ハートを撃ち抜け

古月

ハートを撃ち抜け

鷹羽たかば君、好きです!」


 意を決して発した言葉を拳に乗せ、レンは大きく一歩を踏み出した。狙うは左胸。真っ直ぐに突き出された拳は素早く、また正確に彼の心臓を貫く軌道を突き進んだ。


(あのバカ、やりやがった)


 その様子を隠れて見ていた僕は思わず舌打ちを漏らす。一見完璧に見える正拳突き。直撃さえすれば石壁だって貫くだろう。だがあれは不完全だ。踏み込みも勢いも申し分ないが、視線がマズい。おそらく世の女性の大半がそうなのだろうが、告白するその最も大事な瞬間に、恥ずかしさのあまりに相手から視線を逸らしてしまうのだ。これは大きな間違いだ。


 確実に相手のハートを撃ち抜きたいのなら、視線はしっかりと心臓ハートを見据えていなければ。


 案の定、相手は右掌を掲げたと思うや、ひらりとそれを胸前で一回転。円を描いて拳の軌道を曲げ、横へと逸らしてしまった。ハッとしてようやく顔を上げるレン。拳を受け流した相手はそんな彼女へ実に申し訳なさそうに。


「ごめんよ。でも、君のきもちは受け取れない」


 言いながら拳面に掌をあてがい、ぐっと押し込む。――瞬間、レンの体がザザッと地面を滑った。相手を突き飛ばすのではなく、そのまま後方へ下がらせる。並みの内功ないこうではできない芸当だ。


 やはりモテ男は百戦錬磨、実戦の数が違う。僕は早くも計画の破綻を予期した。狙うなら初撃だと見込んでいたが、それはあっさりと返されてしまった。

 後退の余勢でふらつきそうになるのを何とか堪えたレンだが、その表情は悔しさに歪んでいる。元々取り立てて美人でもない彼女がそのような渋面を作ると、幼馴染であろうとちょっと見ていられない。


 ――今日は二月十四日、バレンタインデー。世の女性たちが我先に意中の相手を我が物にしようと躍起になる真っ赤な祭日。


『バレンタインデーはチョコレートと一緒に自分の恋心を伝えましょう』


 はるか昔にはそんな標語スローガンを掲げ、菓子業界が大いに潤ったこともあるらしい。だがそんな時代はもう終わった。過去の話だ。世の女子たちはすでに人間一人がチョコレートなんぞで揺れ動くなどとは考えていない。恋は盲目と言えど、彼女たちはもうその真実に気づいてしまっていた。そして、それに代わるより確実な方法にも。


 告白とは、ハートを射止める行為だ。

 意中の相手に自らの恋慕を打ち明け、己の存在を強くアピールする行為。さらには自身のことを気にかけてほしいと望み、また自身だけを見てほしいと望む。

 それであれば、最も有効にして確実な方法はもはや明白である。


『バレンタインデーは強引に想い人のハートをもぎ取りましょう』


 この現代においては、これが最も新しいバレンタインの標語スローガンだ。

 そうだ。恋愛とは、相手の虜となり、また相手を虜にすることだ。そのためならば恋する者はどんな手段も選ばない。それが例えば、物理的に心臓ハートを射止めることであろうと。

 ハートを掴むのも、心臓ハートを掴むのも同じこと。精神と肉体は切っても切れない関係にあるのだから、どちらが先かなど些末な問題だったのだ。

 こちらが真っ赤なラッピングでチョコレートを贈っても、相手が靡いてくれるわけがない。しかし、こちらから相手の真っ赤な心臓を強引に我が物としてしまえば、相手はもはや己の虜だ。


 そして、篠宮しのみやレンこいをした。


 相手は隣のクラスの同級生、鷹羽たかば雅英まさひで。誰もが認める女子人気ナンバーワンのイケメン。顔が良いだけじゃない。勉強もできるし、性格も万人に優しく面倒見も良く、気が利く。もちろんそれぞれの点で言えば彼に勝る人間は他にいるのだけれど、彼はいわば無冠の帝王。総合点でダントツ人気のモテ男だった。


 そんな相手に懸想して、しかし当の本人は容貌もスタイルも十人並み。成績はまだマシと言えるだろうが、それ以外何も取り立てるべき部分がない凡人だ。誰がどう見たって釣り合わない。やめておけ、高嶺の花を望むんじゃない――再三そう忠告したにも関わらず、彼女は今日のこの日、二月十四日に遂に意を決して彼の前に立ちはだかったのだ。


 レンは体重を移動させ、地面に埋まってしまったヒールをぐいと引き抜く。その様子を見て僕は頭を掻いた。あのバカ、どうしてあんな格好を!


 肩までの長さでウェーブのかかった髪はいつものこと。だが今日のレンは、襟元にレースの飾りがあしらわれた薄紅色のシャツに、ふわりとしたベージュの膝上スカート。足元は赤いリボンがアクセントになったサイドゴアブーツ。

 ――最悪だ。告白をするのにこれほど不似合いな服装はあるまい。フツーこんな場面では動きやすいジャージに髪はバンドでまとめて、足元は攻撃力の高い安全靴が定番だぞ。それが踵の高いヒールの付いた靴なんて、正気かと問い詰めたくなる。

 一世一代の告白なんだろ!? 遊園地に遊びに行くのとは違うんだぞ!


 鷹羽もレンの足元にちらりと視線を向け、口元を緩ませた。

「いい靴だね。でも、それを汚してしまうのは惜しいだろ? どうかここは退いてもらえないかな」

 口ではそう言っているが、あれは断じて靴のセンスに感心したのではない。あのような履物で告白に臨んだレンを嘲笑しているのだ。そうに違いない。なんて奴だ。あれでも一応、レンなりに最大限頑張ったおしゃれなんだぞ。あんな乙女な姿のレンは初めて見る。いつもはジーンズにTシャツでボーイッシュな感じの服装を好むのに。


 ――あれ、僕はどっちの味方をしているんだっけ?


 レンはしばし俯いて唇を噛んでいたが、突然すっと右足踵を持ち上げると、ブーツのヒール部分を掴んでボキッと折ってしまった。僕、そして鷹羽もそれは予想外だったらしく一瞬面食らう。その間にレンは左も同様にへし折った。二つのヒール部分を投げ捨て、手首に巻いていたヘアバンドで髪をいつも通りのポニーテールにまとめる。それからゆっくりと右足をすり足で前に出した。

 すうっと息を吸う。そして一言。


「決めたんです。今日は絶対、鷹羽君の心臓ハートを奪い取るって!」


 ザッ、地面を蹴りつけレンが前に出る。五歩の距離があったのをたったの一足で詰めてしまった。縮地の極意をいきなり繰り出したのだ。これには鷹羽も驚いたらしい。さっと上体を捻りつつ足を引き、左胸に迫った貫手ぬきてをやり過ごす。


「すごいな、一体誰の秘伝レシピなんだい?」


 洗練された技は菓子などよりも鮮烈な味を残す。鷹羽もレンが意外にも鋭い攻め手を放ったので、興味を引かれたようだ。

 かつての女子はバレンタイン前日に台所で溶かしたチョコレートを練ったそうだが、今は鍛錬場に籠ってひたすら技を練るのが常だ。練度の足りない技は脆く、すぐに崩れてしまう。対してしっかりと練り上げられた技は硬く歯応えのある一撃となる。

 百戦錬磨の鷹羽は実戦の数が違う。二回のレンの攻撃を目の当たりにして、その練度の深さに感心したように頷く。


「並みの武功ぶこうじゃないね。どれだけ修練を積んだか見て取れる」

「だったら、一つくらい受けてくれても良いんじゃない?」

「それとこれとは話が別さ」


 鷹羽は斜めに下がりつつ、レンの掌打を立て続けに受け流した。レンは一貫して鷹羽の心臓を狙うが、鷹羽としても相手の狙いがそこにあることは理解している。だから守りを固めれば容易に防ぐことができる。


 ただし、それは相手が他の誰かである場合だけだ。レンは違う。


 右の貫手が伸びる。だが狙いは胸ではない。肩だ。思わぬ狙いに鷹羽は瞠目する。レンの指先は鎖骨のくぼみに突き刺さり、さらにくわが地面をえぐるように潜り込む。

 鷹羽がとっさにこれを打ち上げるのへ、今度はレンの左手が脇腹に伸びた。肋骨下部を鷲掴みにする。

「この技は!」

 体を捻って技を外しながら、鷹羽が回し蹴りを放つ。だがこれは牽制。レンがさっと飛び退けば蹴り脚は空を切る。


 あれこそ僕がレンに授けた「採心掌さいしんしょう」。はるか昔に「心臓を抉り取る」ためだけに編み出された武芸だが、現代までそれを伝承してきた系譜は少ない。その一方で、このバレンタインデーにこの武技を除いて相応ふさわしい技はない。


 しかしさすがはモテ男。これまでの人生、それこそ数えきれないほどの告白を受けてきたはずだ。それらを切り抜けてきたあいつはまさしく百戦錬磨。半年修練しただけの付け焼刃な技などそうそう簡単には通じない。

 もちろんそれは僕たちも想定した。そこまで見越してこの場所を選んだのだ。あいつは今日だけでも二桁に上る告白を受け、それらを撃退してきたはず。すでに疲労困憊、内力も尽きかけているはず。なのに、どうしてあれほどまでに動ける? あの二手は完璧だったはずなのに、どうして外すことができた?


 僕は二人の動きを追いながら、ちらりと鷹羽が投げ捨てたカバンを見る。今日一日は盾として使われたのであろうそれは、もはやズタボロだ。彼に挑んでいった女子たちの苦労が目に見える。だが悲しいかな、鷹羽自身はまだ誰にもその心臓を明け渡してはいないのだ。


 そして僕は見つけた。カバンの横、握り潰された紙コップが一つ。蓋が外れ、中からは茶色い液体が流れ出ていた。

 ――あれはチョコレートだ! あいつ、チョコレートを飲んだのか!


 かつてはこの国のバレンタインデーの象徴であったチョコレートは、今やその地位を失い、代わりに疲労回復薬としての価値を見出されていた。数百年の時を経て、再び本来の用途に用いられるようになったのだ。液体のチョコレートを飲めばその日一日他には何も要らないとまで言う輩もいる。チョコレートとはそれほどまでに強力なエナジードリンクなのである。

 鷹羽はそれを飲んだ! 必ず伏兵が潜んでいると奴も見越していたのだ! 内力は満タンどころか、いよいよ激しく奴の体内を駆け巡っているに違いない。


 この告白は失敗だ。レンはせいぜい半年の修行をした身、幼少時から武術を学んでいる鷹羽に真っ向勝負で勝てるはずがない。しかもレンは採心掌の全十二式のうち、半分の六式しか使えない。半年ではそれだけ習得するので精一杯だったのだ。

 その六式を、レンはあっさりと使い切ってしまった。


 招式しょうしきが一巡したのを鷹羽も悟った。二巡目の技への対応が先ほどよりも早い。もう見切っている。


「残念だけど、もう遊びはやめにしよう」


 鷹羽がレンの掌を弾き、ズダンと地面を踏みしめる。ここにきて初めての反撃、そして最後の一撃を放つつもりだ。レンではあれを受けられない!


「ごめんよ、篠宮さん」

「――待て!」


 鷹羽が大きく振りかぶった腕を振るおうとした瞬間、僕はそれまで隠れていた植木の陰から飛び出し、その背中に強襲を仕掛けた。

 が、鷹羽はなんと即座に反転、振りかぶっていた腕を迷わずこちらへと振り下ろした。


「やっぱり君か、河埜こうのジュン!」


 鷹羽の繰り出した虎爪手こそうしゅをこちらも掌で受ける。互いの内力がぶつかり合い、パァン、と破裂音を響かせた。

 ――こいつ、僕の存在に気づいていたな。さもなければ、これだけの反応速度で、これほどまでの内力を込めることはできない。この内力はレンにぶつけるには大きすぎる。最初から僕に浴びせるつもりだったんだ。


「いつから気づいた?」

「彼女が採心掌を使ったときから」


 ちぇっ、舌打ちを漏らす。つまり最初からお見通しだった、ってことか。まあ当然か。僕と鷹羽は昔からの親友であり、強敵ライバルなのだから。武術の腕は何度も競った仲だ。互いの技を見抜けないはずがない。


「ちょっと、ジュン? 手伝いは要らないって言ったはず――」

「さもなきゃ心臓ハートは掴めないよ」

 ちらりと横目を送って返すと、レンは「うむぅ」とうなって唇を尖らせる。自身が劣勢だったことは彼女自身も自覚しているようだ。


 身構えながら視線を鷹羽に向ける。

「悪いけど、レンに加勢させてもらう」

「別に構わないよ。幼馴染を応援する君の気持もわかる。まあ――」

 そこで一瞬、鷹羽はにやりと口元を曲げる。

「こちらとしては、君にならこの心臓をくれてやってもいいのだけどね」


 ぞっと背筋に寒気が走る。レンが「それってどういうこと!?」と叫んだが、僕は聞かなかったふりをした。と言うか、聞きたくない。拳を真っ直ぐ鷹羽の顔面に突き入れる。

 鷹羽はさっと横に逃げる。先ほどまで鷹羽の体があった空間をレンの掌が打った。追いすがろうとするレンを引き上げた右膝で阻み、左掌はこちらへ掌打を見舞う。


 なお、数人がかりは決して卑怯な真似ではない。同じ相手を狙う女子数人が手を組み、一斉に告白することはよくある。だが多くの場合それは失敗に終わる。互いが互いの好機を潰し合ってしまい、最後は同士討ちを始めてしまうためだ。


 実のところ、僕一人で鷹羽に挑んだならまず間違いなく勝てる。それは今までの対戦成績から明らかだ。だが僕は本気を出すわけにはいかない。僕らの目的はあくまで告白、鷹羽の心臓をレンの手が奪い取らなければ意味がない。僕は鷹羽の心臓などに用はないのだ。

 だから僕はあくまで鷹羽の動きを封じることに専念し、レンに攻撃の機会を作ってやらねばならない。しかし、それはある種のかせでもある。


 鷹羽は賢い。僕が本気の攻め手を繰り出さないと理解している。だからこちらに向けて左体側面を向け、防御に専念している。これではレンのおもいが心臓に届かない。

 採心掌によって放たれた内力は心臓から入って全身に巡り、その身を余すところなく支配する。だが、そのためには心臓に掌打を当てなければならない。心臓ハートに致命傷さえ与えれば死ぬまで相手を虜にできるというのに、その手が届かなければ何の意味もない。


「どうした、河埜? いつもの冴えがないじゃないか」

 わかっているくせに、鷹羽はそんなことを言う。僕はいちいち取り合ってやるつもりはない。とにかく鷹羽の心臓の守りを崩そうと、頭部ならびに下半身への連撃を送る。だが鷹羽はそれらを打ち払いながら、

「河埜、お前は本当に篠宮さんに加勢するつもりなのか? お前自身はどうなんだよ?」

「――!」

 それ以上は言わせない。集中的に顎を狙う。もうこれ以上長引かせるわけにはいかなかった。


 であれば、もはやこの手しかあるまい。

「レン、全力で行け!」

「えっ」

 動揺するレン。無理もない。全力を出すとは、一切の手加減をせずに突っ込むということ。一歩間違えれば返し技を喰らう危険性がある。だがこの状況ではそうも言っていられない。元より鷹羽の攻めを一つでも喰らえばレンは動けなくなるだろう。最初から敵う相手ではないのだ。


 レンの動きが加速する。むっ、と唸る鷹羽。繰り出されるのはすでに三巡目に入った採心掌六式だが、込められる内力が違う。

 せっかく掴み取った心臓をうっかり潰してしまわぬよう、致命傷を与えるにしても手加減が必要だ。しかしこの際そんなことは言っていられない。レンは抑えていた内力を全開にして攻めかかる。

 右掌を繰り出せば鷹羽が掴み取ろうとするのへ、即座に引いてしゃがみ込みざまの後ろ脚払い。これまで見せなかった技に鷹羽が一瞬焦ったようにしながら飛び上がる。すると今度は一転、大きく上方向に伸び上がって足を振り上げる。


(あ、そんなことをしたら――)


 確かに僕は彼女に蹴りの技も教えたが、今はマズい。だって今、彼女はスカートを履いていて、それが風になびいて、跳躍の勢いで膨らんで、その奥から黒い――


「なんでだよ」

「そりゃないぜ」


 僕と鷹羽は同時にぼそっと呟いた。

 なんでだよ。なんで外面はそんなおめかししておきながら、どうしてスパッツなんて履いてんだよ。ちょっと気が散ったじゃないか。


 が、それは鷹羽も同じ。スカートの中に気を取られた瞬間、回避を忘れた。難なく避けられるはずの跳び蹴りをまともに顎に喰らった。大きく仰け反って吹っ飛ぶ鷹羽。


「え、うそ」


 レンとしてもまさかこの一撃が当たるとは思わなかったようで、一瞬呆気に取られている。何をぼさっとしているんだ、この好機を逃すんじゃない!

 地面を蹴り、瞬時に移動する。何とか足を踏ん張って踏み留まった鷹羽を飛び越え背後に回る。即座に肘を打ち込もうとしてきた腕を掴み取った。もう一方の手は後ろ襟を掴んで固定。羽交い絞めに近い状態だ。これで逃げられまい!


 レンが突っ込む。右手を前に突き出し、五指を鷹羽の胸に突き立てようと伸ばす。「心神掌握しんしんしょうあく」の型。完璧だ。ここにきて見惚れるほどに美しい型だ。これには鷹羽も一撃死イチコロだろう――。


 それは油断だった。そもそも僕自身がレンに見惚れていたのが問題だ。がっしりと掴んでいたはずの腕を振り払われ、鷹羽はその場で飛び上がったかと思うや僕の腹を蹴りつけて前に飛んだ。レンの繰り出した右腕を跳馬のように飛び越える。あっと叫んだレンの背中を掌で打った。

 レンの体は元々突進の勢いが乗っていたところ、予期せず掌打によって加速させられ大きくつんのめる。前に突き出した手はよろけていた僕へと伸びた。


「うっ」

「きゃあっ!」


 僕らは折り重なるようにして倒れ込んだ。鷹羽はひらりと空中で一回転すると危なげなく地面に着地、安堵したように息を吐きながら地面に倒れた僕らを振り返る。ふふっ、よく見えなかったが笑い声だけは聞こえた。


「篠宮さん、僕の勝ちだ。今日のところは諦めておくれよ」


 それだけ言ってさっさとこの場を後にする。だが逃げたわけじゃない。あいつは自分から先に篠宮の心臓を背中側から打ったのだ。奪い取りこそしなかったが、篠宮の敗北はそれで確定している。僕らに奴を呼び止めることはできなかった。


「あーっ、もう! あと少しだったのに!」

 僕の上から退きながらレンは両腕を天に突き上げ雄叫びを上げる。悔しいのはわかるけどさ、少しぐらいは僕の心配もしてくれないだろうか。レンは僕にぶつかる瞬間、咄嗟の判断で狙いを逸らしたようだ。だが奔出する内力までは抑えられず、彼女の掌打は僕の体内を突き抜けていた。


「追いかけるかい?」

 別に一度失敗したからといって、もう一度告白してはいけない決まりなどは存在しない。後を追ってもう一度挑むことはできる。

 が、レンは「うーん」と少し考えるようにしてから頭を振った。


「いいよ、今日はもう。それにほら、今日のところは、って言ってたでしょ? あれって毎日でも告白しに来ていいってことだよね!?」

「うん……うん? そうなの、かな?」

 レンのポジティブ思考にはたまについていけないことがある。が、今回は適当に頷いておくことにしよう。告白を失敗したと落ち込まれるよりはマシだ。


「そうと決まれば、特訓よ。特訓! もっと女子力ひっさつわざを磨いて、今度こそ鷹羽君を私のものにしてやる! 明日から……ううん、早速今日から始めるわよ!」

 気の早いことだ。立ち上がるなりすたすたと一人先に歩いて行ってしまうのを、僕は右胸を抑えたまま起きて後に続く。動悸は激しく、まだどくどくと激しく脈打っているのが掌越しにもわかる。体の中にレンの内力が循環していくのがわかる。

 レンの掌打は僕の右胸に直撃した。彼女はその意味にまだ気づいていない。


(いや、そんなのはとっくの昔から――)


 まあいい。どうせこの胸の秘密を明かすのは、もう少し先のことだ。

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