第5話

「その通りです。父の跡を継いで一ヶ月が過ぎ、私も少し落ち着いたところで、このドラングがうちの商会を買収したいと言ってきたのです」

「なるほど。しかしまたなぜ買収などと――」

「ドラングの話では、穀物業界に進出したいから、実績のある穀物商を当たっているのだという話でした」

「そうですか。でも、話からして、アルフィアさんはその申し出を断ったのですね」

「もちろんです。あまりにぶしつけな話ですし、無礼にもほどがあります。だいたい商会の経営はうまくいっているのですから」

 若い私が家業を継いだばかりなので与しやすしと思っているのです、とアルフィアは語気を強めた。

「しかし断ればこの話はそれで終わりです。ということは、ドラングという人は諦めてはいないのですね」

「そうです。私も不快に思いましたが、これも商売のうちですからひとまず丁重にお断りしました。それでその場は済んだのですが、それから一週間も経たないうちに、うちの使用人が次々と辞めていったのです」

「辞めていった――」

「不審に思って、辞めた使用人のひとりを問いつめたところ、ドラングによる引き抜きだと白状したのです。うちの給料より一割り増しで、さらに給料の三ヶ月分を支度金として用意したのだと。おかげで今は祖父の代から居た使用人もほとんどドラングの商会へ移ってしまいました。汚いやり方です」

 うちが潰れれば向こうでもお払い箱なのに、と悔しそうに唇をかむ。

 だが、アルフィアは引き抜いた使用人の雇用は、ブラングリュード商会の買収が済むまでの一時的なものだと思いこんでいるようだが、もっともそうとは限らないかもしれない。

 もしドラングが本気で穀物業界へ進出するつもりなら、知識と経験のある人材を確保しておきたいところだ。だからブラングリュード商会に買収の話を持ちかけてきたのだろう。そんなドラングがブラングリュード商会を潰したからといって、他に人材が確保できなければ、移ってきた人間を首にすることはないはずだ。

 だが、それは言わない方がよいとボクは判断した。

「それだけではありません」

 沈黙するボクにアルフィアは話を続けた。

「これまで懇意にしてきた取引先の多くが、近いうちに私どもの商会との取引を止めると通告してきたのです」

「それも裏でドラングが糸を引いていると」

「はい。今後も私どもの商会と取引を続けると言ってくれたパン屋のご主人が話してくれたのですが、ドラングはうちが小麦を卸している店に、うちとの取引を止めてドラング商会から買うように持ちかけているのだそうです。しかもブラングリュード商会より価格を安くするという条件を持ち出して」

 気持ちを落ち着けるためだろうか。一旦、話を区切ると、アルフィアはティーカップを手にした。

 上品にカップを口に運ぶ彼女の姿を眺めながら、ボクは話を反芻する。

 どうやらブラングリュード商会は、ドラングによって内と外と両方から攻められているとみていいだろう。片や価格競争というしごく真っ当な方法で、片や使用人の引き抜きという強引な手法でだ。

 アルフィアは使用人の引き抜きの方にだけ汚いやり方だと付け加えた。これは価格競争は仕方がなくても、引き抜きには、心底、腹を立てているのだろう。それに長年、働いてきた人間が金銭で簡単に動かされてしまったことへの寂しさもあるのかもしれない。本人の話の通り、幼い頃より父の教育で商会に関わってきたのであれば、使用人もほとんどが知己の人々だろう。だから余計に悔しいのではないか。

 しかしドラングという男は相当なやり手のようだ。リンハラ成金に知り合いが居ないわけでもないが、だいたいが商才ではなく別の方法で財産を蓄えたのだ。だがドラングは良い悪いは別にして、商売の才能があり、しかもさらなるリスクを甘受できる男なのだろう。

 ただ、このようなやり方をしていれば、当然、他の穀物商からの反感も買うのではないだろうか。ライバルが困るのが嬉しいのは商売の常とはいえ、同業者に対し強引な手法を見せつけられれば、次は我が身と考えるはずだ。

 その点をアルフィアに訊ねてみると、彼女は、はっきりとはわからないのですが、と前置きしつつ否定した。

「どうやら他の大手の穀物商には、根回しがしてあるようなのです。これまではお互いに助け合ってきたのですが、皆さん、一応、気の毒がってくれるものの、今回は具体的に何か動いてくれることはありません」

 僅かに悲嘆の色が帯びた声だった。

 先ほどの使用人の件もそうだが、アルフィアにとってドラングの行為は商売敵云々より、自分と懇意にしてきた人間関係にヒビを入れられていることが何よりも辛いようだ。ドラングに対する不快感もそれが最大の原因だろう。

 利益を友とする商人らしくないとも感じるのだが、アルフィアの年齢や跡を継いでからの期間を考えるとそうでもないのだろうか。商人も経験を重ねて世知辛くなっていくのだろう。

 あるいはボクのように冷めた見方をしていくようになるのかもしれない。

 ただしそれよりも気になることがあった。

「お話によると相手は強引でありながらも周到にことを進めているようですね。ですが、本当にアルフィアさんの商会の買収の目的は、穀物業界に参入することなのでしょうか」

 話を聞いているうちに、ドラングの目的は穀物業界への参入だけにしては手法が強引すぎはしないだろうかという懸念が生じたのだ。

 だが、アルフィアはきっぱりとそれを否定した。

「そうですか。ではお父さまやお祖父さまなど、商会のどなたかが以前にドラングに恨みを抱かれることがあったということはありませんか?」

「そのようなことはないと思います。うちはずっと敵を作らないように商売を続けてきました。それでも知らず知らずのうちに恨みを買ってしまうことはあるでしょうが、さすがにずっとリンハラに行っていた人間に恨まれる覚えはありません。それに私がこれまで聞いてきた限りでは、やはり参入が目的で間違いないようです」

 ボクの心中に疑念は消えないのだが、こうもはっきり断定されると、もうこれ以上は尋ねるわけにもいかない。

 アルフィアの方はまたボクの方をじっと見詰めていた。口を閉じたのは、これですべて話し終えたと言うことなのだろう。凜とした表情につい見とれてしまうのだが、そうしているわけにもいかず、ボクは口を開いた。

「お話はわかりました。ただお話をお聞きしてみたところ、やはりボクが直接、お手伝いできることは無いように思います」

 それどころかこの状況では経営のアドバイスというのも意味がない。おそらく政界や経済界の有力者でないと解決できないだろう。

 それこそ諸方面に人脈があるバーモンダル氏の方が役に立つのではないか。

 恩義ある人の紹介だが、やはり断るべきかと思った。

 それなのに、彼女の顔を見るとどうしても断るべき言葉が出てこない。

「それでもよろしければ、明日にでも改めて商会へ伺います。もしかしたらボクでも少しはお役に立てることはあるかもしれません」

 しばらく逡巡したあげく、結局、ボクは依頼を承諾した。

 その瞬間、アルフィアが喜びというよりは安堵したかのように表情が緩み、ほっと小さなため息をついた。

 アルフィアの表情を見る限り、ボクの選択はおそらく間違っていなかったのだろう。そう自分に言い聞かせた。

「失礼ですが、商会はどちらになりますか?」

「ミッシュルストリートの一五二A――というよりも、そうですね、青い壁の大きな建物なのですぐわかると思います。もしわからなければ、ストリートの人にブラングリュード商会の建物を尋ねてくだされば、すぐに教えてくれるはずです」

 ミッシュルストリートはここから歩いて十分といかない近くである。そう言うと、私も今日は歩いてきました、とアルフィアは微笑んだ。

「御者まで引き抜かれてしまったものですから」

 もっともこれは本当かどうかはわからない。彼女なら、馬車に乗れてもこのくらいの距離ならば歩いて来てもおかしくないと思ったからだ。

 あう、と咽につかえたような妙な返事をしながら、住所をバーモンダル氏の紹介状の端に書き留める。事も無げにすぐわかるとアルフィアは言ったこともあるし、特に書き留める必要はないように感じられたが、一応、念のためだ。

「明日の午前中にはボクの予定が入っているため、お訪ねするのは午後になりますが、大丈夫ですか?」

「構いません。私も予定を開けておきます」

 そう言うと、アルフィアはソファーから立ち上がり「よろしくお願いします、リルケットさん」と右手を差し出した。

「こちらこそ」

 おっかなびっくりその手を握る。思っていたとおりの小さな手だったが、反面、しっかりと力の込められた握手だった。

 アルフィアが帰った後も、しばらくボクはその手の力の余韻に浸っていた。

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