蟻と水滴、ブルー勝沼の憂鬱

第13話 蟻と水滴 占いはBARにいる

「どとれとみとふぁとそとらとしとどの、おとがーでにゃーい。

どとれとみとふぁとそとらとしとどの、おとがーでにゃーい。

とーってもだーいじーに、しーてたーのにぃ、ぱーぱがだーいじーに、しーてたーのにぃ、

どーしよ?どーしよ?

きららねたーん、どーすればいいのぉ?」


照明の夕焼け色の光に照らされた古代幼児で自称「ひこ」が、ものすんごくゆるゆるな歌声で覚えたての童謡


「クラリネットをこわしちゃった」を歌っている。


カウンター隣の席でカルーアミルクを飲んでいた小岩井きららは、明るく答えた。


「そんだけ再生不能なぐらいぶっ壊しちゃったんだから、開き直ってパパに怒られちゃいなさい」


「にゃーるほどー。しょーじき(正直)でいる事がだいじなんだにぇー。さーっすがひこが選んだ育て親にゃー」


ちなみにここは、東京下町、根津の古民家を買い取って改装した安宿、『したまち@パッカーズ』である。


普段は外国人旅行者や、バックパッカーを一泊2800円(相部屋、先払い)で泊めるのであるが、


金曜の夜だけ一階フロアがジャズやクラシック音楽の流れるお洒落なバー、「Gran cru(グラン・クリュ)」に変わる。グラン・クリュとは、フランス語で「良質の畑」という意味である。


バーテンは、ワインと日本酒、両方のソムリエの資格を持つ勝沼悟であるが、なんか不機嫌そうにシェーカーを振っている。


「せっかく、お気に入りのクラシックCDを流してるんだからさあ、ひこくんの歌声で雰囲気ぶち壊しだよ!ってゆーか、もう夜の8時だよ。コドモはお家でお留守番しなさい!」


「ふーんだ、けちー」


「けちー」


カウンターの中で見た目13歳のインド少年、ルリオがひこの口調を真似した。

「週刊ポ○ト」の袋とじ大特集をガン見している。


「没収!!」


悟が、ルリオの手から雑誌をむしり取った。

「ああっ、大奥の性の秘密があっ!!サトル、なにすんだよおっ」


「最初はほっといたけど、もう我慢できない!子供がそんな雑誌読むんじゃない!サ○デーでも読んでろ!…で、隆文くんと紫垣さんに雑誌支給します」


「ありがとうございます!!」


恋人と遠距離恋愛中の隆文と、妻子と別居中の支配人、紫垣さん(52)はありがたく雑誌を受け取った。


「男子の心の癒しだべ…」

隆文はカウンター下に雑誌をしまった。


「もう18冊たまったべ。インド人って、性的なものはタブーって聞いてたけど、セレブの子供は違うべか?」


事情を知らない紫垣さんには、ルリオの事を勝沼家の取引先のインドの富豪の子息で、日本に留学中と説明してあるが…


彼の正体が『薬師如来』だなんて、絶対に言えない。


ルリオは時々、山梨の悟の実家の農園から薬草をどっさりパクっては漢方薬だの香油だのを調合しはじめた。


ちなみに彼は神通力で人間の体の不調を見抜き、マッサージと漢方で整える事が出来る。


いわば戦隊の漢方医兼内科医である。


「インドのアーユルヴェーダも、漢方も、元々はボクが人間どもに教えてやったんだからね」


と豪語してやがるがどーだか。


「ところでさあ、隆文クン。こないだ帰省して、彼女に逢ったみたいだねえー。第一チャクラ(股関のあたりにあります)がスッキリしてるよぉー」


「ば、ばかっ!!」


彼ら五人のミサンガにはテレポート機能がある。つまり、イメージしただけで行きたい場所に行けるのである。従って、帰宅や帰省にいちいち乗り物を使う手間も無い。


それを知った隆文は休みの度に恋人の美代子と逢ってるのである。どこが遠距離恋愛だか。


「あたしも、ここに来るのに地下鉄使う必要がないからラクですよー。勝沼さんの後ろの棚のクラシックやジャズのCD、すっごいコレクションですよねー。今流れてるのはラヴェルの『水の戯れ』ですよね?」


眠くなってきたひこを膝に抱きながら、きららが聞いた。


「さすがは音大生のきららさん。伴奏はフランソワ・ジョエル・ティオリエだよ。流れるように美しい旋律だろ?…ところできららさん、音大での専攻ってなに?」


「邦楽部、雅楽科でーす」


シェーカーを振っていた悟の手が止まった。

「雅楽?君は神社の巫女さんにでもなるつもりかね?せめてピアノとかヴァイオリンとかさ…」

理解に苦しむ、というように悟は眉間にしわを寄せた。


「ガガクってなんだべ?」店のイチオシメニュー、キムチピザの具を乗せながら、隆文が聞いた。宿泊客の韓国人カップルと簡単な英語でやり取りし、ドリンクを渡す。


この宿屋がオープンして2週間、ブログとツィッターでしか宣伝してないのに、思ったより客が来て、当初は大変な忙しさであった。


隆文も、学生時代のコンビニバイト以来の接客と、外国人相手でパニクりそうになったが、悟の厳しすぎる研修と経験豊富な支配人、紫垣さんのサポートでなんとか仕事にも慣れてきた。


「隆文くん、雅楽というのは日本の宮廷音楽だよ。ほら、正月の神社のBGMとか、東儀秀樹とか…」


「あー、あのぷわ~んって笛の音楽だべか?あれ聴くと眠くなるべー…って、え?きららちゃんそれやってんの?」


オーブンの中で、チーズがゆっくり溶けていく。

薄い茶色の焦げ目が付いた所で、隆文はピザを取り出した。父親に酒のつまみを作らされてきただけあって、隆文は酒のアテ限定なら料理は得意であった。


「そーですよお、鳳笙ほうしょうとか、篳篥ひちりきとか、龍笛りゅうてきとかの雅楽ですよお。子供の頃、神社のお祭りで雅楽聴いて、ぜーったい奏者になるぞーっ!!て決めてここまで頑張ってきたんですっ!!」


「ががくはかみのおんがくにゃー…」


ひこが寝言を言った。ちなみに「精霊のミサンガ」を巻いてない人間には、ひこは見えてない。


「熱意は感心しますが、ぶっちゃけ就職先ってあるとですか?」


店の奥の、カーテンで覆われた座敷席から深く良く通る声がした。


カーテンをまくって、さっきから話を聞いていた七城正嗣が顔を出した。学校での仕事が終わって直行で来たのでジャージ姿である。


松五郎との将棋勝負で五戦五敗し、いいかげん飽きたので話に割り込んできた。


「…そこなんですよぉー、雅楽で食べてく道って悲しい程少ないんですぅー東儀さんみたいに有明な家のつながりもないしぃ、


箔もコネもないしー、マスコミとタイアップしてエグく売り込むなんて出来ないしー、○イ○ックス所属できないしー」


「こらこら、音楽界の黒い事情をさらっと言うんじゃないよ。これは僕のおごり」


悟がきららにカシスオレンジを差し出した。


「音大なら、教職取ればいいんじゃないんですか?都城琢磨到着しましたー!」


濃灰色のスーツを着た琢磨が店に入ってきた。


外は雨が降り始めたのだろう、彼の上着の肩口が濡れている。当然のようにきららの隣の席についた。童顔で学生のように見えるが、年齢は25歳で農林水産省のキャリア組官僚である。


「霞ヶ関っていつもこんな時間に仕事終わるんですかあ?」


「これでも早い方ですよ。国会の採決待ちで夜中までかかる事もあるし…

んで、タクシーで帰宅で税金の無駄使いでしょー…9時5時サラリーマンがほんっとに羨ましいっす。…話はきららさんの進路相談ですか?」


琢磨は悟に生ビールを注文すると、じりっときららに近づいた。


「かんり(官吏)め、きやがったか。シャーッ!!」


ひこが琢磨に向かって威嚇した。彼のきららへの好意は、ウザイくらい分かりやすく周囲にも伝わっている。


「君はマングースか?きららさん、ヘンな扶養家族持って大変ですねー…」


「あたし教職過程も勉強中ですよおー。実家の家族も教職だけは取れって言ってたから。

うちの大学容赦なしの実技試験ありますからね、入学してすぐ、苦手だったけど、ピアノの試験一生懸命頑張って受かったんです…白黒の鍵盤見たら吐くってぐらい、練習しました…」


「頑張って下さい、応援してます!でも、モデルの仕事とかやってて大丈夫ですか?…このキムチピザってうまいのか?」


きららの色白の顔がカクテル2杯目でほんのり赤くなり、カウンターにうずくまった。


「そこなんですよー、変に『大きなお友だち』の間で人気出たみたいで事務所がファッション雑誌に進出だ!って言ってんですけど、私的にはもう限界…モデルの福永涼ふくながりょうと一緒に撮らないか?って話もあるんですよー」


「あの、パリコレモデルの福永涼?彼女は性格最悪だぞ!」


珍しく悟が叫んだ。育ちの良い彼が人を悪く言うのは珍しい。


「彼女、うちの会社のウイスキーのCMに出てたじゃないか。撮影に僕も立ち会ったんだ。身分を隠してね…写ってない間は暴言吐くわ、ギャラ安いって吊り上げよーとするわ、共演のタレントいじめるわで…もう2度と使わん!」


悟は撮影時を思いだし、心底ムカついた顔をした。


「ええっ?マジですかあ?あたしやだー!!」


「きららさん、真剣に音楽やりたいなら、モデルの世界とはきっぱり縁を切りなさい!負担の無いバイトならいくらでもある。…たとえば、ここの手伝いとか」


結局それかよ。


オープン当日悟が「可愛い看板娘が足りない」って言っていたのを隆文は思い出した。


「看板娘?マスター、いつの時代の宿屋だよ!?」


とその時は突っ込んだが、まさかきららを引き込もうとは…


「福永涼性格悪い話」も、多少話盛ってるに違いない。


「シフトはあなたの学業を考慮するから。ね?履歴書持ってここに来てね」


「宿屋って面白そー!一応面接受けに来ますー」


待て待て、このままではおら達ヒーロー戦隊ではなく、「観光戦隊」になっちまうじゃねーべか?


最初のバトルから2週間、一向に敵からの襲撃がねえし、こーやって金曜の夜だけここでメンバー待機してるのって意味あんのか?


「すべては松五郎さんの指示ですよ。隆文さん。国際色豊かな空間を作る事で、少しでも相手の情報を集めようって事です。すいません…あなたの『心の声』が聞こえたもんで」


正嗣がカウンター席に移動してきた。

「うちで空海さんと訓練してたら、徐々に人の心の声が聞こえるようになって…焼酎のロック下さい」


「七城先生、熊本だから『白岳のしろ』でいい?」


「あ、あるんですか?」


「無い酒は、無い。馬刺しも付けるよ」


げべっ!!おらの考えてた事、七城先生に丸聞こえだったべ?


「はい、丸聞こえです」


「七城先生の能力は、霊能力飛び越えて、『超能力』の域ですよね…テレパシーですか…」


悟が、『白岳しろのオンザロック』と隆文が切った馬刺しを出しながら言った。


「はい、まあ…最初は生徒たちや、色んな人達の心の声聞こえて大変でしたが、今は、集中して一人の心の声を聞けるようになりましたよ…こんな事言うの、ここだけですよ。…やっぱ引くでしょ?」


「僕は生化学者で、以前はガチガチの実証主義だった。

最初に松五郎くん達に出会わなかったら、あなたに『受診すれば?』って言って、おしまいだったでしょう。いやはや、『スピリチュアル』の一言じゃ片付けられない領域に、僕たちは関わってしまったようだ」


正嗣は、軽い頭痛で顔をしかめた。眠そうな細い目がさらに細くなる。


いつの間にか、外は雨が降り出している。


「もう6月だから、そろそろ梅雨入りですね…気圧の変化のせいか、頭が痛むんですよ…」


「あたしの頭痛薬あげましょうかー?」


「ありがとう、って、酒飲んでるけど大丈夫かな?」


「『電波』、受信してんじゃねえか?七城先生みたいな人のこと総じて『電波さん』って言うべ」


「隆文くん、七城先生は『超能力者』で『電波』とはまた違うと思うよ…ネットスラングを多用するのはどうかと思うがね…」


悟が厳しい目で隆文を見た。


正嗣がカウンター隅のノートパソコンで「したまち@パッカーズ」のホームページを閲覧し、出来の良さに感心している。


「結構見やすく作ってありますねー。英語版もあるし」


「琢磨くんにホムペ制作を手伝ってもらったんだよ。さすが大学で情報工学やってただけある」


「お安い御用です」琢磨はウォークマンのイヤホンを耳に入れ直しながらうなずいた。


「ん?ホームページの最後の占い師MAOさん?『あなたの人生の問題解決します。占いはBARにいる』…って何じゃこりゃ?こんなスタッフいませんよね?」


正嗣以外のメンバー全員が、彼を見た。


え?

悟の銀縁眼鏡が、冷たく光ったように見えた。


「あなたの特殊能力でぜひお手伝いいただきたいんですが…琢磨くん、彼を抑えて」


がしっ!


琢磨が正嗣に後ろからヘッドロックをかけた。


「よ、読めなかったあ!!気配消えてたあ!!」


「伊達に忍びの修行してませんって」

琢磨が無邪気に笑った。


「隆文くん、衣装スタンバイ」

ぱちん、と悟が指を鳴らすと隆文が両手に作務衣とキャスケットと黒縁眼鏡を持ち、彼の前に立った。


「人目が立つから座敷席で着替えましょう。今夜から貴方は、占い師MAOさんです」

琢磨に口を塞がれて言えなかったが、正嗣は、心底叫びたかった。


ブルーさん、あんた、いちいち何やらかしてくれるんだよ!?




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