チェンジ・ザ・ワールド
風魔 疾風
プロローグ いつか見た忘れることなき夢《オール・ビガン・フロム・ザ・ドリーム》
僕の目の前で起こったそれは、とても言葉では表しきれないほどの惨劇だった。
眼下に広がる見渡す限りの大都市は、あらゆる建造物が燃えており、そこに暮らす人々は逃げまどい、そしてそれを許さないとばかりに人々を見つけては惨殺していく者たちがいた。ただ殺戮を繰り返している者たちは、まるで人の姿を成していなかった。
ある者はその身に炎を纏い、自らの燃え滾る拳でもって人々を灰にしている。
ある者は虚空から剣を取り出し、刃向かう人々を同じように取り出した盾で防ぎ、切り捨ててはまた別の人に切りかかっている。
世界は荒廃を続けている。僕はそんな世界を俯瞰していた。
至るところで繰り返し続く爆発、逃げまどう人々の恐怖からくる絶叫、そして容赦なく襲い掛かってくる異形の者たち。頼むから夢であってほしい。そんな思いが僕の頭をよぎるが、全身から伝わってくる熱気、じんわりとにじみ出てくる手汗、何度も繰り返されている爆発音や剣戟音がより現実味を帯びさせる。
おかしなことは出したらきりがないと思うが、自分の身体が宙に浮いているということが、今の僕にとっては一番おかしなことだと直感する。
「どうしよう……でもここにいても何も変わんないし、降りてみようかな」
空中を漂っていても意味がないと思った僕は、海底に潜るように陸に向かって移動し始めた。地面に近づくにつれて体感温度は上がり、周りの音も雑音のような大きさから、ライブハウスにいるかのようなけたたましい音がたびたび聞こえてくる。
やがて僕は、アスファルトが敷き詰められた都市部の十字路に降り立つ。
降り立った位置を中心に辺りを見渡すと、さっきまでよりも細かいところがうかがえるようになった。
車の通りはなく、そのものがあっても横転していたりペシャンコに潰されていたりして、とてもじゃないが走ることはできなさそうだ。人々はどこへ逃げればいいのかわからず道路中を右往左往していたり、建物の中に置き去りにされた自分の子供や会社の同僚を思ってすすり泣いていたり、覚悟を決めたように異形の者たちに立ち向かっては返り討ちにあってそこら中に放置されていたりと、上空から見下ろしていたよりも地獄絵図だ。
「くそっ、どうすりゃいいんだ!」
とか、
「待って、離して! 中にはまだ私の息子が……」
「頼むから行かせろ! 行かせてくれぇーっ‼」
とか、
「こうなったら仕方ねえな。やれるだけやってやる!」
「おい君よしなさい! 死にたいの⁉」
「うるせえ! 俺の勝手だろ!」
とか、じわじわとはらわたを抉り取られるような、悲しみの声が耳に響いてくる。
もしもこの場で僕が戦いに参加できるとしたら、一切の迷いもなく戦火に身を投じるだろう。僕にはついこないだ、それができるだけの力が手に入ったのだから。
ただ、さっき空中にいた時に異変に気づいた。力が発動しない。
本当なら、発動のトリガーは意識を集中させればいいので、そんなに難しいことでもない。だけど、この世界――――自分でも思いたくないが、比較的に考えて僕がいた現実世界に近い――――はそれすらも拒絶し、許してはくれないのだ。
僕は何故この世界にいるんだろうか。そもそもこの場所は一体どこなのだろうか。人々が発する言語は日本語、道路標識もひらがなカタカナや漢字、これだけでも日本のどこかの都市部だろうと想像はついた。でも僕のいた世界では、テレビのニュースでも新聞の大見出しでもインターネットの掲示板でも、眼前に広がる光景について一言も書かれていなかった。
どうなっているんだといよいよ途方に暮れると、突然顔に何かが覆い被さる。
何だ⁉ まさか敵襲か⁉ ちくしょう、こんな時に!
そう思った僕は、たまたま中学時代に見かけた電化製品を売ってる店が流していたカンフー映画よろしく、アチョーと小声で言いながらそれらしく身構えて見えない目で周囲をうかがう。だが、相変わらずの叫びは聞こえるものの、僕に対するリアクションは全くなかった。
ノーリアクションだったことで冷めた僕は、頬を膨らませ覆い被さったものをゆっくりと顔面から剥ぎとっていく。
それは新聞だった。しかもわら半紙にモノクロ印刷。僕の時代の新聞は手に取っているこれとページ数こそあまり変わらないが、全部真っ白なコピー用紙にカラー印刷を施したものだから、見たことがないために斬新さに驚いた。
しかし、僕はそれ以上の驚きを覚えることになる。それは新聞の日付だ。
「一九……九九年、七月七日⁉」
僕の生まれた時代から数えて、およそ五百年前だったからだ。
しかもこの頃と言えば、歴史の教科書にも大きく取り上げられるほどの大事件が起きていた頃だ。
まさか僕は、そんな激動の時代にタイムスリップしてしまったのではないのか⁉
頭にそんな直感がよぎったときに、世界に変化が起きた。
逃げ回る人々、暴れまわる者たち、大火事の建築物、それら全てが次々と煙のように消えていくのだ。不可解な光景に僕はその場で立ち往生してしまう。
一体何が起き始めたんだ? 僕が核心的なことを考え付くからこうなってしまったのか?
混乱する頭では考えがまとまらない。と、今度はその頭に激痛が走る。
「うわああああああああああああああああああああああああああ‼」
急転直下の出来事でパニック状態に陥っていたところにこれだ。
僕が何をしたっていうんだ。これが夢じゃないならとんだ罰当たりだ。
もし神様仏様が存在するっていうのなら、僕にこんな仕打ちを与えて何をさせたいのか問いただしてやる!
痛みに悶絶しながらも心にそう誓った僕は、葛藤の末耐え切れず、ついに倒れ伏して気を失ってしまった。
◇
次に僕が目を覚ましたのは、とても静かな場所だった。
瞼が重い。まだ寝ぼけてるのかな? 視界が開けてきてもさっきのこともあってか、現状の把握には少し時間がかかる。
血が巡ってきた僕の脳が視神経を通して認識したものは、目の前に広がる夜空だった。
だが、ふと思う。星々が煌めく空は普通なら、方向でいえば上にあるはずだ。見上げてるわけでもないのに真正面にあるはずがない。それに視界が僕の意識とは違って勝手に動いているんだけど、一体どうなってるんだ?
でもそんな些細な疑問は、自動的に動く僕の目が捉えてくれた。
ちょうど見ていた方向とは反対側に、右側面が青く輝く巨大な星があったからだ。言わずもがな、地球だった。僕は今宇宙空間にいるのだ。そして視界の右端の方で太陽が光り輝いている。おそらく月もあるだろうけど、視界に入らないのは地球の反対側にあるか、宇宙の闇に隠れているからなのだろう。まあそれはよしとしよう。
第二の疑問。何故宇宙空間なのに「立つ」ことができて、息苦しくないのか。
今の僕は完全な直立不動ではないものの、確かに宇宙という空間内で立っている。重力がはたらく見えない足場の上に。さらに、宇宙空間は主に水素とヘリウムしか存在しない。人間が、というより生物が活動するためには、最低でもあと酸素と炭素と窒素は必要不可欠なのだ。それらが存在しない空間は、大抵は真空と呼ばれる。つまり、宇宙も真空なのだ。
にもかかわらず、ボーっと地球を見つめている僕の鼻孔は実に快適だ。実に不思議だ。
そして……唐突にあさっての方向を向いた僕の視界が捉えた第三の疑問。
あの、いかにも「これから地球に衝突しにいきます」とご丁寧に挨拶してきそうなほど、一直線にこちらに向かってくる隕石は何なんだ?
いや、何も隕石自体はそれほど珍しいわけでもない。たとえそれが、地球の半径とほぼ同じくらい大きなものだったとしても。現に世界中のあらゆる場所に、隕石の落下地点であるクレーターが存在しているのだ。僕は知らないけど、探せば日本にもあるかもしれない。
もちろん隕石ほどの脅威が、自分の身に危害をもたらそうとしている現状も、少し驚いてはいるがそれ以上に、その隕石を片手で軽々と握りつぶせそうなほどの巨人が、僕のことを守るようにして目の前にいることの方が驚きだ。しかも男女一人ずつ。
それだけではなく、彼らが着ている服装も歴史の教科書で見たことがあるような昔の和装だった。女性の方は、確か十二単だったかな? そんな名前だったと思う。
偉人で例えるなら、まるで聖徳太子と紫式部のような出で立ちだ。
後光が差し込むかのような、神々しい装い。僕には神様のようにも見えた。
あ、神様と言えば! とさっきの誓いを思い返す。
正直あの頭痛は我ながら虫唾が走った。こんなことは普段の僕なら絶対言わないけど、さすがにあれだけはどうだろう。
この苛立ちをぶつけるにはふさわしい人たちだ。ちょうどいい。僕はそう思った。
でもすぐに、苛立ちはやり場を失って自然に収まっていく。確かに僕はいちゃもんつけるために口角を広げた、唇も動かした、歯ぎしりもした、だけど声は出なかった。
というか、それらの口の動作までもが僕の意識に逆らって、動かなかったり少し開いたりしている。
「…………」
声なき声でその巨人たちに話しかける僕。相手も振り返って応答はしているようだけど、その声すらも僕の耳には届かなかった。
無声映画の主人公に乗り移ったかのような、奇妙な感覚。これが本当なら、おそらくはこの巨人二人が地球に振ってくるあの隕石を食い止めるというのが、クライマックスの展開なのかもしれない。
じゃあそんな状況に立ち会っている僕は一体何なんだ? この二人にとって僕はどうゆう存在なんだ?
そこまで考えたところで、勝手に動いていた口が閉じ、向こうも閉口して会話が終わった。
すると、二人は僕の方を向いたままニコッと微笑むとすぐに険しい表情になって、近くまで迫ってきている隕石の方に向き直った。
そして二人は、お互いの内側の手で合掌する。と同時に、僕の身体がフワッと浮いたかと思うと、急速に二人との距離が離れて、地球に吸い込まれるように近づいていく。
僕は絶叫していた。声も出ないのに。意識して動かしてるわけでもないのに。
ただその口の動きから、僕が叫んでいる言葉は分かった。
それは僕にとって、そのありがたさが分からない存在。
それは僕にとって、涙ながらに求め続けた存在。
何でかな。声は出なくてもよく発する言葉だけは口の動き方だけで分かるのは。
僕は確かにこう叫んでいた。
二人の方に手を伸ばしながら。目に涙を浮かべながら。
「お父さん! お母さん!」
と――――
僕が最後に見た二人は、涙を流しながら僕を見た後に隕石の方へ飛んで行っていた。
ここまでが、僕が最近見る奇妙な夢の全てだ。
起きると決まって大量の汗をかいていて、時計を見るとまだ深夜だったりすることがよくある。おかげで二度寝を繰り返し、翌朝起きれなくなることがたびたびあるのだ。
しかもその夢を見る頻度は、中学校に入った時に比べて少しずつ多くなってきている。もはや悪夢だ。意図的に違う夢を見ることが出来る機械でも欲しいくらいだよ。
そしてあの巨人。夢の中ではそう思っていても、目が覚めて頭が冴えてくると、自分の両親とは全く違うんじゃないかと思えてくる。
全部ひっくるめてもおかしな夢だ。何なんだ一体。
僕はこの夢を見るたびに、自分の境遇を呪いたくなるほどに苛立っていた。でもこの頃の僕は、この夢が僕の運命と切っても切れない関係にあったとは、知る由もなかったのである。
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