午後20時22分 T-11 地下鉄講堂

 甲高い化物の悲鳴と、高熱で焼き切る生々しい音が地下鉄内で何重にも響き渡る。現在、ヴェラ達は自分達が通って来た地下鉄構内を逆走している最中であり、彼女達の足元には今しがた遭遇したばかりのまもりびとの死骸が打ち捨てられていた。

 だが、一匹や二匹のまもりびとを倒しても、未だに背後からは化物達の遠吠えと足音が鳴り止まなず、心安らぐ瞬間なんて一時たりとも訪れない。時折背後へ視線を振り向けるも、背後に広がる通路は洞窟のような先の知れない闇で覆われており、音の元凶を視野に捉えることは終ぞなかった。

「おい、地上に出るまで後どれ位掛かるんだ!? こっちだって走り続けるのはしんどいんだぞ!?」

「あともう少しですよ! ほら、改札口が見えてきました!」

 トシヤの指摘に全員が元気付けられたのも束の間、天井に張り付いて彼等を待ち伏せしていた4体のまもりびとが目の前に降って来た。あっという間に行く手を遮られ、順調に進んでいた足を止めざるを得なかった。

 ヴェラは斧を握り締め、視線を巡らした。此処で足止めされれば、何れ挟み撃ちに合い窮地に追いやられるのは目に見えている。その為にも一気に状況を打開する策は無いかと辺りを見回すと、化物達の背後にトシヤが乗って来たホバーバイクがポツンと置かれていた。

「トシ! アンタが乗って来たホバーバイク、壊すけど構わないね!?」

「へ!? そ、それって―――」

 ヴェラに発言の真意を問い返そうとするも、彼の返答を満足に聞く前から彼女は行動に出ていた。限界一杯に熱した斧の刃を取り外し、それをホバーバイク目掛けて剛速球の如く投げ飛ばしたのだ。

 刃が突き刺さったホバーバイクから鉄の溶ける激しい悲鳴が上がり、同時にバチバチと電気系統の爆ぜる音が鳴り響く。そして熱された刃がホバーバイクを焼き切りながら沈んでいき、燃料タンクに接触した瞬間、淡い緑色の炎を纏った爆発が巻き起こった。

 突然の爆発を予期していなかったまもりびとは爆風に薙倒され、無様な姿を曝け出す。ヴェラ達はその隙を見逃さず、化物が体勢を立て直す前に体や首を切断して息の根を止めた。

「ひゅー、流石は隊長だ。頭の回転が速いねぇ」

「でも、せめて一言ぐらい言ってくださいよ! 僕達も突然の事に驚いたじゃないですか!」

「悪いわね、説明する暇も惜しいと思ってね。さぁ、とっとと此処から出るよ!」

 ヴェラは仲間達を連れだって地下鉄から地上へと続く階段を駆け上がり、既に日が落ちて夜の暗がりに覆われた外へと飛び出した。しかし、彼女の足は外へ飛び出すのと同時に思わず足を止めてしまった。

 昼間の時でもユグドラシルの森は夜中の様な暗さに支配されており、真夜中ともなれば完全な闇一色に飲み込まれると思い込んでいた。ところが今、T-11に群生するユグドラシルの樹皮に走る亀甲状の隙間からは淡い緑色の光が漏れ出ており、イルミネーションさながらに魔の森を照らしていた。

「凄い……。こんなの初めて……」

「ヴェラさん! 何しているんですか!? 早く行きますよ!!」

 幻想的な輝きに現を抜かしていたヴェラを現実に引き戻したのは、切迫したスーンの声だった。ハッとなって振り返れば既に彼女以外の全員が地下鉄入り口横に停車させてあったオフロード車に乗り込んでいた。そして彼女が助手席に急いで飛び乗ると、地下鉄から続々とまもりびとが姿を現した。

「早く出して! 早く!」

「行け! 行け行け行け!」

「しっかり掴まってろ!!」

 スーンとリュウヤに急かされながら、運転席に座ったオリヴァーはアクセルを全開に踏み込んだ。オフロード車のタイヤが急激に空回りし、甲高い音と共に硬いアスファルトに黒いタイヤ痕を刻み付けるが、すぐにアスファルトの路面を掴まえて車は急発進した。

 その後ろをまもりびと達が追い掛けてくるが、流石に生物の足と車のタイヤとでは速さに雲泥の差があり、あっという間に引き離され、やがて化物の姿は見えなくなった。

「見えなくなりました。大丈夫みたいです」

 後ろを向いたままトシヤが呟くと車内は安堵の溜息で溢れ、緊迫した空気は幾分か和らいだ。だが、直ぐに今度は別の問題に直面した。

「それで……何処へ行けば良いんだ? このまま走り続けるにしても、せめて目的地ぐらい欲しいぜ」

「そうね、本来なら屯所で行き先を決める筈だったんだけど、その前に逃げ出してしまったものね。とは言え、今の状況で迎える場所なんて……―――」

 自分達が向かう場所も決まっておらず、このままフラフラと宛てもなく彷徨うのは危険すぎる。ましてや、此処はまもりびとの巣と化しているのだ。下手に動き回れば、何れ相手の目に触れてしまう可能性が高い。

 しかし、目的地も決まっておらずどうするべきかとヴェラが考えあぐねていると、後部座席の真ん中で窮屈そうに肩を狭めて座っていたリュウヤが口を挟んできた。

「じゃあよ、一先ず隣の地区にあるT-12……嘗て世田谷と呼ばれた場所へ行ってみないか?」

「T-12?」

 ヴェラが肩越しに背後に居るリュウヤへ視線を寄越した。リュウヤの腕の中では、緑が彼の着ている服を引っ張ったりして無邪気に遊んでいる。

「ああ、其処は奇跡的に災厄の被害を免れた自衛隊の駐屯地があってな。その生き残りが地区を纏め上げているんだ。おかげで治安も他のところと比べれば遥かにマシだ」

「へぇ、そんな所がまだ残ってたんだ。じゃあ、俺達もそこに行って事情を説明すれば寝床ぐらいは貸してもらえるかな?」

「いや、多分そう簡単にはいかないだろう。寧ろ、あそこは厄介な所だ」

「厄介?」

 厄介という不穏な台詞を全員が看過出来る筈がなく、逆に目敏く反応するのと同時に不安で錆び付いた眼差しをリュウヤに飛ばした。リュウヤは重々しく頷くと、少し考え耽るように視線を斜め下にズラしながら厄介の理由を口にした。

「今回の災厄で国家が崩壊するや、自衛隊は政府に代わって人民を統制し始めた。混乱の中で秩序を保つのは必要な行いだが、そのやり方は民主主義からは程遠い。彼等が定めた掟が法となり、少数の彼等の言葉が無数の市民達の声よりも重視される。一昔前のシビリアンコントロール官民統制と言っていた時代が懐かしいぜ」

「そんなの……! まるで独裁国家じゃないですか……!」

 嘗ての日本を知るトシヤからすれば、民主主義の日本に独裁国家みたいな組織が出来上がるのは我慢ならなかったのだろう。常に落ち着き払った彼が珍しく声を荒げる姿を複雑な思いで注視していた一同だったが、そこにリュウヤがゴホンッと咳払いを入れて再度視線を自分に集めさせた。

「まぁ、幸いにも奴等は秩序を重んじているから、悪辣な独裁とまでは行かないが……それでも独善の裁断がなされているのは間違いない。あの地区ではな」

 それを聞いて漸くリュウヤの言った「厄介」という言葉の意味を理解した。もしも彼女達が自衛隊が支配するT-12に入ればどうなるか。十中八九、捕まって一方的且つ偏見に近い裁きを受けるのがオチだ。最悪、身に纏った装備品を奪われたまま追い返されてしまうかもしれない。

「しかも、部外者……この場合は区域外の人間だな。彼等が自分達の区域に入ってこれないよう区画に沿って壁を築いている」

「壁?」

「ああ、鉄くずを重ね合わせて溶接しただけのバリケードもどきもあれば、即硬コンクリートで作った立派なものと様々だ。江戸時代の鎖国の縮小版みたいなもんだ」

「まさか各地下都市を繋ぐ地下通路もですか?」

「ああ、地下都市に関しては完全に封鎖された状態だ。猫の子はおろか鼠一匹入れない状態だ。強引に入ればどうなるかは、言わずもがなだ」

「でも、どうやって入るの? そんな封鎖された状況じゃ、T-12に入りようがないわよ?」

「いや、唯一例外としてT-12への出入りを許す門が、隣に接するT-10旧目黒区の中間地点に設置されている。そこから堂々と入るしかない。だが、当たり前だが門の内外は常に厳戒態勢だ。突然来て入れるかどうかも危ういものだ。仮に入れたとしても、オリヴァーの言うように身の保障をしてくれるかどうかまでは……」

 そこでリュウヤは長い一呼吸を入れて間を置き、再び言葉を綴った。

「これは最早賭けみたいなもんだ。それも相当分の悪い賭けだ。だから俺は屯所でT-12の事を話さなかった。どうせ言ったって、今の話を聞けば否定されるのは目に見えていたからだ。でも、こうなっちまった以上は……」

 そこでリュウヤは言葉を止めてヴェラを見た。口でこそ何も言わないが、小さい石炭のような瞳は彼女に決断を迫っていた。他の仲間達もヴェラの言葉を待っており、周囲を警戒しながら彼女の姿と交互に見遣っている。

 ふっくらとした厚みのある唇に指を添えながら、暫し熟考した末に彼女は決断を下した。

「そうね。行くしかないわ。私達が生き残る為にも……ね」

 常に明言な物言いを好む彼女にしては、この時の台詞は珍しく歯切れの悪いものであった。覚悟の上で決断こそしたものの流石に不安は拭い切れず、言い終えた後も果たして自分の決断が最善だったかどうか迷っているのが窺える。

「なぁに、そう気を重くすんなって。ヴェラじゃなくっても、俺やスーンも同じように決断していたさ。なぁ?」

「ええ、そうですよ。きっと僕もそれに賭けていたに違いありません。その結果がどうなろうが、それは僕達の総意なんですからヴェラさん一人の責任じゃありませんよ」

 彼女の不安を吹き飛ばすように、運転していたオリヴァーが威勢よく励まし、スーンも彼女の意見に賛同した。それを聞いてヴェラは胸につっかえていた重さが抜け落ちるのを感じ、フッと笑みを零し部下達の思い遣りに感謝した。

「有難う、二人とも」

 そう言ってヴェラが視線を前に戻した時、微かに空を切る音が頭上から降って来た。最初は強い風でも吹いたのかと気にも留めなかったが、何度も空を切る音が聞こえ違和感を抱き始めた。

 ヘルメットの装置を起動し、赤外線センサーに切り替える。ゆっくりと頭上を見上げると、左右に聳え立つビルを突き破って生えたユグドラシルの木々の縁から縁へと飛び移る影が見えた。すると影の一つが縁から飛び出し、反対側の木々に飛び移らず、そのままヴェラ達の乗る車へ向かって落下してきた。

「オリヴァー!! 右に避けて!」

「おお!?」

 ヴェラの言葉に驚きながらも、オリヴァーの両腕は反射的にハンドルを右へ切っていた。直後、ヴェラ達の居た場所にドンッと激しく叩き付けられる音が鳴り響き、アスファルトの破片と積もった埃が舞い上がる。

 オリヴァーは車の速度を維持したまま、左側のサイドミラーに目を遣った。鏡に映ったのは、出来立てのクレーターの中心にしゃがみ込み、此方をジッと見据えるまもりびとの姿だった。

 そして一体飛び降りたのを皮切りに、頭上から続々とまもりびと達が車目掛けて飛び降りてくる。その数の多さと衝撃音も相俟って、まるで爆撃に遭っているかのようだ。

 オリヴァーも巧みな操縦テクニックを用いて奇襲を回避しようと尽力するが、余りの多さに全てを捌き切る事が出来ず、その内の一体が車のボンネットに取り付いた。

「この……野郎!!」

 オリヴァーが蛇行運転をして振り払おうとするも、ボンネットに取り付いたまもりびとは自慢の爪をガッチリと車体に食い込ませており、ちょっとやそっとで離れそうにない。

 すると助手席に座っていたヴェラが握り拳でフロントガラスを打ち砕き、それによって出来た穴から熱した斧を槍の様に突き出した。焼刃はまもりびとの右肩を胴体から切り離し、次いでもう片方の肩も同様に切断した。

「オリヴァー!」

「ああ!!」

 ヴェラの掛け声に合わせて再度蛇行運転を繰り出すと、両腕を失ったまもりびとは呆気なくバランスを崩して転落し、固いアスファルトに投げ出された。そしてヴェラ達を追走する仲間の化物達に踏み付けられ、揉みくちゃにされて息絶えた。

 投げ出されたまもりびとの行方を瞳で追い掛けていたヴェラは、一部始終を目の当たりにするや苦笑いを浮かべて低い口笛を吹いた。

「どうやら、あの化物は私達を仕留める為には仲間の犠牲も惜しまないらしいね」

「物凄く仕事熱心なこって。感激しちゃうねー、全く。でも、薄情なのは気に入らないなぁ」

「まぁ、私達がそれに付き合ってあげる義理はないけどね。スーン、あとどれくらいで着きそうか分かる?」

「ちょっと待って下さい! 今地図を―――」

 スーンは小型のパッドを取り出し、彼女や仲間達に一帯の地図を送信しようとする。だが、そこへタイミング悪く頭上から降って来たまもりびとが、スーンの座っている左後部座席の扉に張り付いた。

「うわああああ!!!」

「スーン!!」

 部下の悲鳴を聞いて振り返ると、まもりびとが禍々しい腕を伸ばして彼に掴み掛かってた。アーマーに鋭い爪が掠り、小さい火花と共に短い金切り声を奏でる。スーンは相手の腕を振り払おうと抵抗を見せるが、狭い場所な上に隣には生身の人間――それも赤ん坊を抱いている――が座っているので、思った以上に激しい抵抗が出来ずにいた。

 反対側に座っていたトシヤが味方の苦戦を見て手を貸そうとするも、オリヴァーがまもりびとの攻撃を避けようと荒っぽい運転をするので立ち上がる事もままならない。それを見て悟ったヴェラはオリヴァーに注文を付けた。

「オリヴァー! 左側に居るまもりびとを落として! 方法はアンタに任せる!」

「ああ! 丁度今! 俺もその方法を考え付いたところだ!! スーン! あと少しだけ我慢しろ!!」

「は、早くして下さいィ!!」

 オリヴァーは車体の左半分を歩道に乗り上げさせると、アクセルを全開に踏み込み、一気に加速させる。そしてアスファルトを突き破って生えていたユグドラシルの幹の真横スレスレを通り抜け、そこにまもりびとを衝突させて強引に相手を車から落とす事に成功した。

「ははは! どうだい!? 俺の操縦テクニックだからこそ出来る技だぜ!? 一度やってみたかったんだよなぁ、こういう映画みたいな真似!」

「ナイスよ、オリヴァー。スーン、大丈夫?」

「な、何とか生きています……」

「生きているなら、問題は無いわね。オリヴァー、この調子でT-10に向かって頂戴」

「了解」

 この時点で頭上からの奇襲もピタリと止み、追走してくるまもりびとも余裕をもってして引き離しつつあった。そして一同を乗せた車はT-11を抜けて、T-10の区域へと進入していった。



 T-10に入ると、少数ながらも自分達以外の人間の姿を目撃することが出来た。しかし、その身形はお世辞にも綺麗とは言い難い。季節感を感じさせない襤褸にも等しい衣服を身に纏っており、虚ろ気な姿と死人のような目はホームレス以上に希望を持てない彼等の心境を生々しく表現している。

 だが、そんな人々もヴェラ達が乗った車を見るや、正気を取り戻したかのように目を見開かせて此方を凝視していた。

「凄く見られてますね。何と言いますか、初めて日本へ足を踏み入れた南蛮渡来人ってこんな気分だったんでしょうね」

「そりゃそうさ。今の日本じゃ車を動かしているヤツなんて無きに等しいからな。それに車を動かす燃料があるなら、食料や電気を作るプラントへ回すべきだと主張するヤツも居るぐらいだ」

 スーンの呟きにリュウヤが答えを返す。その間も人々の粘着質な視線を肌で感じ取り、オリヴァーが苛立たし気にヴェラに話し掛けた。

「やれやれ、とんだ出迎えだな。此処の連中、明らかに俺達を歓迎しちゃいないぜ? さっさと飛ばして目的地に行かないか?」

「そうだね。余所者に好奇の眼差しを向けるだけならば我慢出来たけど、何だか居心地が悪くて良い気にはなれないわね」

「それじゃ、さっさと此処を抜けて―――――!?」

 ヴェラの意見を聞いてアクセルペダルを踏み込もうとした矢先、突然一人の人間が夢遊病さながらの無気力な足取りで車の前に飛び出してきた。オリヴァーは反射的にブレーキを踏み込み、人間を避けるようにハンドルを切る。激しいブレーキ音を奏でながら車体は横滑りし、飛び出した人間の1m手前で止まった。

「お、おい! 大丈夫か!? トシヤ、無事か!?」

「な、何とか……。というか、一体何があったんですか?」

「突然目の前に人が飛び出したんだよ! おい、急に車の前に飛び出すなよ!」

 怒りの感情を露わにして飛び出した男の方へと振り返るがしかし、男はオリヴァーの言葉に反応を示さず、只ジッと彼を見据えているばかりだ。

 それに得体の知れない不気味さを覚えて視線を引っ込ませようとした時に、オリヴァーの目は男の手に握り締められていたナイフを発見してしまう。手入れが施されていないのか、刃は赤錆びで覆われている。

「オリヴァー、どうやら偶然飛び出してきた訳ではなさそうよ」

「ええ、俺も今気付いたよ。どうやら此処に居る『住人達』は俺達に御挨拶したいみたいだ」

 周囲を見渡すと、傍観していた地区の住人達が鉄パイプや角材、そして独自改造した武器を手に、車の方へ近付いてきた。そして十人以上は居るであろう輪で車を取り囲むと、車の前に飛び出した若い男がナイフを差し向けながら要求を切り出した。

「車を置いていけ。あと食いモンもあれば寄越せ」

「おいおい、人の運転する車の前に自分から飛び出して来ておいて、いきなりそりゃないだろう? こっちは必死な思いでT-11から逃げて来たんだぜ? 少しは労わってくれたって良いんじゃないか?」

「うるせぇ!! テメェの事情なんか知ったことか!! 俺達の命令に従えって言ってんだよ!!」

 オリヴァーが穏やかな口調で交渉に持ち込もうとするが、向こうはナイフの先を突き付けて聞く耳を持たない。周囲の人間も同じ意見らしく、自慢の武器を手にしながら下品に笑うばかりだ。しかし、ヴェラは彼の意見に引っ掛かりを覚えて口を挟ませた。

「車は兎も角、食料が欲しいならT-12にあるんじゃないの? あそこは統制が行き届いているんでしょう? なら、食料や物資の平等な配分ぐらいは……」

「知らねぇくせに偉そうに意見を宣うんじゃねぇよ!! それが出来りゃ苦労はしねぇよ! 俺達は向こう(T-12)に入る事すら許可されなかった! だからこうして食い物漁りをして飢えを凌がなきゃなんねぇんだよ!!」

「成程、此処に居る連中は関門で追い返されて、保護を受けられなかった爪弾き者の集まりという訳か……」

 リュウヤがポツリと小声で呟いた台詞を、車内に居た全員の耳が拾い上げた。どうして保護を受けられなかったのかは、彼等の暴力的な言動や力尽くで物を奪おうとする態度からして大体予想が付く。しかし、ヴェラ達にとっても車は貴重な足であり、そう易々と渡す訳にはいかない。

 相手に悟られないようにギアに置かれたオリヴァーの手を指先で叩いて発進を促すが、先に動いたのは痺れを切らした相手だった。

「さっさと降りろってんだよ! それが嫌なら引き摺り下ろすぞコラァ!!」

 男の掛け声と共に周囲に居た人間が車に詰め掛け、無遠慮に腕を伸ばしてきた。まもりびとの腕に比べれば非力だし、爪も鋭くはない。しかし、相手が生身だからこそ躊躇というものが生まれてしまい、満足な抵抗が出来ない。

 すると右側の後部座席から腕を伸ばした男の指先がリュウヤの腕の中に居る緑の額を掠り、突き立ての餅のような白い柔肌に赤い筋が走る。緑の顔が苦痛で歪み、張り裂けんばかりの大声で泣き出したのを見るや、ヴェラの表情に憤怒の感情が込み上がり、男達に向かって怒鳴り上げた。

「アンタ達!! 何も出来ない無力な赤ん坊に手を上げるなんて正気なの!?」

「うるせぇ!! 赤ん坊なんて知った事か! というか、赤ん坊を黙らせろ! あの化物達が来たらどうするんだ!!」

「うあああああああん!!! わああああああん!!!」

 緑が泣き出した時点で、男達の目的はヴェラ達を車から引き摺り下ろす事から、赤ん坊の口を封じる事へ摩り替っていた。化物(まもりびと)という存在に恐れをなすのは分からないでもないが、だからと言って化物に見付かる前に泣き叫ぶ赤ん坊を殺すという短絡的を通り越した外道な手段に打って出るのは納得がいかない。

 ヴェラは緑から男達を引き離そうと、背中に掛けたヒートホークの柄を掴んだ―――その時だった。


「キシャアアアアアア!!!」


 甲高い奇声が廃墟と化したT-10の街に響き渡り、赤子へ伸ばしていた男達の腕がピタリと止まった。それまで獲物を前に舌なめずりしていた男達が目に見えて狼狽し始め、周囲や頭上を引っ切り無しに見渡した。

「お、おい! 今の声……!」

「に、逃げるぞ! 奴等に襲われたら一溜まりも――――」

「ぎゃあああ!!」

 浮足立った男達は杜撰な逃げの算段を立てるも、突如として場に響き渡った悲鳴がそれを破綻させた。悲鳴がやって来たのは、ヴェラ達が乗る車の後方からだ。振り返れば取り囲んでいた一人が数匹のまもりびとに襲われて血塗れになっていた。

 仲間が襲われているというのに、誰一人として助けに行こうとする者は居ない。それどころか後ろへ後退り、距離を置こうとする有様だ。しかし、その背後に広がる暗闇からまもりびとがぬっと音も無く表れ、逃げようとしていた輩に襲い掛かる。

 あっという間にヴェラの周囲は、大人の悲鳴と、助けを求める声と、断末魔が入り混じる混乱へと陥った。だが、ヴェラ達からすれば間違いなくこの混乱は好機であり、彼女はこの時に出来た隙を見逃さなかった。

「オリヴァー!」

 彼女の叫びに呼応してオリヴァーはアクセルぺダルを踏み込み、男達の輪を強引に突破した。突破された男達はヴェラ達を乗せた車に向かって何かしらの悪態や罵倒を吐き掛けていたようだが、それもまもりびとの群れに飲み込まれると途絶えてしまった。

「やれやれ、危機一髪だったな。だが、今回ばかりはまもりびとに感謝しなくちゃいけないな」

「ええ、そうね。アイツ等もこれで懲りたでしょうね。生きていればの話だけど」

 リュウヤのボヤきに対し、ヴェラは鼻先でせせら笑った。そしてリュウヤの腕の中でぐずぐずと泣きじゃくる緑の頭に手袋を脱いだ手を伸ばし、宝物を扱うかのような優しい手付きで撫でた。その暖かな手の温もりに緑も泣き止み、きょとんとした眼差しを彼女に注いだ。

「大丈夫だよ、アンタは絶対に守ってあげるからね」

「あううー」

 彼女の言葉を理解したのかどうかは定かではないが、少なくとも安心感を覚えたのだろう。緑は嬉し気に目を細め、微睡みにも似た微笑みをヴェラに捧げたのであった。ヴェラもそれに嬉しさを覚えて思わず頬が緩むも、赤ん坊から手を引くのと同時にスッと元の頼り甲斐のある姐御の顔付へと戻った。

「トシヤ、まもりびとは追い掛けて来ているかい?」

「いえ、音響センサーにこれと言った反応ありません。どうやら彼方の人間に興味を注いでいるみたいですね」

「そう。なら、結果オーライね」

 トシヤの返答にヴェラは満足し、瞳を外へと向けた。暗がりに浸り切った廃墟の街を薄緑に照らすユグドラシルの光は何処か不釣り合いだと思いながらも、やはり美しかった。

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