第175話 役白専女5 

物心ついた頃から、いつも兄ちゃんには敵わなかった。


かけっこも勉強もそして悪戯をして逃げる時にも。

僕だけがワンテンポ遅れて母さんに捕まり、


「こおらあんたたち!もう二度と入れ替わって親を騙せないようにしてやるけんねっ!」とバリカンで髪を刈られたものだ。


そして17才の夏休み。

高千穂の実家の裏山で母さん立ち合いの元、初めて兄ちゃんと本気で仕合って短刀で胸を刺された時、僕は痛みや負けた悔しさよりも、


ああ、兄ちゃんはやっぱり強えなあ…と刺した相手を誇らしく思い気を失ったのだった。


次に目を覚ましたのは病院のベッドの上。


わざと急所を外して刺されたので処置は軽く済み、兄ちゃんは僕の手を握って、


「なんでお前はいつも本気を出さないんだよ…?」


と泣き続けていた。実家の麓の医院の外科医も組織の仲間でもちろん僕たちの仕合いを警察沙汰にしなかった。


その日から戸隠の頭領は兄ちゃんに決まり、日本最古の諜報組織、オニの諜報員として人を棄てる程の鍛錬を受けながら京都大学で情報工学を学び霞が関の公務員に。


僕はというと父さんに憧れて自衛隊員を目指して防衛大学に受かり、陸自に入り現在に至る。


そして8年後の2013年11月。


はぁー。と都城及磨みやこのじょうきゅうまはこれで8回目のため息をつき、


「市ヶ谷ってあれでしょ?小難しい文章書くコスプレ作家と取り巻き達が本部襲って切腹した所でしょ?怖いよ!僕、お願いだから市ヶ谷だけはやめて!って荻生さん通して『上』にお願いし続けたつもりなんだけどなー、マスター、熱燗もう一本」


と会員制おでん屋「益休ますきゅう」の店主、きゅうさんにお銚子をつまんで渡そうとしたが、


「いけませんよ、戸隠『代理』さん。あなたいつでも出動態勢取らなきゃいけない身の上なんだからお酒はそこまで、はい、炭酸水」


と半白髪に鉢巻を巻いた割烹着姿の休さんは優しげな微笑を浮かべて炭酸水ペットボトルと冷たいおしぼりを渡してくれた。


「そうだよきゅうちゃん、荻生さんに言ったって無駄無駄。トップの『サルタヒコ』が決めた事なんだもん。肚決めなって。あ、休さんがんもどきとはんぺん一つずつ」


と双子の兄、琢磨がカウンターに突っ伏す及磨の肩を抱いて指令からは逃げらんねえぞ。と言うように弟の肩の肉をわざと強くつまんで及磨は痛っ!と声を上げた。


休さんの言葉で自分は戸隠補欠、から戸隠代理。に格上げした事を知り、自分の人事を思うように動かせる秘密結社、おにとは全ての越権行為を内閣に認めさせる諜報機関。と実感せずにはいられなかった。


それにしても補欠から代理って…僕は野球の中継ぎ投手か!?

そりゃ高校時代は野球部のショートだったけどさ!


「僕は玉子とちくわぶで」

及磨がカウンターから顔を上げるとさっきまでのしけた面から一転して覚悟を決めた顔つきになったので、琢磨と休さんはひとまずほっとした時、テレビの画面ではキャスターが事務的な口調で政治ニュースを伝えた。


「続いてのニュースです。民事党代表選挙で黛総理再選し、第二次黛内閣発足…組閣人事はニュース画面上の速報でお知らせします」


「いけませんね、ご兄弟の憩いの場に政治ネタは無粋で」


と言って休さんはリモコンでテレビを消し、話題を

「うちにも外国からの観光客増えましたけど、トラディショナルジャパン政策はどうなるんでしょうね?」

と最近の巷の経済状況に変えた。


「ああ、僕の友達の財界関係者がかなりシビアな予測しててさ…観光景気は2018年で打ち止めで、2019年から下火になるって言ってるんだよ」


ここで言う琢磨の友達とは、戦隊メンバーのササニシキブルー勝沼悟のことである。


悟は国内トップの清涼飲料水メーカー、勝沼酒造の代表取締役の次男であり財界の中央に近い彼の経済予測なら、まず外れは無いだろう。


思ってたよりシビアだな!と元警察官で定年退職した今は接客業で食っている休さんも他人事ではなかった。


「じゃあ、2020年の東京オリンピックの頃には」

と休さんが口をあんぐりさせると、


「底が破けている。との友達の結論です。


本当は絶望している癖に、『景気は気分信仰』で無理矢理明るいニュースで繕うマスコミの所業は焼け石に水。2020年夏に人々は醒めきった気持ちで聖火を眺めているだろう、と。


オリンピア、祭りの後が後の祭り…」


「出た、琢磨兄ちゃんの迷走川柳!」と及磨が指差して笑うと、


「句会で『あんたのは俳句じゃない』って先生に怒られるんだよなあ」


とちゃんと句会に通っている事をばらして照れて頭を掻いた…


兄ちゃんは子供の頃からズルくて可愛くて人たらしだが、本当は諜報員に向いていない心優しい人だって事は双子の弟の僕だけが知っている。


その頃、官邸の一画では初老の男が額に汗を滲ませながら震える手で万年筆を握り、


内閣は隠の活動の一切を許可する。

の一文だけ印刷された紙に署名していた。


彼の名前は黛博人まゆずみひろと、この国の内閣総理大臣である。


この儀式はこれで二度めだが…


この男はどんなにセキュリティを強化しても侵入して来る。人生で出会った中で一番恐ろしい人間だ!


と黛総理は部屋の隅にいる男を出来るだけ見ないようにして署名を済ませるとふぅーっと大きなため息を吐いた。


ご・く・ろ・う。ヒロトちゃん。とその男はちゃらけた口調で書類を懐にしまうと凄みのある笑いを黛総理に向け、


「これまで通りあんたはこの国を守るためなら節操無く誰とでも寝る覚悟で各国と適当に渡り合え。せいぜい頑丈な『人柱』でいるんだな」


と視界の隅の闇の中に溶けて消えた…


サルタヒコこと役小角。彼はこの国の元首が代わる度にいちいち活動の為の証書を取らせる律儀な男であった。


だって、お偉いさんほど約束を反故にする生き物はないからな。


それが、1400年生きてきた中で知り尽くした支配者の本質。


その若者の名は、韓国広足からくにのひろたりといった。

年の頃は17、8で我は物部一族の末裔と氏素性を明かして小角の弟子となり、吉野の山で日々山岳修行に明け暮れたが…


「俺たち修験者は雨乞いや豊作を祈る祈祷は頼まれても、絶対人様を呪い殺す術は使っちゃならねえ。それが掟だ、広足よ」


「それ以外の呪文は全て諳んずることは出来るし、三年間の山岳修行にも耐えた…なのに、どうして私にだけ呪術を教えてくれないのですか!?」


と広足がほとんど敵意に近い目付きを師匠の小角に向ける。

弟子入りして3年、共に山野を歩き回って体つきだけは逞しくなったが、


自分より学が無いと解れば平気で兄弟子を見下すところや新入りの弟子たちの出自を「あいつら捨て犬同然」と馬鹿にするところがあった。


つまり、心が全然成長しちゃいないのだ。


小角はじめ兄弟子たちも広足の傲慢さを何度も指摘し、きつく戒めたのだが…いくら周りの者が言い聞かせても本人の真の反省がなきゃ人はその行いを改めようとしない。


「広足の態度には修験者たちも辟易しております。ここらで破門になさってはどうですか?おかしら


とことし57才になる小角の妹の夫、水輪みなわが一族の長老たちの意見をまとめてそう報告すると、羽根団扇の焼き印が入った杖を抱いて白装束で瞑目していた小角は、


「そうか…わかった」と長髪を揺らしてうなずくとすっと立ち上がり、


「どんなに手を掛けても太らない幹もある。広足はその類のやつだったか」


と溜息をつくと「破門は俺の口から伝える。行くぞ前鬼」と水輪を通称で呼んで山を下り始めた。


役一族の村からウズメが去ってから33年後の文武天皇3年(699年)。


鞍馬山から無事に戻ってきた役小角は


「新羅とのいくさも、小野毛野どのの読みどおり唐の介入によって大敗した…

これからはいつどんな不測の事態があるかわからん世の中だ。

一族の男女問わずみんなにこれまで以上に心身鍛え上げてもらい、防衛の術を身に付けて山の民を守るぞ!

おまえら覚悟はいいか!?」


と崖の上から一族の長、小角が呼びかけると村人たちは男も女も己が杖を掲げて、


おおおおおっ…!

と喚声を上げた。この瞬間、権力におもねらず自分達の居場所は自分で守る独立不跪の自警組織、おにが誕生したのだった


それからの小角は山に捨てられた子供や売られそうになった娘をできる限り引き取り、隠の一員になるよう養育した。


表向きはいにしえの密教の術を使う山岳修行者として白装束を身につけて山々を歩く修験者たち。


しかしその正体は拳の一撃で岩を割り、ひと蹴りで相手の脚を砕く程の怪力の持ち主であり、山の自治を担う異能の者たちの集団であった。


こうして義兄上と共に山を降りる度に思うのだが…

と前鬼は小角をちら、と振り返り、ことしで69になられる筈なのに、


義兄上は皺一つない眉目調ったお顔立ち。艶のある長い黒髪を根元でゆるくまとめ、長身に筋肉をまとった体つきは俊敏な野の獣のよう。


義兄上は鞍馬山の魔王と契約をし、本当に36才で時を止めてしまったのだな。


という実感と、私と一族の皆が死んだら義兄上はひとりでこの山でながときを生きて行かれるのか…


という自分の人生経験ひとつではとても想像がつかない小角の将来の孤独を思うとたまらない気持ちになるのだった。


ふたりが山の中腹まで降りた時である。修験者の女たちが全力で山道を駆け上がり小角の顔を見るなり、


「大変です!広足が麓の村で暴れ出しております」

やれやれ、破門の噂を聞いて暴れだしたな。と前鬼は不快な顔つきになり、

「おまえらが軽く首元を叩けば済む話じゃないか!」と部下たちを叱ると、


「そ、それが白専女さまを人質に取って…」


そこまで聞くと小角はたちまち駆け出し、息を十もせぬ内に麓の村に降りた。


「広足、お前…」


すでに背後に武官たちを引き連れた広足が引きつった笑いを浮かべ、齢85の小角の母白専女を腕の中に捕らえて彼女の喉元に小刀を突きつけている。


その光景を見て小角が本気で怒れば広足の首なぞ一瞬で吹き飛んでいただろうが…


いまこの場で事を起こすと、武装した朝廷の役人たちに戦いを挑んだと取られ、この村は女子供構わず皆殺しにされ役一族も歴史の闇に葬り去られる。


白装束を脱いで凡庸な村人の顔をして怯えたふりをする修験者たちはそのことは解りきっていた。


「何が望みだ?密偵韓国広足よ」

と小角がつとめて冷静な口調で問うと広足は勝ち誇ったように小刀を弄び、


「密の呪法を記した書を全て渡せ!」とこの村に来た真の目的を告げた。


成程、朝廷は自分らを脅かす武装勢力になりかねない修験者たちの頭である俺を抑えることと、

直接手を下さずに敵を呪い殺す呪法を求めていた訳だ。


あさましいな、と小角は心中で支配者たちを嘲った。


「書だと?そんなものはない。師から弟子に口伝で伝えられるものだとお前、3年居て解らなかったのか?」


と小角がにべもなく言うと、広足はぐうっと唸って頭を垂れ、背後の武官たちから失笑を買った。


「え、ええい!人心を惑わす怪しげな呪術者を早速ひっ捕らえんかっ!」


と21の小せがれに居丈高に指示された武官の代表は眉根を寄せて、


「卑怯ものの密偵ごときに命令されなくともやるべき事は解っておるわ」


と広足を一瞥すると小角の前に進み出て、

「これから我々と一緒に来ていただけますか?」と


賀茂系役一族の長、小角、其の方妖あやかしの術を使った呪詛の疑いで捕縛する。


と令状の書簡を読み上げつつも、


(何もなさらなければ丁重に扱います。なあに、賀茂一族を敵に回すほど私達武官は愚かではありませんよ)と耳元で囁いた。


こうして武官は形だけは縄で小角を縛り上げ、白専女と共に連行した。


残された役一族の人々は一度にお頭と長老を失い、どうするんだよ、これから…と悲嘆にくれる。


事はなく、30年以上かけて作られた組織形態は完全に出来上がっており、


主はなくとも妹夫婦の前鬼と後鬼が主導できる程葛城の山の民の結束は強かった。


役白専女えんのしらとうめと小角親子捕縛。


の知らせはただちに修験者たちを通じて葛城山系から畿内の各豪族、果ては九州の豪族に嫁した小角とウズメの三女、宇奈利うなりの元にまで届いた。


「…それで、お父様は伊豆に流されたのですね。何も言わずにですか?」


と豪族阿蘇氏の妻の座に収まっている宇奈利は娘を三人産み、巫女として神事や祭事を司る立場となっていた。


いいえ、宇奈利さま。と神官に変装したおにの使者は、


捕縛される前に小角は烏の黒い羽根と朴葉に書かれた一文を前鬼さまに託していかれましたよ。


と口伝でその一文を伝え、すぐに社から立ち去った。


魔王が来たりて法螺を吹く。


これは隠結成時から密かに伝わる「支配者を相手にしての全面戦争の合図」であった。


うふふ、これから面白くなりそうだこと…と思いながら宇奈利は母ゆずりの銀色の眼を輝かせた。













































































  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る