後楽園駅(丸ノ内線、南北線)

 現在では言わずと知れた東京ドームシティの最寄り駅だが、かつてこの一帯は徳川御三家の一つ、水戸徳川家の上屋敷があった場所である。

 現在も小石川後楽園の名を残している日本庭園は、黄門様でお馴染みの徳川光圀がその水戸徳川家上屋敷の敷地内に造らせた巨大日本庭園。

 水戸徳川家上屋敷の総面積は101,831坪。東京ドームおよそ7個超の敷地面積を誇るのだから、とんでもない広さである。

 小石川後楽園を造らせた徳川光圀であるが、この人は大の中国好き。中国の文化や風景に憧れ、小石川後楽園を造らせる為に明の儒学者である朱舜水しゅしゅんすいを招いて彼の案を参考にしているところが多い。

 ちなみに水戸黄門の『黄門』とは中国の官職で、日本では中納言に相当するから、徳川光圀が中納言の位を頂いた際に自分で黄門と名乗ったのだそうな。

 中には中国浙江省にある西湖せいこを模した池もあるほどだ。

 後楽園の名前の由来も朱舜水の発案で、『岳陽楼記』の「先憂後楽」……つまり「上に立つ者は下々の者達よりも先に世の中を憂い、楽しむのは下々の者達よりも後でなければいけない」という意味から取っている。

 将軍徳川綱吉の政策に反発していた徳川光圀が好みそうな言葉である。


 小石川の辺りは四谷、牛込、赤坂、本郷などと同じ江戸の高台にあり、その為に下町に対して山の手と呼ばれる。

 山の手一帯の殆どは大名、旗本屋敷と寺社地であった為、町人の居住区は非常に少ない。『山の手のお屋敷』という身分の高い人が住んでいるイメージというのは、ここから来たのであろう。


 また、後楽園から程近い場所(最寄り駅は後楽園の隣である茗荷谷駅)には小石川養生所が享保7年(1722年)に開設されている。

 ここは現在の小石川植物園内にあるのだが、満足な治療を受けられない貧困層を救済する為に設置さてたもので、入院設備が整った今で言う国立の総合病院といったところだろう。

 この小石川養生所の設置にあたっては、ドラマの主人公にもなった事のある『赤ひげ』こと小川笙船おがわしょうせんという町医者が目安箱に意見書を投書した事に始まる。

 開設以降、蘭方医学の台頭で質が低下するなど紆余曲折あった小石川養生所であったが、明治維新によって廃止されるまで続いた。


 いずれにせよ開設当初は貧しい庶民にとって、これほどありがたい施設も無かったであろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る