第2話 森林 しんりん


「うぉっと……」


 しかし、その『黒い物体』は俺の目の前をまるで飛んだように通り過ぎた後、すぐに「スタッ」と立ち止まった。


「……」

「……」


 俺はその時初めてその『黒い物体』と対峙した訳だったのだが……。


「……」

「……あっ! おい!」


 俺は『それ』に向かって声をかけたのだが、なぜか『それ』は「プイッ」とそっぽを向いて、そのまま走り去ってしまった……。


「はぁ……なんだったんだ一体……」


 結局のところ、俺の目の前を横切った『あれ』がなんだったのか分からない。だが、その動きや視線の感じは『無機質』な『物』という感じではなかった。


 あれは……生きている……『動物』だ。


 でも、俺に危害を加えてくる様な事もなかったし、どうでもいい話ではあるのだけれど……。


 しかし、いくらメンタルが強くなろうと、やはり『突発的』にそういう事があると、心臓に悪い。


「はぁ……全く」


 なんだかここ最近、ため息が増えている様に感じるな……と思いながら、視線をもう一度前に戻すと……。


「……えっ、なっ!」


 あまりの景色の違いに、俺は思わず二度見をしてしまった。俺の目の前に景色は……さっきまでいた『黒』ではなく『緑』が広がっていたのだ。


「そういえば……」


 さっきまで俺の前にいたあの『モノ』も『黒』だった。


 それなのに、俺は『あれ』が『黒』だと分かった……のか……普通、黒の背景に黒い物……簡単に言えば『背景』と『置いてある物』が見分けがつきにくい。


 つまり、俺が『あれ』を『動く黒い物』だとという事は分からなかったはずだ。


「なんだ……この匂いは」


 そう、さきほどまで何も匂いすらしなかったはずなのに、近くに咲いている『花』の匂いも分かる。


 でも、いつからだろうか……。俺は、ついさっきまで……確かに『真っ黒い空間』の中にいたはずだ。


 それが今では、緑が豊かなで、しかも静かな場所にいる。


「カァー」


 その声にふと見上げると……雲が少しかかった空が広がっており、時間帯は……真っ赤に焼けたような色をしているところを見ると、多分『夕方』なのだろう。


「……いっ!」


 だが、そんな静かさよりも、俺は自分の体に走る激痛に思わず顔をしかめた。


「……ってーな」


 その痛みが一番強く感じる背中をさすりながら見渡すと俺の周りには、ただの『地面』ではなく、俺のちょうど座ったくらいの高さの『草』がある事に気がついた。


「はぁ、おいおい……」


 どうしたらこんな状況になるのだろうか……。どうやら俺はこの『草むら』に『上から』落ちた様だ。


 その証拠に、俺が座っていた『草』は俺の体重でペシャンコに潰れている。しかも、よく見ると小枝も混ざっていた。


 これで落ち方が悪かったら……なんて一瞬考えたが、その前にそもそも俺はどうしてこんなところで、しかも『草』の上にいるんだろうか……思い返してみても、正直……全く憶えていない。


「まぁ、とりあえず……」


 俺はその場に立ち上がり、身体中についた『葉』や『草』そして『枝』を適当に手で払ったり、落とした。


「うーん……」


 どう見ても……そこに広がっているのは『森』もしくは『林』である……。


「つー事は……」


 さっきまでいた『風鈴が鳴っている暗闇』と、今いるこの場所は全く関係ないのだろう。


「……はぁ」


 つまりコレは、あれだ。


 この状況はつまり、世間で言われる『お手上げ状態』というやつだろう。


 しかし、それはそれとして……今回は色々と『不明な事』が多い。


 以前何も知らずに『夢上見花』を手にした時の事思い返してみると……俺はあの花を手にした記憶がなかった。


 そして、ふと気がついた時には、俺は昔に戻っており、今の俺が昔の自分を見ている……という訳ではなく、俺自身が昔の自分になっていたはずだ。


 それを踏まえて考えると……どうも今の俺が置かれているこの状況は……おかしい。


「それに……」


 俺の服装は、『夢上見花』の花粉をかがされた時のままなのである。つまり俺は『和服』のまま……倒れていたのだ。


 はたから見ていたら……俺は、意識不明の人間か……もしくは……まぁ、『洋服』じゃなかっただけ、まだマシだったのかも知れない。


 時代によってはまだ『洋服』が存在していない可能性もあり、俺が『洋服』だったら……と、まだ『和服』で良かった。


「はぁ……」


 だが、ため息をついたところで、今の状況が変わらない……。


「ん?」


 なんて思っていると……その時、俺の前にある『茂み』が「ガサッ」という音をたてたて動いた。


「……うぉっ。びっくりしたぁ」


 今度はもっと「ガサガサッ!」という大きな音を立てながら、『茂み』が大きく揺れている。


「……」


 さすがに目の前にあるモノが音を立て、動けば、よほど鈍感な人でない限り気がつくだろう。


 これほど『緑が生い茂っている』のだから、『熊』くらい出て来ても不思議ではないのだが……正直『熊』がいたところで、俺にその事態を対処できるほどの『体術の心得』はない上に、逃げようにも周りは『茂み』に囲まれており、土地勘もない……。


 結局のところ、どうする事も出来ない状況である。


「えっ……」


 しかし、色々身構えている俺の思いとはとは裏腹に、その茂みの中から現れたモノに、思わず目を点になった。


「ん?」


 そう、目の前の『茂み』を大きくかき分けて現れたのは、『熊』なんかではなく……一人の『男性』だったのだ。

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