残念公主のなりきり仙人録

チサトアキラ/ビーズログ文庫

序章①

「昔、昔。ある村で日照りが続き、人々は苦しんでいました。

 そこへ一人のみすぼらしい老人が、痩せ細った猫を連れてやってきました。

『私の大切な猫が、飢えと渇きで苦しんでいるのです。水を一杯いただけませんか』

 村人達はその老人を憐れに思い、貴重な水を分け与えました。

 すると、何ということでしょう。その老人は突然、美しい若者に姿を変え、猫は立派な毛並を持った白虎へと変化しました。

若者は言いました。

『他者を思いやる心、まことに立派である。お礼に雨を降らせよう』

 若者が杖を振り上げると、空が曇り、雨が降り始めました。

 なんと、この若者は不思議な力を操る、仙人だったのです。

 喜んだ村人達がお礼を言おうと振り返ると、そこにはすでに、若者と白虎の姿はありませんでした。

『ああ、あの方はきっと地虎真君の化身に違いない』

 村人達は口々にそう言うと、天を仰いで感謝しました」

それは白虎を伴った麗しき若者の姿が描かれた絵巻物。

声に出して読んでいた幼い少女は、絵巻から顔を上げると、栗色の大きな瞳をきらきらと輝かせた。


「ああ、素敵……! 私もこんな格好いい『仙人』になりたい……!」



 ――そんな願望を抱いて、はや十年。


広々とした邸宅の庭で、少女――さい陽琳ようりんは高価な衣服が土に汚れることも厭わずに、奇妙な円陣にせっせと謎の文言を書き加えていた。

落ち着きのない動きのためか、やや乱れた長く艶やかな髪から玉や金銀の簪が落ちかける。

それをひょいと挿し直すと、陽琳はおもむろに立ち上がり、ふうっと汗をぬぐった。

「……よしっ、呪術陣が完成したわ! 天候よし。太陽の位置よし。これで、古文書にあった術条件はばっちりね!」

 円陣の中央に置かれている餌にもぐもぐと舌鼓を打つ太った野良猫が、陽琳にちらりと視線を向けるも、すぐに我関せずとばかりにそっぽを向く。

「ふふふ……そのふてぶてしさも、なんだか愛らしく思えてくるわね……なにしろ――」

不敵な笑みを浮かべ、陽琳は野良猫をびしりと指さして言った。

「今からあなたはこの術式によって白虎に変化して、私の使役獣になるのよ! そう……まるで、地虎真君ちこしんくんの愛獣たる白虎のように!」

 高らかにそう叫ぶと、陽琳は飛び跳ねながら身もだえした。

「ああああ! 『センカツ』を始めて幾千日! とうとうこの日がやってきたわ! これが成功すれば、憧れの地虎真君に一歩近づけるのね……!」

『センカツ』――それは仙人になるための活動として陽琳が勝手に名付けたものだ。

 仙人に関する幾多の文書を読み漁り、仙具や仙薬といったものを研究を行う活動を指す。

 当然ながら、伝説の存在を追い求めている以上、荒唐無稽と笑われることも多々あった。

 だが、そんなことも今日までだ。

(絶対に、この術式を成功させてみせるわ!)

 うっとりしながら夢に浸っていたのも束の間。

「はっ……いけない! 急がないと、太陽の位置が変わっちゃう」

陽琳は表情を引き締めると、相変わらず餌を食べ続けている野良猫に焦点を合わせ、すうっと大きく息を吸った。

そして、流木を削って作った自作の杖を、勢いよく振り上げる。


「我が真名――蔡陽琳の名に於いて命ずる。我が眷属となり、我が意に従え! 『従!!』」

 

…………。

 ――何も起こらない。

「あ、あら? おかしいわね……」

 術式はこれで完璧なはず。――陽琳はそろりそろりと円陣に踏み入り、野良猫に近づいた。

 そして、そーっと手を伸ばし――

「ふぎゃーーーーっ!」

「ぎゃあああああ!」

 食事を邪魔された

野良猫から飛び退くと、懐からごそごそと小さな壺を取り出す。

「こ、こんなこともあろうかと、密かに万能の仙薬を作っていたのよ! これを塗れば、どんな傷でもたちまち綺麗に治るはず!」

 そう高らかに叫んで、壺を傾けると、出てきたどろりとした茶色の液体を、躊躇することなくひっかき傷に塗った。

 ――すると、みるみるうちに……

「い、痛い! しかも痒いっ! な、何よこれええ!」

 どんどん傷口が悪化し、赤く腫れあがっていく。

 一人でぎゃあぎゃあと騒いでいる陽琳に、至極冷静な声がかかった。

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