第3話 「ターニングポイント」(後編)

 食後、次に周と月子が回ったのはアミューズメントスペースだった。


 一歩入ると音の洪水が耳を襲った。あらゆる筐体から様々な種類のゲームの音が、識別できないまま一気に耳から流れ込んでくる。


「……さいところ……」

「あ? なんだって?」


 後ろで月子が何か言ったようだったが、雑音にかき消され、聞き取れなかった。周は少し体を反らすようにして聞き返した。


「ここ、うる……」


 やはり声を拾えなかった。


「悪い。聞こえな――」


 今度は顔をそちらに向けたところ、すぐ目の前に月子の顔があった。月子も少しでも声を近づけようと、顔を寄せていたところだったのだろう。


 不意の至近距離に、ふたりはぎょっとした。


 周は慌てて顔を前へと戻す。


「えっと……で、なんだって?」

「ここ、うるさいところねって言ったの」


 ようやく音にも慣れてきて、声を選んで拾えるようになった。カクテルパーティ効果というやつだろうか。


「よ、よし。とりあえずあれでもやるか」


 周が視線と歩く方向で示したのは、パンチングゲームだった。目標を叩いてパンチの威力を測るゲームだ。


「こんなの面白いの?」


 月子が聞く。


「なんつーか、挑戦意欲を掻き立てられるんだよ。それに男なら、いざというときに拳のひとつも出せないとな。人殴る練習はしとくもんだ」

「なにそれ?」

「……いや、いい」


 周はあまり深く追求されないうちにやることにした。


 硬貨を投入して、立ち上がったターゲットを殴りつける。結果、周としてはまずまずの数値を叩き出したのだが、普段を知らない月子にはピンとこなかったようだ。特に感心してもらえるわけでもなく、少しがっかりした。


「月姉もやる?」

「女がやるものじゃないでしょう」

「んでも、菜々ちゃん会長、この前やってたぞ。飛び蹴りかましてたけど」


 相変わらず足技の得意なちびっ子である。


「……そう。じゃあ、やってみるわ」


 一瞬の思案の末、月子は決断した。


 再び周が硬貨を放り込む。


「ま、気楽に……げ」


 振り返った周は、思わずうめいた。そこに月子が、伸縮式の警棒を持って立っていたのだ。利き手でグリップを握り締め、心持ち袖を上げる。やる気満々だ。


「何やってんだよ!?」

「このほうがやりやすいから」

「だからって……」


 結局、快音と呼ぶには豪快すぎる音を響かせて一発目を叩いたところで店員のストップが入り、残りは普通に素手で殴ることになった。その残りにしても、周が軽く自信を喪失するに十分であったが。


「次はどれにすっかな……」


 これが学校の帰りなら、特に困りはしなかっただろう。岡本哲平や天根小次郎となら対戦型のゲームをするし、一二三四子ならわざと短いスカートを翻してダンスゲームをしてギャラリィの注目を集めて楽しんだりしている。


 しかし、今は月子が一緒だ。迂闊なものを選べば、彼女を置いてけぼりにしかねない。周も周なりに考えているのだ。


「シュウ、あれは?」

「ん? どれだ?」


 月子が示したほうを見ると、大きなスクリーンの前に二挺の銃が置かれていた。画面に映る敵を撃つ、いわゆるガンシューティングゲームだ。


 このゲームの場合、その敵というのが、


「……またゾンビかよ」


 腐った死体の化け物。映画に続いてまたゾンビだった。そんなにゾンビが好きかと。とは言え、月子がやりたいと言ったゲームであり、周にも断る理由はない。


「わかった、やろうか。あれならふたり一緒にできるしな」


 さっそく2プレイ分の硬貨を投入口へと放り込んだ。


「月姉、弾は6発で、画面の外を撃ったらリロードだからな」


 スクリーンから流れるプロローグムービーを聞き流しながら、月子に簡単に説明した。


 スタート直後、最初に現れたのは、動きの緩慢な人型のゾンビだった。小手調べにひとり1体ずつ撃ってみろと言わんばかりだ。周は銃口をゾンビに向け、引き鉄を――引こうとしたそのとき、


 立て続けにふたつの銃声。


 そして、スクリーンの中では、2体のゾンビが倒れて消えていく。どちらも寸分違わず眉間を撃ち抜かれていた。


「……」


 撃つべき目標を失った周は、ゆっくりと隣を見た。


「こうすればいいのね」


 月子は納得したように、だけど、しれっと言ってのけた。


「……」

「ほら、シュウ。ぼうっとしてないで。次がくるわよ」

「あ、ああ……」


 促されて慌てて画面に向かって銃を構えるも、例え周の前の敵であっても月子が巧みな射撃で頭を吹き飛ばしてしまうので、押し寄せてきた5体のゾンビのうち、周が撃ったのはわずかに1体だけだった。


 その後、敵が増えるにつれ周の出番も多少増えていったが、基本的には月子のほうが多く敵を倒していた。


 場面が変わる。

 スクリーンにはドアが現れ、それを開けて部屋へ入ると、中では今まさに男がゾンビに襲われているところだった。


 轟く銃声。

 弾は正確無比にゾンビのこめかみを撃ち貫く。


「すげーな、おい」


 ようやくひと息ついて、周が感嘆の声を漏らした。画面の中では助けられた男が興奮気味に何やらまくし立てていた。有益な情報らしいが、これもテキトーに聞き流す。


「つーかさ、ぜんぶヘッドショットってどーゆーこったよ……」


 月子の放つ銃弾に無駄弾は一切なく、正確な点射で敵の頭部を狙い撃ち、吹き飛ばす。フィンランドの白い死神も真っ青だ。


「それもまさかメイドの基本だとか言うんじゃないだろうな」


 周は以前、月子が達人の域の棒術で乱暴な男子生徒を打ち倒す場面を目撃している。それを思い出したのだ。


「え?」


 と、なぜか月子は不意を衝かれたような反応。


「ええ、まぁ……」


 そして、後には曖昧な返事が続いた。


 変な反応だな――と周は首を傾げるが、ゲームが再開されたので、スクリーンへと向き直った。


 部屋の奥へと進む。

 と思ったら、先ほどのゾンビが立ち上がった。視界が横へと向けられると、すぐ目の前にゾンビが立っていた。


 二発の銃声。

 周の銃と、月子の銃。


 腐った体にふたつの弾痕が穿たれ、ゾンビは倒れた。


「ホラーの王道だな」

「え、ええ……」


 その後、ステージが進むにつれ、ゾンビの攻撃も激化していった。さすがの月子も百発百中のヘッドショットとはいかなくなり、ふたりは程なくゲームオーバーとなった。


 目的はスコアの更新やゲームのクリアではなく、その時間を楽しむことにある。そういう意味では十二分に目的は果たしたと言えるだろう。月子も楽しんでくれていたようで、周も満足だった。





 次にきたのはアミューズメントスペースとは打って変わって静かな場所だった。

 書店だ。


 シネコンに併設されたショッピングセンターの中に書店が入っているのを見て、立ち寄ってみたのだ。店内ではふたり一緒に引っついて見て回っても仕方ないので、今は一時的に別行動をしている。


 周はひとり、ふらふらと店舗の中を歩く。特に本を読むほうでもない彼にとって、書店は退屈なところだ。ひとまず漫画雑誌のコーナーに行ってみたが、学校でたいていのものは回し読みされているので、週末ともなればあらかた読み尽くしている。


 テキトーに店内を徘徊していると、月子が熱心に立ち読みしている場面に出くわした。


「月姉、なに読んでん――」

「ッ!?」


 月子の動きは速かった。一瞬で周へと体を向け、読んでいた本を後ろ手に隠す。


「た、たいしたものじゃないわっ」

「いや、そんだけすげー勢いで隠しといて、そんなこと言われてもな……」

「い、いいのっ」

「どうせ月姉のことだから、ベタベタの恋愛モンだろ」

「……」


 黙って目を逸らした。どうやら当たりらしい。

 気まずい沈黙。


 ふと周は、本棚を見ればだいたいの予想はつかないだろうかと思った。思って棚を見ようとして、


「み、見たらダメ。見たら吹き飛ばすわっ」


 見られなかった。

 月子の制止の声に、周の首の動きが止まる。というか、吹き飛ばすとは何なのだろうか。何を吹き飛ばす気なのか。脳裏をよぎるのは、先ほどのガンシューティングのゾンビだった。


 周は月子に背を向けるようにして、少し離れた棚に目をやった。吹き飛ばされてはかなわない。


「月姉なら料理の本でも立ち読みしてるかと思ったけどな」


 月子に声をかける前に、ここが女流作家のハードカバー本のコーナーだというのは確認していた。結局、何を読んでいるのかまではわからなかったが。


 後ろで月子が黙って本を棚に返す音が聞こえた。


「次はどうする?」

「では、料理の本を……」


 少し硬質な月子の声。


「無理に行かなくてもいいんだけどな」


 苦笑しつつも月子の希望通り、書店を出る前にそちらのコーナーに寄ることにした。





 さらにショッピングセンターを見て回る。


 ここはどちらかと言えば、若者向けの店舗が多いらしく、気がつけば衣料品を扱う店が集まる一角の奥深くにきていた。


「月姉、何か欲しいものないの?」

「特にはないけど?」

「何かあるんだったら買うぜ?」


 周は思い切って言ってみた。


「まぁ、こんなときだし、俺も男だからさ、それくらいはするつもりできてるしな」


 このままウィンドウショッピングを続けていてもつまらない。いちおう何があっても格好がつく程度には財布に入れてある。それに狙っている客層が客層だけに、値段もリーズナブルだ。


 月子が周を見た。その視線に気づき、周は居心地悪そうに顔を背ける。


「シュウ、ちゃんと考えてるんだ」

「まぁ、それくらいは、な」

「でも、いいわ」


 月子は笑みを含ませて、やわらかく断った。


 それを聞いて反対にむっとしたのは周だ。


「んだよ、人がせっかく言ってるのに。……こうなったら意地でも何か買ってやる」


 どうやら無駄なやる気に火が点いてしまったようだ。


「ほら、行くぞ、月姉」

「え、でも……」

「るせぇ。だったら、俺が選んでやるよ、月姉に似合いそうなの」


 月子の声には耳を貸さず、ついてこいとばかりにずんずんと歩き出す――が、少し進んだところで、その足は止まってしまった。


 周の向かう先に、何やらレース地のものがディスプレィされていた。思わずうめき、たじろいでしまうほどきわどいデザインだ。


 明らかに男子禁制の場所。

 要するに、ランジェリーショップとしか言いようがない店だ。


 何でこんなところに――と、間の悪さを呪ったそのとき、


「……シュウ」


 背後から声と黒いプレッシャが近づいてきた。


「何を選ぶって?」

「……」


 答えられなかった。それどころか身動きもできない。いま振り返れば殺られる。吹き飛ばされる。


 ゴンッ――


「シュウ!」

「ぃてえっ」


 後頭部に鈍い衝撃。


 振り返らなくてもやられた。見れば月子が警棒をたたんでバッグにしまうところだった。


「なにすんだよっ」

「シュウが変なところに行こうとするからでしょ」


 ふん、と鼻を鳴らす月子。


「でも、これはこれで……」

「……」


 目を三角にして周を睨む。警棒をしまう手も止まっていた。


「いや、嘘ッス」


 ゾンビ的吹き飛ばされENDにはなりたくないものである。


「そういうシュウはどうなの?」


 今度は月子が聞いてくる。


「俺も特にはないな。というか、あっても言えねぇ」

「どうして? あるんなら言いなさい。買ってあげるから」

「男が女に買ってもらってどうすんだよ」

「わたしのほうが年上よ」

「それでもだよ」


 周は、これでこの話は終わりとでも言うように、ひらひらと掌を振った。そして、努めて無難な方向へ歩き出す。


「映画の前も似たようなやり取りしてたわね」

「そうだったな」


 思い出して苦笑する。


「そうだ、シュウ。この前、傷んでたTシャツ何枚か捨てたから、ここで買っていったら?」


 次の瞬間、周は思わずつんのめりそうになった。


「あのなぁ、こんなときにそんな生活感漂う世話焼くなよな。ったく。どこまでメイドなんだよ」

「……」


 周の呆れ果てた様子の指摘に、月子は不意に思い詰めたように押し黙った。だが、そんな彼女の態度に気づかず、周はずんずんと歩調も荒く突き進んでいく。


 その背に月子は、


「私は、メイドですから……」

「あ? 何か言ったか、月姉」


 かすかに届いたその声に、周が足を止めて振り返る。


「……いえ」


 月子はそう言ってから――気持ちを切り替えたらしい。


 気を引き締めるのではなく、その逆。やわらかい笑みを作って言う。


「行きましょうか」

「お、おう……」


 周はその笑みにわけもなくたじろぎ、逃げるようにして踵を返した。……意識しすぎだな、と自分でも思う。


 月子はくすりと笑い、その後を追った。





 それから専門店街をぶらぶら歩き、時刻は午後5時過ぎ。

 月子が切り出してきた。


「そろそろ帰ろうか」

「んー?」


 周はポケットから携帯電話を取り出し、そのサブディスプレィで時間を確認する。


 周としては、もう少し遊んでいたいところだった。なんならもう一軒よさそうな店を探して、夕食を食べて帰ってもいいと思っていた。とは言え、月子にその気がないのなら、無理に時間を引き伸ばしてもいいことはないだろう。


「んだな」


 ここは素直に月子に合わせることにした。

 まぁ、最初にしてはまずまずだろうな――と、一日を振り返って思った。





 ショッピングセンターの出入り口に立つと、外はしとしとと雨が降りはじめていた。


「案の定、だな」


 周はバッグから折りたたみ傘を取り出した。持ってきて正解だったようだ。

 が、ふと隣を見ると、月子が呆然と空を見上げていた。


「どうした、月姉」

「……」


 答えはない。


「えっと、もしかして傘、持ってきてない……とか?」

「そ、それどころじゃなかったし……」

「は?」

「じゃなくて……出るときバタバタしてたから」


 月子の視線が空からアスファルトの上へと移る。己の失態に落ち込んでいるようにも、顔を隠そうとしているようにも見える。


 はて、そんなにバタバタして出ていっただろうか。むしろ月子は先に、余裕を持って出かけたのではなかったか。


「ま、いいか」


 しかし、すぐに考えるのをやめた。誰にだってうっかりすることはある。古都翔子だって梅雨時にも関わらず傘を忘れていた。


「とは言え……」


 周は改めて外を見る。雨だ。勢いは強くないものの、すぐにやみそうでもない。どちらかと言えば、長雨を予感させる。そんな雨だった。


 バス停は敷地を出てすぐのところにあるが、そこまで行くのに屋根はない。となれば、残る選択肢はそう多くないだろう。


 周は傘を広げた。


「折りたたみだから狭いけど、ないよりはマシだろ」


 そして、ふたりで入るようにして持つ。


「でも……」

「仕方ないだろ。人間ふたりに、傘が一本なんだから」

「だったら……」

「言っとくけど、俺だけさすなんてのは考えてないからな。ふたりで入るか、月姉だけがさして俺が濡れるか」


 第三の選択肢として、傘を使わずにふたり仲よく濡れて帰るというのがあるが、本当にそれを選ばれても困るので、口には出さなかった。周の最優先事項は、月子を雨から守ることにあるのだ。


「ああ、もうっ。考えるようなことかよ」


 待ち切れず耐え切れず、周は月子の手首を掴んで引っ張った。


「きゃっ」


 月子が小さなかわいらしい悲鳴を上げ、よろめいた拍子に周の胸にぶつかった。


「ッ!?」


 今度は周が驚く番だった。


 女性らしいやわらかな体を全身で受け止めて、思わず飛び退きそうになった。しかし、数秒前にああ言った手前、「すみません、やっぱり考えることありますね」とは言えず、ぐっと堪えた。


 とりあえず、ふたりとも傘に下に収まったのは確かだ。


「よ、よし。帰ろうか」

「は、はい……」


 ようやく雨の中、肩を並べて歩き出す。


 今まででいちばんぎくしゃくしたのが、一日デートを終えて、その帰りというのはどういうことだろうか。

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