第3話 「ここは護星高校」
朝、周は家を出て、学校が近づくにつれて違和感を強くしていた。
同じ護星高校の生徒が自分を見て、何か囁いている気がする。単なる自意識過剰ならばいいのだが、どうもそうではないらしい。
そして、学校に着き、昇降口で上靴に履き替えているとき、かなり明晰に聞こえてきた。
「あれが……鷹尾……」
周がそちらを振り返ると、話していた男子生徒たちは慌てて顔を背け、逃げるように離れていった。
「何なんだ……?」
首を傾げても答えは出ない。
一瞬、家にメイドさんがいるのがバレたのかとも思ったが、それならもっと愉快な事態になっていそうだ。しかし、今はどうも恐れられているように感じる。
「おいっす。おはようさん」
と、そこで陽気な挨拶を投げかけられる。クラスメイトの岡本哲平だ。
「ああ、岡本か。久しぶり」
「いや、毎日学校で会ってるけーどな」
「そうだったか。俺はもう一生会えないんじゃないかと思ってた」
これも学校サイドにまったく話の展開がなかったせいであろう。
「それはいいんだけど、ひとつ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「俺って何か噂になってる? 朝からどうも注目されてるような気がするんだよな」
「そりゃあ、お前。お前があの人間凶器、九条を倒したからじゃねーえ?」
「はぁ?」
予想だにしなかった回答に、周は奇声を上げた。
「誰が……、何だって?」
「いや、だーから、お前があの九条さんを倒したって」
「俺が? 九条先輩を? 倒したぁ!? なんだ、そりゃ!?」
「違うのーか?」
「違うわっ。いったいドコ情報だ、それは」
「もっぱらの噂だで? お前と九条さんが決闘して、お前が勝って、ジュース奢らせたってーな」
「……」
周としては決闘した覚えも、勝った記憶もないのだが、最後の部分だけは心当たりがあった。
数日前、確かに学生食堂で九条にジュースを奢ってもらっている。
「いや、それ、決闘とかぜんぜん関係ないから。個人的な貸し借りと、九条の先輩の好意でジュース1本奢ってもらっただけだ」
開けてみれば単なる噂のひとり歩き。非常に馬鹿馬鹿しい。
答えが何であれいちおう謎が氷解した周は、ようやく教室に向かって歩きはじめた。
「九条先輩ってそんなに怖いか?」
先ほどの会話の中で新たに生まれた疑問を口にする。
「鷹尾は俺みたいに上の学年に知り合いがいないから聞いたことないだろうけどな、人間凶器、全身凶器の九条ってけっこう有名なんだーぜ?」
「全身凶器?」
「そう。曰く素手で鉄板を斬るとか、拳でコンクリートを砕くとーかね」
「びっくり人間大賞じゃないだろうな」
テレビをつけたらそれくらいは見られそうだ。いつか歯でトラックを引っ張るかもしれない。
「で、その九条先輩がなんで生徒会の雑用をやってるんだ?」
「何でも菜々ちゃん会長との戦いに敗れて、すっかり丸くなったとか……って、あれ? 丸くなったのは菜々ちゃんの方だったかな?」
「アテにならん情報だな」
とりあえず周は確度五割程度に聞いておくことにした。
その後、岡本があやふやな自分の記憶に首を捻りはじめたので、結局、話はそこで中断した。黙って教室を目指す。
途中、行き交う生徒の何人かが周を見て驚き、友達同士で何か囁き合っていた。根も葉もない噂のせいだろう。人の噂も……何日だっけな?――と、思う周だった。
しかし、中にはそういうものにはとんと疎い人間もいるわけで。
「あ、鷹尾くんだ。おっはよーぅ」
古都翔子だった。開け放たれた窓から廊下に顔を出している。
「よぉ。おはよう」
周も挨拶を返しながら通り過ぎる。周たちの教室はもうふたつ先である。
と。
「うおらぁっ」
怒りの雄叫びとともに岡本のミドルキックが尻に炸裂する。
「んだよっ。痛いだろっ」
「なんで普通に古都さんと会話してやがるか、お前はっ」
「なんでって、家が近いんだよ。同じマンションの同じフロア。顔見知りにもなるさ」
「なんだと! 某美少女コンテスト準優勝。我が校でもお友達になりたい女の子(新入生部門)第一位の古都さんと知り合いとぬかすか!」
「へー。そうなんだ」
初めて聞かされる詳しい経歴に、周は本気で感心する。
「だけど、会えばひと言ふた言話すだけの、本当に知り合いレベルだぞ?」
「それでも羨ましいものは羨ましいんだ」
「その無駄な素直さが気持ち悪いっつーの。でも、確かにかわいいけど、そんなに大騒ぎするほどか?」
「じゃあ、逆に聞くが、古都さんよりかわいい子っていーるか?」
「そりゃいるだろうよ。例えば、そうだな……」
と、周は自分の交友関係の中の女の子の顔を次々と思い浮かべていく。
そして……、
……。
……。
……。
「よし。この話はなかったことにしよう」
「ほーら、見ろ。古都さん以上にの女の子なんてめったにいないだろうが」
「ま、まぁ、な……」
周は歯切れの悪い返事を返す。
実は周内部で検索に一件ヒットがあったのだが、それがエプロンドレスを着ていたため、見なかったことにしたのだ。尤も、かわいいというよりは美人系だが。
周は見てはいけないものを見てしまったような気分で、教室のドアをくぐった。
昼休み――、
周は中庭を歩いていた。
もっと正確に言うならば、教室から中庭に逃げてきていた。
朝からこちら、相変わらず周は遠巻きに注目されていたのだが、昼休みになってついにいかつい体育会系クラブの生徒が訪ねてきたのだ。どうやら九条に辛酸を舐めさせられていた生徒が、九条を打ち負かせたという周に興味を示し、見にきたらしい。
とりあえずそのときはテキトーに言いくるめてお引取り頂いたものの、このままでは最悪ケンカを売られかねないと思った周は、弁当を食べると早々に教室を脱してきたのだ。
「まいったな……」
こうなったら九条本人に頼んで誤解を解いてもらったほうがいいのかもしれない。
そんなことを思案しながら歩いていると、
ぐに――
何かを踏んだ。
下を見る。
そこにあったのは人間だった。
女子の制服にスパッツ穿き、おそらく学校一小さいであろう体――。護星高校生徒会執行部会長兼治安維持部隊隊長、竜胆寺菜々ちゃんその人だった。
「おわっ!? 何やってんですか、こんなところでっ」
周は思わず飛び退く。
その問いに菜々ちゃんは力なく口を開いた。
「お……」
「お?」
「お腹すいた……」
この上なくベタだった。
「お腹すいたって……昼、食べてないんですか?」
「うん……。持ってきたけど、ぜんぶ取られた……」
「誰に!?」
いったい誰がこの人外の生物、菜々ちゃんから弁当を奪えるというのか。
「……ダミアン」
「学校に住み着いてるのらねこじゃねぇかっ」
なぜに毎日血の気の多い体育会系クラブの生徒を千切っては投げ千切っては投げしている奈々ちゃんが、ただののらねこ如きに敗れているのか不思議である。
ダミアンは、悪魔の子と同じ名前を持つ真っ黒い猫だが、特に生徒の間で怖がられているわけでもなく、むしろかわいがわれている。しかし、どうやらこのちびっ子生徒会長とだけは仲が悪いらしい。
「たべるもの……ちょーだい……」
「いや、そんな都合よく持ってないですよ」
うつ伏せにつぶれている奈々ちゃんを見て、周は「まいったな……」とデジャヴを感じる言葉を吐く。
と、そこで周の困惑に割り込むように校内放送が流れた。
『生徒のお呼び出しを申し上げます。生徒会の菜々ちゃん会長、おられましたら至急、生徒会室までお戻り下さい。生徒会の菜々ちゃん会長、おられましたら……』
「すごいな。校内放送でも『奈々ちゃん』なんだな」
とは言え、これでやることは決まった。
とりあえず菜々ちゃんを生徒会室に連れていけば、後は何とかしてくれるだろう。
「よっ、と……。思った以上に軽いな。空腹だからか?」
周は早速、菜々ちゃんを米俵か何かのように肩に担いだ。
因みに、この後、校内ですれ違う生徒全員にぎょっとされ、さらに余計な噂のもとになったのは言うまでもない。
『体よ跳べ、心よ叫べ!』と書かれた生徒会室のドアをノックする。
が、応答はない。
かと言って、誰もいないわけではなく、中からは話し声が聞こえている。ただ、扉一枚隔てても伝わってくるほど、話し合いに集中しているようなのだ。ノックが聞こえていないのだろう。
「失礼しまーす」
待っていても気づいてもらえそうにないので、周は思い切ってドアを開けた。
中には男子生徒がひとり、女子生徒がふたりの、計3人の生徒がいた。これが護星高校の生徒会のメンバーなのだろうか。
「困りましたねぇ」
最上級生らしい男子生徒が落ち着いた様子で、それ故にあまり困った感じが伝わってこない調子で言った。
「会長をむりやり引っ張ってこれるのは九条君だけですからね」
「そのカズサは生徒指導室でお説教の真っ最中ですし……」
それに応じて眼鏡をかけた、ちょっとおでこの広い女の子が、ため息混じりに言った。
「とりあえず会長にいそうなところに見当つけて、手当たり次第爆破してみましょうか」
「一般の生徒に被害が出るのは得策ではありませんね」
男子生徒が柔らかく却下する。
「や、やっぱり今度、新しい発信機を作りましょうか……?」
もうひとりの、影と幸の薄そうな女の子が、消え入りそうな声で提案する。
「それはいいのですが、問題は今ですから」
「そ、そうですね……」
しゅんとしおれるように俯く女の子。
「あのー……」
タイミングを見計らって周は割り込んだ。
そこでようやく3人は周の存在に気づいたように振り返った。
「その菜々ちゃん会長を持ってきたんですけど……」
肩に担いだ菜々ちゃんを示して言う。
「……」
「……」
「……」
3人は無言で周と菜々ちゃんを交互に見た。
そして――、
「「「 あなたが神か!? 」」」
「ただいまー」
玄関で靴を脱ぎ散らしながら、帰宅の挨拶を口にする周。
「……おかえりなさいませ」
対する月子の返事は、地獄の底から響いてくるような声だった。
驚いて顔を上げた周が見たものは、目に見えてどんよりオーラを漂わせている月子だった。
「ど、どうしたの、月子さん……」
思わず周もたじろぐ。
「出番が……」
「は?」
「い、いえ、何でもありません。すぐに夕飯の支度をします」
「……」
言葉をなくす周の前で、月子は踵を返し、キッチンへと消えていった。
よくわからないが、周は我知らず合掌していた。
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