銀の男


          2


 一瞬我が目を疑った。

 黒髪をすくい上げ、口元にもってゆく女。薄桃の唇の間に隙間ができて、白い歯が覗いた。白銀にも見える淡く薄い髪色をした彼女の蒼い瞳がゆっくりと扉の前に立つ青年の姿を捉える。


 目があった。

 しかし、次の瞬間には青年は無言で戸を一気に力一杯に閉めていた。


(な、何だったんだ今のは!! 見間違え出なければ、女同士で……)




「あの……」

 青年は肩を叩かれ、飛び上がって驚いた。

 さっきの美女のうちの馬乗りになっていた方が、はだけた着物の襟を直して出てきたのだ。それは、着物といっても襦袢のような薄手のもので、透けてその下にある生肌が見えてしまいそうだ。


 しかし、近くで見るとより一層美しい。


 蒼く円い瞳がいやに妖艶な魅力を醸し出す。美しく肌理の細やかで滑らかな肌には薄化粧なくらいが粋でいい。艶のある薄桃の唇には、下唇にだけ毒々しい紅をのせていた。腰まで伸ばした総髪は露に濡れて朝日に照らされて煌めく蜘蛛の糸のように繊細。前に垂らした髪は右目にかかって鬱陶しげだが色気がある。

 彼女はまるで職人が精巧に作り上げた人形のようで、鼻筋の通った整った顔立ちが人間だということを忘れさせる。


 妖しく、美しい。


 彼女はそんな恐ろしく美しく整った顔を青年の顔に寄せた。驚いたことに、周りよりも頭二つは飛び出た青年とそれほど変わらない長身のようだ。

「否……あの、その……何でも……」

 青年は顔を真っ赤にして、目を伏せた。魅とれてしまっていた自分に、正直驚いている。早鐘を打つ心臓の鼓動を抑えられない。何とかしてそれを落ち着かせようと、思いっきり、胸一杯に空気を吸い込んだ。

 と、鼻を突く香の甘ったるい匂いに一瞬、目眩を覚える。胸がむかむかする。

 青年は、今度は口を真一文に結んで息を止めた。当然、長くは保つはずがなく、すぐに息を、今度は口から吸いこんだ。それでも少し、匂いは入ってくる。鼻を覆うように口元を手で押さえる青年を見て、女は口元を緩ませていた。その薄い笑みもまた幽艶だ。


「ユキさん! あんたまた、うちの娘こに手ぇ付けなすったね?」

 下の階から螺旋になった階段を上がってきた女将が、来るなり女にそう言った。

 女は気にする風もなく、欠伸をして頭を掻いている。

「別に……いいじゃあ、ないですか。減るもんじゃ無しに」

「お給金から引いておきますから」

 女は、困ったなぁといった風に眉間に軽く皺を寄せて首を傾げた。それから、一瞬、考えてから微笑んだ。

 優艶な動作で女将に近寄ると、その顎を指で、くいっ、と上げて腰に手を回した。

「あんたを抱いてやってツケはなしってぇのはどうだい?」

「お給金から引いておきます」

 女将は言い切った。

 押してもダメ引いてもダメで、女は諦めて黙ることにしたようだ。

 それを見た女将は満足げに笑むと、改めて青年の方に向き直った。

「此方が、代御しろみ将寿ゆきひささんですよ。うちの見世で傘持ち―用心棒―をしながら、白勒様の下請けで、請負稼業のようなことをしてらっしゃるようで」

 女将は確認を取るかのように、視線を将寿に送る。

「どうも」

 両手を袂に突っ込んで腕を組み壁にもたれ掛かり、軽く頭を下げる将寿。肯定か。

 青年は何が何やら解らなくなり、混乱しそうだった。そんな頭を必死に整理する。


(聞き間違いでなければ、将寿というこの人物は、女将を抱くとか何とか言わなかっただろうか?)


 抱くといったらこの場合、男女のあれだ。だが、目の前にいるのはどっからどう見ても女。しかもそんじゃそこらにいるような女ではない。


 絶世の美女。

 傾城の美姫。


 まさに、そんな言葉が相応しい。

 けれど、先ほどの発言から考えると男、ということになる。


 青年は理解が追いつかずに混乱していた。

 これが自分と同じ男だなどと、彼には考えることができなかったらしい。否、同じだとは考えたくない、か。背が高く細身に見えて体格がいいが、どっからどう見ても女にしか見えない目の前の人間。青年の思考回路はもはや正常な思考を組み立てることができなくなっていた。


『貝合』


 結局、そこに落ち着いた。




「どうかしやしたか、旦那?」

 青年をからかうように意地の悪い笑みを浮かべる将寿。

 そして、より一層口角を上げたかと思うと、青年の手首を無理矢理掴んで、自らの胸の上にこれまた無理矢理に置かせた。触れた青年は頭が追っ付いていないのか、目をぱちくりさせてその手の感触を確かめる。

「アタシ、こんなんでも正真正銘の男なんですがね……あぁ、下も確かめるかい?」

「い、いらぬわ!」

 我に返った青年は必死になってその申し出を断った。

「そう……実に残念だ……で、旦那の、名前は?」

 青年は焦って、平常心を装った。

「私は、草薙くさなぎ桐辰きりたつと申す者。柳町奉行所の定廻同心じょうまわりだ。貴様ならばどんな怪異でも解決してくれると聞き、この様な場所まで出向いてきた次第だ」

 桐辰がそう告げると、将寿は急に無表情になった。じっと、桐辰のことを舐めるように観察している。

 何を見ていたのか、しばらくすると何も言わずに桐辰に部屋に入るようにと促して、さっきまで抱いていた女郎を部屋から追い出した。

 女は将寿の首元に抱きついて何やらした後に、また呼んでくれと言い残してそそくさと乱れた着物を引きずりながら部屋から出ていった。

 何だか悪いことをしたような気分になる桐辰であったが、別に彼が気にすることではない。が、気にしてしまうのが彼の性分。

 しかし、置屋に住み込みながら仕事もせずに、昼間から見世の女を囲うなど、随分な身分だ。きっと、大層ろくでもない輩なのだろう。

 桐辰は一人頷いた。

 そんな彼を不審げに見ていた将寿は無言で彼を置いたまま部屋に入ると、窓の桟に腰を落ち着かせた。

「ではさっそく……話、お聞かせ願いたい。仕事を受けるか否かは、その、あとで」

 将寿は懐から取り出した煙管に火をつけ吹かし始めると、完全に聞く体制に入った。

 桐辰も急いで部屋の中へ入ると後ろ手に戸を閉める。


 中は、八畳ほどの広さの中座敷。左手隅の方に紅い飾り紐で封をされた漆塗りの小さめのひつが置かれている。その隣には絵筆と絵の具が固まってこびり付いた絵皿が数枚と、空っぽの膠壺にかわつぼ乳鉢にゅうばちが整然と並べられていた。和紙の丸めた物もそこに立てかけられていた。

 反対側の壁には軸がかけられ床があるのだが、先程、将寿が無造作に蹴飛ばした布団が山となっている。

 几帳面なのかがさつなのかよく判らない性格だ。


 将寿が座布団を投げてよこしたので、桐辰はその上に胡座あぐらをかいて座った。そして、一息つく前に事件の一部始終を細かく、将寿に話した。



          *



 今から一週間前のこと。

 一人目の被害者が出た。


 柳町の北を流れる白川しらかわに架かる橋の付近で発見された。まるで、何か得体のしれない何かにでも切り裂かれたかのように無残な様だったそうだ。

 正面から刀で一度切りつけられた後に、生きたままの状態で四肢をバラバラに切り裂かれていたという。

 それから立て続けに同じような凄惨な遺体が四体あげられた。その被害者達の全てが、ここ数年の間に世間を騒がした辻斬りの罪人。


 そして、彼らは皆一様に、白川近くで発見されている。


 その現場には必ず地面に何かを引きずった様な跡が見つかっており、同一犯であることは間違いなく、奉行所の方でも連続殺人として検分している。だが、どうしてか、煙に巻かれているかのように下手人の影を掴むことができていない。

 これは人ならざる者の所業なのではないかと、そう判断した桐辰は、生臭くはあるが腕だけは確かな坊主、白勒に助けを求めたところ、将寿を紹介されたのだった。



          *



「――兎に角、不甲斐ないことではあるが、我々では力不足だった。このままでは下手人に縄をかけることもできず、町人にまで被害を出してしまう。頼む、我々に手を貸してはくれないか?」

 将寿は話を聞き始めた頃と変わらずに窓辺に腰掛け空を見上げて煙管を吹かしている。が、話が終わってしばらくし、桐辰がそんな人を小馬鹿にしたような態度に頭にきそうになった瞬間、やっと将寿は桐辰に目を向けた。


「それってつまり……ただの、辻斬りの辻斬り――まるで粛清しているかのようじゃないか。あなた方お役人様にしたって、厄介な奴らが勝手にくたばってくれるんだ。ありがたい話じゃねぇのかい? 早い話が、アタシの専門外だ」

 将寿は煙を吐く。

「ちょ、ちょと待ってくれ! あんたに頼めば何でも――」

「――何でも……なんて、言った覚えはない。話を聞かせてもらったが、正義振りかざして己の欲を埋めるだけの、質の悪い通り魔事件にしか聞こえないんですよ。悪いですが、今回の話は無かったという事で、お引き取り下せぇ」

 将寿は冷たく言い放った。

 そんな将寿の態度に桐辰はついに彼に掴みかかってしまった。胸座を掴んだ手に力が入る。怒りに震えて、言葉が勝手に口をつく。

「ふざけるな! 此方はわざわざ、貴様の様な輩に頭を下げにまでやって来ているんだぞ! 悪所の用心棒風情が。此方が下手に出ているからと調子に乗るな」

 口調が、気性が、怒りの情に比例して荒くなる。

 桐辰もそのことを自覚していて、抑えようと努力はしていたがなかなか上手くはいかないようで、頭に血が上ればいつもこのような様になってしまうのだ。


 小刻みになる呼吸を整えて、深くゆっくりと深呼吸をした。それでもまだ、手が怒りに震えている。


 そんな桐辰を後目にして、将寿は動揺するでもなく、ただ、その蒼い瞳で桐辰の飴細工のような金髪のかかる金色の瞳を覗き込んでいた。そして、自分の胸座を掴んでいる桐辰の腕を掴みかえすと、口を開いた。



「事件解決もろくにできないようなお役人が、そんな口を、叩けるなんざぁ、驚きだな……首根っこ洗って、出直しな」



 頭に血が上った桐辰は、将寿を冷たい瞳で睨みつけると、さっさと部屋から出ていった。

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