終日に貰うので、お財布はリュックの中に入ったままだ。

 ミンミンゼミの他に、ジージーと鳴くセミの声も聞こえ始めた。

 正直うるさい。

 左の田んぼがようやく終焉を迎えた。田んぼのあった場所は、ただの原っぱになり雑草だらけだ。それでも、歩いたという実感が沸いてくる。

 がんばったよ! おじいちゃん!

 その原っぱはすぐに終わりを告げた。今、わたしの目の前にはコンクリートの橋が見えている。近づくと、『さよなら橋』と書かれていた。

 縁起悪い橋だなぁ。と思う。


「お前、今、悪趣味な橋だと思っただろ?」

 原っぱの方から声が聞こえ、そちらを向いた。しかし、誰もいない。

「誰か、いるの? 姿見せないなんて、そっちの方がよっぽど、悪趣味じゃない!」

 腕を組み、仁王立ちして待っていると、再び声がした。

「それも、そうか。……よっ、と」

 草の中から人が現れた。

 わたしの一回りほど、年齢が離れていそうな青年だった。

 白いランニングのシャツに七分丈のGパンを身に着けて、黒い髪の上には麦わら帽子をかぶっている。

 どこのど田舎の大将だ。そう思ってしまった。

 葉っぱの付いた麦わら帽子の鍔を上げると、青年の瞳が見えた。

 赤褐色だ。いや、赤眼と言った方が良いだろうか。コンタクトだろうか、それにしては色が非常に鮮やかである。

 わたしが凝視しているのに気付いたのか、青年はにんまりと笑った。

「お譲ちゃん。この眼が気になったんだろ?」

 わたしは首を上下に振った。

「なら、教えてやるよ。この眼に隠された、呪われた悲劇の物語を!」

 そこでわたしは一瞬で白けた。いくら、わたしが小学生の子供でも、もう高学年だ。

 そんなありもしない呪いとかを、語る人にろくな奴はいないって知っている。

 別に、呪いや悲劇が怖いとかでは、断じてない。

 本当に怖いとは思っていない。お化けなんているはずない。いるはずがないんだ!

「帰ります」

「あ、そう。それじゃあね」

 青年は手を振って別れを告げる。

 青年があっさりと引いたことに、わたしは驚いた。

 普通、相手を怖がらせようとする人は、絶対に最後まで聞いてほしいと思い、何が何でも聞き手を逃がさないはずだ。

 少なくとも、わたしの同級生の男子たちはいつもそうだ。

 嫌がることは何が何でも、やりぬく根性が男にはある。そう思っていた。

 それなのに青年はそんなことはしない上に、もうわたしには興味が無いといった風だ。その態度だと、知りたくも無いのに気になってくるではないか。

 青年が草むらをかけ分けて行ってしまう。

 わたしの中の好奇心が、荒波を立てて襲う。わたしの中の彼に対しての不信感を打ち消すほどに。わたしは青年が見えなくなる前に呼び止めた。

「待って!」

 青年は顔だけ振り返る。

「す、少しくらいなら、聞いてやってもいいわよ」

 わたしは腕を前で組み、そっぽを向きながら言うと、青年はクックッと笑いを堪えながら体もこちらへ向けた。

「なによ。何がおかしいの!」

「別に。ナンデモアリマセンヨ」

 あからさまな棒読みに、わたしは怒りと汗を外に出す。

「ムカつくわよ! そのしゃべり方! わたしをからかっているわけ?」

 青年は飄々とした態度を崩さずに、両腕を頭の後ろに回した。

「ソンナコトアリマセンヨ。まったく全然少しも雀の涙ほども蚤一匹ほどもミジンコ一匹くらいはあるかもしれないな」

「って! やっぱりあるんじゃない」

「人間、正直が一番って言うからな」

「アホか!!」

 わたしは肩で息をした。怒鳴りすぎて喉がチクチクする。

 炎天下の中、日陰の無い道を三十分間、延々と歩いていたせいもあるかもしれない。

 わたしは喉を押さえて、何度か咳をした。

 青年は、草むらから出て、道まで来てくれた。

 少しは心配してくれたのかな。

 そう思った瞬間、青年は徐にわたしの顎と額を掴み無理やり口を開かした。

「あ、あいふんはよ」

 青年はわたしの発言を無視して、今度は後ろポケットから小型のペンライトを取り出し、わたしの口の中に突っ込み、中を照らした。

「う~ん。喉が少し腫れているな。お譲ちゃん、家に帰った後とか、ちゃんと手洗いうがいしてないタイプだろ」

「あんはひ、ひはれはくふぁい」

「とりあえず、応急処置をするか。ちょっと待ってろ」

 青年は手を離すと、踵を返して草むらの中へ駆けていった。

 手を離す時、青年は軽くわたしの額を突いただけなのだが、その衝撃でわたしは思いきり尻餅をついた。

「いったぁ~い。何なのよ、あの男は。意味わかんない。」

 良い奴なのか。悪い奴なのか。乱暴な奴なのか。優しい奴なのか。子供っぽい奴なのか。大人なのか。

 考えれば考えるほど、よくわからない人だ。

 そこまで考えて、ようやく思い出した。

 まだ、彼と会って数分しか経っていない上に、まだ彼の名前を教えてもらっていない。そもそも、自分だってまだ名前を言ってないではないか。

 初歩中の初歩のことを何一つしていないのに、何故、彼のことを知ろうと考えたのか。いや、そうではない。

 見ず知らずの彼のことを理解したいと思っている時点で、すでにおかしい。

 別に知らなくても良いことだ。

 わたしは立ち上がる途中の中腰の状態で、お尻を叩いて土を落とした。

 砂が混ざっているので完全には落とせなかったけど、気にならない程度までは落とせた。わたしは橋に背を向けて、来た道を引き返した。

「おい! お譲ちゃん。そこで止まってないと、危ないよ」

 青年の声が後ろの方で聞こえた。

 わたしは振り返らずに進み続ける。景色は既に右に田んぼ、左に森が広がっている。太陽は、やや西に傾いているため、わたしは太陽を見ることはできなかった。



 ーーパコッ

「いたっ!」

 頭上に小さくて硬いものが降ってきた。頭を擦ると、髪の毛にプラスチックの細長い物が引っかかっていた。

「何これ」

 手に持つと、それは魚の形をキーホルダーのようなものだった。口先に白い糸が付いているが、その先は切れてしまっている。

「ナイス、ヒット! 目測通りだ」

 振り返ると、青年がすぐ傍まで来ていた。手には長い釣竿をこちらに向けて持っている。

「え?」

「さっさと帰るなんてひどい奴だなあ。ほら、これ」

 青年はズボンの後ろポケットから、茶色の瓶を出して、差し出してきた。

「何それ」

 訝しげに見るわたしに、青年は釣竿を片手で持ち、空いた方の手を腰に当てた。

「何って、喉の痛み止めだよ。こう見えても、救急セットは持ち歩くたちでね。ほかにも、うがい薬に腹痛止めに、頭痛薬に乗り物酔いの薬、消毒液に絆創膏にシップ薬、それからビタミン剤に高血圧人向けの薬に、糖尿病人向けのもあるし、非常食に包帯、熱さましの薬に、毒薬なんかもあるぞ。もっと楽しいのは、この飲めば必ず腹痛になる呪いの弁当に、その辺の雑草と混ぜてみた薬草に、それから…………」

「もう、いいから。ていうか後半の方、全然、救急でも、薬でもないんだけど」

 青年は声を出して笑った。

 わたしは肩を竦めてから、改めてビンの中身を見る。カプセル剤のようだ。粉が駄目なわたしでも飲めそうだが、この大きさだと、水が必要になる。

「ねえ、お水は?」

「ん? 無い」

 即答した青年に、わたしは、は? と聞き返した。

「だから、無いって言ってるだろ。この炎天下の中、ずっと水辺で釣りをしていたんだ。全部飲んじまうに決まってるさ?」

「ちょっ、そしたらどうやって飲めばいいのよ。まさか水無しで飲めって言うんじゃないでしょうね」

 わたしの言葉に、青年はニカリと笑って見せた。

「いい場所があるんだよ。今度はちゃあんとついてくるんだぞ?」

 意味ありげに言う青年に、わたしは口をへの字にしつつも従うことにした。

 別に、また無視しても良いが、どうせ薬を飲むまでは帰らせないように、青年は行動するのだろう。

 絶対にそうだ。そうに決まっている。

 わたしはそう確信した。

「そう言えば、まだ、名前言ってなかったよな」

 青年は、体を斜めに振り返りこちらを見る。

「俺の名前はサチだ。お譲ちゃんは?」

「夏希、《みそら なつき》未空 夏希」

「へえ、夏の希望。いい名前だな」

 青年―サチは笑顔で言った。特に感慨も無く、率直で素直な言葉なのだろう。お世辞ではない言葉に、わたしの顔は更に熱くなった。


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