第17話

 ボクが家族と共にリンハラに渡ったのは十歳のときだった。父が新リンハラ会社に付帯する軍隊の主計官となったことが理由である。

 もっとも報告のために年に一度は本国へと戻っていたから、ずっと向こうで暮らしていたわけではない。だから渡ったとはいっても、リンハラに移住したという感覚はなく、むしろしばらくはふたつの国の間を行ったり来たりしていたという印象の方が強く残っている。

 現地で私腹を肥やした多くの社員とは違い、父は不正行為を潔しよしとはせず、ボクの家は給料だけのささやかな生活を送っていた。他の社員が豪邸に暮らし、現地人を使用人として何人も雇い入れ、贅沢な暮らしをしているのを横目に、簡素な住まいでの毎日であった。

 子供心に他の同国人の家庭を羨ましく感じたのは仕方のないことだったかもしれない。

 だがそれを言うと、父にも母にも、よくないことだといつも厳しく諭された。

 リンハラで暮らすようになり、一年を過ぎた頃には、友人も何人かできた。新リンハラ会社の社員の子供もいれば、現地人の子供もいた。

 そのなかでも特に仲がよかったのは現地人のある少年だった。言葉はお互いカタコトでなかなか通じなかったとはいえ、なぜか気が合った。もはや名前も思い出せないが、よく一緒に遊んだことと彼の浅黒い顔はよく憶えている。

 不幸もあった。

 十四歳のとき、母が熱病にかかってあっけなく死んでしまったのだ。

 一言も文句を言わなかったが、慣れない異国での暮らしと母国との往復で、ずいぶんと体力を消耗していたようだった。

 それ以来、ボクは父が仕事で他所へ行くときも、一緒について行くことになった。

 普段は会社の本部が置かれているバンコル州が父の勤務先だった。ただ主計官という仕事柄、しばしば、他の州で展開されている軍の駐屯地へと出かけることもあったのだ。

 だが、ただ一緒について行くだけではない。そのころからボクは父の仕事を手伝うようにもなっていた。

 現地の藩王との交渉や徴税担当などと違いって、経理は副収入を期待できる仕事ではない。

しかも経理は専門職であり、それなりの知識と能力が必要だったから、リンハラまで一攫千金を夢見てやってきた人々には人気がなく慢性的に人手が不足していた。

 そもそも父は純粋な新リンハラ会社の社員だったわけではなく、元々は本国の軍隊で主計官をしていたのだ。力をつけてきた新リンハラ会社の内情を確認する意味合いもあって、政府から送り込まれた人間という事情もある。だから、易々と信頼できない者に業務を手伝わせるわけにもいかなかった。

 そこで目をつけられたのがボクだった。幼い時分より父の仕事を見て育ったためか、比較的、経理事務に関しては覚えが早かったこともある。なにより無給で便利に使える存在だったのである。

 それはファズール州の駐屯地へと出かけたときのことだ。

 本国ではすでに鉄道の敷設が始まっていたが、まだリンハラでの移動は馬車が中心だった。二三日かけて遠くの駐屯地まで行くことも珍しくない。そんなときは途中の村で泊まっていくのだが、さすがにずっと馬車に乗り続けているのは疲れるもので、仕事の多い父などは、よく車中でうたた寝をすることもあった。

 そんなときは退屈を紛らわすために、馬車の小窓を開けてひとり外を眺めることが多い。どちらかといえば寒冷な本国と比べて、ここリンハラは赤道に近く熱い土地であり、風景もまるで異なる。なかでも異国の農村の風景は子供心にも楽しかった。

 だがその日は違った。

 荒れた大地のなかに、土壁の粗末な家屋がポツリポツリと続く典型的なリンハラの農村の風景のなかに、時折、白いモノが落ちている。

 なんだろうと不思議に思い、よく目をこらしてみる。

 それは人の骨だった。

 白骨化した死体が幾つも転がっているのだ。

 なかにはまだ白骨化していない死体もあった。

 視線が動かなくなった。なぜこんなにも死体が放置されたままなのか理由が分からない。

 驚愕するも声ひとつ立てることができず、ボクはしばらく呆然と外の景色を眺めていた。

「見てはいけない」

 声と同時に肩を叩かれて我に返る。

「小窓を開けるなと言っておくべきだったか」

 うたた寝から覚めた父は、ため息をついて手を伸ばし、小窓を閉めた。

「父さん。あれは」

 そう声を出すのがボクには精一杯だった。

「これがリンハラの現実だ」

 暗い声で父は言った。

 ここファズール州は織物が盛んで、以前はこの木綿の織物が海外に輸出されるほど、まさに産業の柱だった。

 理由は安い労働力にある。

 ファズール州での綿織物は、各家庭レベルでの手作業であり、生産力自体はそれほど高いわけではない。だが、社会格差が著しいリンハラでは、貧しい農村の労働力は驚くほど安く、そこで生産される綿織物も、非常に安い価格で手に入った。

 そこに目をつけたのが新リンハラ会社だった。三王国に輸入された綿織物は、リンハラからの輸送費を入れても、ラグリシアの各地で生産される毛織物などと比べて圧倒的に価格面で勝っていた。豊富な資金力にものを言わせ大量に輸入したこともあって、木綿の衣服は、特に家計の厳しい下層階級の人々の間に、凄まじい勢いで広まったのだ。

 あまりにブームに、三王国をはじめとするラグリシアの各国は、国内の織物産業を保護するために木綿の輸入の制限を試みたが、結局、需要に押されて大した効果を上げることはできなかった。

 だが蒸気機関が普及し、三王国で織物産業の機械化が進むと、自体は一変した。

 リンハラから輸入するよりも安く綿織物が生産できるようになったのだ。

 さらには三王国の工場で大量に生産された綿織物が、これまでとは逆にリンハラにまで輸出されるようになったのである。輸出が盛況なときも儲けたのは新リンハラ会社だけで、生産者に還元されることはなかったこともあり、そのため貧しいファズール州の織物産業はあっという間に壊滅した。

 さらに徴税権を現地の支配者から手に入れた新リンハラ会社が、日頃から厳しい取り立てを行っていたことも原因のひとつだ。

 ここファズール州では輸出の還元もなく、しかも税の取り立てが厳しいあまり、農村の荒廃が著しく、しかも飢饉もあって餓死者が大勢出たという。

 あまりの惨状に死体を葬る者もなく、このように白骨が累々とうち捨てられた状況となっていた。

 結局、彼らは三王国に利益を吸い上げられて捨てられた成れの果てである。

「三王国の富も新リンハラ会社の利益も、そして私たちの生活も、あの白骨のひとつひとつによって成り立っているのだ」

 最後にそう言って、口を閉ざした父の姿はひどく荒んでいて見えて、ボクは何ひとつ返事をすることができなかった。


 それでもボクの生活は変わることなく続いた。

 ただ十五歳のときに、ちょっとした出来事があった。東方の大国シリカやってきた武術家の老人が、軍の臨時教官として赴任したのだ。

 当初、住まいが決まっておらず、父がしばらく世話をすることになった関係で、ボクとも親しくなった。

 武術家は寡黙だった。東洋の武術の達人という触れ込みだったが、背は低く痩せていて、とても強い人物には見えなかった。

 周りの人々もそう思ったのだろう。最初の訓練のときには、彼を嗤う声さえ聞こえた。

 だがいざ実技が始まってみれば、試しに挑んだ兵士は誰ひとりとしてかなわず、それこそ指一本触れることすらできなかったのだ。

 その日から、武術家の教官としての評価は急上昇した。訓練の時間外にも教えを請う兵士は後を絶たなかった。

 ボクも彼の動きに魅せられたひとりだった。幸運なことにこれまでの縁で、ボクは優先的に彼に武術を教えてもらうことができたのだ。昼は学問と父の仕事の簡単な手伝いに、そして夜はこの武術家に武術を習う代わりに、ボクは語学を教えるというのが日課になった。

 この頃にはもう同年代の友人と遊ぶということはほとんどなくなっていた。

 そんな生活が二年も続いただろうか。

 その年は年明けからリンハラ各地で現地人との小競り合いが起こり、不穏な空気が漂っていた。その余波で父は年に一度の帰国の予定を変更し、事態が沈静化するまでリンハラに残って経理に従事することになってしまった。

 治安の悪化から州外へ出張が難しくなり、各隊からバンコル州へと帳簿を送ってもらい、この場所で業務を行っていた。面倒で時間はかかったが、さすがに本社のあるこの地での勤務なら、安心だと思われた。

 当初は代わりに各州に展開されている部隊との連絡が途切れることもあり、そのために父の仕事の量は変化が激しかった。春には散発的ながら小規模な反乱が増加し、なかなか他州の部隊と連絡が取れず、帳簿も届かないことから、逆に仕事があまりなく、暇をもてあますことが多かった。

 だが夏になって事態が沈静化の方向を辿りだしてからは、それまで滞っていた帳簿が一気に届きはじめ、父は深夜まで兵舎に詰めっぱなしとなった。

 生活は不規則だったが、このまま状況は改善されるのは時間の問題だと思われ、初めは心配していたボクも、この頃には安心して暮らすようになっていた。

 ひどく寝苦しい夜だった。父はこの日もずっと官舎の事務室で仕事をこなしていたから、ボクは先にベッドに入っていた。日が落ちてもうだるような暑さが残っていて、ボクはなかなか寝付けず、ベッドの中で何度も寝返りを打っていた。

 だが、ようやくウトウトとし始めたとき、激しい爆音が辺りを揺らした。

 飛び起きて宿舎の扉を開ける。

 空が赤い。

 兵舎の方だった。

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