白磁の中に眠る紅

@hirohito

壱ノ噺 切り裂き魔の怪

序幕

 すうーっと、そよ吹く冷たい風が頬を優しく撫でてゆくのが心地いい。

 宵の空は澄み渡り、まるで藍の海に砂金を散りばめたかのような見事な星空。その中でも一際輝いているのは、月だ。


 秋のはじめ、九月。

 十六夜の月が真っ暗な夜道に一筋の道標を映し出している。柳の立ち並ぶ小さな川辺の灯りもない細い道。人間も犬畜生もこんな夜更けに出歩く者など一人も―一匹も―なく、柳の葉が風に揺さぶられて奏でるカサカサという音だけが聞こえ、あとは薄気味悪いしんとした空気が辺りを統べていた。


 誰もいない。

 何もいない。

 何も起こりやしない。


 普通ならそうだ。そうなのだが、ここ最近の栄戸えどではそうはいかない。

 事実、事件は確かに起こっていた。


 一際濃い闇に包まれ、黒と化した細い脇道。その冥闇の中に、そこに蠢く影が一つあった。影は背中を丸めて何かの上に覆い被さるようにし、もそもそと何かを貪るように体を動かしている。

 鼻を突く異臭と鉄の臭いが辺りを漂っていることも相俟って、異様な空気に何事かが起こっていることを悟らせられる。

 月の角度が変わり、脇道が照らされた。光と陰の境目が徐々にじりじり遠くへ奥へと移動していった。


 蠢く影は何かを切り裂いているようだ。

 その何かは、


 今は無惨に四肢を切り取られ髪を毟り取られ、仕舞には本来ならば腹部に綺麗に収まるべき物が辺りに散乱していた。

 真っ赤な化粧が闇の中でもよくわかる。真っ白な肌の上に浮き上がっていた。

 影は、事を終えたのか、掴んでいた女の右足を無造作に投げ捨てると、口端から血を滴らせ月を見上げた。しばらく、影は上を見上げたまま動きを止める。ふと、真っ赤な唇が弧を描いたかと思えばどんどん口端は上がってゆき、唇の間に薄くできた隙間から白い歯が顔を覗かせた。


 その歯だけが闇の中にくっきりと浮かび上がっている。


「――!」

 急に、耳をつんざく言葉にならない声を上げた。

 まさに、不気味の一言しか浮かばない。そんな、光景だった。

 一頻り声を上げた後、影は女の残骸を振り返ることもせず、鞘の先が地面をするほど長い刀を引きずり、更なる冥闇の中へと姿を消した。まるで溶けるかのように。


 静かな町は、得体の知れない何かの存在によって脅かされているのだ。その何かは、時に病に、時に天災に、時に人災に例えられたりもする。奴らは、人の心の闇に救い、糧とする。そして、やがてはその人間の血肉までをも食し、新たなる闇を探す。

 彼らはそれを繰り返す。『あやかし』と呼ばれる者達は。




 さぁ今宵、新たな怪奇の幕は上がった。



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