第5話 スキャンダル
十年以上も前、大阪の教育大学の附属小学校で殺傷事件があった。事件の影響で校門を閉ざしている。ただ、施錠はしていないのでもっぱら学校を訪問する者の善意で閉じられているだけだ。つまり、用事があって学校に自動車や自転車できたら開けて、校内に入ったら再び閉じるわけだ。一応、防犯カメラは設置しているが…。
一方で文科省は”開かれた学校・地域との連携”を推進するように通達を出している。午後3時を過ぎれば、ひっきりなしに保護者が子どもを迎えに学校にやってくる。共働き家庭の増加によって2つの学童保育が学校内にできたからだ。友だちと道草しながらのんびりと下校する風景は過去のものとなった。
異常に気付いたのは金融機関に用事があって帰ってきた用務員さんだった。フェンスの外側に数人の男がカメラを構えていて、ICレコーダーを自転車で子どもを迎えに来た保護者に向けて質問しているという。
用務員の鈴木さんは職員室に入る前に急いで僕の教室に来てくれたらしい。
「松野先生、ちょっといいですか?まだ、子どもを残してますか?」教室の出入り口の扉から顔だけ覗かせた。
「はい、何か用事ですか?”子どもたちは宿題忘れで残してるだけで、学童の子たちですから、教室に連れて行きます。」鈴木さんは、僕を廊下の端に連れ出し、耳打ちをした。
「松野先生!外に変な人たちがいっぱいいるんです。先生のことを調べているみたいなんです。何か問題起こしましたか?」怪訝な表情をして首を振ってみた。
「何だろう?別にトラブルもないし、分からないなあ。教頭先生は職員室にいますか?」
「い、いると思います。わっ私も銀行から帰ったばかりでびっくりして…ンそのまま先生のところに来たんです。」鈴木さんはいい人だ。でも、人と話すのが苦手なのか、慌てるとどもってしまう。
「鈴木さん、ありがとう。子ども達を”放課後子ども教室”に連れていったら、職員室に戻ります。」
職員室に入ると一斉に視線が集中する。僕は顔を伏せながら事務机に向かう。朱書き途中の日記ノートと国語のテストを置いて、キーボードのエンターを押す。
「先生、yhooのホームページを開いて、ニュースのエンタメをクリックしてみて…。それから、教頭先生によばれるよ。」隣の村上先生が横から声をかけてきた。僕は頭をペコリとさげた。
僕は、認証カードをかざして液晶を立ち上げるとインターネットの検索画面を開いた。yhooを開く前に”松岡勇菜”と検索画面に入力してみた。
子供の頃、貧しさに負けて近所のおばあさんのやっていた駄菓子屋で万引きをしたことがある。見つかったときの顔がほてるようなドキドキ感がかけめくる。
”松岡勇菜、映画の原作者と密会!?アパートから仲良く出てくる二人を盗撮”
”松岡勇菜、主演映画の原作者は小学校時代の恩師!?
文字が駆け巡ってめまいを起こしそうだった。
「松野先生、君のプライベートをとやかく言うつもりはありません。もうすぐ30歳になるし、相手の女性も成人ですから。また、公務員として副業を行ったことは、県の教育委員会から指導があるかもしれません。実際に企業に労働を提供したわけではないので、処罰も軽微だと思います。問題は、相手の女性が芸能人でしかもとても有名な方であること、相手が小学生の頃からの関係であることです。」
「校長先生、関係が小学生の頃から続いているわけではありません。卒業して8年、6月に会ったばかりです。」
「そうだよね。でも、この雑誌の記事からすると小学生のときにすでに師弟の関係ではないように書いてある。」
「それは違います。松岡の同級生、つまり私の最初の卒業生の誰かが悪意をもってライターに情報を伝えたのだと思います。」
「君の言うようにダンスのレッスンを紹介し、送り迎えしたとしても、それは行き過ぎた関係だと思うよ。それに毎日のように授業後、勉強を教えていたらしいし、熱心さを通り越しているよ。おまけに君のアパートに何度も遊びに来ていたことを周りの住民も証言している。過去のこととはいえ、保護者は敏感だ。特に君のクラスの女の子の保護者は、この記事を見てどう思うかだ。」
「つまり、担任の松野は教え子としてではなく、ロリコン趣味で性的な対象として子ども達に接しているということですか?」
「君としては不本意かもしれないが、世間はそう思うだろうね。」
「ところでこの松岡というアイドルの保護者は、君が熱心に世話していたの知っていたのかね?」
「父親はパチンコ店に住み込みだと言っていました。父と言っても彼女とは血のつながりはありません。母親の愛人というか事実婚だったようです。母親はめったに家に帰ってきませんでした。」
「それは、ネグレクトだな。児相に相談しなかったのか?」
「しませんでした。あの頃は、今ほど児童虐待がニュースにならなかったし、僕も新任でいきなり6年生担任で余裕がありませんでした。」
「そうか。管理職にも相談しなかっただろうね。昔はよっぽどでない限り管理職が相談にのることはなかったからな。」
「最終的に母親のお腹に赤ちゃんがいたようで、卒業前に佑菜は妹ができたと喜んでいました。しかし、赤ちゃんが生まれるとすぐに母親は男と蒸発しました。」
「それじゃ、この雑誌のきれいな女優さんは親に捨てられたのか?」
「そうです。しばらくして母親の母親、つまり祖母が引き取っていきました。」
校長は腕を組んだまましばらく黙っていた。
「これが、私の新卒のころだったら美談になるんだけどね。私の下宿先にもよく子ども達が遊びに来たもんだ。ファミコンという任天堂のゲームとカセットを担任の僕がいちばん持っていたからね。保護者も感謝してくれたもんだった。」校長は僕を非難することなく、同情してくれているようなことを言った。
「どうしてこんなに世知辛い世の中になったのだろうね。」
「べブルが弾けた頃からでしょうか?ぼくは、個人情報保護法が施行されてから関係がドライになった気がします。」校長の嘆息に同調するかのように教頭がポツリと呟いた。
「君が雑誌や新聞の記者たちと接触するのは申し訳ないが遠慮してくれ。代わりに彼女との関係を文書にまとめてもらえないか?事件や事故でもないのに学校が記者会見を開くのは不自然だからね。教頭先生が謝罪文を作成してくれるはずだ。取材に来たら文書を渡すだけにしたい。教育委員会には私から連絡しておきます。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
「くれぐれも彼女に不利にならないように書きなさい。孤児同然の過去に同情が集まってくれればいいが、清純なイメージが傷つくといけないから。」僕は校長先生の心配が現実にならないように願った。
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